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「曇りもそれはそれで」


吉日らしい今日の日、「曇りもそれはそれで」というタイトルの日記をはじめることにした。

「日記をはじめる」の部分だけを切り取ると、おかしなことになる。なぜなら私にとって日記を書くという行為は、長らく日々の中に存在していた、歯磨きのような、朝にトーストを食べるような、雪肌精をパシャパシャと顔に叩き込むようなものだからだ。本当に数行の、日記ともいえないような走り書きを学生の頃からつけてきた。

重要なのは、わざわざ日記にタイトルまでつけて、noteという、どこかに住む知らない(あるいは知っている、とても親しい)人の目に触れる場所で日記をはじめる、という点である。

なぜはじめようと思ったかというと、理由は三つだ。

※要点を三つにまとめるとわかりやすいということは、私界隈(ごくごく狭い)では有名な話だが、アメリカに住む感性と理性のバランスがすさまじく整った親友から学んだ。それをあらゆるところで活用しまくっている。Thanks a lot.

その一、人の目に触れないと、文章が上達しないから。←これがいちばんの理由。
その二、書くことで、心が動いた一コマを記録しておきたいから。
その三、2022年1月11日という、何かを始めるにはとても吉日らしい日が近くにあったから。

そんなところである。

私は自覚している以上に、はじめる前にいくつもの情報を整えておかないと踏み出せないビビリなので、ここいらでタイトルの意味と、3つの理由について整理しておきたい。

「曇りもそれはそれで」に込めた願い

私は昨年の秋、28才のときに、東京から岡山へと単身移住をした。約5年半働いたPR会社を退職し、今はアパレルメーカーでコミュニケーションデザイナー・広報の職を担っている。

子供の頃からあれほど恋焦がれた東京での暮らしをいとも簡単に手放せてしまったのは、瀬戸内海の魔力と、タイミングによるものだった。


心を花瓶に例えれば、水は枯れ果てどんな花も咲かないような、空っぽのような状態だったとき、自然と体はいつか見た瀬戸内海へと向かっていた。

ぼうっと眺めているだけで、心にじわじわと水分が行き渡るようだった。波がスーッとひいていくような、そんな静寂さ。大袈裟なようだけれど、私は自分の心を取り戻したような安堵感に包まれていた。 


一度は乾ききった心にたぷんたぷんの水分を蓄えて、私は後にも先にもない速さで大きな決断をした(その時は「決断」などという仰々しい感覚はなかった)。

あれはたしか港で直島行きのフェリーを待っているときだっただろうか。スマホでサクッと今の会社に応募をし、あれよあれよと愛する前職を去り、移住をしていた。

岡山に住んでからも、幾度となく瀬戸内海の景色に癒されている。

大切な友人が岡山まで足を運んで会いにきてくれるときには、どうか太陽の下で煌めく、澄み渡った瀬戸内ブルーが見れますように、といつも好天を願う。

「穏やかな海」と称される瀬戸内海も、決して毎日が穏やかなわけではない。

ここは北の日本海か?と疑うような大荒れの日も、辺り一面アイスグレーな曇天の日もある。

そんなときでも、私は「これはこれできれいだな」と感じていたい。

感情はありのままでいいはずなのに、「感じていたい」というのは少しおかしな気もする。きれいなものはきれい、きたないものはきたない、でいいはずだ。

それでも「感じていたい」といったのは、日々の選択と意志によって、そうした感受性が備わった心を持ち合わせておきたいという切なる願いがあるからだ。


好天を願いながらも、生きている以上、否応なく、晴れの日も雨の日も、曇りの日もやってくる。

であれば、せっかくならば、晴れは晴れの日なりの、雨の日は雨の日なりの、曇りの日は曇りの日なりの美しさを見つけたいという願いを込めて、「曇りもそれはそれで」と日記タイトルに据えた。

でも、曇りの瀬戸内海は、本当にそれはそれでとってもきれいなんですよ。

(このnoteのサムネイルに使わせてもらった写真は恋人が撮影したもので、霞んでいて輪郭ははっきりしないけれど、味わい深くてすごくすき。彼はpureな瞳で「これはこれできれいじゃなあ!」と言えてしまう人だ。)

いつぞやか、「晴れなかったね、ざんねん」などとぼやいていたら、つっこんでください。


つづいて、日記をはじめる理由について。大したことはないので、サラッと備忘録程度に書き留めておく。

その一、人の目に触れないと、文章が上達しないから。

私は仕事上、自社ブランドのお客様向けに毎週一本のメールマガジンを書いている。メールマガジンの中には、最近はこんなラジオにハマっているだの弁当作りをがんばっているだの、日々の些事を綴るコーナーを設けさせてもらっている。

先日、およそ一年前のメールマガジンを読み返したところ、その稚拙さに愕然とした(耐えきれず、そっ閉じした)。


当時は必死に書いていたのだろうけど、これじゃなにも伝わらん・・・!と恥ずかしさとお客さまに対する申し訳なさでいっぱいになった。

けれど救いだったのは、「一年後の私」から見て、「拙い」と感じたということだ。

まだまだだけど、一年前より今の方が伝わりやすく書けている。それは未来への伸び代、希望でしかない!

誰かに日記を見せるだなんて羞恥極まりないけれど、「すべては覚悟の問題なのだ」と昭和のオヤジっぽいことを思う今日この頃だから(昭和のお父さん、ごめんなさい)。

言葉を扱う仕事をしている以上、もっと上手に文章を書けるようになりたい。「こんな文章が書けたらなぁ」と恋焦がれる、あの人のような文章に、少しでも。
そして、もっとたくさんの人と仕事がしたい。

それにたとえ仕事を切り離したとて、私は文章を書き続けるだろう。

「文章を上手に書けるようになりたい理由」なんて、きっと挙げたらキリがないはず。

どうか、その成長の過程を(横目でいいので)見守ってくれていたらうれしいです。

その二、書くことで、心が動いた一コマを記録しておきたいから。

私にとって「書く」という行為は、「その瞬間の感情を整理し、より良い方へと進むため」と「後日見返し、未来の自分を助けるため」という二つの意味合いがある。

目的は前者で、後者は副次的な産物のようなものだと捉えている。

この副次的産物が結構バカにできず、ふとめくったページに書き殴られていた文字列が、自分だけの処方箋になったりもするのだ。過去の自分に救われたり(まれに傷つけられたり)してしまうのだ。

そんな経験が、一度や二度ではない程度にあるのだから、書いて損はないだろう。


そしてこの頃よく考えるのは、私が最も恐れているのは、「そこに在ったのに、気づけないこと」かもしれないということだ。

目の前に、確かに存在したはずのやさしさ、愛、気遣い、あるいは葛藤、努力、苦しみに盲目になっている状況を、どうにかして避けたい。

BUMP OF CHICKENの「supernova」で藤くんが歌う「本当の大事さは居なくなってから知るんだ」では困るのだ。実際問題、そうなのかもしれないけれど。

毎日が小学生の頃とは比べ物にならないスピードで過ぎ去ってゆく中で、大切な人たちの存在を見失わないように。書き留めることで、少しでも自分の愚かさに抗っている。

その三、1月11日という、何かを始めるにはとても吉日らしい日が近くにあったから。

今日は聞くところによると、大吉日、天赦日、一粒万倍日、甲子(きのえね)の日が重なるという、スペシャルラッキーデーらしい。

(しかも職場の先輩はこの日に入籍するという。それだけですでにいい日!心からおめでとうございます!!)

ポジティブな言い訳はありがたく使わせていただくのみなので(プリンの日はプリンをコンビニで買って帰るし、バレンタインはとびきり美味な自分用チョコを買う)、今日の日に始めることにした。

「サラッと」といいながら、結局長々となってしまった。
(ここまで読んでくれた人がいたら、心からありがとうございます・・・!)


日記は、今のところ一週間分を日曜日にまとめて公開予定です(初回は16日更新予定)。サザエさんとセットで覚えてもらえたら幸いです。

詳しくは今日からの日記で書くけれど、ここ数日の間にわかったことは、ヨーグルトと味噌汁は偉大ということ。あと、人間はやさしい。





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