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正しい小説

【書評】年森瑛「N/A」 評者:川村のどか

 生理を止めるため過度なダイエットをしている高校生のまどかは、周囲から「拒食症」を疑われている。母はインターネットで拒食症の娘との接し方を調べ、様々な資料にあたり、そこで得た情報通りの言動をするようになる。あるいは、まどかに同性の恋人がいることを知った同級生の翼沙は、同性愛者の友人との接し方を検索した上で、相手を傷つけないための振る舞い方をぎこちなく実演する。いずれも専門家や当事者からお墨つきを得た「正しい」姿勢だが、そこには彼女たち自身から出た生身の言葉は一つもない。まどかはそれを察している。あえてレッテルと言い切ってしまうが、「拒食症の娘」や「同性愛の友人」といったレッテルを通してでしか相手を見られなくなる事態を、まどかは敏感なアンテナのように感知し、批判していく。
 検索すれば出てくるようなありふれた「正しい」言説とは一線を画す独創性があるものの、本作には、みんなが思う公約数的な「正しい」振る舞いを小説として徹底して演じてみせたような計算高さを感じてしまう。だが、こういう見方をしてしまう私の賢しらさは間違いなくこの作品によって引き出されたものだ。そうであれば、本作を「正しい」小説だと読んでしまう私こそ、まどかが批判している当のものなのではないだろうか。なぜなら、「正しい」という評価は今日の社会的文脈に強く依存したものだからだ。私は本作に社会的文脈を見ているだけで、本作そのものを純粋に読んでいない。いや、社会的文脈を切断して作品を純粋に読むことなどできないし、するべきでもない——こういう考えもあり得るし、むしろこういう考えこそ常識なのかもしれないが、本作が社会的文脈から生じた常識とその人固有の在り方との間に生まれる摩擦を描いている以上、「正しい」というレッテルを貼ってしまった自分を無批判に受け入れることはできないのではないだろうか。
 本作は、第127回文學界新人賞の最終選考で、選考委員の満場一致により受賞が決まったという。この高評価は、むしろ誰が評価してもある程度は似通った読みを誘発する本作の特徴を浮き彫りにしているように思える。実際、選評を読む限り選考委員の読みは大筋で一致しているし、[先日公開された荒木優太の時評]でも、「金原ひとみが選評で「マジョリティ側に吸収されつつあるマイノリティが、更なるマイノリティの敵となる現象、アセクシャル的生きづらさ、カテゴライズへの嫌悪、SNSがもたらす脅威、女性同士の団結と断絶」と摘要しているが、逆にこれ以外に読みどころってあるんだろうか」という評価がくだされている。一方で、前述したようにこれらの評言は今日の社会的文脈に強く依存しているが、その社会的文脈をこそ相対化し、批判的に検討したのが本作ではないか。このような作品について何かを言うのは容易ではない。独創的な解釈を開陳して悦に浸る罠にはまるか、作中の誰かの意見に沿ったそれらしいことを言ってみせてまどかの批判の餌食になるか、そのいずれかしか書けないだろう。それでもかまわない。本作について考えることは、マイノリティにまつわる今日的言説を見つめることだからだ。それは私自身が誰かに貼っているレッテルを浮き彫りにし、偏見の在り処をあからさまにする営為になるはずである。

 まずは、本作にあえて一つのレッテルを貼るところから始めてみたいと思う。それは本作を「母娘」関係を土台にした小説だとするレッテルである。
 いかなる当事者性も持たないと表明するまどかは、「拒食症」であれ「同性愛者」であれ、自分を何かにカテゴライズされることに強い違和感を抱く。そんなまどかには「かけがえのない他人」という特別な理想がある。「かけがえのない他人」とは、一緒に食事をしたりおしゃべりをしたりしているだけで世界が輝いて見える関係性であり、たとえば絵本の『ぐりとぐら』のような、別の人では代替不可能な二人組がそれに当たる。まどかにとってこの「かけがえのない他人」が重要なのは、それが社会的カテゴライズの外にあるからである。「かけがえのない他人」は何にも当てはまらず、何にも縛られない。ところで、少なくとも十三歳の頃にはこのような関係性を希求するようになっていたまどかは、いったい何をモデルにして「かけがえのない他人」を知ったのだろうか。

 車を停めていた、すぐ近くのパーキングエリアに向かうと、父はすでに助手席に座っていた。母は何故か運転席のドア前に立って、まどかの頭の斜め上の空に手を振っていた。母の視線をたどると、祖母の家の二階の窓から顔を出した叔母が手を振っているのが見えた。二人は視線の交錯線上でぐりとぐらみたいに踊っていた。
 まどかが近付いてきたのに気付くと、母はいつもの母の顔に戻った。

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