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【批評】渡邉大輔「宮﨑駿に触れる――『君たちはどう生きるか』と「工作」の想像力」

1 眞人の弓矢と「工作的なもの」

 スタジオジブリの宮﨑駿監督の一〇年ぶりとなる長編アニメーション映画『君たちはどう生きるか』(二〇二三年)は、八二歳となったこの巨匠による「自伝的ファンタジー(1)」である。実際に、前作『風立ちぬ』(二〇一三年)から引き続き、監督の宮﨑自身の幼少年期や家族の記憶が作中のディテールに濃密にこめられていることは、拙稿を含め、すでに多くのレビューでも触れられている(2)。

 そのなかでも、とりわけ注目したいのが、物語の前半に登場する、あるシーンである。小学六年生の牧眞人(声:山時聡真)は、戦争の空襲のさなか、火事で実母を喪い、父親が再婚した母の妹の夏子(声:木村佳乃)の暮らす、都会から離れた「青鷺屋敷」へと疎開することになる。父との子を宿す身重の継母に対して複雑な感情を抱く眞人は、ある時、屋敷の前に広がる湖沼と、その傍に建つ謎めいた古い洋館(塔)の間を飛び回る不気味な青サギに襲われる。

 そして、人間の言葉を話す青サギに、当初、木刀で応戦した眞人が次に取り掛かったのが、竹を素材にして自作の弓矢を作ることだった。井戸端で屋敷のじいやの手を借りながら小刀を丁寧に研いだ後、その刃で竹を切りながら器用に手製の弓矢を作っていく眞人の姿を、宮﨑は観客に丹念に示す。

 この眞人の弓矢を作るシーンが物語のなかでもひときわ重要であることは、この後、失踪した夏子の行方を探すために、使用人のキリコばあやとともに洋館の内部に侵入した彼が、現れたサギ男(声:菅田将暉)の嘴に矢を放ち、夏子と実母の行方を追って「下の世界」に旅立つ物語後半の展開への重要な契機になるからというだけではない。もとより、本作の題名の元となり、重要なモティーフとなった吉野源三郎の同名の児童小説を机に積み上げられた本の山のなかから眞人が偶然見つけて読み、大きな感銘を受けるという展開の直前に置かれているのが、この弓矢作りのシーンなのだ。したがって、本作の主題歌である米津玄師の「地球儀」のCDジャケットにも採用された、実母が眞人のために残したこの小説を机で読み耽る彼の後ろ姿を描いたレイアウトでも、その背中の左、やや仰角気味に描かれた机上の隅には、やはり弓と矢の一部がはっきりと描きこまれている。

 ともあれ、『君生き』におけるこの手製の弓矢を工作するシーンには、宮﨑の幼少年時代に端を発する重要な嗜好や記憶が刻まれているとともに、彼のフィルモグラフィを貫く、まだあまり論じられることのない固有の問題系が顔を覗かせているように思われる。ひとまずその問題系を、この評論では、模型というモノ=ガジェットにも連なる「工作的」な想像力と呼び、宮﨑アニメにおいて持つ意味を手広く考えてみたい。

2 模型工作的想像力の歴史性――戦時下の「模型航空教育」

 本作における眞人の弓矢作りのシーンが体現するものとは何か。まずそれは、宮﨑駿における、手=触覚の親密さと結びついた、「兵器模型」に象徴される「工作的」な想像力だといってよい。

 零戦を設計した実在の航空技術者・堀越二郎を主人公にした『風立ちぬ』や世界大恐慌時代のイタリアの飛行艇乗りたちを描いた『紅の豚』(一九九二年)に典型的に表れているように、飛行機や戦車など、宮﨑の兵器趣味はつとに知られている。

 そして、この兵器への愛着は、実物だけでなくその「模型」にも及んでいる。右に挙げた過去の二作についても、それぞれ「風立ちぬ」(二〇〇九~二〇一〇年)、「飛行艇時代」(一九九〇年)という宮﨑自身のマンガを原作としているが、それらを含め、月刊の模型(プラモデル)雑誌『モデルグラフィックス』(大日本絵画)誌上で彼が長年にわたって連載を持ってきた事実からもそれは窺われる。宮﨑もまた、キャリアの初期に記したアニメーション作りにまつわる文章のなかで、すでに自身のうちにある強固な「プラモデル的視点」について自覚的であった。「商売上、自転車から宇宙船、戦車や巨大ロボット、そのほか、ずいぶんのりものを描いてきたけれど、プラモデル的視点にとどまることが多かった。[…]手に持ったプラモデルを近づける。/グオーンとか、キーンとかいう音をつけて。/顔の横でゆらめかす。/コクピットのパイロットを空想する。/それから、目的地めがけて、突っこんでいく(3)」。

 こうした宮﨑の生来の兵器趣味、模型趣味は、まさに今回の『君たちはどう生きるか』でも眞人の父・勝一(声:木村拓哉)に仮託して描かれたように、第一に、宮﨑自身の実家が戦時中に零戦の部品製造を請け負っていた会社(宮崎航空機製作所)だったという出自ともむろん無関係ではないはずだ。

 それゆえに、『君生き』で眞人が自作する弓矢は、その表層的なイメージのみで『もののけ姫』(一九九七年)のアシタカ(声:松田洋治)の操る弓矢に通じるというよりも、その模型的な工作性という本質において、むしろ『天空の城ラピュタ』(一九八六年)でまさにパズー(声:田中真弓)が飛ばしたり、『となりのトトロ』(一九八八年)で勘太(声:雨笠利幸)が作っている模型飛行機や、『魔女の宅急便』(一九八九年)でトンボ(声:山口勝平)が自作する自転車を用いた人力飛行機にこそ結びつくガジェットなのである。

 宮﨑アニメにおけるこうした要素については、近年、ようやく本格的に注意が向けられるようになってきたと思われる。たとえば、アニメーション研究者のキム・ジュニアンは、右の宮﨑発言や一連のシーンには言及していないけれども、これまでの先行する数多の宮﨑論が「飛行」というモティーフのみに注目してきたことを相対化して、「航空」というガジェット的要素を提起し、「プラモデルの文化は、確かにジブリのアニメーション制作と直接・間接の関わりを有している(4)」と論じている。

 では、宮﨑の兵器趣味、模型趣味の背景にあると考えられる、先述の個人的出自の問題とは別の、より大きな歴史的・世代的な文脈にはいかなるものがあるのか。それが、キムが参照する評論家の大塚英志がジブリを含む戦後のマンガ・アニメ文化(オタク文化)との関わりのなかで強調する、戦時下の映像文化や子ども文化全般に見られた、プロパガンダ的側面から科学や機械を重視する姿勢、いわゆる「兵器リアリズム」の影響である。このあたりの経緯については、大塚や、メディア社会学者の松井広志らが詳細に整理している。

 とりわけ重要なのは、一九三九年、国防上の重要性から模型飛行機の製作が尋常小学校と高等小学校の正式課程として採用され、さらに宮﨑の生まれた一九四一年に設置された国民学校では、芸能科や理数科のなかでより多くの時間を割いて積極的に実施される、いわゆる戦時下の「模型航空教育」である。一九四〇年に発足した第二次近衛内閣では、文部大臣に就任した医学者の橋田邦彦が戦後の科学教育でも謳われる「科学する心」という著名なスローガンを打ち出し、同年には少年向け兵器専門雑誌『国防科学雑誌 機械化』、そして模型航空教育の高まりとともに『模型』(一九四一年創刊)、『模型航空』(一九四二年創刊)といった模型雑誌が続々と刊行されていった(5)。

 もちろん、宮﨑本人は戦時下に実際に模型航空教育を受けた世代からはひと回りほど下である。ただ、生涯の盟友となるアニメーション映画監督の高畑勲(一九三五年生まれ)や、同じく東映動画時代からの先輩で、アニメーターとして宮﨑が多大な影響を受けた大塚康生(一九三一年生まれ)ら年長世代を通じて、その感性が彼にも流れ込んでいることは想像に難くない。事実、大塚もまた宮﨑に劣らぬ兵器マニア、模型マニアであり、田宮模型(現在のタミヤ)のアドバイザーを務めたこともある。また、その田宮模型を世界有数の模型メーカーに育て上げた田宮俊作(一九三四年生まれ)は、自らの模型の原体験に少年時代の模型航空教育を挙げていた(6)。ちなみに、『君生き』のなかで勝一が乗り回し、息子の眞人を転校先の小学校に送り届ける日産のダットサンは、戦後の一九五八年に、マルサン商店(現在のマルサン)から発売された国産プラスチック製模型第一号で、初めて「プラモデル」の名称が冠された商品のモデルのひとつ(ダットサン1000)だった。

3 模型工作のアクター・ネットワーク

 以上のように、宮﨑駿の想像力/創造力の中核には、兵器模型やプラモデルに基づく工作性、すなわちモノ=ガジェットとの親密な交わりがある。おそらく『君たちはどう生きるか』における竹の弓矢、あるいはあらためて後述するばあやたちの人形や大伯父(声:火野正平)の積む積み木などの作中に登場するさまざまなモノの持つ意味も、この位相から考えられるべきものである。

 その点で、たとえば、キムによる、模型航空教育が当時の子どもたちに与えた影響も踏まえた以下の指摘はきわめて重要だろう。

 本稿で特に焦点を当てたいのは、兵器模型による戦意高揚のプロパガンダ効果ではなく、「玩具を愛でる、玩具と戯れる」という身体的な遂行を通して、平和時にも持続してゆき、個人的次元で容易には拒否し難いほど筋覚的なレベルでなされる身体的な刻印である。人類学者のジェーン・C・デスモンドは、このような状態を自己分析から「筋覚的親密性」として概念化する。[…]

 対象と筋覚的に親密な関係を形成し、自他の境界がなくなってゆく状態は、戦時下の日本では兵器模型によって子どもたちに大規模にもたらされた可能性が考えられる。[…]

 本物の兵器との区別がされなくなった兵器模型は、触る、作る、遊ぶといった触覚的、筋肉的、筋覚的なインタラクションを通して、子どもたちにとって死の恐怖を感じることなく、デスモンドのいうところの「親密性」を感じる対象へとアイデンティティーを変容させてゆく。それは戦闘機や戦車が自分自身のことになっていくような融合の状態にまで拡大したといえる(7)。

 ここで言われているのは、モノ=兵器模型との工作的で触覚的な交わりとは、文化を構成する多様な要素――それは人間とモノだけでなく、そうした対立そのものを無効化する有象無象の存在たち――が互いに競合し、包摂し、混入し合う特異な場を生み出すということだ。その「兵器をめぐって視線と手が用いられる力場」(キム)はとりもなおさず第一に、「兵器模型」と「本物の兵器との区別がされなくな」ることであり、第二に、「戦闘機や戦車が自分自身のことになっていくような」人間とモノとの「自他の境界がなくなってゆく状態」である。

 第一の点に関しては、キムも例に挙げているように、監督デビュー前の黒澤明も脚本で関わった山本薩夫監督のプロパガンダ映画『翼の凱歌』(一九四二年)の演出が興味深い。この作品は、父を墜落事故で失った二人の少年がそれぞれ訓練を経てパイロットになり戦線で活躍する姿を描く物語だが、作中では彼らが少年時代に遊んでいた模型飛行機がその成長とともに本物の戦闘機へ変容していく様がモンタージュ・シークエンスで示される。こうした当時の表象は、模型航空教育の重要な工作書として読まれていたという横井曹一『兵器模型』(一九四二年)に即して松井が述べるように、やはり「戦時下では実物と模型が限りなく近接していた(8)」事実を証立てるものといえよう(9)。

 あるいは、第二の人間とモノとの境界が流動的になっていくという点については、模型航空教育をめぐるブリコラージュ的側面が注目される。ブリコラージュとは、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが提起した概念で、本来の用途とは関係のない、その場の手持ちの素材をうまく組み合わせて当面必要な道具を作ることを指す(10)。それはあらかじめ固定された理論や計画に基づいてモノを作る「エンジニアリング」とは対極的な思考である。

 松井によれば、戦争の長期化に伴う物資不足により、後年の模型航空教育では廃材や野生の植物などの代用材による製作が奨励されていた(11)。ここでのポイントは、エンジニアリング的な思考がモノを作るにあたって、人間(主体)の側の企図(計画)と素材(客体)の性質が対立的な関係に置かれており、素材はあくまでも人間の側の企図に一方的に従属するという非対称的な立場にあるのに対し、ブリコラージュ的思考が両者の関係をより柔軟に、対称的なものに捉え直す点だ。

 あり合わせの素材で器用に道具を作るブリコラージュとは、――古代ギリシャ以来の「質料形相論」の語彙をあてはめれば――モノの成り立ちを、主体の側の企図(形相)と客体の側の素材(質料)がお互いに力を及ぼし合いながら「かたち」が生成していくプロセスとして考える。たとえば、イギリスの社会人類学者ティム・インゴルドは、「質料形相論の哲学全体が依拠する、物質と形式の区別は容認できないことなのである」とした上で、以下のような具体例を示す。「熟達した木こりは、斧の刃が木目に入るように、斧を上から下に振りおろす。そうすれば、かつて樹木が生きた木であった頃に生長した過去の歴史の方向に、すでに樹木の内側に組みこまれている方向に従うことができるからだ。斧の刃が木目を切り裂き、樹木によって進むべき方向を見いだすとき、ドゥルーズとガタリがいうように「木の繊維の波状の変化や歪み」によって、その斧は導かれる。[…]ふたたびドゥルーズとガタリの言葉を借りれば、握斧や斧を素材に「従わせる」のであり、それらが「導く方向に従う」という問題なのである(12)」。エンジニアリング的な発想では、斧を扱う主体は、「木の繊維の波状の変化や歪み」といった素材(木)の性質を考慮しない。重要なのは、自らの企図と素材の性質を柔軟に照応させ、「素材に「従わせる」」ことなのだ。

 短く註釈を挟んでおけば、兵器模型を例にした以上のようなモノ=ガジェットとの工作的・触覚的な交わり(筋覚的親密性)は、松井も理論的に抽象化しているように、社会構成を、人間、非人間の区別なく多様なアクターが異種混淆的に働きかけ合うネットワークとしてみなすアクター・ネットワーク理論(ANT)や、いわゆる「存在論的転回」を経たインゴルドなどの現代人類学など、昨今の現代思想のパラダイムとも馴染みがよい(13)。

4 『君生き』の示す「モノ」たちの位相

 何にせよ、もはやおわかりのように、眞人の弓矢作りをはじめ、今回の『君たちはどう生きるか』もまた、このような模型的/工作的想像力が織りなす筋覚的親密性の枠組みをきれいになぞっているのである。

 先に示した二つの要素のうち、本作では、後者の人間とモノとの触覚的な相互干渉という点が鮮やかに形象化されている。まずこれはなんといっても、眞人の弓矢作りの明確なブリコラージュ性から窺われる。宮﨑は、眞人が弓矢を作るにあたって弓や矢に竹を用いる以外にも、じつにブリコラージュ的に素材を集めてくる様子を細やかに描写する。眞人は、拾った青サギの羽を矢羽にあてがい、しかもそれを矢につけるにあたって、食卓の櫃に入った米を一握り拝借し、口内の唾液で溶かして即席の糊にするのだ。このシーンにおいて、眞人はまさに、戦時下の兵器模型を作る子どもと同様、「対象と筋覚的に親密な関係を形成し、自他の境界がなくなってゆく」「視線と手が用いられる力場」の渦中にいる(14)。

 あるいは、『君生き』ではある意味でもっと露骨に、人間がモノ=ガジェットに、またモノ=ガジェットが人間に生成変化していく様子が登場する。ほかならぬ、青鷺屋敷の七人のばあやたちだ。塔の下の世界に行き、若いキリコ(声:柴咲コウ)と出会った眞人が布団で目覚めた時、彼の枕元では彼女たちがいつの間にか木彫りのような小さな人形に変わっている。この人形について、目覚めた眞人に対し、「人形を触ってはダメだ」という旨のことを若いキリコが注意するが、ここからはこの人形にも模型的な触覚性が宿っていることが仄めかされる。

 さらに、この工作性/模型性/触覚性をめぐる主題系は、いうまでもなく本作の物語のクライマックスをなす大伯父の手繰る白い「積み木」というモノ=ガジェットにおいてもっとも結晶化する。大伯父は眞人に、積み木によって下の世界の均衡を保ってきたこれまでの自分の役割を引き継ぎ、「君の塔を作るのだ」と頼む。だが、この大伯父の希望を最終的に眞人は拒む。余談ながら、この積み木という形象は、宮﨑の持つ工作的/触覚的想像力という面では、近刊の別稿で詳しく論じたように(15)、宮﨑の岳父(妻・宮﨑朱美の父)であり、「版画教育の父」と呼ばれ、戦中から戦後にかけての学校における教育版画運動を主導した版画家・大田耕士との関係においても興味深い。というのも、大田とも教育版画運動を通じて深い関わりがあり、日本における近代創作木版画の大成者として知られる恩地孝四郎がその抽象版画表現の重要な着想源としたのが、現代美術家の岡﨑乾二郎が注目したように、積み木などの幼児教育玩具(フリードリヒ・フレーベルの「恩物」)だったからである(16)。

 それはともかく、このシーンは、これまでの宮﨑の手掛けてきたアニメーションが、積み木、弓矢、そして兵器模型やプラモデルのような、紛れもなく工作的で、模型的で、触覚的なモノ=ガジェットの手触りにこそ支えられてきたという事実を寓意的に示しているように読み取れるのだ。そして、大伯父の頼みを拒み元の世界に戻った眞人が、必ずしもそうした積み木=モノの手触りから完全に解放されたわけではないことは、帰還した彼のポケットのなかに(キリコ人形とともに)白い石が入っており、また、最後の場面で自室を出る彼がふたたび意味ありげにポケットに手を入れる仕種において暗示されている。

5 戦後日本アニメ史と「工作」の問題

 宮﨑駿、ひいてはジブリのアニメーションのなかに、モノ=ガジェットの手触りの系譜を見出すこと。

 最後に、ここで論じてきた以上の論点が、ことのほか重要なのは、おそらくそれが、単に宮﨑個人やジブリの作家論、作品論の問題にとどまらず、戦後の日本アニメーション史そのものの捉え直しに繋がる可能性があるためだ。というのも、近年のアニメーション研究やポピュラーカルチャー研究においては、このような戦後日本が生んだ独自のアニメーションとしての「アニメ」とモノ=ガジェットとの深い関わりについては、いわゆるメディアミックスなどの文脈から、宮﨑アニメが属する系譜ではなく、むしろ日本アニメのもうひとつの主要な系譜、つまり手塚治虫の虫プロダクションの系譜に連なる作品、コンテンツが注目されることがほとんどだからである。たとえば、カナダのメディア研究者マーク・スタインバーグは、日本最初の連続テレビアニメである『鉄腕アトム』(一九六三~一九六六年)と明治製菓の「アトムシール」との関係に注目する(17)。あるいは、批評家の石岡良治は、まさに「私は『ヤマト』『ガンダム』『エヴァ』は、純アニメ的な観点のみでヒットした作品ではないと考えています。日本のアニメーションの伝統としては、宮﨑駿、高畑勲を代表とする東映動画の流れがあります。[…]この系譜は、より正統派として扱われやすいと思います。/一方で『ヤマト』『ガンダム』『エヴァ』といったロボットアニメには、しばしばいびつな願望充足ガジェット、まさにホビーへの関心が肥大化した形で表れているとみなされます(18)」と指摘している。そしてその代表的存在が、いうまでもなく宮﨑と同年生まれの富野由悠季の創造した『機動戦士ガンダム』(一九七九年)の「ガンプラ」だった。ここには、後に『新世紀エヴァンゲリオン』(一九九五~一九九六年)を手掛けることになるガイナックスの母体として知られる、岡田斗司夫の開業したゼネラルプロダクツが当初、ガレージキットの製作・販売を業務としていたことなど、さまざまな事実がつけ加わるだろう。そして、そのアニメの系譜は現在のポケモンカードゲームやプリキュア映画のミラクルライトまで続いている。

 その意味で、宮﨑、あるいはスタジオジブリの宿す筋覚的親密性――昨今の思想用語を用いるとオブジェクト指向性について考えることは、テレビアニメ由来の「アニメ」とメディアミックスとが密接に結びついて語られてきた従来の戦後日本アニメ史の見取り図に対しても、オルタナティヴな視点を付与しうるだろう。

『君たちはどう生きるか』のために書き下ろされた米津玄師の主題歌「地球儀」のタイトルの由来は、米津によれば、「『崖の上のポニョ』のドキュメンタリーを見た時に、宮﨑さんが地球儀に触っているシーンがあって、それがすごく印象的だった(19)」からだという。地球儀もまた、地球の模型にほかならない。この世界であるかのように、いや、この世界そのものとしての模型に触れ、飽き足らず回し、描くこと。宮﨑駿の手掛けたアニメーションの内実を、『君生き』の工作的想像力もまた、雄弁に示している。私たちもまた、そんな宮﨑のアニメーションに、これからもそのように触れ続ける。


(1)『君たちはどう生きるか』劇場プログラム(構成・文は石井朋彦)、東宝、二〇二三年、二頁。

(2)拙稿「『君たちはどう生きるか』と2010年以降のジブリ作品の関係 共通する“家族の肖像”と“死”」、リアルサウンド映画部、二〇二三年。同「『君たちはどう生きるか』 「国民的作家」が紡ぐ最後の神話」(「令和の人文アニメ批評」第一四回)、『Voice』二〇二三年一〇月号、PHP研究所。

(3)宮崎駿「続・発想からフィルムまで(2)――のりもの考/視点の移動」、『出発点1979~1996』徳間書店、一九九六年、七三頁(初出は一九八〇年七月)。

(4)キム・ジュニアン「航空機体の表象とその運動ベクトル――宮崎駿『風立ちぬ』の戦闘機は何を演じているのか」、米村みゆき・須川亜紀子編『ジブリ・アニメーションの文化学――高畑勲・宮崎駿の表現を探る』七月社、二〇二二年、六〇頁。

(5)同前、六二~七二頁。松井広志『模型のメディア論――時空間を媒介する「モノ」』青弓社、二〇一七年、第二章。大塚英志『手塚治虫と戦時下メディア理論――文化工作・記録映画・機械芸術』星海社新書、二〇一八年、三二八~三三八頁。

(6)田宮俊作『田宮模型の仕事』文春文庫、二〇〇〇年、一九頁。

(7)前掲「航空機体の表象とその運動ベクトル」、六九~七二頁。

(8)前掲『模型のメディア論』、六五頁。

(9)このような日本の戦時下のプロパガンダ映画や教育映画における触覚性・知育性と結びついたモノとの関わりについては、以下の拙稿も参照。なお、ここで取り上げた佐藤武監督『チョコレートと兵隊』(一九三八年)でも主人公の小学生がエンディングで模型飛行機を飛ばすシーンが登場する。拙稿「教化映画か教材映画か――「動く掛図」論争以後の教育映画/映画教育の言説と実践」、岩本憲児・晏妮編『戦時下の映画――日本・東アジア・ドイツ』森話社、二〇一九年、一二〇頁以下。

(10)クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』大橋保夫訳、みすず書房、一九七六年、二二~四一頁。

(11)前掲『模型のメディア論』、六七~七四頁。

(12)ティム・インゴルド『メイキング――人類学・考古学・芸術・建築』金子遊・水野友美子・小林耕二訳、左右社、二〇一七年、一〇一、一〇二~一〇三頁。

(13)もちろん、このような見方は、これまでの宮﨑論でも繰り返し主題になり、また宮﨑自身も言及してきた「アニミズム」の発想にも通じる。たとえば、マンガ版「風の谷のナウシカ」(一九八二~一九九四年)で、森の人のセルムが「食べるも/食べられるも/この世界では/同じこと/森全体がひとつの/生命だから……」といい、また蟲使いがセルムに、王蟲の漿液に包まれたナウシカのことを「このお方は/人の姿をした/森です/両界の中央に/立たれておられ/ます」と語るが、これらの認識もここで述べた工作的な想像力と近接している。宮崎駿『風の谷のナウシカ』第六巻、徳間書店、一九九三年、二三、三五頁。

(14)なお、興味深いことに、物資不足により代用材での模型飛行機の製作法を解説する『模型航空』の記事を見ると、まさに眞人の弓矢と同じく、多くの部位で竹ひごが「大東亜共栄圏」に特有の材料として勧められている。前掲『模型のメディア論』、七二~七三頁を参照。

(15)詳しくは、以下の近刊予定の拙稿を参照。なお、宮﨑と大田耕士との関係を本格的に論じた批評や研究は管見の限り見当たらない。拙稿「宮﨑駿における「版画的なもの」――岳父・大田耕士並びに触覚的想像力との関わり」、『ビンダー』第八号、近刊。

(16)岡﨑乾二郎『抽象の力――近代芸術の解析』亜紀書房、二〇一八年、二五~三七頁。

(17)マーク・スタインバーグ『なぜ日本は〈メディアミックスする国〉なのか』大塚英志監修、中川譲訳、角川EPUB選書、二〇一五年、第二章。

(18)石岡良治『視覚文化「超」講義』フィルムアート社、二〇一四年、一九九頁。また、石岡は、「プラモデルというホビーの世界が、アニメから半分自律した世界を形成していたことが、興味深い展開を生みました」、「アニメという映像メディアの中に、模型やゲームという異なる「ホビー」の要素を持ち込むことで、アニメ映像から切り離された形での「プレイアビリティ」が確保されたということです」と記している。石岡良治『現代アニメ「超」講義』PLANETS/第二次惑星開発委員会、二〇一九年、一四八、一五五頁。

(19)シングルCD「地球儀」付属の写真集に掲載された鈴木敏夫との対談の米津の発言を引用。

(初出 「文學界」2023年10月号


文學界10月号は9月7日(木)発売です。


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