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『雨滴は続く』 西村賢太 2

「文學界」で連載され、最終回執筆中に著者が急逝したために未完となった、西村賢太さんの『雨滴は続く』(文藝春秋刊、488頁、定価2200円)が単行本にまとまりました。
 発売を記念して、1章から4章までを順に無料公開いたします。



 だから購談社の、『群青』編輯者との約束の当日を迎えたとき、貫多の得意な気分は弥が上にも絶頂の昂ぶりをみせていた。

 午後二時過ぎになって宿を出た、その足の運びはいつになく軽ろやかであり、姿勢も平生の俯向き加減のものとは大きく異なる、まるで意気揚々と云った風情であった。

 貫多にとって購談社と云えば、まずは横溝正史である。

 いったいに一九六七年生まれの貫多は、その少年期に所謂〝門川文化〟の洗礼を真っ向から受けた世代になる。それが故―と云ってはちと短絡的でもあるが、とあれ横溝正史については、あの文庫本、映画、テレビの三位一体となったブーム時に手もなく巻き込まれたクチであったが、しかし件の作家のそもそもの再評価のきっかけは購談社であったらしい。

 七〇年代に入る直前に『少年マガジン』で「八つ墓村」の劇画連載が始まって注目を集め、直後に同社から『横溝正史全集』が発刊されて好評を博したことが、門川書店での文庫シリーズ化に繋がったらしいのだが、実際貫多も中学一年の秋口頃までには、当時門川で出ていた文庫七十五、六点の全部と、春陽文庫の「人形佐七捕物帳」シリーズをすべて読み上げてしまい、〝その次〟を求めて購談社から刊行されていた、ハードカバーの『探偵小説五十年』(の、新装版の方)や、新編の『横溝正史全集』第十八巻として配本された『探偵小説昔話』と云ったエッセイ集までも、小遣いをはたいて購めてもいた。

 どちらも品切れ絶版となる寸前の、まことに危ういタイミングでの入手のようだったが、書店の棚に並んでいない本をわざわざ取り寄せて購入したのは、彼にとりこれが初めての経験だった。

 それだけに、三週間ばかりも待たされた後にようようありついたその本は、おいそれとは手に入らぬ稀覯本のような錯覚があり、版元の購談社の文字さえも、何やら妙に神々しい輝きを放って見えたものである。

 そしてかような追憶があった為に、それから数年を経た十八歳時に、飯田橋の、厚生年金病院裏の安宿に棲んでいた頃の貫多は、池袋に深夜映画を観にゆく際には専ら徒歩で音羽通りを経由していったが、その途次には自ずと視界に入ってくる成り行きとなる、まだ旧社屋しかなかった頃の購談社の古めかしい建物前を通る度に、往時の感慨を思い起こす流れもたまさかにはあった。―が、それも束の間のことで、程なくしてこれまでの負の連鎖による自堕落な生活を改めるべく、心機一転で横浜の戸部に転宿した彼は、そこで現役の或る推理作家の作品中から田中英光の生涯を知り、試しにその〝破滅型〟と称される作者の私小説を読んでみたら、それまで全く受け付けなかった純文学―と云うか私小説なるものの面白さに、何か開眼する格好となってしまった。

 それ故に、横浜での生活もすぐに行き詰まって、都内の椎名町辺に逃げ帰るみたくして転じたのちには、今度は購談社の前を通る際には、根が単純素朴にでき過ぎてる彼は田中英光のことを想起するようになったものである。

 田中英光は、一九四七年に同社から『桑名古庵』と云う歴史物を柱とした短篇集を上梓していたが、直後の発表作である「風はいつも吹いている」の記述中には、この印税の前借りをする為に、同社を師匠の太宰治と共に訪れた折に、或いは創刊間もない頃の『群青』を指すかと思われる雑誌の編輯長が、すでに時代の寵児の一人となっていた太宰には至極愛想が良いのに、売れぬ作家の英光にはひどく横柄な態度で接することにムカッ腹を立て、

〈こんな編集長の事大主義では、すぐにも、こんな雑誌、ぶッ潰れるだろう。〉

 と述懐するくだりを、しみじみ復唱することが常となっていたのである。

 で、その『群青』に、かつては田中英光の熱烈な読者であった自分が呼ばれ、もしかしたら自作を載せてくれるやも知れぬ展開が待ち受けていそうなこの流れは、貫多には依然として何んとも云われぬ得意を覚えさせる状況であったのだ。

 イヤ、もしかしたらなぞ、ヘンに謙遜するがものはない。そんなにして来社を乞われた以上、これはまさかに見ず知らずの者を、無意味に社内案内してやろうと云うわけではなかろう。当然に話は、こちらへの創作依頼的な用件に終始するに違いない。

 無論、先にも云ったように、根が猜疑と邪推の塊にできてる貫多は、はな携帯電話に連絡を入れてきたところの、その蓮田なる編輯者の実在を大いに疑ぐりもした。彼の『文豪界』転載を妬んだ、うだつの上がらぬ同人雑誌作家のうちの何者かが、かような悪戯をしてからかってくることだって、これは決して無いとは云えぬ話である。

 だが、すぐとその電話の後には、『群青』の先月号だか先々月号だかのバックナンバーが郵送されてきたし、その封筒の下部には青文字で誌名がデザイン化されて刷り込まれていたしで、よもや単なる悪戯でここまで手のこんだ細工をする奴もあるまいと判断し、その上で今日の―師走も上旬を終えようとしているこの肌寒い曇天の日に、貫多は地下鉄の護国寺駅の昇降口から、至って軽ろやかな足の運びでもって上がり出てきたと云うのである。

 ―だが、過去のそうした追憶の件もあって、本来はそちらの方に入ってみたかった厳めしい洋館風の社屋ではなく、前もって指示されていたところの、その隣りに新しくできた超高層ビルの方の玄関口を入っていった貫多は、そこに一歩足を踏み入れた途端に、些か勝手の違う世界にさ迷い込んだ気分になった。

 この日も彼は、日頃の外出時のいでたち同様に濃いブルーのワイシャツに、やや流行遅れとなった細めの赤いネクタイをしめてダークグレーのスーツを着込み、そして左手にはジュラルミンのアタッシェケース(中には二、三袋の煙草のみが入っている)を提げていたが、その自分の姿が件の広大なロビーの空間で、何か一遍に浮いてしまっている気分になったのである。

 かのロビーに屯する編輯者とか、何んらかのクリエーターとかの所謂本当の知識階級層の、おそらくは高給取りでもあろう老若男女たちの中で、根が江戸川の乞食育ちで、中卒の日雇い人足上がりの貫多は、或いはそれは殆ど彼の生来の僻み根性から依って来たるところの感覚なのかもしれぬが、しかし、どうにも己れの、外面的にも内面的にものこの場でのそぐわなさは、肌でもって確かに感じるものがあった。

 そして妙な話だが、そうなると彼は、この瞬間からそれまで購談社のイメージに勝手に付していた、例の自身の内に潜ませた幼稚な追憶群を消し去ることにした。今まで抱いていた昔の一種の感傷が、この野暮な現実を知ってみたら何んとも馬鹿馬鹿しい戯れ言に思えてきたのである。

 なので、もはや虚心坦懐な心持ちで受付に来意を告げた貫多は、何か申込書みたいなものを書かせられたのちに、言われた通りにロビーの一隅に並べられたソファーの所へと歩を運ぶ。

 そして傍らの巨大なガラスケースの中に陳列されている、その月の新刊であるらしき書籍の表紙を順々に眺めていると、思いの外に早く、背後から彼の名を呼ぶ声がかかってきた。

「―いや、どうも、どうも。『文豪界』の作中に、〝ジュラルミンのアタッシェケース〟というのが何回も出てきたから、多分この人かな、と思いましてね」

 柔和な笑顔で立ちあらわれた、その人物―『群青』編輯部員の蓮田は、「取りあえず、上に行って話しましょう」と語を継ぐと同時に、タタッと受付のところに小走りをして、貫多の分の入館証のバッジをもらってきてくれる。

 然るのち、ズンズンと先に立って右奥のエレベーターホールの方へと歩いてゆくので、これは外の喫茶店等ではなく、『群青』の編輯部にでも連れて行かれるのかと思ったら、向かった先は三階に設置された小洒落た感じのカフェーのようなスペースであった。

 尤も、本来そこは社員食堂になっているらしく、だだっ広いホールはすでに三時近くになろうと云うのに、恰も時分どきのファミリーレストランのみたいな盛況ぶりを示していた。

 蓮田の後について、奥まった位置の空いているテーブルの一つに向かう際、貫多は若手の男性社員がえらく熱そうにすすっているお蕎麦のどんぶりを横目でチラリと見やり、そこで今日はまだ起きてから何も食べていなかったことを思いだして、俄かに空腹を感じてしまった。一瞬目にしただけだったが、そのどんぶりにはうまそうなかき揚げまでもが載っかっていたようなのだ。

 と、まさかにその貫多の内心の羨望が伝わったわけでもあるまいが、席に着いた蓮田は、まず彼に、昼をまだ済ませてないなら何か好きな物を、とすすめてくれたが、さすがに初対面の相手にいきなり天ぷら蕎麦を奢ってもらうのも、これはかなり図々しいような気がしたので、当たりさわりのないアイスコーヒーなぞを所望する流れとなった。

 で、やはりそこは紛れもない社員食堂らしく、蓮田は自ら立って貫多の分のコーヒーも運んできてくれたのだが、さて改めて腰を下ろすと、今度は『文豪界』十二月号の、例の同人雑誌からの転載作をひとくさり褒めてくれるのだった。

「―笑いましたよ。小説を読んであんなに笑ったなんてことはね、私にとって珍しいケースなんです。いや、笑ったと言っては気を悪くされるかもしれないけど、これはいい意味でですよ。あくまでも読んでいて面白かったということです。展開がちょっと分かりやす過ぎるのも、まあ、あれはあれでいいでしょう」

 笑おうと嗤おうと、或いは余りのくだらなさに失笑しようが一向に構わぬし、基本的に貫多は、自作の出来に関しては書いた当人の方で殆ど興味がなかったが、彼より幾つかの年上に見えるこの蓮田は至ってソフトな物腰の人物であるものの、余り腹芸の方は得意ではないらしい。

 実際に相対した貫多の、そのいかにも魯鈍そうな、〝文学〟とはまるで無縁に思われる見た目から、蓮田は内心で明らかに或る種の期待外れを味わっているらしく、その表情からは言葉程に賞讃している雰囲気と云うのは、見事に感じられなかった。

 だが当の蓮田は、口では貫多が恐縮するぐらいに褒めちぎり、〝笑った〟ポイントについても丁寧に何点か挙げてくれ、そしてそれがひと通り済むと、

「北町さんは、これは……昭和でいうと四十二年の生まれになるんですか?」

 手元で開いた『文豪界』の、貫多の略歴が載っているページに一度目を落としてから、顔を上げて聞いてくる。

「ああ、はい。そうです」

「なるほど、今三十七歳か。早生まれ?」

「いえ、七月の生まれです」

「と、すると○○さんとは同年でも、学年では一つ下になって、××さんや△△さんなんかと同じ年になるのか……」

 独りごちるようにして呟き、フンフンと二、三度頷いていたが、貫多はその蓮田が苗字だけで口にしたところの○○さんや××さんと云うのが、誰のことを指しているのか全くピンとこない。おそらくは現今の、純文学系の書き手のことなのであろう。

「それで、今もまだ……ええっと、『煉炭』ですか? この同人雑誌での活動を続けていらっしゃるんですかね?」

「はあ。いや、思うところありまして……前からそのつもりではいたんですけど、ぼく、あすこからはもう脱ける準備をしているんです」

 そう答えた貫多は、実際先述の通り『煉炭』への最後の置き土産として、件の薄っ汚ない内容の「けがれなき酒のへど」なる作をものしていた。まだやめる旨こそ主宰者に伝えていないが、別段厳格な退会規約があるわけでなし、連絡はいつ入れたところでいいぐらいに思って、そのまま日を経ててしまっていた。しかしながら、彼の心持ちとしては都合一年半の在籍で計三作を載せてもらったかの同人雑誌からは、実質退会したも同然のつもりになっている。

 すると蓮田は、

「まあね、別に脱会しようと続けていようと、それは北町さんのご自由でいいと思うんですけどね……」

 と、本当にどうでもよさそうな感じで言ったのち、

「どうですか、その後は『文豪界』の方から、続けて作品を見せてくれるように言われたりはしていませんか?」

 急に言葉の調子を改めながら、すぐと続けてくる。

 で、これに貫多は、

「いや、ぼく何も言われてません」

 有り体に答えて、然るのちに、〝そのぼくに声をかけてくれたのは、あなたが嚆矢ですよ〟と云わんばかりの、奇妙なおもねりをこめた眼差しを向けると、蓮田はその瞬間、僅かながらもハッキリと眉を顰め、

「えっ、そうなんですか? ええっと……『文豪界』では、どなたがこの作を扱ったんでしょうか」

「はあ、仁羽さんと云うかたです」

「ああ、仁羽さん。ああ……そうですか。へえっ、まったくその後のオファーは、ありませんか……」

 そこで蓮田はふいと口を噤み、伏せた目の上なる眉根をやはり顰めたままでコーヒーカップを取り上げたが、貫多がその表情を盗み見た限りでは、先様の面上には〝しまった〟とでも言いたげな、何かの後悔の色がアリアリと浮かんでいる様子に見受けられた。

「―まあね、『群青』としても、同人雑誌優秀作……でしたかね? あの欄からのかたにお声がけすることは、めったにないんですけどね」

 ややあってから蓮田は再び口を開き、もうこの場を切り上げようとするかの調子で、

「もし、書ける自信があれば一度短篇の原稿を見せてくれませんか。決して、無理にとまでは言いませんが」

 やっと本題に入ってきたようであった。

 無論、貫多としても当初よりここへ来た目的はその話であり、その言葉を待って心中はジリジリした状態でもあったので、これには間髪を容れず、

「はい、ぼく、書かして頂きます」

 明快に答えたが、すると蓮田の方でも一応はそれ以外の返事は想定していなかったもののように、

「ただし、それについては条件があります。三十枚きっかりのものを書いてきてください。一枚でも長かったり短かかったりではなく、ちょうど三十枚です。それで出来が良かったら、編集部内で協議した上で『群青』に掲載しますから。それを……二月の末日までに見せて頂くことにしましょうか。まだ二ヶ月ぐらい先ですが」

 やおら早口にも変じて、テキパキと指示をしてくる。

「はあ。やってみます」

「それと、もう一つ。前もって言っておきますが、この件に関してもそうなんですけど、今後のことについても、余り過剰な期待はしないで下さいね。結局、小説で生計を立てるなんてことは本当にひと握りの人間にしかできないことですし、現に今、第一線で書かれている作家のかたでも、特に純文学系統の場合はほとんどの人が副業を持っていらっしゃったり、あるいは別に本業を持ちながら書いている人ばかりです」

「…………」

「また北町さんの場合は、失礼ながら年齢も年齢ですし、これからそこを目指そうとしても、まあ、なかなか大変なことだと思いますから、今のその、古本屋さんの手伝いみたいな仕事というのをあくまでも本職として、ひとつ気楽な感じで書いてみて下さい。載る載らないは、この際、二の次だぐらいの考えで」

 やけに心細いことを、これも至って事務的な早口で述べ立ててきた蓮田は、そこでふと思いだしたように、

「ああ、これは何日か前に出た、『群青』の今月号です。よかったらお持ちになっていってください」

 見覚えのある、誌名の青いデザイン文字入りの封筒に入った冊子をテーブルに乗せて、押しやるように辷らせてきた。

 で、それを貫多は一応の儀礼として封から取り出し、中をパラパラはぐってみせると、

「―この間お送りした先月号は、読まれましたか?」

 唐突に尋ねられてきたが、そこで「はい」なぞ適当に答えてしまうと、本当は一寸目次を眺めただけでそれを捨てているだけに、特定の作品の感想でも聞かれたら面倒なことになると思い、

「有難うございました。でも、ここのところ少し立て込んでいたものですから、まだ読んでないんです。これから、じっくり拝読さして頂きます」

 と、角の立たないように大嘘を述べておいた。すると蓮田は、どうもそれが癖なのか、またもや二、三度鼻先でフンフン頷いてから、

「もしかしたら、読まない方がいいかもしれないですね。読んだら、あるいは自信を失ってしまうことになるかもしれないし」

 と、悪意を含んでいるのかいないのか、よく分からぬことを平然と言ってのけてきたが、当然貫多は真意はどうあれ、この言葉には甚だカチンとくるものを感じた。

 元より彼は、はなから書き手を目指していたわけではない。新人賞に応募したこともないし、そも純文学一般には未だに何んの重きを置いてもいない。

 したがってこれまでに同人雑誌に書いた三作は無論のこと、もしこれからも引き続き書く流れができたところで、その自作を誰と比較しようと云う気は一つも、微塵も持ち合わせていやしない。

 それに、文学ならぬ私小説に対する敬意は人一倍に有しているとは云い条、当然のことには私小説なら何んでもいいと云うわけではない。あくまでもそれは、ごく数人の物故私小説家のみに対して抱いている敬意であり、彼にとってはこの数人―藤澤淸造や田中英光、葛西善蔵ら以外の作は、この世に存在しないも同然のことなのだ。

 だからその貫多に対して、他者の―それも現今の書き手の創作を読んで〝自信を失くす〟とは何んともお門違いな話であり、そも、現在バカな編輯者やバカな読者から大家的扱いをされているらしい、その名だけは聞いたことのあるベテラン作家だって、所詮はそんな彼の目からすれば、単なる無意味で情けない〝繰り上げ大家〟としてしか映っていないのである。

 現時いくら幅を利かせ、仲間うちの人脈選考のタライ廻し式文学賞をいくつ獲得し、斯界のヒエラルキーを登ることに血道を上げたところで、近い将来に骨壺に入ると同時、一気に忘れ去られて、また次が繰り上げで暫時大家扱いされるだけの、まこと吹けば飛ぶような存在に過ぎないのである。

 それをただ繰り返すだけの、どうにもチンケな、虫酸の走るようなサロン的小世界なのである。

 それだから貫多は、このときばかりは眼前の蓮田に対し、ふいと嘲けりの気持ちが湧き上がってきたが、しかしこれをハッキリと面にあらわして、折角の今回の話を自らあっさりとブチ毀しにしたくもなかったので、その辺のことはまるで聞き逃したかのような顔付きでもって、尚も『群青』誌を機械的にパラパラめくっていたが、蓮田はそこで一寸腕時計を見やると、

「すみません、実はこのあと打ち合わせに出かけなければならないものですから……」

 貫多の手を止めさせて、そして何やら飛びきりにソフトな笑みを浮かべつつ、

「別に、私小説にこだわる必要はまったくないんですから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、精一杯のものを書いて、見せにきてください。こちらも精一杯の誠意をもって読ませて頂きます」

 なぞと、貫多にとってはこれも甚だ不興極まりない台詞を、最後にもう一度放ってきたのだった。



 結句、三十分弱程と云った面談を終え、購談社の玄関口から出てきた貫多は、まず煙草をくわえて火をつけると、取りあえずは護国寺前の丁字路の方へ歩いてゆき、そこを左に曲がった歩道上で足を止めた。

 そして彼は顔を上向けて、ラッキーストライクの煙りを大きく吹きつけると、

「あの野郎、分かっちゃいねえなあ……」

 声に出して、呟いてみせた。

 彼は、今の蓮田との話で種々思うところがあった。

 成程、蓮田の言うことは一々もっともではある。

 三十七との年齢が一般的にはどの意味からしても、紛れもなく中年世代であることは十全に承知していたが、それでも高齢者ばかりの同人雑誌の中で、「若けえ、若けえ」なぞ言われ続けていると、うっかりその事実の認識も甘くなっていたようだ。確かに商業文芸の世界で、スタート時にこの年齢と云うのは些かトウが立ち過ぎていよう。僅かの月日しか在籍しなかったとは云え、〝同人雑誌上がり〟と云うのはそれだけでもう、現在の文芸誌編輯者に一種マイナス要素にもなりかねない状況であることは、貫多にも何んとなく察しはつく。ハッキリ云えば、ヘンな余計な垢が付いているように見られるのだ。

 その上で、更にこの年齢では最早伸びしろも将来性もほぼ無いと睨まれるのも、これもあながち間違いとは云えぬはずだ。

 第一、『文豪界』誌が貫多に対して引き続きの接触を持たぬと知ったときのあの表情―恰も、貧乏籤をうっかり引いてしまったようなあの表情からも、蓮田も何も現時の彼の筆力とか、創作の内容とかを決して高く評価しているわけでないことは明らかであり、そしてそれもまた、貫多にとっては悲しいことながら、あながち蓮田の不明でもないのである。どころか、その辺は完全に先様の見立ての方が大正解なのである。

 が、しかし―何度も云うように、貫多が今現在小説を書こうと云う目的は、どこまでもそんじょそこいらの書き手とは一緒くたにされたくないものがある。決定的に、一線を画したところがある。

 無論、良い意味みたくして云っているわけではない。傍目にはどうしようもないまでに甘で幼稚で愚昧としか取られぬ独りよがりの動機であるに違いないが、正直なところ、それは偏に藤澤淸造の〝歿後弟子〟たる、その資格を得ようとするが為だけのことなのだ。

 だからその一点において、貫多は蓮田に対して先の嗟歎を上げずにいられないのである。私小説でなければ―私小説にこだわらなければ、彼にとって小説を書く必要なんてものは、てんからしてありはしないのだ。

 曩にも云ったように、彼は二十九歳のときに藤澤淸造の私小説にすがりついて以来、最早〝自分〟を持たぬ身として、この人の〝歿後弟子〟を勝手に自任して生きている。

 すでに直系の血族はすべて絶えている為、ひどく僭越の沙汰ながらも、能登の七尾に在するこの人の墓所へは祥月命日は云うに及ばず、毎月二十九日の命日にも墓守よろしく掃苔と法要を欠かしたことはない。

 七巻構成の全集と、でき得る限りの詳細な伝記作成の為、各資料類の収集もおさおさ怠ってはいないとの自負もあるし、同人雑誌に入ったのも、すでに述べたところの藤澤淸造絡みの理由以外のものはなかった。

 が、これだけでは〝歿後弟子〟を名乗れるだけの資格は、結句何も充たしてはいないのである。

 それを名乗る以上は、やはり自らもまた私小説書きとして、少なくとも世間の一部で認知されるだけの存在にならなくては、それはただのキ印の囈言にしか過ぎぬこととなる。どころか、該私小説家の墓の傍らに早くも自身の生前墓を建ててしまった愚行の方も、それを成し遂げなければ単なる愚行のまま、藤澤淸造その人を徒らに穢すだけの、とんでもない冒涜行為へと堕してもしまうのだ。

 で、あるからこそ貫多は時折―殊にここのところはその点につき、ヘンな焦燥と共に考え込むことを番度繰り返していた。そこへ渡りに船、と云うか、もしかしたらその展開へと繋がるかもしれぬ一筋の光明となったのが、此度の『群青』からの連絡であった。

 根が血の巡りの悪くできてる―或いは自信家のわりに、これで案外に自らの身の丈の程をわきまえてもいる貫多は、当初こそその辺りの道筋を経路立てて考えることができなかったものの、同人雑誌の死屍累々・・・・の山から(やはりこれも、このときの彼の主観によるものだが)逃れ、『群青』からの連絡がやってきた折にかつて覚えた様のない得意に舞い上がったと云うのは、つまりは、そのふとこる願望への挑戦権を天佑みたくして得たことによるものだったのである。

 そして更に運良く商業誌に書き続けることができたなら、たとえ彼の本来の狙い通りには事が運ばなかったとしても、絶えずそこへ向けての彼なりの奮迅を続けることはできるのだ。

 人生を棒にふってその奮闘の手を緩めぬ限りは、囈言的な〝歿後弟子〟名乗りも、彼の中ではより明確な一本道として、眼前に細く伸び続けるのである。

 と、―そうは云っても、そんなにしていくら人生に一条の光りを見つけたペシミスト風に、勝手に虫の良い夢想に熱くなってみたところで、現実問題としては先の蓮田とのショートカンバセーションから考えても、馬鹿で一片の文才もない貫多は、新人として遅すぎた年齢のこともあり、その道行きの前途はほんの数歩の先で、すぐと閉ざされそうな気配ではある。

(―こりゃあ、得意になってる場合でもねえなあ……)

 そう心中で呟いた貫多の口唇からは、ラッキーストライクの煙りと相俟っての重い溜息が吐きだされるのだった。

                                <つづく>


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