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耳ヲ貸スベキ!――日本語ラップ批評の論点――

第三回 空虚/ナショナリズム/六八年 韻踏み夫

 「“一人称”の文化」というテーゼは、ありうべき日本語ラップ史の成立を支える正当化の論拠として立てられつつ(第一回)、その論理自体はリズム論/グルーヴ論的な射程に開かれうるようなものであった(第二回)。しかし、それは当時、実際にはどのように受け取られたのだろうか。つまり、宇多丸の日本語ラップ批評がそのアクチュアリティにおいていかなる政治性を持っていたのかということである。
 端的に言って、「“一人称”の文化」などということは、当時(も)、目新しいものだとはみなされなかった。たとえば、主体の解体というようなビジョンが賞揚されるポストモダニズム的な価値観からして、一見、遅れてきた実存主義であるかのように、退行的な印象はぬぐえまい。その政治的な帰結として象徴的なのは、『朝日新聞』による日本語ラップ批判、「探検キーワード 『リスペクト』~ラップで語る空虚な倫理~」(注1)である。前回見た「B-BOYイズム」も収録されているRHYMESTERのアルバム『リスペクト』、および当時のヒット作Dragon Ash「Grateful Days feat. ACO, Zeebra」に対し、九〇年代から騒がれ始めていた日本社会の右傾化の影を見る、というようなものである。宇多丸自身、作品への無理解であると激しく抗議し、それは一部あたってもいようが、しかしここで問うべきは、ならばなぜそのような記事が出されえたのかということであり、それはたしかに事の一面をとらえてはいたはずなのだ。実際、キングギドラら一部の日本語ラップが右傾化していたのは事実である。また、記事で酒井隆史が指摘するのは、当時の日本語ラップの担い手の多くが、中産階級以上の、男性、異性愛者であるという点であり、それもまたあたっている。
 こうした日本語ラップの困難を、きわめて早い時期に、きわめて正確に整理して見せたのは、佐々木敦「微かな「抵抗」としてのヒップホップ」(注2)である。佐々木の議論は次のようなものだ。日本へのヒップホップの「輸入=移植」にあたっての困難とは、「明らかに「何をラップするのか?」という」主題の問題であった。USのヒップホップがなしうる、人種的、性的、階級的な政治を、当時の日本のラッパーはなすことができなかった、ということである。その政治の形式性を移植することはできたが、内容に関してはそうはいかない。そしてヒップホップはとりわけ形式=内容の結び付きが強いジャンルであるために、その困難、摩擦はより一層増したのだ。佐々木はそのように続ける。
 ならば、いかなる対処がなされたか。佐々木によれば、一つにはいとうせいこう「MESS/AGE」に代表される「言語遊戯派」的な方向性、第二にスチャダラパーに代表される「日本版ネイティヴ・タン」の方向性がとられた。しかしながら、それではUSのオーセンティックなヒップホップを輸入するという目的を達成することはできず、オーセンティシティを望む者たちは第三の道をとった。それがRHYMESTERやキングギドラのようなアーティストである。彼らの困難への対処は二通りの道があったのだとして、佐々木は言う。いまだ明晰さを失わない指摘であろう。

すなわち、ひたすら極私的な状況(ただし、それは「内面」ではなかった。この点は後述する)がはらむ「問題」への言及に向かうか、あるいは「日本のヒップホップ」というジャンルそれ自体を「問題」と捉えるか、どちらかしかなかったのである。すなわち、いわば「他ならぬこのオレ」を絶対的な与件として、「オレ」を取り巻く「状況」との絡み合いにおいて、語られるべき「問題」を探査し、時には捻出さえしようと試みるか、もしくは、いまだ自らが望むような上位の地位を、音楽というジャンルや社会的ポジションにおいて獲得し得ずにいる「日本のヒップホップ」なるものを、アメリカにおける「黒人」の位置に同定してみせることで、モチベーションのエンジンを起動させようとするか。

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