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あえて、深刻に考えすぎない


卒業・入学、仲良しの友だちの引越し、身内の突然の病、突然の異動・・・昔から今日の今日まで、そしてきっとこれからも、生きている限り変化は避けられない。

外部環境の変化に応じて、自分も無自覚のうちに変わっていく。

社会に出てからはなおのこと、変わり続けられないものは淘汰されるのじゃぁあ!という理論の下、世界は弱肉強食であることを痛感させられるシーンも少なくない。

葉っぱの色は変わるし花はいつか枯れるし、変わることは「当然」なのかもしれない。


けれど人間の場合、環境の変化はそれが予期せぬものであればもちろんのこと、たとえ本人が納得して進んだ道であったとしても、刻々と精神に負荷をかけていく。
その出来事によってもたらされる状況変化が大きければ大きいほど、心身が受けるダメージは大きい。私はアクアマンではないので急な水温変化にはやっぱりびっくりしてしまうのだ。

今は出会いと別れの季節真っ只中だけれど、中学から高校、高校から大学へとうつるときなんかは特に苦手だった。入学したてはたしかに新しい環境に心躍るしワクワクぶっていたけれど、ユーミンの「卒業」やらミスチルの「くるみ」を聴いては旧友との昔の思い出に想いを馳せた。ひとつひとつの関係性に思い入れが深いことは、時に考えものである。


話が脱線してしまったけれど、起きた変化に対して、どうしても「この変化から学べることは」だとか、「変化にうまく適応するためには」だとかを頭でいちいち考えてしまうのだけれど(ストレス対処法として、前向きに思考を転換したり問題の根本を改善しようとすることは「ストレスコーピング」といって正しい対処法らしい!)、今はあえて深く考えなくていいやーーという気持ちです。

「うっ、急な変化に疲れ気味かも」と察知した時、変化を真剣に受け止めすぎないというか、環境適応を無理に頑張ろうとしないというか、気合を入れ過ぎずにゆるゆるとしておく。諸々取り計らってくれている周りの人への感謝は持ちつつ、自分は自分やけぇといういい意味でのマイペースを保っておく。

自分が変えられないものは変えられないものとして「へー」と思っておいて、自分の力で変える余地があるものに集中したい、するのです。

そのうえで、コーヒーはどれだけ苦いのか好きかだとか、シロップはデフォルトの量だと甘すぎるだとかと同じように、自分がご機嫌でいるために最適な生活バランスを把握しておくのは大事だよなぁとしみじみ。おいしさを決めるのは匙加減。

「楽しく、続けること」は、私にとって正義なんて大そうなものではないけれど、たしかに守りたいもの。

そんなことをバインミーを頬張りながら思いました。スパイシーソースとパクチーだけでベトナムの香りが口いっぱいに広がります。


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