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ぼっちのステータス化

最近、というか先週末、ぼっち・ざ・ろっくを見た。ずっと見たかったけど、いつものごとくアニメ特有の
「見始めたら速攻完走するのに見始めるまでにすごく時間かかる病」
のせいで、世の中で流行っているうちに見ることはかないませんでした。
とはいえ、高校入ってクラスでぼっちになってギター始めた自分にはそれはそれは深く刺さる神アニメで、あっという間にハマりましたね。二週目いかせていただきます。

タイトルにもある通り、ここ数年「ぼっち」という、一見マイナスに思えるレッテルを自分に張り付ける人が増えている。要は保険をかけているのだが、これについては、少し前から”ガチぼっち”によって疑問が呈されており、とてもそうは思えないYouTuberがぼっち売りした日には、コメント欄が大荒れしているところを何度か見かけたことがある。(ステハゲさん等ぼっちYouTuber黎明期の人達はすこです)

正直、自分のことをどう思うかは個人の勝手だ。他人からどういわれようと、自分が陰キャだと思うならそう言えばいい。”ホンモノ”からの目が実にシビアだということだけは知っておくべきだけどね。
かく言う私も、ホンモノのぼっち高校生をやっていた身として、明らかにぼっちとは言えない人間が「ぼっち」と名乗っているのを見ると、「貴様は体育で100m測定を皆二人組でやっている中単独で走ったことはあるか?」と問い詰めたくなる。

何より、ぼっちなど絶対にならない方がいい。一人でも二人でもいい。同級生とサイゼかマックに行き、パズドラなりモンストなりしてた方が幸せだったに違いない。(あの頃流行ってたゲームね)
文化祭、体育祭などの「ザ・青春」な学校行事も、積極的に関わった方が後々良い思い出として自分を支えてくれる。それらを悉く見下し、斜に構えながら「あんなのどこが楽しいの? 恥晒すだけでしょw」とほざいていた僕は、特に面白みはないけど目立たないから、という理由で毎年台風の目にエントリーしてたこととか、クラスメイトに言い出せなくてトイレ休憩もせず6時間ぶっ通しで女装しながら「叩いて被ってジャンケンポン」をし続けたら不本意にも無双してしまったという地獄の思い出しかない始末だ。我ながら悲しすぎるだろ…

青春の場においては、致命傷にならない程度の恥ならたくさんかいた方がいい。恥をかいた分だけ、余計なプライドはそぎ落とされ、ノリのいい人間だと言われて友達が増え、24歳にもなって未だにnoteに学生時代のジメジメした話を書く人生から遠ざかることができる。(大ダメージ)

社会人になって、同期の学生時代の思い出を聞くたび、自分がいかに愚かな学生生活を送っていたか自覚させられる。せめてバイトくらいは続けられれば良かったのかな。もう会社辞めたくなってるんだけどね。HAHAHA

PS.めちゃくちゃまとまりのないモノになってしまったけど、駄文でもいいから週一投稿したい


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