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生きづらいから、強くなる~千早茜著『クローゼット』~

 千早茜さんのお書きになった『クローゼット』(新潮文庫、2020)を読んだ。

 主人公はふたり。纏子(まきこ)は、洋服修復士として服飾美術館に勤務している。彼女には過去の事件から、男性への恐怖心が拭えない。
 もうひとりの主人公、芳(かおる)は、男性であるが女性の美しい服を愛でるのが好きという理由で、いじめられた経験がある。彼はデパートの店員として、服に接する日々を送っていたのだが、ひょんなことから纏子の勤める美術館に出入りすることとなる。
 ふたりの間には、ひとつの記憶と、洋服の美しさに魅了されているという共通点がある。また、生きづらさを抱えているという面も似ている。

 纏子は幼いころから、題名にもなっているクローゼットにこもるのが好きだった。母の不在を埋めるように、その中で空想の翼を広げていた。初めてできた友達とも、クローゼットの中で遊んだ。クローゼットは、纏子のいわば避難場所だったのかもしれない。
 今は彼女は、洋服修復という職を得て働いている。天職といっていいだろう。職場の同僚の大半が、彼女の才能を認めてくれている。何より晶(あきら)という幼馴染が纏子を守るナイトの役目を果たしてくれている。
 そこにいわば、トリックスターのようなかたちで芳が登場してくる。当初は纏子は彼を拒絶する。若い男性というだけで、悪夢のような記憶を喚起させられてしまうからだ。しかし芳は纏子を理解しようと努力する。嫌悪感は少しずつ薄れ、洋服愛好者としての共通点がふたりを近づけていく。

 一方芳も、流行ばかり追いかけている同僚の女性に嫌気がさし、私生活では女性的な服を纏う趣味を持ちながらも、それを指摘されることに潜在的な恐怖を抱いている。服飾美術館の職員になりたいと思い、飛び込んでみたのはいいが、専門的な技術を持っているわけでもないため雑用ばかり任される。そんな中で纏子に出会い、彼女に興味を持つのだが、与えた印象は最悪だった。彼は纏子をきっかけに、自分の中の男性性に改めて目を向ける。

 一般的に、男性のほうが洋服を着る際のコードは女性より制約がある。また、服というアイテムはそれだけで社会的な意味を持つ。身に着けている人の収入、思想、生き方まで表現してしまう。ファッションは自由なようでいて、この点で実に難しい。
 纏子も芳も、過去にとらわれており、またライフスタイルを模索している。纏子は男性を愛せない自分に自信が持てず、芳は好きなものを好きと大っぴらに表現できない自分に息苦しさを感じている。お互いに世間とぶつかっているといってもいいだろう。それが読者の共感をよぶよりどころとなっていく。

 物語終盤、纏子は思う。強くなりたい、と。
 それはある人物に対して思うことだが、自分に対しての決意表明でもあるだろう。ひいては、人生に対しての。
 芳との関係が、明かされた真実のもとでこの先どう変化していくのか。これは読者にゆだねられるべきだろう。
 個人的には、晶という魅力的な脇役のこれからも気になってしまう。彼女に関しても明かされていない謎がいくつもあるのだ。
 性差を超越した感情がいくつも描かれるこの作品は、宝石のように多面性があり、魅力的だ。

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