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忘れるひと

加齢とともに薄れる記憶。容量が少なくてあふれいってしまうのか、思い出せないことが増えていく。

転勤族だったからか、転居の度に一からの仕切り直しになって、あたらしい場所でまたひとと出会う。その数が増えていくと、初めのころの出会いが押し殺されるように消えてしまう。

その後の付き合いかたの濃さにもよるのだが、同じ時期にであっても、おぼえているひととわすれるひとがいる。

書き残した文章のなかで、記憶をたどり、その時は思い出したのに、その後、またわすれていて、これはだれだっけ?と読み直し、あー、あのひとか、と膝を打つ今。

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古い住所録にokudaという名があった。住所は大阪府枚方市になっている。その人とは年賀状の行き来すらなく、ずっとそれがだれなのか思い出せずにいた。

28年ぶりに大学のクラス会があり、そのクラス写真を見る機会を得て、次第に当時の記憶が蘇ってきた。

そのクラス写真には100人あまりの女子大生が写っていた。そのなかにokudaさんがいた。名前だけだと思い出せなかったのだが、顔をみると膜がはがれるようにその当時の彼女の記憶が現れてくるのだった。

クラスは名簿の前半と後半に分けてカリキュラムが構成されたので、後半組だったわたしは、ゼミや教育実習などでいっしょになったひとをのぞいて、苗字が「あ~そ」で始まる前半組のひとのことをよく知らなかった。

だから「お」で始まるokudaさんのことは知らないはずなのだが、彼女とは英会話学校でばったり同じクラスになったのだった。四条大宮あたりにある学校だった。

彼女は先天性なのか何かの後遺症なのかわからないが、どちらかの半身にすこしだけマヒがあった。言葉もゆっくりで少々聞き取りにくいこともあった。

わたしと同じクラスということはあまり会話が得意ではないということなのだが、彼女の英語はゆっくりでも的確だった。わたしよりずっと単語力があった。

旅行代理店という単語がなかなかうかんでこなかったときに「travel agency」とこっそり教えてもらったような記憶がある。

環という名前はなんていい名前だろうと思っていた。なにかを囲むという意味があるからだ。ひととひとが繋がっていく感じがしたからだ。

なのにわたしはokudaさんを忘れていた。

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全てを覚えているわけにはいかないのだから、書き残しておくことの意味はそこにあるのかな、と思う。

誰かに読んでもらうことは、表現の醍醐味だと思うが、あたしにとって書くことは自分を記憶を残す意味も大きいのだと思う。

そのうえであたしの記憶のなかのひとのありかたやいとなみの姿が、誰かの記憶に残ればなお嬉しい。


読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️