サキュバスと聖職者-9


果てて気を失うように眠りに落ちた司祭様をちょっと狭いベッドに寝かせ、私は森の中を行く。
獣魔の魔力の気配を辿りながら。
体には力が漲っている。さっきは黒い障気のモヤの中に入っただけでも体が重く感じたけれど、これならきっと戦える。

森の中を進むごとに獣魔の気配は濃くなっていく。さっきまでの私なら、この濃厚な魔力の残滓程度にもあてられて気分も悪くなっていただろう。
少しだけ肌がピリピリした。
すえたような嫌な臭いが強く匂ってくる。
土がぐちゃりとぬかるんで、ボコリと沸き上がる気泡が弾けると腐ったような鼻をつく臭いは一層強まった。

獣魔の住処は近い。
本能がそう告げる。
ビリッと神経を直接引っ掻いてくるような、縄張りを主張する敵意みたいなものが渦巻いていた。
私は手を握り、その内側で魔力を練り上げていく。相手は獣。群れで動き、素早い。油断は禁物だった。

とぷ、ん。
分厚い空気の膜をくぐる。
濃く深い障気の中。獣魔たちの縄張り。
いつの間にか、気配は右に左に前に後ろにとあった。囲まれている。

“ぐるぅああああああ!!“

空気を震わせ鼓膜を突き破り、内側の魂そのものを揺さぶって平伏させようとするおぞましい雄叫びが響き渡った。

「っ……!」

ビリッと体が痺れる。
さっきと同じように、私の体から力が抜けそうになった。
奥歯を噛み締め気力を振り絞り耐える。いける、大丈夫、耐えられる!

「さっきまでのアタシとは、違うわ!……覚悟してね、ジューマちゃん!」

“ぐぅ、るるるるる……ギャオオオオ!”

獣魔は縄張りに入ってきた私が怯まないことに狼狽えたようだった。
さっきより強い雄叫びが響く。それが号令だったのだろう。
一回り小さい子分たちが、一斉に私へと飛び掛かってくる。

「そうよね、そうくるわよね!でも言ったでしょ、さっきまでのアタシとは違うって!」

飛び掛かってくる獣魔たちに、手の中で練り上げた魔力を鞭に変えて振るった。

びゅおん!

と空気を切り裂く音と共に繰り出す魔力の鞭は、私の尻尾のように自在に動く。
獣魔たちをバチン!と叩き、打ち、地面へと落としてやる。

“ぐぅ、るるる……!”

魔性とはいえ獣。自分より格上だとわかると意気が削がれるようだった。親分獣魔は、子分たちが鞭ではたき落とされたことにますます狼狽えたように唸り、僅かに後退する。

「逃がさないわよ、ジューマちゃん!」

腕をひゅっと振り、長くしなる鞭を鋭い短剣へと変形させながら私は親分獣魔へと飛び掛かっていった。

“グゥルァアアアア!!”

親分獣魔が唸り雄叫びを上げながら牙を剥き出し、飛び掛かろうとする私に食らいつこうと口を開く。
その牙を掻い潜るように中空で体を捻り、その鼻っ面に魔力の短剣を突き立てる。

「やっ……た、ひゃン!?」

“ガァァアァァア!!”

一層強い雄叫び。ブンッと頭を揺する獣魔の強い力に振り回されて私の体が地面に叩きつけられる。一瞬息が詰まった。
獣魔の大きな力強い前足が私を踏み付ける。
私は急いで新しい魔力を練った。獣魔の剥き出しの鋭い牙が並ぶ口が大きく開く。

(このままじゃ食われる!)

けれど練り上げた魔力を叩き込むにも、強い力に踏み付けられて動きは鈍る。
あと少し、絶対勝てると思って油断した。
牙が私の首に突き立てられる!その瞬間。

バチィ!
と青白い何かが目の前で弾ける。獣魔の顔が大きくのけ反り、押さえつける力が緩んだ。
溜め込んで練り上げた魔力をその体に叩き込む。

ヴォッ!
と黒い球が獣魔を捉え飲み込んでいく。

「は、はぁ、こ、今度こそっ……」

やった。やれた。親分獣魔と共に子分たちも残らず全部黒い魔力の球に飲み込んで。
それはやがて小さく収縮してぎゅうぎゅうに縮まり、パンと弾けて無に還っていった。

パチャ、とぬかるみを踏む音。
まだ残当が!?そう思って振り返ると。

「……やれた、ようだな」
「ぁ、……司祭様。どうして……」
「あまり、見くびらないでくれ。私は……、私とて、しかと修練も積んだ退魔師なのだぞ……」

修練?そうなの?いまいちピンと来なかった。
けれど、食われると思ったあの瞬間弾けた青白い光は、司祭様が放った雷撃……だった気もする。

「二度も、助けられちゃった……。あの鈍臭い司祭様に!」
「言うことはそれだけか!?」

私は体を起こして立ち上がり、司祭様のもとへふわりと飛んで行く。
苦々しそうに渋面を作るそのこけた頬に、ちゅっと軽いキスをして。

「ふふっ、冗談。ありがと司祭様。カッコ良くてビックリしちゃった」

せっかくお礼も言って褒めたのに、司祭様の顔はますますいかめしく顰められた。
それが少しおかしくて、けれど無性に可愛くもある。

「アタシたち、いいパートナーになれるわね」

司祭様からは、ふん、と鼻を鳴らすだけの返事。
でも否定はなかった。

私はやっぱり笑って、夜が明ける前に退散することにしたのだった。

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