悶々
気楽に生きている。
特に代わり映えのしない平穏な日々を送っている。
朝起きて、学校に行って、友達と取るに足らない話をして、家に帰ってのんびりして、風呂入って寝る。そしてまた朝が来る。
それでいいと思ってる。
何も変わることなく、淡々と時が過ぎていく。それがとても心地良い。私に似合った生き方だ。
ただ、何故か、悶々とする。
奥底に潜む蟠りが嫌に私を刺激する。
何かが足りないのか、何かを欲しているのか。
しかし、その実態は掴めない。
具現化出来ないもどかしい気持ちを心の隅っこに抱えながら今日も生きている。
幸せなはずなのに。これで満足なはずなのに。
何か足りない。
だが、考えるのは面倒くさい。長くなりそうだし。そう思って、いつも諦めてしまう。だから、この機会に深く自分を見つめ直したいと思う。
何故今、これを書いているのか。
それは、夏休みに突入するからである。
明日からは、今までの日常ではなくなる。特に予定も決まってないし、そういう日は家で1日ゴロゴロしてしまう。でも、高校生最後の夏休みだし、できれば充実させたい。
何か変化を求めて、朝にランニングを計画した。
1日の運動量を測るアプリをインストールして、ランニングウェアを購入した。
何か思い出を残そうとして、友達と旅行を計画した。
みっちり下調べをして、交通手段、時刻、ご飯、かなり充実した旅行計画が完成した。
タイムツリーに予定を埋めていく。まだ空白だらけだけど、少しずつ予定が埋まっていくとドキドキする。心が踊る。
悶々とした気持ちの正体は「刺激」なのかもしれない。
表面上は満足していても、心の奥底にいる私は物足りないと感じているのかもしれない。
思い返してみれば、何も刺激のない生活を送っていた。
この悶々とした気持ちが芽生えたのは、部活を退部してからだったような気もする。「目標に向かって一直線!」というのが刺激になっていたのかもなぁ。
今は目標なんて無い。夢中になれるものもない。
趣味や特技を聞かれたら、毎度困ってたっけな。
刺激が足りないという気持ちの片鱗はちらちら見えていた気がする。自分の好きな分野になると途端に饒舌になる人が少し羨ましかったことも、壇上で表彰されてる人に憧れを抱いたことも。
私は、私を生きれているのかな。
高校生でいられるのも残り少ない。これからは、私なりの生き方を模索してみようと思う。
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