【第一章のみ公開】リレー小説 おきあがってからのこと

 当サークルで作成している同人誌「猫背」第一号において掲載しているリレー小説の第一章を公開します!ぜひ、読んでください!


                  一
 僕の祖父、鈴原喜代太郎は、一九一八年の満州国で生まれた。今からちょうど百年前の話だ。とはいっても、彼が生まれた頃の満州は、愛新覚羅の馬賊達が支配する広大無辺な原野でしかなく、そこが「満州国」と呼ばれるようになったのは一九三二年、喜代太郎が十四歳になった春のことだった。喜代太郎は、満州国協和会で働いていた叔父の紹介で、少年隊員として関東軍防疫給水部本部に入隊した。
 関東軍防疫給水部本部は、大日本帝国陸軍が細菌戦の研究のために満州に設置した研究機関で、石井機関とか満州国第七三一部隊なんていう名前でも呼ばれた。そこでは、感染症予防のための研究と称して、捕虜やスパイ(と断じられた人々)に対する人体実験が繰り返された。ペスト菌を動脈に注入したり、冷凍庫に素っ裸でぶち込んだり、梅毒が感染するまで性行為をさせたり、などなど。そんな場所で祖父が何をやっていたのかというと、トラックを走らせていた。トラックは一九三三年製の「いすゞ」のTU10乙型で、ディーゼル駆動の六輪車。喜代太郎は、この車に「きよみ」という名前を付けていたらしい。僕の祖母と同じ名前だ。
 喜代太郎が「きよみ」を運転してA地点に行き、荷台に元気な人間達を乗せ、B地点に運んでいく。B地点では他の担当者の手で人体実験が行われる。祖父は、半死半生になった人間達を再度、荷台に積み込んで、今度はC地点まで運ぶ。B~C地点の距離は長く、その間にほとんどの人間が死ぬ。C地点で待っていた人間が彼らを川に捨てたり、土に埋めたりする。運ばれた後で、まだ息があるやつがいたら、軍刀や棍棒で殴り殺してから捨てる。喜代太郎は、「きよみ」の運転席で煙草をふかしながら、その様子をぼんやり眺めた。
 喜代太郎は創意工夫の人で、こんな生活の中でも後の人生における経済的な基盤を造った。彼がやったのはこんなことだ。A地点からB地点に行くまでの間に、捕虜達に語り掛ける。今からお前達は、地獄のような場所に行く。だが地獄にもいろいろある。お前達の心がけ次第では俺が手心を加えてやることも可能だ。
 捕虜達は最後の切り札のために持っていた、数少ない財産を祖父に捧げた。身体中の色んな穴に隠していた、宝石やら指輪やらといった品々だ。喜代太郎は一九三五年から終戦までの十年間、毎日これをやり続けた。
 戦後、ソ連による抑留を逃れた祖父は、捕虜達から巻き上げた物品を元手に商売を始めた。おもちゃ屋だ。最初はアメリカの量販店で売れ残ったものを格安で輸入し、それを日本で売りさばいた。あるていど業績が軌道に乗ってからは自社製品の製造にも着手し、それもまた大当たりした。「おもちゃのスズハラ」は一時期、日本国内に三百店舗以上、中国に二十五店舗、アメリカに十三店舗を構えていた。だが喜代太郎は、会社の業績が絶頂を迎えていた一九七〇年代後半に突如、社長業から足を洗った。
 そして、今度はシェルターを造りはじめた。
 喜代太郎は金を持ちすぎたせいで、思考回路に少々、ガタがきていたのかもしれない。彼は病的なまでに核戦争を恐れていたのだ。メガトン級の破壊力を持った核弾頭が頭上から落ちてきて、四億度の熱で多くの人間が焼き尽くされ、生き残った人間達も放射能に汚染された水や食料を口にすることで、緩やかな死を迎える。自分とその家族だけはそこから逃れようと考えた喜代太郎は、東京は神保町にある自宅を徹底的に改装、増築してシェルターととすることに決めた。
 その方針はまったく徹底していて、放射線から身を守るために壁には厚さ二〇センチにもなる鉛板を埋め込み、地下には、家族全員がゆうに十年は暮らせる保存食や医薬品を備蓄した。書斎には外部と連絡を取り合うための無線機を運び込み、雨水の集水ろ過装置や自家発電機を予備機も含めて数台設置した。
 今を生きる僕からすれば、これはまったく狂人の所業で、理解に苦しむのだけれど、米ソ冷戦下を生きた人々にとってみれば、それだけ核戦争の脅威と言うやつは切実だったと言えるのかもしれない。最終戦争後のディストピアを描いたフィクションは、それこそ無数にあって、『渚にて』や『マッドマックス2』『宇宙の戦士』、日本では『風の谷のナウシカ』とか『北斗の拳』だってそうだ。
そして、そんな狂人の所業のお陰で、世界が滅んだ後でも僕はこうして安穏と生きていられる。ただし、世界を滅亡させたのは喜代太郎が恐れた熱核弾頭ではない。テロメアだ。
 テロメアっていうのは、エイリアンの母星の名前みたいに聞こえるかもしれないけれど、もちろん違う。真核生物(僕達ヒトや、ジャーマンシェパード、コモドドラゴン、その他もろもろ)の細胞内の染色体の先端にある、塩基配列の反復構造のことだ。テロメアの役割は、人間を殺すことだ。白血病や機関銃と同じように。
 テロメアは、真核生物の細胞が分裂するたびに、少しずつ短くなる。ある程度以上短くなると、複製後の染色体にバグが沢山発生するようになって、ガンや動脈硬化を引き起こす。つまりテロメアは、漫画の時限爆弾にくっついている導火線みたいなものだ。テロメアが短くなって、短くなって、いずれ人は死ぬ。死んだ人間は決して蘇らない。それは数十万年前に現生人類が生まれてこの方、変わる事のない真理のはずだった。
 今から十年くらい前、それが変わった。死んだ人間が起き上がるようになったのだ。火葬場で、棺桶の中で、病院のベッドの中で、一度は確実に死んだ人間達が眼を見開いて、起き上がり、歩き始めた。
 だけど、どうやら彼等には意識や感情といったものは存在しないようで、コミュニケーションを取ろうとする試みは全て失敗に終わった。かといって、古き良きハリウッド映画に出てくるアンデッド達みたいに、追いかけたり噛みついたりしてくることもない。起き上がった死者達のやることといえば、物体のブラウン運動そのままに、不規則にゆらゆらと歩き回ることだけだった。彼等の遺伝子構造を解析した科学者達は驚いた。染色体の末端にあるテロメアが異様なほど延伸していたためだ。どうやら増殖したテロメアが、どういう仕組みか、死者達を強引に蘇らせているらしい、と彼らは結論づけた。そしてテロメアの異常は、対象を生者達にも拡大していった。昨日までピンピンしていた人間が、ベッドに入って、夜が明けて起き上がると、死者になっている。生者たちは一晩にして、生ける死者になったのだ。まったく、まどろっこしい話だ。
 死者も生者もまとめて、起き上がって、ぼんやりと歩き始める。この原因不明の現象によって、世界は、まったく穏やかに滅んでいった。そこには、さっき挙げたディストピアもののフィクションで描かれていたような混乱や狂騒は、まったくと言って良いほど見受けられなかった。
 インドの詩人のラビンドラナート・タゴールはかつて、「すべての赤ん坊は、神がまだ人間には絶望していないというメッセージだ」とか何とか、そんな事をぬかしたらしい。だったら、蘇る死人は? 僕なんかに分かるはずもない。もしインドの何処かで彼が土から這い出てきていたら訊いてみたい気もする。まあ、とにかく世界は、そんなメッセージに対して、理解できないなら理解できないなりに、静かに店じまいを始めた。発電所はタービンの回転を止めて、物流センターはコンベアを停止させ、コンピュータプログラマ達はPCの電源をプチンと落とした。サッカー場は、歩く死者達を一時的に目に触れないようにするための隔離施設になったし、会社なんぞに行くやつもいなくなった。そして世界は、無害な、歩く死者達で満たされた。鈴原喜代太郎の遺したシェルターと、僕だけを残して。
 朝六時。目覚まし時計のベルの音で、僕は眼を開ける。僕はいちおう生者のまま起き上がって、ベッドから足を下ろし、鳴り続いているベルの音を止めた。演奏の余韻を保ったまま沈黙している時計を見下ろして、僕はいつも思う。どうして昨晩の僕は、タイマーなんてセットしたんだっけ。僕が何時に起きようと誰が気にするというのだろう。でも、これはあくまで修辞的な質問でしかない。理由は分かり切っている。精神衛生上の都合からだ。夜になったら眠って、朝になったら起きる。この生活リズムを崩すと、人間の精神はいとも簡単に不安定になる。世界がまだ元気で、僕が単なる引きこもりだった頃には気が付かなかった真実だ。
 ろ過した雨水で洗った顔を、簡単にタオルで拭ってから、薬局の倉庫から大量にかっぱらってきた敏感肌用の化粧水をつけた。汗で湿ったTシャツが煩わしかった。壁に掛けたシチズンの電波時計によれば今日は八月の三十日で、暑いのは当たり前だ。ただ、鈴原喜代太郎が地下室に備蓄した石油燃料にも限りがあり、クーラーに回す電力はなるべく削減したかった。
 僕は自家発電機のスイッチをオンにして、寝室に戻る。タービンがのんびりと回転を始める、ブーンという音が家の中に響き始める。今度は、モニターと、ニンテンドー64の電源をオンにした。
モニターの画面に、「SUPER MARIO 64」と、タイトルが表示される。任天堂が一九九六年に発売したビデオゲームで、マリオが登場する他の沢山のタイトル同様、彼を操作して飛んだり跳ねたり死んだりを繰り返すゲームだ。以前の僕は、どちらかと言うと任天堂よりもプレステ派だったのだけれど、世界が滅んでからこっち、マリオやポケモン、星のカービィばかりやっている。それはたぶん、グラフィックを売りにするゲームの多くに「人間」が登場するからだろうと思う。もはや現実世界では見ることのなくなった「人間」がゲームの中でだけ登場することに我慢がならないのだ。その証拠に、任天堂のゲームシリーズの中でも、人間の姿をしたリンクが主人公の『ゼルダの伝説』はちょっとプレイしただけでうんざりしてしまった。同じ人間の形をしていても、マリオくらいデフォルメが効いていれば大丈夫なのだから、不思議なものだ。
 『スーパーマリオ64』は相変わらず難しく、下手糞な僕の操作するマリオは、崖から落っこちたり、氷の湖で溺れたり、回転する丸太に押し潰されたりして、何度も死に、生き返り、また死んだ。
 ふと思う。このイタリア人の配管工は、今までにいったい、何度の再生と死を繰り返して来たのだろう。たしか、マリオシリーズの売上本数の合計は、三億か四億本くらいだったと思う。平均的な一本当たりのプレイ時間は、だいたい五十時間程度といったところだろうか。そして、十分に一回くらいは、僕の操作ミスで彼は死ぬ。つまり、一本当たりの「犠牲者数」は、概ね三百人ぐらいだろう。
 三億かける三百で、九百憶。少なく見積もっても、おおよそ九百億人のマリオが、プレーヤーの操作ミスで死んでいったはずだ。だけど、恐らく今となっては、彼が再生と死を繰り返す場所は僕の手の中だけだろう。世界で生き残っているのが僕だけかどうかは分からないし、そうでないことを祈っているけれど、自家発電装置を持っていて、しかもそれをビデオゲームに費やそうなんて思う人間は、あまりいないのではないか。そんなことを思い浮かべ、赤い服を着た配管工の事が愛しくなってくる気がしてきた、その時だ。
 僕はふいにぎょっとする。
 耳慣れない音が、部屋の外で響いた気がしたのだ。発電機の駆動音でもなければ、屋根を叩く雨音でもない。それは人間の声に聞こえた。聞き間違えかもしれない。だけど、気づけば僕は唾を飲み込んでいる。束の間、逡巡したあとで、立ち上がる。なぜかニンテンドー64のコントローラを手にぶらさげたまま、寝室の扉のノブを回す。


第一章はここまでです!二章より別の作者に変わって続きます。ぜひ5月6日(月祝)開催の第28回文学フリマ東京に来てください!
「猫背」第二号も新しいリレー小説を作成しておりますので、よろしくお願い致します!

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