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「不幸に負けるな、流されるな」



2020年1本目の映画は、「パラサイト 半地下の家族」だった。


ジョーカー、家族を想うとき、パラサイト…。
観たらどうせ苦しい後味がずっと残るって簡単に想像できるのに。この頃、こういう類いの映画を進んで観てしまう。

“こういう類”とは、世界の分断は進む一方で、「弱者」と思ってみくびってると痛い目見るぞボーっと生きてんじゃねえぞバカ、いうものだ。

(ディズニーランドではイッツアスモールワールドがすきなんですけどね・・・this is 理想の世界)


みんなただただ、幸せな日常を送りたいだけなのに、貧しさが家庭を壊していく。愛があっても、現実は甘ったるくない。エンディングに救いは、ない。

観客が安心できる答えを簡単に教えてあげたり、ハッピーエンドを用意しないのは、それだけ怒っているのだという顕示であり、観客に「あとは自分の頭で考えてちょうだいね」と宿題を残せるものはそれだけ多くの人に観られる意義があると思う。


けれど自らお金を払って休日の時間を割いて観に行くくせに、観た後ずーんと落ち込んでしまうと、一体わたしは何をしてるんだろうという気持ちになる。早くお家に帰ってYouTubeでぺこぱの漫才が観たい。

できることなら子供の頃に大好きだった「耳をすませば」とか「ラブアクチュアリー」とか、愛に満ちた物語にずっと浸っていたいし、どんどん心の純度が上がっていくような、世界がきらきら瑞々しく見えてくるような、そんなやさしいものを見せてくれよと思う。


画面の中の登場人物に腕をつかまれて、自分の目の前の世界までもが灰色に淀んでいく感覚が苦手だ。

うかうかと過ごす日々に、「お前は何をしているんだ」と釘を刺される。「このまま脳天気な毎日を送っていていいのだろうか」と自問自答しては憂鬱になる。

わたしの平和の邪魔をするな、と言いたい。

けれどそうぐるぐるぐるぐるしているうちに、はたと気づく。

それだけその映画には、ひとりずつ、世界を1ミリずつ、変える力があったということだ。

わたしが落ち込んでいたって世界は変わらない。けれど、わたしができることはなに?と考えるきっかけをくれるのは、いつもふつうの人たちの物語だった。情報よりも、凡人なわたしでも共感できるストーリーだった。


だからわたしは自分に、「不幸に負けるな、流されるな」と言いたい。

「不幸に負けるな、流されるな」は映画だったら最後に殺される、無知な強者の、雑な暴論だろうか?否、他人に「不幸に負けるな、流されるな」なんてことは決して言えない。幸せも不幸も、外から見た人の尺度で測れないから。けれど自分には、「不幸に負けるな、流されるな」と言い続けたい。


Netflixでも観れる「2人のローマ教皇」で、ローマ教皇の「無関心のグローバル化が進んでいます」という発言が使われていて、とてもドキッとした。

数年前から「知らぬが仏、か」という問いが、こすってもこすっても落ちない焦げつきのように、しぶとく心に居座り続けているのだ。

今なら思う、「知らぬが仏」かもしれないけれど、気になってしまう以上、知らないふりを通し続けることはできないし、知っていくべきだと。

知った上で、不幸に負けずに流されずに、理性的に「お前はどうするのか」と、問い、考え続けたい。


2020年のテーマは「選」に決めました。

「たまたま」出会った人、「たまたま」もらったもの、「たまたま」食べたものを心から好きになってきたけど、アラサーにも差し掛かり、こんな30歳になっていたいなーの解像度が上がってきた。

だから今年はアクティブに選んでいきたいと思います。トーンとしては、宮崎あおいちゃんの「あした、何着て生きていく?」の心意気ではあります。

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