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熊本県人吉・球磨水害2年を受けて

2年前7月4日に熊本県人吉市球磨村を中心に大量の雨がもたらされ、多くの方の命、また生活が一変した。 
まずもって亡くなられた方や被災された方に想いを寄せようと思う。

僕自身もその前年の千葉県館山市での雨と風による被害の災害復旧ボランティアに参加し、熊本県にも行っている。
8月5日から8月13日まで熊本友救の会に協力させていただく形で災害復旧に携わらせていただきました。

このときはイメージがわきやすい被災宅の片付けや2トンまたは4トンダンプを運転し、一時ガレキ置き場から指定のガレキ処理場まで運んだりした。

最終日には球磨村の10数人が亡くなった老人施設に献花もできた。
ただ未だに結論が出ないのが、僕の周りにも防災士をもつ人も多いが皆、
「早くに避難情報が出て、施設と地域が声を掛け合えたならあの10数人は助かったかもしれない」
と、しかしぼくはそうは思えない。現場を見ればわかる球磨村の渡駅近くで川の近くに施設がある。
あの大量の雨の中、上記の課題がクリアできていたとしてもぼくは家族で避難していたと思う。

なぜかまず災害はまずは自分と家族の命を守ってなんぼであり、その過程に近所にも声をかける程度でできれば良いと思う。
またあの10数人は自力で2階まで上がれない方々だった。

もちろん災害弱者皆が助けていければ、越したことはないがそれは理想だ。
そのために行政は議論すべきだとは思うが地域レベルではまずは動ける人が声を掛け合い避難することが大切である。

また仮に生き残れたとしても東日本大震災や熊本地震のように災害関連死が増えても仕方ない。
実際現在でも仮設に住まわれている方が多数いらっしゃる。

もちろん個人や地域にある程度責任をもたせる必要はある。しかし行政は災害や防災に対してあまりに無責任ではないだろうか。
空振りでも早く警報等を出す。
日頃から想定外がない訓練をする。
こうしたことで助かる命は増えるト思う。
我が岐阜市はそうゆう意味ではまだまだだと思う。

話はそれましたが、2年前の災害を教訓に全国がかわっていけば亡くなられた方の供養になると思う。


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