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適応障害の根っこ考察、実は傍観している人が一番こわい #休職中 #適応障害

前回のnoteは、悪夢の考察をした。
今回は、人間関係のジャンルにおける自分の人生の挫折に思いを馳せてみた。

今、治療中の適応障害は、ある人からの言葉の積み重ねや職場への不信感の蓄積だった。

心身ともに悲鳴をあげていた(というか、ぶっ壊れかけた)ため、休んでいるが、この悲鳴の一歩手前は結構経験している気がしている。
どんなことがあったか書き出してみようか、というのが、今回のnoteのきっかけだ。

中学時代には、教師から嘘まみれの陰口にショックを受けて、知らないフリをする大人にショックを受けた。
私の人生は確実にこの出来事がベースになっている。
教師を見返すために、努力を惜しまなかったし、努力は裏切らないと思っていた。

大学生時代には、どんどん仕事が舞い込みすぎて泣きながら実験して、突然、涙が止まらないときがあった(これをきっかけに断ることを学び、自分の意志を主張できるようになったが、今振り返るとおかしくなりかけながら社会人生活に突入していたのか)。


何らかの良からぬ影響を加えた人が悪いのは間違いない。
でも影響を受ける側が壊れる瞬間は、影響を受けた時だけではない。

周りの人が傍観して、何もしてくれず、孤独を感じる時に絶望するし、そのときに壊れ始める。
「何もしてくれない」と書くと、被害者ヅラして何を偉そうに。と思うかもしれない。
正義のヒーローのように悪を成敗してほしいわけじゃないし、特別なことをしてほしいわけではない。

じゃあ、何をしてほしいのか?

もし、私が傍観している立場だとしたら、何ができるだろうか?と考えると、うまく答えが出てこなくて難しいし、正しい答えかはわからないが。

何かのアドバイスはいらないから、ただ話を聞いてほしい。
自分の考えを披露しなくていいから、話を聞いてほしい。
あと、話しかけてほしい。
あいさつだけでもいいし、最近どう?みたいな感じでもいい。
(欲張って書くと、元気?と聞かれると元気!と答えがちだから危険)
(さらに欲張って書くと、普段からあいさつでも関係構築できていたり、自己開示してくれる人には、こちらも打ち明けやすい。)

欲張りだし、めんどくせぇやつって思われそうかもしれないけど、こんな存在になれるようになりたいです、もし復帰できたときには。

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