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【晩年のモネ編②】2023年のモネ展をもっと楽しみたいならコレ読んで!!!

こんにちは。
先日買ったパセリが、冷蔵庫の中でパリッパリになっているところを見つけました。ぶんぶんです。
これはもうね。生パセリじゃなかったんだよって。はじめから「乾燥パセリ」を買っていたんだよっていうことでね。そっと冷蔵庫を閉めました( ˘ω˘)スヤァ
なんか上手げなパスタでもこしらえたときに、上に乾燥パセリを散らそうと思います。←

とゆうことで!
昨日、いやもう今日か…。今日のAM0時にアップした、ブログの続きを書こうと思いましてね。
つーかAM0時にブログ書くなよ。AM0時にブログを書いて、同じ日のPM15時にまたブログ書くって、頭どーなってんだよって話なんですが(笑)

いいじゃねーか!!年末なんだから!!!!

いや、よくねーよ!!!年末なんもしてねーよ!!!

あわてて昨日、閉まりかけのスーパーでお正月飾り買ったわ!!
それだけだよ!!!一人暮らしの年末の正月準備なんてな!!(暴言)

それは置いといて!!!

(深夜テンションハイが抜け切れていないご様子)

昨日の続きで、印象派の中で一番長生きしたのが、モネさんだったって話をさせてもらったと思うんですが。亡くなっていった仲間には、志半ばで病気で亡くなった友もいれば、おじいちゃんになるまで一緒に戦い続けた戦友もいたわけで。

モネさんは、最後の最後まで印象派メンバーを全員、見送っていきました。そして最後の戦友、ルノワールさんが1919年に亡くなって、画壇という戦場でとうとう一人ぼっちになってしまったモネさん。

もう一緒に語り合う仲間も、いがみ合う戦友もいない。
たとえばバジールさんがマネさんに、一緒に僕たちと個展開こ!
と誘ったとき…

マネ「いや、俺、そろそろ官展に認められないと画家生命ヤバいから…」


ってまさかのお断りをした問題案件とかね。

こんないがみ合いも、もうできないわけです。あと「そんなことあったよね」って笑って語り合える相手も、もういなくなっちゃったわけです。
ただただ「あとは頼んだ」って、残される身としてみんなの意志を受け取りまくった結果、重~~い画家としての業みたいなのを一身に背負ってしまったモネさん。

そういうときにモネさんは、なにを考えていたのかっていう話なんですが。

最後になにを描く?
なにを描けばいい?
俺たちが描きたかった、追い求めた「美しさ」はなんだったのか。


1920年代のモネさんは、そうやってひとりで自問自答しながら描き続けた状況だったんじゃないかと個人的に思うわけです。にゃん。(←え)

そのことを踏まえると、1920年代のモネさんの画風が前のものと比べて変わった…というのも、納得できる気がします。

昨日書いたブログでモネさんは、声に出して泣かないで絵の中で泣く画家だって話をしましたけど、絵の中で本心を吐露する彼だからこそ、ああいう荒々しいタッチの画風が生まれたのかなっと。戦友たちの「死」という悲しみを背負って、描くことでしか自分はもう、みんなを弔えないから。
最後まで描き続けた画家の気持ちが晩年のモネさんの絵からは、にじみ出ている気がします。

しかもモネさんはちょうどこの頃辺りから目の調子が悪くなってしまい、目に色彩異常を起こってたんで、

まさに精神的にも肉体的にもダブルパンチ。


晩年にできた友人のクレマンソーはいたんですが、初期からずっと戦い続けてきた友人というわけではなかったので、やっぱり「あいつだったら、こうするよね」みたいな昔話はできなかったとおもうんです。

そういうのって晩年になればなるほど、けっこう心にクると思うんです。
一人だけ、世界に取り残されちゃったみたいな感じがして。

だから1920年以降のモネさんの絵をみるたびに、「一人になっても、最後の最後まで絵筆を取り続けた」モネさんの、その姿に私は胸を打たれるわけです。

だからモネさんの睡蓮の絵は、「きれい」や「革新的な」で終わる絵じゃないんじゃないかなって個人的には感じています。

志を共にした戦友たちに送る弔いであり、またはモネさんが人生を通して伝え続けた「自由に描きたい」という願いだったんじゃないかな。

仲間や家族に迷惑をかけて、それでも追い求めずにはいられなかった、
一生をかけて追い続けた「光の軌跡」という美しさに、少しでも近づきたいという、彼の心の叫びなんだと思います。

これこそが一番、美しいだろっていう。
時代を超えて伝わってくる、モネさんの魂の叫びですね。

その魂の叫びが後世からみて結果的に、「近代絵画の幕開け」…っていう形になったんだと私は思います。近代絵画が産声をあげたぁーー!!みたいな。

でっけぇ、産声ですけどね(笑)

あ、晩年のモネさんはまじでイケおじ。ってゆう画像貼り付けときます(唐突)←


最後に。
東京富士美術館にある1908年の睡蓮の絵の作品紹介で書かれていたモネさんの言葉がありまして。それを紹介して終わります。

私はこの言葉を知ったときに、モネさんの印象が変わりました。
1908年当時、睡蓮の絵を描いた際、評論家たちに酷評されたときにモネさんが放った一言が、私は結構モネさんらしくて好きです。

「誰もが私の芸術を論じ、あたかも理解しなければならないかのように、理解した風を装っているが、本当は、ただ愛しさえすればよいのだ」

東京富士美術館HPより モネの作品「睡蓮」1908年 作品紹介より抜粋https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=426

モネさんは画壇を変えようと思っていた革命児だったとは思いますが、それは彼が美しいと思っていたものが、当時のフランスないし、ヨーロッパでは「美しい」とはされていなかったからで。
だから結果的にみて、革命起こしたるわーーー!!ってなったけど、どちらかと言えば、革命を起こしたいっていうよりかは、「美しい」と思うものを、生涯を通して誰に何を言われようと、誠実にずっと言い続けた(描き続けた)人だったんだなと思います。
それができる人は、なかなかいないって…すごいよ、モネさん。

そしてモネさんの絵を見て、一人でも多くの人がその美しさに魅了されればそれで良い。小難しいことを言い並べたところでって話なんでしょうね。

美しいものは、理屈では言い表せないんだと。
だからこそ絵を描いて、それを伝えているのに、なんでわざわざ言葉にするんだと。
美しいものを愛する心。
モネさんの絵を理解するには、その心さえあれば十分なのにね、って。
そう言いたかったんじゃないでしょうか。

2015年くらいにモネさんのお墓参りに行ったときの写真。
今もジヴェルニーの地で眠っています。

だからモネさんの作品は、時代を超えても 言語が異なる日本でだって
いまなお人々を魅了するんだろうと思います。

私はモネさんに実際に会ったことはないですが、絵を通して、彼に出会えた気もするし(笑)
だから好きです。彼の絵も。人柄も。

あと…

最後まで頑張ったで賞を授与したい。

(どの立場なんだ、お前は)


あとあと、モネさんが怒っているときとか、ノリノリのときは
逆に色彩がビビットになって、彩度が上がるので
「モネさん、今日は元気だな~」って思えて好き。

そんなところですかね。
今回の上野の森の美術館の展覧会は、モネさんの絵が若い時から晩年まで勢揃いなので、色んな時代のモネさんに出会えるからオススメですぞ。

え、まって。もう大晦日じゃん。
やだ…今年やるぞーーー!!って意気込んで、やり残したこと、死ぬほどあるんだが…? え、もう8時間しかねぇの…?詰んだじゃん。

とりあえず乾燥したパセリを使い切りたいので、パスタかオムレツかバカリャウのコロッケでも作るか…?←
いいのか、今年一年の締めが乾燥パセリで…。

そんなぶんぶんは、さておき。
今年一年、ブログを読んで下さった方々、ありがとうございました。
いいねやコメントをしてくださる方、マガジンフォローしてくださった方、ぶんぶんは嬉しくて涙腺崩壊しています。この場を借りてお礼申し上げます。

来年もこんなペースですが、よろしくお願いいたします!!
あ!来年、印象派展やりますね!!米国の美術館の収蔵品が来るんでしたっけ!?楽しみですね!まだまだ色々なエピソードがありますから、ぼちぼち書けていけたらいいな…。

では皆様、よい年末をお迎えください!


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