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文の文 1

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文というハンドルネーム、さわむら蛍というペンネームで書いていた作文をブラッシュアップしてまとめています。
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#透明ランナー

ざつぼくりん 27「透明ランナーⅥ」

ざつぼくりん 27「透明ランナーⅥ」

僕の転居を知った幼なじみの仲間たちが、卒業式が済んだ後、お別れのキャンプを計画してくれた。みんなで神奈川県の丹沢まで行った。

夜、黒々と茂る森林を背景に燃え上がるキャンプファイヤーを見ながら僕たちはいろんなことを話した。

純一が将来建築家になりたいという夢を語ったかと思うと、シンヤはロックシンガーになりたいと言い、マコトはラーメン職人になるなんて言い出した。

僕にはみんなのような夢がなかっ

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ざつぼくりん 26「透明ランナーⅤ」

ざつぼくりん 26「透明ランナーⅤ」

食事が終わってからテレビがつき、僕らは野球中継を見た。孝蔵さんはジャイアンツファンだから勝負の行方次第で機嫌が変わった。大負けした日には別人のように機嫌が悪い。そのあとのニュースにいちいち文句をつけたりした。特に政治家の悪口は辛らつだった。 
  
志津さんもジャイアンツファンで、昔のジャイアンツ黄金時代のメンバーの名前を教えてくれた。野球選手の名前も背番号もインフィールドフライだとかタッチアップ

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ざつぼくりん 25「透明ランナーⅣ」

ざつぼくりん 25「透明ランナーⅣ」

あの家の縁側から庭にむかって座って、足をぶらぶらさせながらスイカやトマトをみんなでいっしょに食べた。

あの夏、あの家で食べた物はごく普通の献立だったが、美味しかった。同じものを今食べてもなんだか違う味がした。あの銭湯で、あの家で、あの庭で、あの純一といっしょに飲んだり食べたりしたから、どれもあんなに美味しかったのだろうか。

あの家の柱のそばに風の通り道があって、そこだけひんやりした。僕はなんと

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ざつぼくりん 24「透明ランナーⅢ」

ざつぼくりん 24「透明ランナーⅢ」

僕は小学校三年の夏休みをまるまる純一の家で過ごした。

母が病気で入院した。詳しい病名は知らされてなかったが、たちのよいものではなかった。このときが最初の入院だった。家のことは一切母にまかせっきりだった父は途方にくれた。

万事入院している母に指示を仰ぐ始末だった。母の言葉に従って、弟は小さいから母方の祖母の家に行き、僕は夏休みのあいだだけ純一のところにあずかってもらった。

「純一はひとりっこだ

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ざつぼくりん 23「透明ランナーⅡ」

ざつぼくりん 23「透明ランナーⅡ」

僕が幼稚園年少組のとき弟が生まれた。早産で未熟児だった。退院しても親は神経の張った子育てを強いられていた。しかし、薬品会社の研究所に勤めていた父は仕事一辺倒だったので、母がいそがしくひとりでなにもかもをこなしていた。自然に僕は他所の家へ遊びに行くことが多くなった。

僕とシンヤが住む団地から坂道を下って五分のところに純一の家があった。十年あまりの間、来る日も来る日も転がるようにその坂を下って純一を

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ざつぽくりん 22「透明ランナーⅠ」

ざつぽくりん 22「透明ランナーⅠ」

雨が止んでなにげなく見上げた空がずいぶん高くなったと気づく。季節はそれとは知れぬ間に空気の成分を変化させ、僕らの住む海辺の小さな町の色あいを少しずつ変えていく。

海につながる運河の岸には白やピンクのコスモスが群れて咲き、鶏頭の花の血赤色がその風景をひきしめる。澄んだ空気につつまれた町は今年もまたちいさな秋祭りのしたくをはじめた。

家々に提灯がさげられ、ひとけがなく静かだった鳥居のむこう側に、に

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