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文壇場さくの自己紹介

こんばんは、対局よろしくお願い致します。

「100日後に初段になる」ことを掲げて配信をスタートしました、文壇場さくと申します。

なかなか配信だけでは伝えられないこととか、裏話みたいなものも伝えられたらなぁと思い、ちょこちょこnoteも書いていきます。フォローといいねをよろしくね。

今回は自己紹介ということで、どうして将棋配信をするのか、僕の過去みたいなところも含めてお伝えしたいです。

僕はずっと不登校で、クラスとか学校っていう場所に馴染めないまま生きてきました。今も社会に馴染めてるかって言うと全然そんなことはなくて、配信を見てもらえればその理由は分かるんじゃないかと思います。たぶん。

そんな僕が小学生の頃に初めて「ここは居心地がいいなぁ」と思えたのは、家でも学校でもない、将棋教室だったんです。地域の小さな将棋教室で、習いに来る子供はほとんどいなくて、大抵は地元のおっちゃん達が昼間から一杯引っ掛けたあとに将棋を嗜む場所みたいになってました。このご時世では考えられないけど、タバコの煙がモクモクで、どう考えたって子供が来る場所じゃない気がしました。

だけど、その思い出が今に繋がっている。今回は、そんなお話をさせていただきます。


僕を将棋教室に誘ってくれた滝沢くんは、僕と同じようにクラスに馴染めない子でした。だからかもしれないけど、僕らはよく遊んでいて。ある日、いつものように滝沢くんの家に遊びに行くと、「将棋しようよ」って唐突に誘われて、問答無用で連れて行かれた僕は、気づけばモクモクの部屋で座布団に座って、おっかない顔をしたおじさんに将棋の手ほどきを受けていたんです。将棋に興味なんてなかったから、僕はポットに入った飲み放題のお茶をずぅっと啜っていました。厚かましい子供です。

次第に周囲を観察する余裕が出来てきたのであたりを見回してみると、おじさん達がみんな楽しそうなんですね。キラキラした時計を身に着けた赤ら顔のおじさんと、よれよれのシャツを着た痩せっぽちのおじさんが、楽しそうに将棋をしている。勝っても、負けても、笑顔だったんです。不思議なことに、おじさん達は会話をしているときよりも将棋をしているときのほうが楽しそうにしていて、これはどういうことなんだろう、と。

当時はよくわからないまま、駒の動かし方を一通り教えてもらって、近くにいた別のおじさんと一局手合わせさせてもらうことになりました。もちろん、完敗です。ボッコボコにされた僕は全然将棋の面白さが分からなかったんですが、向かい合ってたおじさんはニコニコしてました。ニコニコしたまま、「ここではこうするのがいい」とか「この手はよく考えられてたね」とか、教えてくれようとしました。俗に言う「感想戦」ってやつでした。

それまでの僕が知っていた「勝負」に、そんな文化はありませんでした。ゲームに負ければ「もう一回!」しかないし、競走で負ければ「もうお前とはやらない!」と思うし。勝った人も負けた人もウンウン言いながら「ここはこうするのが良かったかも」なんて言い合う競技は、珍しいと思ったんです。

見様見真似で「ここではこうするのがいいのかなって思って…」とか「この手は?どういう意味があるんですか?」とか話しているうちに、僕はすっかりおじさんと仲良くなって。名前も知らない、年齢もかなり離れた人と会話をしている自分にびっくりしました。

これが将棋というゲームなのか、と思う頃にはもう日が暮れていて、僕と滝沢くんは家に帰ることにしました。滝沢くんは教室の先生とずっと将棋を指していたらしく、少しフラフラしていました。フラフラしたままの滝沢くんにお礼を伝えると、彼は嬉しそうに笑って、「また行こうね」と言いました。「もちろん」と答えた僕は、それからすっかり将棋にハマってしまったんです。

それから日が経つにつれ、段々と将棋にかける時間は減っていきました。詰将棋を頑張っていた僕も、教室に足繁く通っていた僕も、時間が経てば消えていき、中学生になる頃には完全に将棋にかける熱は冷めていました。滝沢くんとも、疎遠になってしまいました。

そんな僕が大人になってしばらくすると、将棋の話題が飛び交う瞬間が訪れます。当時四段だった藤井聡太先生のプロデビュー、そして止まらない連勝が日本を熱狂させた、あのシーズンです。

否が応でも将棋のことを思い出す日が増えました。モクモクの部屋と赤ら顔のおじさん、パチリ、という駒と盤のぶつかる音。あの日におじさんと交わした将棋と、感想戦の達成感。大人になって改めて考えてみると、当時は見えなかったものがたくさん見えてきました。

将棋は、81マスの世界にお互いを閉じ込めるゲーム。窮屈に感じるのは初めのうちだけで、次第にその世界の奥に広がる深淵が見えてきます。そこに対峙した僕たちは、立場も年齢も超えた場所で繋がれる。言葉を交わすよりも深い場所で対話ができる。だからあの場に居たおじさん達は会話をするより将棋を指していたんじゃないか、と。言葉にしてしまえば、社会とか立場とか、そういう雑音が混じってしまうから、そういうものが入り込まない81マスの世界で仲良く遊びたかったんじゃないか。

そう考えると、僕があの場所に居心地の良さを感じられたのも頷けました。窮屈で深すぎる世界は、僕を現実から救ってくれていたんです。


長くなりましたが、話を本筋に戻しましょう。僕が将棋を選んだ理由、100日で初段を目指す理由は、以下の3つです。

・自分があの頃に置いてきた将棋を頑張るという忘れ物を取りに行くため
・立場や社会を超えた「将棋」という繋がり方とその面白さを伝えるため
・なにか成し遂げたいことがある人に少しでも勇気を与えられたら嬉しいから

なんとも重苦しい話になりそうなので、この話はこの辺で。もし興味を持ってもらえたら、noteのフォローといいねをお願いします!
また、配信予定など告知しているのでTwitterもチェックよろしくお願いします💫
それでは、ありがとうございました。

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