短編 怪物にされた令嬢
カタリナは恋をしていた。
恋の相手はヨセフという名の青年で、青みがかった銀髪に紫水晶の瞳のとても美しい青年だった。
ふたりが出会ったのは一年前。
カタリナの父の領地の村の祭りの夜だった。
ヨセフは異国から来た旅人で、各地の風俗や名産を研究する学者のたまごなのだと語った。
領地の村から出たことのないカタリナにとって、異国の話をたくさんしてくれるヨセフはとても頼もしく、楽しく、瞬く間に恋に落ちた。
「カタリナ、僕のような一介の学者のたまご風情が、貴女のようなひとにこんなことを言うのは随分とおこがましいかも知れないけれど……愛してしまいました。許してくれませんか?」
ヨセフの瞳にまっすぐに見つめられ、そう告げられた時、カタリナは天にも昇る心地だった。
「はい、ヨセフ! 私も貴方が好きよ!」
恋にきらめく瞳でカタリナはヨセフを見つめ、ヨセフもまた優しい眼差しでカタリナを見つめ、ふたりは誰が見ても愛し合っていた。
しかしカタリナの両親は、ヨセフのことを良く思わなかった。
「身分が違う、学者のたまごなんて言っても胡乱なものだ」
「ゆくゆくは家格の釣り合う方とお見合いでもして、ね……」
そういう父母ふたりに、しかしカタリナは頑なだった。
「いやよ、こんなに愛し合っているんだもの! それにいまどき、家格だなんだってナンセンスよ。ねぇエメリス、貴女もそう思うでしょう」
カタリナの二歳下の妹エメリスは、軽く肩を竦めてみせた。
エメリスはクールなたちで、色恋にうつつをぬかすたちではなかったので姉のこの話に口を挟みたくなかったのだ。
それでも二人は仲の良い姉妹であり、エメリスはだいたいいつもカタリナの味方をした。
「いいんじゃないかしら、カタリナが愛するひとと添い遂げるのが一番幸せよ」
家族の話はまとまりはしなかったが、それでもカタリナは幸せだった。
病に冒されるまでは。
ある日の朝、カタリナはふと体の不調を感じた。
体が重く、少し痛いような気がした。
風邪の引き始めかと思い、いろいろな予定をキャンセルしてゆっくりと休むことにした。
カタリナの不調はそれから度々起こるようになった。
ギシギシと体が軋むように痛み、喉が嗄れる。声が出しづらくなる。
視界がもやのかかるようにかすみ、微かな物音や匂いにも敏感になった。
ずっと続く些細な体の痛みや小さな物音や匂いは積もり積もれば心的負荷は大きくなる。
カタリナはどんどん荒んで、やつれ、人を寄せ付けなくなっていった。
「カタリナ、僕だよ、ヨセフだ。今日も来たよ」
そんなカタリナに、ヨセフはいつも優しく献身的だった。
カタリナが心を癒やせるようにと花を持ってきて、綺麗な風景画を持ってきて、病気平癒のまじないをかけたというアミュレットも持ってきた。
「カタリナ、この薬湯がきくかもしれない」
「ヨセフ……ごめんなさい、いつも、気を遣わせてしまって。私……私、どんどん自分がおかしくなっていくように感じるの。何かが変わっていくの。まるで作り替えられているみたいに。体が痛くて苦しくて……!」
「カタリナ。カタリナ。大丈夫だから……」
苦痛と恐怖を訴えるカタリナの背を優しく撫でさすりながら、ヨセフが囁く。
しかし、彼女が言ったことは事実だった。
カタリナの姿は変わっていった。
顔は黒くぼこぼこと硬質化していき、美しかった瞳は黒ずんだ。
艶やかな絹糸のようだったプラチナブロンドの長い髪は失われ、代わりにゴワゴワと棘のような剛毛に覆われた。
口の端は耳元まで裂け、覗く歯は鋭く尖った牙となり、耳は大きく尖っていく。
澄んだ鈴の音のようだった声は、吹き抜ける空風のように掠れて、発音も不明瞭になっていったのだ。
化け物。怪物。お嬢様は怪物になったのだ。
とひそひそと噂が流れる。
そんなある日。
「カタリナ、結婚しよう」
いつものようにやってきたヨセフが、すっかりでこぼこと岩のような肌になったカタリナの手を取り、撫でながら言った。
「でも、ワタシ、こンナ……」
カタリナは、すっかり様変わりしてしまったその姿を恥じるように顔を俯かせる。
ヨセフはそんな彼女のゴツゴツした手を引き寄せて、分厚く尖る爪の目立つ指先に口付けしながらと優しく微笑んだ。
「見た目なんて関係ない、僕が愛しているのはカタリナ、君の魂そのものなのだから」
「ヨ、セ、フ、」
カタリナは彼の言葉に涙を流した。
「ア、リ、ガ、ト……」
こんなおぞましい姿になっても、ヨセフの愛は変わらない。
それがカタリナには何よりも嬉しいことだった。
ヨセフとカタリナが、結婚の報告を彼女の両親に伝える。
カタリナが屋敷の中とはいえ、自分の部屋を出て歩くのは、実に三ヶ月ぶりのことだった。
カタリナが久しぶりにそうして姿を見せたことに両親はたいそう驚き、感激し、ヨセフとの愛を認めることにした。
そうとなればふたりの行動は早かった。
父母は密やかに司祭を屋敷に招くと、ふたりの婚姻式を行うことにしたのだ。
カタリナの状態を思えば、一刻の猶予すら惜しかった。
「ヨセフ、カタリナのことをこんなにも愛してくれてありがとう」
「貴方も今日からは我が家の一員よ……」
「ありがとうございます、義父上、義母上」
婚姻の成立したその夜、父母はヨセフを抱きしめた。
「ヨセフお兄様、どうか姉をよろしくお願いします……」
妹のエメリスも、痛々しく変容してすっかり元気をなくしていくカタリナがこれで少しでも元の明るさを取り戻してくれれば、とヨセフに期待をかけるような眼差しを向けて言った。
ヨセフは微笑み、頷いて。
「カタリナのことは、僕に任せて欲しい」
そう力強く請け負った。
しかし、幸せな婚姻の日からもカタリナの体は日増しに変容していった。
これまで以上に恐ろしいほどの痛みに全身を襲われ、夜昼となく漏れる呻き声は、おぞましい化け物の咆哮のようだった。
屋敷の使用人や領内の村人たちが、聞こえてくるその声に怯え出すほどに。
両親とヨセフの相談の結果、カタリナを静かな森の中の古城へ移す事にしたのは婚姻の夜から二週間目のことだった。
選りすぐりのほんの数名の使用人と、夫のヨセフが付き添うことになった。
「大丈夫だよカタリナ、静かな森の中で過ごせばきっと良くなる」
「うう、ウゥゥウぅ、グゥウウウ……!」
カタリナはヨセフの言葉にも、ただ唸るような声しか返せなかった。
古城に移り住んでから更に二週間ほどが経っていた。
ヨセフがいつものように薬を持って、カタリナの眠る部屋へとやってくる。
「カタリナ、薬の時間だよ」
ヨセフがカタリナに声をかけても、カタリナはほとんど何も言葉を返すことができなかった。
グルル、グルルと唸るような、苦悶に呻くような音を喉から発するばかり。
そんなカタリナにすっかり慣れてしまったのか、ヨセフは気にせずにこやかに、一番皮膚が柔らかい耳の裏に注射を打つ。
すると突然カタリナの体はガタガタと震え出し、今までにないほどの苦しみでもがき始めた。
「うがァァアっアッあぁああっ!!」
その凄まじい声に何事かと使用人たちが集まってくる。
カタリナは裂けた口からだらだらと涎を垂らし、ベッドから起き上がった。
ギラギラと瞳が妖しく光って、やってきた者たちを見渡していく。
歪曲した体からだらりと伸びた腕が突然目にもとまらぬ早さで鞭のようにしなると、その先の鋭い爪が集まる使用人たちを薙ぎ倒していった。
「キャァアアアアア!!」
悲鳴が起こる。
「カタリナ様が、カタリナ様が!」
「本物の化け物になってしまわれた!」
それはまさに阿鼻叫喚であった。
逃げ惑う使用人たち。
薙ぎ払われ巻き込まれて、尻餅をついたヨセフが、カタリナを見上げている。
その顔はいつもの優しいそれではなく、すっかり怯えているような。
(嗚呼! 嗚呼っ……!!)
カタリナは頭を掻き毟りながら抵抗するように唸り、呻いて、体を揺さぶった。
そうして彼を傷付ける前に、意識が全て怪物と成り果てる前に。
カタリナは理性を振り絞って反転し、窓を突き破って古城から飛び出していく。
そして森の奥、更に奥深くへと逃げていくのだった。
それから半年ほどして。
森のそばの街道を通る者たちの間で怪物の噂が立つようになっていた。
腕自慢や立身出世を目論むものが我こそはと手柄を立てようとして、怪物を求めて森の奥に分け入っていく。
カタリナは彼らに見つからないようにただひたすらに逃げ回っていた。
しかしとうとうひとりの若い騎士見習いに見つかってしまったのだ。
「いた、怪物め……!」
若い騎士見習いは得物の斧を振り回してカタリナを追いかけ回す。
しつこくしつこく追い詰められて、騎士見習いの斧がカタリナの足を掠めるに至って。
「どうして放っておいてくれないのよ……!」
カタリナは叫んだ。
その声は、おぞましい怪物の咆哮として人の耳には届く。
騎士見習いは立ち竦み、青ざめて、混乱したように無我夢中で斧を振りかぶってきたのだった。
(どうして! どうして!!)
とうとう窮地を脱するため、カタリナは豪腕を振るう。それが彼を強かに打ちのめし、騎士見習いは昏倒した。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
カタリナはぐるぐると唸り声を上げながら、更に森の奥を目指して逃げていった。
騎士見習いの青年は、近くを通った樵によって助けられ、カタリナの父母の屋敷に運び込まれた。
治療され、目を覚ました騎士見習いは言った。
「とてつもなくおぞましい姿で、恐ろしく凶暴な化け物だったのです!」
その夜、ヨセフが言った。
「こうなってしまってはもう見て見ぬ振りはできません。討伐隊を組みましょう」
「そんな!」
ヨセフの言葉にカタリナの父母は反発した。しかしヨセフが尚も言い募る。
「それが、彼女のためでもあります。人の心を失い、本当の化け物になる前に、神御許に送ってあげるのが、せめてもの…」
そう言ってヨセフは顔を伏せ、涙ぐむ。
「僕だって嫌です、本当なら助けてあげたかった!」
これまでずっと献身的にカタリナに尽くしてくれたヨセフの、心からの慟哭に、両親はこれ以上強く反対はできなかった。
それから数日して、ヨセフが手配した討伐隊が組織された。
彼らによる大規模な森の捜索が行われる。
「こんなのおかしいです、これじゃ姉はますます追い詰められるだけじゃないですか!」
クールなたちのエメリスが、断固として抗議に来たが、ヨセフも誰もとりあわなかった。
エメリスは、なぜ自分抜きでこんな大事なことを決めたのかと両親にも詰め寄ったが、ただ力なく項垂れるふたりを前に何も言えなくなってしまったのだった。
大々的な森の捜索により、カタリナは更に追い詰められていくことになった。
(どうして。誰も傷付けたくなんてないのに! どうして放っておいてくれないの。こちらから手を出したことなんてないのに…)
どこに行こうとしても物騒な武器を持った物々しい風情の男達が居て、カタリナは森から逃げることすらできなくなっていた。
水を飲みにやってきた湖で、水面に映る自分の姿を見て、カタリナは呻く。
嗚呼、なんと醜くおぞましい姿か。
(いっそ潔く死んでしまおうか。その方が……)
「居たぞ! 怪物だ!!」
そう思ったところで、突然上がる声にカタリナはびくりとした。
ギラギラときらめく恐ろしい槍や剣や斧を持つ討伐隊の姿に、いっそ潔くと思ったことも忘れて恐れおののいた。
(いやだっ、あんなの怖い……!)
カタリナは慌ててまた逃げ出した。
結局死ぬことを選ぶこともできず、ひたすらに森の奥へ奥へと。
ーー
カタリナはどこをどう走ったものか。
がむしゃらに走り回っているうちにバキンと何かを踏み抜いてしまった。
ふ、と浮遊感に包まれて、穴の中に落ちていく。
「きゃあ!」
もうダメだ、と思ったカタリナは、お尻の下でグシャッと何かを踏み付けた。
案外に柔らかい衝撃で。
「ぎゃっ!」
その何かが苦鳴を上げた。
カタリナはギョッとして飛び退く。
呻き声をあげながら、その声の主が起き上がってきた。
「誰だ、俺様の眠りを妨げる愚か者は! ……ってぐわぁ、なんだ、化け物ではないか!」
男の声だった。そしてそれはばっと手をかざすと、問答無用でバチィンと迸る光を浴びせた。
(きゃああ!)
グァああ!
カタリナの口からは化け物の苦悶の咆哮が漏れ、バタリと倒れ伏す。
「……なんだ、この、違和感は」
男は倒れたカタリナに近付くと、ハッと目を見開いた。
「此奴、もしや!」
目を覚ましたカタリナは、柔らかなクッションの上に横たえられていた。
ぼんやりとした視界で見渡してみれば、そこは半球形のお堂のような室内だった。
その部屋は全てが本棚に埋められ採光窓すらなく、ぼんやり浮かぶ光の玉が微かに室内を照らし出すばかり。
「嗚呼、私、まだ生きているのね。いっそ……いっそ死んでしまえばよかったのに……そうして何もかも終わりにできたら……」
そうしたらこの苦しみから解放されるだろうに、と。
カタリナの化け物の目から大粒の涙がハラハラと流れていく。
「ほう、それが貴様の望みか」
ジャラ、と、千切れた鎖の繋がる首輪と手枷を鳴らして、いつの間にか目の前に男が立っていた。
それは、カタリナを化け物と言って光をぶつけてきたあの男であった。
カタリナは身を固くして、キッと男を見上げ睨み付ける。
「あなた、なんなの……!」
「ふ。俺様は、史上最強にして偉大なる孤高の天才魔導師ギシュファード!」
実に尊大で長ったらしい名乗りだった。
「自分で言うようなことかしら、それ」
カタリナは男のあまりの名乗りに思わず呆れたように呟く。
すると、男の長くうねる前髪の隙間から覗いた獣じみた金眼がギロリとカタリナを睨んだ。
「悪いかっ」
今にも掴みかからんばかりに歯を噛み慣らし威嚇してくるギシュファードに、カタリナはパチパチ瞬いた。
「え、あなた、私の……私の言葉が、わかるの!?」
「ふん。言ったろうが、俺様は素晴らしい魔導師。化け物の言葉を理解するくらい、造作もない」
「……化け物って言わないでよ!!」
一言余計な男ではあったが、それはカタリナにとってはどれくらいぶりであったろうか。
人としての会話であった。
ーー
「それにしても、よく意識がもっているな。普通ならとっくに怪物の意識に食われ、ただの化け物に成り果てる。よほど我が強いのか、呪いや魔導への耐性でも持っているのか」
カタリナが語った彼女の状況、状態に、感心したように唸るギシュファード。
「しかし……チッ! しくじったものだな。俺様がもっと早く目覚めておれば!」
半年も自分の領域の森で好き勝手されてなど居なかったのに、と、状況を放っておいたことをこそ悔やんでいる。
なんて奇妙で無神経で冷淡な男だろう、と彼の様子に落胆したようにカタリナは肩を落とした。
それでも、カタリナの言葉を理解してくれる。
最初はともかく、今は攻撃の意思もない。
それはひどく安心できる、そして嬉しいことだった。
「ねぇ、ギシュファード。あなたが本当に特別なひとなら、私を元に戻せる?」
と、一番気になる点をカタリナは思いきって尋ねる。
ギシュファードの金色の瞳が、ギラッ! と輝きカタリナを見据えた。その眼差しにカタリナは魂そのものをギュッと鷲掴みにされたような一種の恐ろしさを感じ身を硬くする。
「できる! と、言いたいところだが……」「だ、だが……?」
カタリナはごくりと息を呑む。
「ことはそう簡単ではない。その姿はオーソドックスな、古来よりある簡単な呪いによるもの。しかし簡単だからこそ難しい」
「もったいぶらないで、早く教えてってば!」
カタリナはソワソワとイライラで体を揺さぶった。思わずグルルと唸り声すら漏れてしまう。
「呪いを解くのは古より定番のそれしかない」
「どれよ!」
ギシュファードは口をぐいっとひん曲げ、眉を顰めて顔を歪ませた。
「んっん〜! クソッ、そんなもん俺様にみなまで言わすな! ……愛だ、真実の愛!!」
ぐわっと言い放ったギシュファードは、ウゲェ〜蕁麻疹が出る〜オェオェッとおぞましげに体を掻きむしっていた。
カタリナはそんな様子を気にする余裕もなく呆然として。
「そんな……ウソよ! だって、だって、それなら私、とっくに治っているはずよ!? ヨセフと私はとても愛し合っていたもの!」
必死に言い募るカタリナの話に、しかしギシュファードは懐疑的だった。金の眼はかなり冷ややかだ。
「はぁん? そうかぁ? どうだかなぁ〜。ニンゲンの愛だ恋だはだいたい打算か肉欲か」
「に、肉欲って! 私たち、清らかな仲よ、まだ!」
「ふん。なら打算か! まぁよい。ニンゲンどもの色恋なんぞ、孤高の天才魔導師たる俺様には本来どうでもいいこと。あぁ、だが、ひとつ約束してやろう」
不遜な魔導師はニヤリと笑う。
「もしも貴様が完全に怪物に成り果てたときは、俺様がきっちり始末つけてやる。誰かを傷付ける前にな」
その邪悪とも言える笑みに、カタリナはぽかんとして。
ふふっと笑う気配を見せる。
「ありがとう。あなたも少しは優しいところがあるのね、ギシュファード」
ーー
「ねえ、しばらくここに置いてもらえないかしら」
カタリナはギシュファードに遠慮がちに尋ねた。
しかしいかにも他人と暮らすなど苦手そうな男である。にべもなく断られ、出て行けと言われるかもしれない。
事実思った通り、一瞬ひどく嫌そうな面倒そうな顔をギシュファードはした。
「いいだろう、今また森に出て行ってもギャアギャアうるさくなるだけだ」
不利益と面倒を両天秤にかけ、少しばかりカタリナの面倒の方が良かったらしい。
カタリナはそうしてギシュファードのもとでしばらく療養と、それから心を怪物に乗っ取られないための精神修養をすることにした。
ふたりの共同生活が始まってしばらく。
カタリナは部屋の隅に積み上げられていたリネンのシーツやカーテンを引っ張り出して、おぞましい怪物の体を覆うように纏わせる。
それを鏡に映して、うぅんと唸り。
「もう少し可愛いくできないかしら。そうだわ! 切ったり縫ったりしてみれば!」
探し出した裁縫箱から針と糸を取り出し、どうにか針に糸を通すまでは叶ったが、そうしてできあがったモノは可愛いどころか不恰好なボロ布の仕上がりとなっていた。
「……どうして!」
ワッ、とカタリナはボロ布に包まって泣いた。
その様子を、実に怪訝な顔で眺めていたギシュファードは。
「いったい、何をしたかったのだ貴様は!?」
カタリナはボロ布に包まり体をすっぽり隠しながら、スンスンと鼻を啜って。
「ここって少しは明るいじゃない。私のこんな姿、見られながら一緒に過ごすのはあんまり辛くて……それで、なら、素敵な服をイメージして作ってみようと思ったの!」
「……ハ、くだらん! 貴様の見た目など俺様は気にもしとらんわ!」
「バカね! 無神経! 私が気にするのよっ」
カタリナのあまりの言いように、ギシュファードは微かなショックを受けた。
ボロ布と化したそれを一瞥し、フンと鼻を鳴らす。パチンと指を鳴らして。
「そんなこと、最初から俺様に頼め!」
瞬く間に、ボロ布は整ったフード付きのローブとなってカタリナの怪物の体を包み込む。
裾にはフリルもあしらってあった。
フードの奥で、カタリナの濁った黒ずむ瞳が微かに光を得たように輝きを放つ。
「ギシュファード……! そんなことができるのね、素敵よ! 本当に素敵! ありがとうギシュファード!」
鏡に映る自らの姿をきゃあきゃあと喜ぶカタリナは、すっかりただの娘のようであった。
ーー
基本的には読書や研究に没頭するギシュファードは、ともすれば寝食も忘れてしまうようだった。
もしかしたら睡眠は一度にまとめてとるのかもしれない。カタリナに叩き起こされたときも少なくとも半年以上寝ていたようなことを言っていた。
しかしただ居候として世話になっているだけというのも落ち着かず、何かできることはないかと探し出したカタリナは、感謝の印にお茶を入れることにした。
「ギシュファード! お茶を入れてみたの。良かったら休憩しましょう」
書物から顔を上げたギシュファードは、興味もなさそうにフンと鼻を鳴らした。
しかし拒否するでもなくカタリナの入れたお茶を口に運ぶ。
その目が驚愕に見開く。
「ぶふァっ!」
噴き出した。
「ままま、まっずい……!? なにをどうしたらこんなまずい茶を入れられるんだ!? いっそわざとか!?」
「そんな、いくらなんでも大袈裟よ! たかがお茶でそんな言い方しなくてもいいじゃない……」
憤慨して、カタリナも試しにごくりと飲んでみる。
「ゔっ……」
驚くほどまずかった。
ローブのことや前回のお茶の挽回など、とにかく何かをしたかった。
カタリナは思いつく限りの様々な事に挑戦した。
しかし、彼女が自分で思っていたよりもカタリナは不器用なたちだったようだ。
本の整理をしようとして本の山を崩し雪崩を起こす。
高いところの本棚に戻そうとした本をうっかり落とし、あろうことかギシュファードの頭に直撃させる。
レシピ通りに作ったはずのケーキが異常にしょっぱい。
あまつさえかまどから逆流した黒煙が部屋の中に充満しあわや大惨事だった。
「もういい! もうなにもしてくれるなッ、俺様に感謝してるなら頼むからなにもすなっっ」
尊大なギシュファードが土下座をせんばかりに頼み込む、それは実に心からの叫びだった。
「ご、ごめんなさい……」
カタリナもしゅんとしょげて肩を落とし、おとなしくすることを約束するのだった。
ーー
そうしたカタリナとギシュファードの生活は、多々大変な事もあったものの、概ね楽しく愉快なものでもあった。
カタリナも、自分がおぞましい姿の怪物であることなどすっかり忘れて過ごせるのが嬉しい。
ギシュファードとの下らない言い合いも心が弾む。
時に、彼の目には自分はどう映っているのか気になることもありはした。
けれど作って貰ったフードつきのローブでカタリナはずっとすっぽり隠れていたし、ギシュファードは最初の邂逅以来、一度もカタリナの容姿に言及はして来なかった。
それはカタリナにとって心地の良い空間と日々だった。
そんなある日のこと。
「おい、カタリナ」
ギシュファードがカタリナの寛ぐスペースへとやってくる。
ふたりは共同生活のうちにそれとなくスペースの棲み分けができあがっていったのだ。
「俺様の魔力を練り上げ作ったアミュレットだ。くれてやる。これで貴様の理性も長く保てるだろう、そう簡単に怪物にはなりきらん……って、なにしてる?」
やってきたギシュファードが、ぎこちない手で本をめくるカタリナに怪訝な顔をする。
「まぁギシュファード! 随分と優しいのね!? ……ん、ふふ。これね。魔法の勉強よ。なんにもしないのも退屈だし、貴方の本棚から見つけた本に書いてあったの。月の魔力を利用した変身の術。一晩だけでも、元の姿になれたら、と思って……」
そうしてせめて、落ち着いて話すことさえできれば。
「討伐隊なんて必要ないこと、私たちが愛を交わせば元に戻れることを……ヨセフに伝えられるんじゃないかって、思うの」
今はおぞましい怪物の姿で、なにを言っても声は恐ろしい唸り声にしか人々には聞こえないが。
変身魔法を使えれば、それも解決できるのではないか、とカタリナは考えたのだ。
「フン……まぁ、やるだけやってみるのだな」
ギシュファードは気のない返事と釣れない態度であった。
しかしそれが彼の常であるとカタリナにはもうわかっていた。
彼の言葉を応援と受け取ってカタリナは微笑んだ。
変身の魔法を練習して数週間、それは満月の夜のことだった。
カタリナの姿がおぞましい怪物のそれから、プラチナブロンドに白い肌、碧玉の瞳の美しい娘へと変わっていく。
久しぶりに鏡に映る自身の本当の姿に、カタリナは感激して震えるほどだった。
「で、できた~できたわ! 見て見てギシュファード! これが本当の私よ!」
変身の魔法が上手くいったことと元の姿を一時とはいえ取り戻せたことで、カタリナは有頂天だった。
ギシュファードのもとへ飛んでいき、今の体には大きすぎるフードローブを払ってみせる。
プラチナブロンドの長い髪とワンピースの裾をひらひら翻しながらカタリナはくるりと回ってみせた。
「……」
ギシュファードはぽかんと目も口も開いてカタリナを見ていた。
「ね、可愛いでしょう?」
満面の笑みでカタリナがギシュファードを見つめて言った。
ギシュファードが何か言おうと口を動かす。
「これなら、ヨセフと話し合えるわ!」
カタリナはぱちんと手を合わせて、頬を薔薇色に染めうっとりと夢見るように笑った。
「……あぁ、そう、だな」
ーー
その夜。
変身魔法で元の姿に戻ったカタリナは、期待に胸を弾ませながらギシュファードの隠れ家を出てヨセフの元へ向かった。
ヨセフは相変わらず古城にそのまま暮らしているようだった。
森を捜索するのにも何かと都合が良いということなのだろう。
物々しい警戒のなかだったが、勝手知ったる森と自分の城である。カタリナはこっそりと忍び込み、ヨセフを探した。
「今日の月は一段と綺麗だね」
ふと風に乗り聞こえてきた声。
それは、いっそ懐かしいほどの。
愛しいヨセフのもの。
カタリナは感激に胸を詰まらせる。
(嗚呼、ヨセフ! ヨセフ! 私、やっとまた元の姿で、一時だけれど元の姿で貴方に会えるんだわ!)
カタリナは浮き足立つのを堪えて、声の聞こえた方へ向かっていく。
月明かりに薄らと浮かぶ上がる人影。見間違うはずもない、美しい銀髪の恋人。
「ヨセフ」とそう声を掛けようとして、しかしカタリナはハッと息を飲んだ。
そこにはヨセフが他の女と抱き合う姿があった。
(え……)
カタリナの心が一瞬で冷えていく。
ガラガラと足下が崩れ去っていくように感じられた。
よく目を凝らしてみると、それは古城に共に来た下働きの女のようだった。
「あ、こんなのダメです、誰かに見られたら……」
「大丈夫、みんな外の怪物に夢中で中のことなんか気にしちゃいない」
「でも……」
「いいから、僕に全部任せて……」
それは、カタリナには見せたこともない恋人の、欲望の露わな顔と声で。
カタリナはただただ言葉を失って立ち尽くした。
(ウソ、あれがヨセフ? 本当に? もう私のことは忘れてしまったの? いまはあの下女と愛し合っているの……?)
「でも、まだ例の化け物、生きているんでしょう?本当に大丈夫なのかしら」
「だから腕利きの連中を雇ったんだろ。化け物でもいつまでも生きてられると厄介だからな、お父上たちが儚い希望を抱く」
「あの妹も、なんだかあたしたちのこと疑ってるみたいで嫌な感じだわ……」
「あぁ、そうだな……あっちも、そろそろ同じ目にあってもらうか……姉妹だからな、同じ病にかかっても不思議はない」
「ふふ……わるいひと……」
満月の夜に照らされた中庭の、綺麗に咲いた花の陰で、クスクスと笑い合う男と女。
彼らが語り合う言葉の意味は、カタリナにはわからない、わかりたくなかった。
ひどくおぞましいもののように思える。
「もう、すぐ……ンッ、この、お屋敷も領地も、貴方のモノになるのね? 旦那様……」
「あぁ、そうさ。そして、君のモノになるんだぜ、未来の奥方殿」
パチン。
カタリナの中で何かが弾ける。視界が真っ白になって、赤々と明滅した。
ウォオオオオオオオン!!
身の毛もよだつような恐ろしい咆哮が夜をつんざく。
「きゃああ、ば、化け物!!」
「な、なんだ、……なんでお前がここに!?」
慌てふためくヨセフの声が聞こえる。聞こえない。
カタリナは無我夢中だった。
鋭い爪の伸びる剛腕で、ヨセフとその恋人気取りの女を斬り裂く。
(シネシネシネシネシネシネシネシネ!!)
憎しみに支配され、完全に理性なき怪物となって。
「なにごとなの……! まさか、お姉様!? お姉様なの!? そこにいるのは、カタリナなの!?」
ふいに聞こえた、懐かしい声。可愛い妹の。
カタリナは一瞬ハッと意識を取り戻すと、血塗れのヨセフたちをその場に残し、妹のエメリスに一瞥をくれて。
一目散に駆け出し森へと逃げていく。
古城は騒然とし、その知らせは瞬く間に村まで届いてまた大騒ぎとなった。
――
「うそつき! 殺してくれるって言ったのに!」
「ば、ばかもの、俺様にも予定や都合ちぅもんがあるわ!」
「傷付けてしまったわ! 身も心も化け物になってしまったわ!」
ギシュファードの隠れ家に戻ると、散々彼を罵倒して、それからわぁわぁと泣き伏した。
「落ち着け! よく考えろ! 相手は貴様を騙して、いいや、家族中騙して財産分取ろうちぅ畜生にも劣る悪党だぞ!? 次は妹も手に掛けようって魂胆なのだろう!? ならやっちまえばよかったではないか!」
「そんな簡単な話じゃないわ、貴方には人の心がわからないの!?」
ギシュファードは困った。何がどう簡単でないのかわからないのだ。そんな不合理な人の心などわかるわけはないと言いたかった。
「おそらくソイツ、どこぞの呪術師にでも依頼したんだろう。それともその女が術師の端くれかだが。貴様に甘い言葉で近付いて惚れさせて、変容の呪いを仕掛けていったんだろうな。貴様が化け物のようになっていくなか変わらぬ愛を見せて求婚となれば、本人家族みんな感激感謝の雨霰。そんでまんまと結婚したら貴様を葬る手筈だったが思ったより手強かったと。悪辣で間抜けだがそこそこやり手!」
「そんな……、私が、こんな姿になったのも彼の目論見……? まさか、両親や妹も、私と同じ姿にされてしまうの?」
「さぁな、同じ呪いを掛けるとは限らん。もっとわかりやすく病や毒を使うかもしれん」
その方が都合がいいだろう、と言ったギシュファードににクッションが飛ぶ。
「最低よ!」
わぁっとまた泣き伏すカタリナだった。
ーー
それから数日。
森は更に大きな討伐対が怪物を探して騒がしくなっていた。
「クソッ。あれからまた森があちこち騒がしい。大勢が貴様を探して」
ギシュファードのその言葉に、カタリナはふらりと立ち上がる。
出口へと。
「おい、どこ行く!? 森は騒がしいと言ったばかりだぞ!?」
「えぇだから決めたの。ねえ、お願いしてもいいかしら」
真剣な、静けさを湛えたカタリナの瞳がギシュファードを見据える。
その眼差しにギシュファードはたじろぐ。
「な、なんだ……!?」
「彼とその恋人は私が始末する。私をこんな姿にしたこと絶対に許さない」
カタリナは目を伏せた。自らが完全な怪物となることを、自身に許すことにしたのだ。
「それでね、全部終わったらね、私の体を跡形もなく焼き尽くしてほしいの」
ギシュファードが金眼を見開く。
「なんだそれは。なんでそうなる? そこは私を守れとか助けろとか、そういうところではないのか!?」
「助からないじゃない。……そうでしょう? ヨセフは私を愛してなかった。真実の愛なんてなかった。私はずっとこの姿のまま。ヨセフと彼女を殺せば、晴れて心まで怪物よ! ……だから、お願い。史上最強の孤高の魔導師の貴方ならできるでしょ?」
「……あぁ」
「良かった! これで安心。……あ、ひどいことたくさん言ってごめんなさい。お茶ちっとも美味しくいれられなかったし。でもね、貴方と過ごした時間、ほんの短い間だったけれどとても楽しかった。魔法の勉強もね。ふふ、私の好きになったひとが、貴方なら良かったのにね」
怪物の姿のまま、カタリナはグルルと笑うと、静かに外へと出ていった。
ギシュファードはひとり、取り残された。
ーー
森にはクワやスキ、斧やカマを手にした村人たちと、怪物退治に派遣されてきた騎士団、そしてヨセフに雇われた腕自慢の傭兵たちがいた。
実に物々しい様子であった。
「必ず見つけて絶対に息の根を止めろ! 絶対だぞ!」
包帯にギプスで腕を吊ったヨセフが討伐隊にがなりたてる。
その様子はひどく怯えているようでもあった。
(ああ、見つけたわ、ヨセフ。貴方だけは、許さない……。私をこんな姿にして、更にエメリスにまで手を掛けようなんて!)
グオオオオオン!!
恐ろしい咆哮が森を震わせる。
その声にひっと村人たちが怖気付く。
カランと武器を取り落とす者も居た。
「怯むな! やれ! 殺せ! はやく!!」
そう後方でがなり立てるヨセフの元へ、立ち竦む村人たちの脇をビュンとすり抜け、カタリナは風のように駆ける。
そうしてすぐ眼前、鞭のようにしなる剛腕を振りかぶり、ヨセフに振り下ろす。
「う、うわぁ!」
怯えるヨセフの前に、騎士団のひとりが立ち塞がり、盾を突き出した。
ガァンッ!
剛腕を盾で受け止め、騎士がヨセフを庇う。
「どいて! そいつ以外用はない!」
しかしカタリナの言葉はただおぞましい咆哮となって聞く者に響く。
その声に騎士とて怯んだ。
カタリナはその騎士の頭をガッと掴んで飛び越え、再度ヨセフに迫る。
「貴方だけは、許さない! よくも……!」
「わ、悪かった!! 俺が悪かった、本当に愛してるんだ! 許してくれ、カタリナ!!」
「っ!!」
名前を呼ばれ、必死に謝り愛を叫ぶヨセフに、振りかぶるカタリナの腕がにぶった。
それは一度は愛した男への思慕の未練か。
ほんの一瞬の躊躇。
ドスッドスッドスッ!
その一瞬に、体を貫く数多の矢。
(あっ……)
目の前が暗くなる。
一矢報いることも叶わず、カタリナの体が地に伏していく。
「は、はは、ははは。ざまぁないな! 化け物が!」
倒れ伏したカタリナの頭を、ヨセフはガツンと蹴り飛ばした。
びゅぅ。
不吉な風が吹き抜ける。
「なんて甘いんだ、貴様は。だが、俺様はそうではない。嗚呼、そうではないぞ……」
「誰だ……!?」
不意に聞こえるやけに不遜な声に、ヨセフが警戒するように周囲を見渡した。
「ひとの森でギャアスカピーピー騒ぎよって。あまつさえ、俺様の……。えぇい、不愉快だ!」
人々の遙か上空に現れたギシュファードが、両手を天に掲げた。
晴れていた空はにわかにかき曇り、突如ゴロゴロと稲光が走る。
「疚しき者、罪ある者には雷鎚の裁きが下る! 我こそは罪なき無辜の者なりと言える者だけ残るがいい! だがどれほど謀ろうと罪は暴かれ、雷は過たず貫くぞ!」
ピシャァン!
稲妻が迸る。
それを見た村人たちが手にした武器を捨て、地に頭を伏せ、祈るように両手を合わせた。
「い、言い伝えの雷鎚だ! 雷鎚の裁きだ! ひぃ、ごめんなさいごめんなさい!!」
村人たちが一斉に謝り出す。
それを見た騎士団は狼狽え、ヨセフは苛立ちを露わにした。
「なにが裁きだ! なんだかしらんがあれも所詮怪しい呪い師の類いだろう!? あぁ、そうか、カタリナがこんな姿になったのもあいの仕業だ! そうだ次はエメリスが狙われるかもしれない! 全てあの呪い師が! アイツが元凶だ! おい、なにしてる! 次期領主の俺が言ってんだ、はやく奴を射殺せよ!」
ヨセフが騎士に命じると、騎士は怯えながらも矢を番え、空に浮かぶ魔法使いに向けて矢を射掛ける。
バヂ、バリリッ!パァン!
それらは迸る天空の稲光により叩き落とされていく。
「愚か者どもが! だが最も愚かなのは貴様だ! 嗚呼、いや、貴様か!? えぇい、もうっ!!」
ヨセフに言ったそのあと、倒れ伏したカタリナに。
ギシュファードは苛立ったように頭を掻きむしると、カタリナに手をかざした。
「来い!」
カタリナの体が浮かび上がり、ギシュファードの腕の中に抱きかかえられる。
「……バカ女が! ……くだらんこと言いおって……! ウソだったら、貴様も、雷の餌食になるのだからな!!」
と、何やらぎゃんぎゃんと吼えていたが。
怪物の尖った牙がゾロリと並ぶ大きなその口に、えぇいままよ! とギシュファードは口付けした。
どよっ、と、地上がざわめく。
カッ! と強い光が怪物の体を包み込み、溢れて、その光が収束していったころ。
カタリナの、美しいプラチナブロンドの娘の姿がそこに現れていた。
「あっ、あれは!」
「カタリナ様! カタリナお嬢様だ!」
ザワザワとどよめく村人たち。
ただ呆然とそれを見上げるヨセフ。
パチパチと瞬き、碧玉の目を開くカタリナ。
彼女のその瞳に映ったのは、苦虫を一億匹分くらい一気に噛み潰したような顔で見つめているギシュファードだった。
カタリナが、そっと、人間の手で彼の歪んだ頬を撫でていく。
「なんて顔してるのよ」
「こんな……! 下らんニンゲンどもの世迷言に巻き込まれて、俺様の静かな孤高の暮らしが狂わされたのだぞ!?」
カタリナが思わずといった風に笑う。
「そう、ご愁傷様ね。でも、おかげでわかったわ。私、やっぱり貴方を好きになるべきだって。うぅん、もう好きよギシュファード!」
カタリナはギシュファードの首にぎゅっと抱きついた。
雷鳴轟く空の上で、何が起きたのかもわからずに、ただただ親密に抱き合うふたりを呆然と見上げる人々。
その中で、そろそろと後退り、逃げ出すヨセフの姿があった。
その体を、迸る稲光が貫く。
ピシャァン!
「ぐわぁぁあ!!」
もんどり打って倒れていくヨセフ。
それを見てカタリナは眉を下げた。
「ヨセフ……」
「どうする、もう一発二発食らわすか、それともサクッと息の根を止めるか! はたまた!! ……醜いバケモノにでも変えてやるか」
同じ目に遭わせてやること造作もないぞ、とギラギラと獣じみた眼をしながら言うギシュファードに、カタリナはちょっと遠い目をした。
ゆっくりと首を横に振る。
「それは可哀想だから。もう二度と悪いことできないようにして。ちゃんとすっかり反省するまで、良い子で居られるように」
ギシュファードはフンとつまらなそうに鼻を鳴らして、手をかざした。
「愚か者に最後のチャンスを与えてやろう、これなるは慈悲の罰にして魔導の戒め。かの者をか弱く囀る小鳥に変えよ!」
パァンと光が弾け飛び、倒れたヨセフの胸を貫いた。
そのまま光は彼を包み込む。
そうして数瞬の後、ヨセフの体はピィピィと美しく囀る小さな銀色の小鳥となっていた。
「ありがとう、私の孤高の魔導師様」
カタリナが微笑む。自称史上最強にして孤高の魔導師は、視線を明後日の方へ向けて、フンと鼻を鳴らした。
――
後日。
小鳥のヨセフは鳥籠に捕らわれて憲兵隊に連れて行かれ、その恋人で下働きのオルテも屋敷の物を盗んでいたことで捕まった。
「違うわ、盗んだんじゃない! 旦那様に頂いたのよぉ!」
とは言うが、その旦那様であるヨセフも廃籍されるので彼女の言い分がどこまで通るか。
「カタリナ、本当に行ってしまうのか」
「お姉さま……」
「お父様、お母様、エメリス。ごめんなさい、勝手なことを言って。でも」
カタリナはぎゅっと胸元で手を強く握り、頷く。
「あの人と一緒に居たいと思ったの。だから行くわ。不甲斐ない娘で本当にごめんなさい」
「私たちこそ、長いこと気づいてやれずお前をどんなに苦しめたか」
「カタリナ、いつでも帰ってきていいのよ、ここはあなたのうちでもあるんだから」
両親がそれぞれカタリナに言葉をかける。
妹のエメリスが、
「お姉さま。どうか、お幸せに……」
「エメリス、あなたも。幸せになるのよ」
姉妹は抱き合って別れを惜しみ、やがて離れて微笑み合った。
カタリナは家を後にする。
その先には、深い森の中に佇むギシュファード。
「もういいのか」
彼のその腕にしがみつくように腕を絡めながら、カタリナは微笑んだ。
「えぇ、もういいの。会いたくなれば会いに行くわ。あなたがいつまでも寝ていて起きてこない時だとか、ね」
孤高の魔導師はフンと面白くなさそうに鼻を鳴らした。
そしてぐいっとカタリナを抱き寄せる。
ひゅうと吹く風が、ふたりを乗せて何処かへと飛んでいくのだった。
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