神託の巫女-聖都へ-


「わ、わぁ〜〜〜聖都!!」

 馬車から降りたエリシャが、賑やかな街の様子にはしゃいだ声をあげる。

「いいえ、巫女様。聖都まではまだ三日以上かかります。ここはティーノバの街。今日はここに宿を取り、明朝に出立します」

 それをエリシャの世話係として同行するアデレードが穏やかに丁寧に訂正する。

「えぇ〜まだ!?……聖都って遠い……こんなに広くて賑やかな大きな街なのに、ここがまだ聖都じゃないなんて……」

 エリシャは呆然としながら街並みを見渡す。
 立派な城壁に囲まれて、綺麗に石畳に舗装された道。
 多くの馬車や人が行き交い、露店が並ぶ大通り。

 国境近くの山間ののどかな村に生まれ育ったエリシャにとって、ただの中継点でしかないというこのティーノバの街ですら、夢に見た大都会にしか見えない。

 ただただ圧倒されるばかりだ。

 これ以上に大きい聖都とはどんなところなのか、エリシャの想像力では靄が広がって形にもならない。
 エリシャの気落ちした様子に、アデレードが微笑ましそうに目を細める。

 アデレードは使者団の一員として、最初は男性神官のふりをして随行してきた女性だった。
 すらりと伸びやかな長身に鮮やかな赤い髪と青い瞳の男装の麗人である。

 村を出立する朝、アデレードは初めてエリシャの前で声を発した。
 ずっとその他大勢の中に埋没し控えていた彼女は「今後は巫女様の身の回りのことをお世話させていただきます」と少しハスキーで艶やかな声でそう言って神官服の長衣をつまむ礼をした。

 その時エリシャは驚きのあまり言葉を失い、榛色の瞳を大きく見開いて、口をぱくぱくとエサを求める金魚のように開閉させた。
 
 そもそもこの采配は、神聖なる巫女を男ばかりで護送しては長い道中なにかと不便である。と心配した巫女仕えの女神官たちが神殿長に訴え出たことから始まる。

 だが女ばかり増やしても、いくら太平の世、天下の往来とはいえもしもよからぬ者たちに狙われるようなことがあっては……と、あれこれ考えられた結果、武にも通じ男にも引けを取らない長身のアデレードが使者団のひとりに選ばれたのだという。

「私も元々巫女仕えの女神官ですから、たまさか男の装束を着ていたというだけのことですよ」

 とアデレードはそう言ってエリシャにいたずらっぽく片目を瞑ってみせたのだ。

 ライセルもよくやる仕草ではあったが、彼のものとは不思議と趣きが異なる。
 見目は麗しい青年のようであっても、やはり女性であるからか、一切の下心がない為かもしれない。

 それからはや三日、エリシャはすっかりアデレードの虜となっていた。

 常に穏やかで沈着冷静で、エリシャのどんな世間知らずの発言もすかさず拾って訂正してくれる。

 聖都に着いてから大勢の前で恥をかくよりは、今のうちにアデレードから色々なことを教えて欲しい、とエリシャは思う。

「今日はこの街で過ごし、明朝発ちますので……」

 宿の手続きをし、そう言ってライセルがエリシャに部屋への通路を手で示す。
 それは、さっさと部屋にお行きなさいというライセルの言外の意思表示でもあった。
 
 しかしエリシャは、すぅと息を吸うとライセルを見据え。

「ライセルさん!私、観光をしたいです!」

 と力強くねだった。

 エリシャの強く真っ直ぐな眼差しが、ひたとライセルを見上げる。
 しかしライセルは凛々しい眉を僅かに寄せ、エリシャの直向きな視線からさりげなく目を逸らすように伏せた。
 そうして緩やかに首を横に振ってみせる。

「巫女様……。……平和な世の中とはいえど、この世に悪の尽きることなし。と言います。聖都につつがなく着くためには、申し訳ないがそういったことはお控えいただきたく……」

 しかしエリシャは食い下がるように、なおもライセルを見つめて言う。

「でも私!だってもうこの先、自由に外を出歩いたり、お友達と楽しく話したり、恋をしたり、そういうこと一切できなくなるんですよね……!?生まれ育った村から選択の余地なく連れ出されて、家族とも友達とももう二度と会えない可哀想な十代の娘に、たった一度の最初で最後の都会の観光さえさせない、貴方ってそんなに冷血漢なのライセルさん!?」
「え……、あ、ま、それはそう、ではありますが、……いえ、私が冷血漢というところにではなくて」

 エリシャの怒涛の反駁に、ライセルはひどく狼狽えた。

 ただでさえ、普通の村娘から当たり前の日常を取り上げてしまったという罪悪感がある。
 そこを突かれてしまうとどうにも弱ってしまうのだ。

 ライセルという男は、元来女性全般に優しい男なのである。

「騎士長様、巫女様のことは私が責任を持ってお守り致します。なのでどうか、ささやかなご希望を叶えて差し上げられませんか?」

 アデレードが更にエリシャの援護をする。ぱっと華やぐエリシャの瞳。
 ここまで言われたら了承するでしょう?とその榛色がライセルに言っていた。

 ライセルはくすんだ金の髪をガシガシと掻くと、はぁと溜息をひとつついて。

「わかりました、私の負けです。まったくもって巫女様の仰る通りです。たしかに、アデレード殿がご一緒なら、心配もないでしょうし……、あぁ!そうだ。ならいっそ私もご一緒致しましょうか」

 ライセルがいかにも良い案でしょうというように、深い湖水の如き青い瞳を和らげて微笑む。
 その微笑みは、どんな女でもうっとりと見惚れそうな顔だ。

 しかしエリシャは、キッと顔を引き締めてぶんと頭を振った。

「いいえ、結構です!私、アデレードさんとふたりで大丈夫ですから!」

 エリシャはぎゅっとアデレードの腕に自身の腕を絡めると、毅然とした否をライセルに突き付ける。

 エリシャのその答えは彼にとっては実に予想外のことだったようだ。

 ライセルの表情は笑みのまま、カチン!と音がしそうなくらいわかりやすく固まった。

「ね。アデレードさん、早く行こ!」
「あ、巫女様。お待ちください、そう急がずとも……、そ、それでは騎士長様、失礼いたします」

 アデレードがライセルを気遣うような一瞥を向けたが、エリシャの方はライセルの様子に全く気付く様子はなかった。

 エリシャは浮き足立つ心のまま、鼻歌まじりにアデレードの腕を引き、さっさと宿の外へと出て行ってしまったのだった。

 残されたライセルはといえば。

 力なくふらふらとよろけ、壁に手を突く。
ずん、と暗雲垂れ込めるかのようにそうして項垂れた。

「そんな……この俺が、あんな田舎娘に……あぁも思い切り、拒絶され……る、なん、て……」

 色男を自負するライセルには、それは予想だにせぬ痛恨の一撃であった……。

ーー

 ライセルに痛恨の一撃を与えたことなどつゆしらず、エリシャは生まれて初めて見る都会の街並みと喧騒にすっかり目を奪われていた。
 その隣を、ぴたりと寄り添うように女にしては長身のアデレードが着いて歩く。
 街中で神官服では目立ちすぎるから、と、アデレードはごく普通の質素なワンピースとストール姿だ。

 女の装いも華やかさは健在で、鮮やかな赤い髪はきっちりとひっつめ髪にしているがそれがかえって本来の端正な顔の造りを目立たせる。

 道行く男も女も、皆一度はアデレードを振り返ってほぅと感嘆の溜息を零すほとだ。

(あ〜やっぱり!思ってた通りだった!こんな大都会でだってアデレードさんほどの綺麗なひとは珍しいんだわ。そこにもしライセルさんまで加わったらどんな針の筵になったことか……!)

 エリシャは内心恐怖した。
 ただでさえ自分のようなパッとしない田舎娘が、アデレードのような美しい年上の女性にあれこれと傅かれている。
 あの二人どういう間柄だ、と見たものに疑惑やあらぬ誤解ややっかみを受ける可能性は大いにあった。

 今もアデレードを見た人が、あのひっついているちんちくりんはなんだ、と訝しむ顔をしている。ようにエリシャには感じられる。

 そこにあの晴れやかな色男が加わったらどうなるか。
 道行く人の耳目を集めるばかりか、恐ろしいほどの嫉妬を買うだろうことは目に見えている。

 だからエリシャはライセルの同行は頑として拒否した。

 子供の頃から年頃のいまに至るまで、エリシャはいつもお淑やかで儚げな美少女の幼馴染ハンネと比べられてきた。

 単体で見れば、エリシャも決して悪くはない。
 しかし垢抜けないそばかす顔と着古しのワンピース、野山を駆け回り日に焼けた肌。スレンダーと言えば聞こえはいいが寸胴な体型。
 どうしてもそういうところでつい引け目を感じてしまうのだった。

「巫女様……どうされました、ご気分がすぐれませんか?人の多さに酔われたでしょうか」
「へっ……!?あ、え、えと、いいえ!?大丈夫、全然大丈夫です!村のお祭りより人が多くてびっくりだけど……。あ、ダメよアデレードさん!エリシャって呼んでくれなきゃ。秘密なんでしょ?」

 色々ともやもや考え込んでしまったエリシャを、気遣わしげに覗き込んでくるアデレードの顔を見上げエリシャはぱっと表情を明るくした。
 それから尤もらしく気難しい顔を作ろうと、眉をひそめて口を尖らせてもみる。

 巫女とは、本来なんぴとの前にも気安く姿を見せないものと決まっていた。
 こうした移動中は、単なる市井の一娘として扱うべきである。
 往来で巫女様などと言ってはならない。と、これはライセルが使者団に厳しく申し渡したことの受け売りである。

 アデレードも虚を突かれたように瞬き、困ったように笑った。

「これは一本取られましたね、失礼いたしました。それでは僭越ながら、改めまして、エリシャ様……」

 一介の神官職からすれば、巫女になる者を敬称付きとはいえ名前で呼ぶのは畏れ多くあるのだろう。その声音は僅かばかり震えるようなものでもあった。

「アデレードさん、私お腹すいちゃった!都会には珍しくてお洒落で可愛い食べ物がたくさんあるんでしょ?それを食べに行きましょ!」

 エリシャは気を取り直すようにそう言って、アデレードの腕を引く。
 アデレードも微笑んで頷くと。

「かしこまりました。当世流行りの甘味がある、と最近よく耳にしますので……、それを探しに参りましょうか」

 


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