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チラシ配りのうた 7

今日もおなじようにチラシを配るひとと出くわした。今日のひとはちょっと若い小柄なひとだ。一瞬目があったがそのあとは見ない。なぜだか視線を合わせてはいけないような気分になる。

そのひとも動きがきびきびとしている。スタスタスタと歩を進め、サッサッサッとチラシを突っ込んでいく。そのひとが立ち去ったあとの郵便受けの蓋はその勢いが余ってゆらゆら揺れていた。

地図を片手に郵便受けはどこじゃどこじゃときょろきょろしているわたしと違ってすばやく通りから通りへと渡っていく。気がつくと居なくなっていた。きっと自らが課したノルマのようなものがあって、能率よく動いているにちがいない。

わたしは担当の山崎さんから「ブロックを崩していくように」と注意された。通りから通りに渡っていくと路地に入り損ねてしまうのだ。地図を見ながら路地に入り、また舞い戻る。路地から出てくると、一瞬自分の居場所がわからなくなって番地をみて地図を確かめ、ああこっちこっちと歩き出す。そりゃあ時間かかるわ。

いやいや、時間がかかるのはそれだけではない。わたしはどうもなにかに見とれてしまう人間らしいのだ。

小津映画に出てきそうな家、固定資産税の高そうな家、崩れそうな家、ゴミが溢れる家、ピンク色の洋館、大量の洗濯物が風に靡いているベランダ、貫禄のありすぎる面構えの良い猫、風呂屋の煙突、葬儀屋さんのエレベーター、路地を歩くアヒル、そんなものに出会うたびにへえーと驚いたり感心したり、うれしくなったりして立ち止まって見とれてしまう。

そして時にはそこにいるひとと言葉を交わしたりもしてしまう。


「そのひとをまつねこ」 
総白髪の老婦人が買い物袋を重そうに提げて、ゆっくりと坂を上ってくる。眼鏡をかけた上品そうなひとだ。すれ違う前に幅60センチくらいの細い路地へ入っていった。こんなところにあるとは普段気づかずにいた。入ってみた。
路地の奥でさっきの老婦人が誰かに話しかけている。「ごめんね。買い物してたら。おそくなっちゃったのよ。お腹すいたでしょ」ドアが開けたままなので、そんな言葉が耳に届く。
「さあさあ、さあさあ」といいながら老婦人が出てきた。その前を白と黒のぶちのねこが歩いていた。ぶちねこは日のあたるドアの前でごろんと横になった。おばあさんがかがみこんでそのお腹をさすっている。
「気持ちよさそうな顔してますね」と声をかけた。老婦人は照れくさそうに「帰ってきたから、安心したんでしょう」と答えた。なおもその背を撫でながら、ぽつりぽつりと話す。「元はノラだったんだけどね。なんかなついちゃってね。自分のこと、ねこだとおもってないんですよ。大通りに出ると自動車がきてあぶないよ、路地の入り口までだよって言い聞かせるとね、そこまで、見送ってくれて、帰りもそこで待っててくれるんですよ。今日は遅くなっちゃったもんだから、心配したんでしょうね。顔見たから安心して、こんな顔してるんですよ」
光のなかで、虹彩が縦に細長くなっていたが、それでもなんだか柔和そうなねこの顔だった。その家の表札は女名前で出ていた。

だとか、

「どんぐりころころ」
路地の突き当たり近くに、おんなのこがひとり、門の前で、ぺたんと地べたに足を投げ出して座っていた。
ピンクのTシャツに包まれた小さな肩に茶色い髪がふわりと広がっている。細い足に白い靴が不釣合いに大きく見えた。わたしの顔をみると、表情を変えず、立ち上がって寄ってきた。
すっと細い腕を差し出して、小さな手のなかのものを見せる。手首ちかく血管が白い肌に青く浮き上がっていた。
「これ、どんぐりなの。マテバシイなの」
「まあ、たくさんあるのね」
「1,2,3,4、・・・11.11個あるの。わたしがひろったの」
「へー、そうなの」
「おばさん、公園知ってる?知らないの? ここまっすぐ行ってちょっと横を入っていくの」
「そうなんだ。たくさん、独楽ができるね」
「どうするの?」
「爪楊枝さすのよ」
「そう、これマテバシイのどんぐりなの。独楽になるの。11個あるの」
女の子は建物の隙間から差し込む西日のなかで、独り言のように、鼻歌のようにことばを繰り返す。首を左右に振ると髪が金色になって揺れる。
わたしが行きかけると、ねえー、と猫が足元にまとわりつくような声を出す。表情のわかりづらいはれぼったい一重まぶたの下の眸がわたしを見上げる。
「ろくにち、にね、学校からみんなで秋探しにいくんだよ」
「へー、おもしろそうだね」
「イチョウとか落ち葉とかどんぐりとか、探しにいくの。あの公園にもいくの。あっ、これオシロイバナの種。なかに白いのがはいってるの」
他所の家らしい庭先にお構いなしに入っていく。黒い土の上に正座して次から次へ種を取る。そしてまた、それをわたしに見せる。
「ああ、そうだね。白いの、顔にぬっちゃダメだと。痛くなっちゃうかもしれないからね」
「ふーん」
「ね、おばさん、もういくね」
「おばさんおばさん、どんぐり、靴のなかにいれちゃった。ほら、見て。11個全部はいっちゃった」
「えー、痛くないの?靴が大きいの?」
「靴は20センチなの」
「そうかあ。じゃあね。おばさん、いくね。バイバイ」
「バイバイ。おばさん。またどんぐり見せてあげるね。マテバシイ」
振り返ると、こちらを見ていた。夕日が沈みそうだった。小さな膝小僧が泥で汚れていた


だとかのはなしはその折のことである。

今日も今日とて、路地の突き当たりの手前で仕事をする畳職人さんに出会った。地べたに広げた青いシートの上で片ひざ立てて、大きな針でスイスイと縫い進む。肘をたたみに当ててキュッとしごく。それがカッコいいのだ。畳を切断する小刀がまたいい形なのだ。小さいときから畳職人さんの仕事ぶりを見るのが大好きだった。

チラシを入れた後、例によってそのひとの手元を見つめていると、70歳くらいの職人さんが顔をあげて「何配ってんだい?」と聞く。

こちらを向いたそのひとの帽子の下から白髪が見え、開いた口元から隙間の開いた歯が見えた。ちょっと笑っている。

「不動産屋のチラシ」
「へーそうかい」
「一枚5円だよ」
「へーいいじゃないか」
「でもマンションとかアパートはいれちゃいけないんだよ。一戸建てだけだよ」
「マンションだといっぺんに済んでいいと思ったけど、そりゃあたいへんだな」
「畳の景気はどう?」
「だめさ。今はどこもフローリングだからさ。畳なんていらねえのさ」
「でも台風で浸水したとこじゃあ畳入れるのがが大変らしいよ」
「ははっ、関西に行くかね。ま、あんたもがんばりな」

うんうん、頑張るよと頷きながらまた歩き始める。そして、そういえば、と思い出す。

改装中のお宅にチラシを入れたとき、中からなにやら建具を抱えた男の人がホッホッホッといいながら出てきたことがあった。大工さんか建具屋さんだろう。玄関先でこちらをチラッとみたそのひとは「おっ、ごくろうさん」と声をかけてきた。

そのときもその言葉に励まされたのだった。一枚5円のチラシ配りを励ましてくれるひとがいる。手の仕事、体の仕事をしているひとの励ましはすーっとこころのほんとうのところに沁みてくるなあと思ったことだった。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️