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カフェ文学と汗によせて

散々な一週間だった。
仕事でも私生活でもいいことなんてひとつも起こらなかった。昨日深夜近くに帰宅した時には、もう今日は絶対に一歩も外に出ないと心に決めていた。

本でも読もうと自分の部屋の棚を眺めてみる。圧倒的にミステリーと外文が占める本棚の奥の方から、普段は買わないような日本の作家の、少し古めかしい文庫本を見つけた。不思議に思って冒頭から少し読んでみる。

うんうん、確かにこの書き出しやストーリーには覚えがあった。昔の私が買って読んだのだろう。でも、どうしても結末が思い出せなかった。いつ手に入れたのかも覚えていない。なんとなく気になって、文章を目で追ってしまって立ったまま読み続けた。

スマホの着信音で我に返った。思った以上に熱中していたらしい。慌てて栞を引き抜き、読んでいたページに挟んで応答ボタンを押した。電話をくれたのは学生時代からの友人でたわいもない報告だった。またご飯でもいこうね、といういつもの約束をして電話を切った。
さて。

電話をしている間も、左手で文庫本を持ったままだった。スマホを置いて読み進めようと本を開くと、先ほど挟み直した栞には見慣れないカフェの名前が表記されていた。いつも文庫本を買った時に付いている出版社の薄い栞ではなく、小さめだがしっかりした紙質の白い栞だった。本の内容とは関係ないから、どこかで貰ってきたのだろうか。
「あっ……」
思わず声が出た。

五、六年前になるだろうか、同じ会社の一つ年上の先輩とお付き合いをしている時期があった。そして確か、お互いが休みの日曜日に、デートの約束をして……駅前で待ち合わせたのに彼が寝坊か何かで遅れてしまったのだ。
彼から届いたメールを読んだ瞬間に、またかと肩を落とした。愛情深くていい人だが、どうにも時間にルーズでいけない。よく仕事ができているなといつも不思議だった。
おそらく到着までは一時間くらいかかるだろう。諦めて時間を潰そうと近くのビルの本屋で文庫本を選んだ。心が荒んでいたから、奥の誰もいないコーナーに静かに平積みされていた本を、中身も確認せずに買ってしまった。そのまま併設されたカフェで読みたかったけど、今日は何故か普段より人が多く、建物全体が賑やかしかった。聞こえてくる会話の中で、今日はイベントが盛り沢山だねという言葉が耳に入ってきて、道理で、とうんざりしてしまった。

騒がしいビルを出て少し歩いたところにカフェがあった。通りにも人が多いのに、不思議とそこだけ空間が切り取られたかのように落ち着いた佇まいだった。
残念だがこのカフェでもイベントをしているらしい。でも表の貼り紙には「席でゆっくり執筆や読書をお楽しみください」とある。おそるおそるドアを引くと、確かに中は静かだった。表の看板には「カフェ文学と汗」とあった。
入り口のテーブルにはイベントのノベルティが用意されていて、自由に手に取って良さそうだった。折角だから栞を一つ貰うことにした。カフェラテを頼み、奥の席に座って買ったばかりの文庫本を開いた。

そうだ。適当に買ったのに意外と面白くて夢中で読み進め、そろそろ読み終わるという時に彼から到着を告げるメールが届いたのだ。悔しいけど、嬉しくなってそのままカフェを飛び出してしまった。
結末が分からない筈である。

その彼とは残念ながら、その出来事から割とすぐに別れてしまった。なんとなくすれ違って自然消滅に近かった気がする。その後も何人かと付き合った。
別れてからは特に思い出すこともなかった彼と、その時の感情が蘇った。お互い稚拙だったが、悪くはない恋だった。

今日こそ誰にも邪魔されずにこの本を読み切ろう。
そう決意してスマホの電源を切った。


カフェ文学と汗によせて /著 : utoe




文芸誌「文学と汗」第2号からご参加くださっているutoeさんが、こちらを執筆してくださいました。すてきな小品をありがとうございます。

宮崎駅前の通りに立て看板を置いて
期間限定のカフェが開かれました


2021年11月の日曜日、編集部は「カフェ文学と汗」をオープンしていました。
宮崎市広島通りにあるHakoniwa Coffeeさんの、普段は定休日である日曜を「文学と汗」が貸し切って営業するというものでした。

ノベルティとして瓦版や栞を配布。多くの方に手に取ってもらえました。
また、カフェのお席にはオリジナルの原稿用紙を設置しておりまして、自由に執筆してくださいと応募箱も用意していました。
思った以上の方々に文章を投函していただけたので、編集長は涙ながらにパソコンへ向かいながらホームページ掲載作業をしておりました。こちらからご覧いただけます。


期間中特別イベントも開催し、「演劇×文学」「音楽×文学」「ブックカウンセリング」の3つがおこなわれました。

カフェ文学と汗を終えて、「場所を開くこと」「人を募ること」という行為がもたらす影響の大きを実感しました。我々の活動としては初めての経験ばかりで、ケアが不十分な箇所もあったかと思うのですが、サービスと顧客という関係性でなく「共に楽しさを見つけていく」催しとして定期的に続けていければ、という気持ちでいます。
またとっても嬉しいことに、イベントのロゴなどをデザインしてくださった平野さんが、カフェ文学と汗を記事にしてくださっています。ぜひご覧ください。



令和3年度県民芸術祭事業
【カフェ文学と汗】
共催:(公財)宮崎県芸術文化協会
助成:アーツカウンシルみやざき
後援:宮崎県

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