見出し画像

ざつぽくりん 22「透明ランナーⅠ」

雨が止んでなにげなく見上げた空がずいぶん高くなったと気づく。季節はそれとは知れぬ間に空気の成分を変化させ、僕らの住む海辺の小さな町の色あいを少しずつ変えていく。

海につながる運河の岸には白やピンクのコスモスが群れて咲き、鶏頭の花の血赤色がその風景をひきしめる。澄んだ空気につつまれた町は今年もまたちいさな秋祭りのしたくをはじめた。

家々に提灯がさげられ、ひとけがなく静かだった鳥居のむこう側に、にわかに人が行き来しはじめ、社務所では神輿だの神楽だのという言葉が張りのある声に乗って飛びかう。

神社前に看板が立ち、寄付をしたひとびとの名前が誇らしげにならぶ。祭りはみんなのものだとならんだ名前が教える。志水時生殿、ちいさく僕の名前もならんでいる。

夕闇がひたひたとひろがりゆき、やがてこっくりと町をつつむころ、僕と華子は絹子にたのまれた卵のパックを抱えておつかいから帰る。

墨色に染まり始めた空を見上げ、星を見つけながら歩けば、心地よい秋のはじまりの風が追いかけてくる。風は街路樹をかろやかに躍らせ、雑草をいとしげに撫で、ひとびとの足音と虫の声とにぎやかなお囃子の音を運んでくる。

華子が耳をすませ、音を聞き分ける。そして僕を見上げて言う。

「時生さん、なんか笛の音がするね、」
「あれはお囃子だよ。ここいらのお祭りが近いんだ。町内会館でみんながおさらいしてるんだよ」
と説明すると華子が「へー、お祭りなの」と声を弾ませる。

「ああ、夜店もお神輿も出るよ。いっしょにいこうね」
「うん」

「子供のころ、僕も純一といっしょに太鼓を叩いてたよ。平太鼓っていうやつ。僕はぼちぼちだったけど、純一はうまかったな。なにやっても勘がいいんだよな、あいつ」

「ふーん。ね、純一さんってだれ?」
華子が何気なく純一のことを聞く。

「純一かい? 僕の幼馴染みだよ」
と何気なく答えたつもりだったが、思いがけず僕のなかにその名がとどまり、静かに波紋を広げていった。

薄闇にまぎれる細い路地に、お囃子が流れていく。その音を追うように、傷だらけのひざ小僧を見せて幼い僕が駆け出していく。ここにはいない純一を探しに行く。

沢村純一。利発そうな瞳と器用な指先と疲れを知らない脚を持つ、大工のひとりむすこ。親よりも早く逝ってしまった僕の友達。

水族館と競馬場のあるこのちいさな海辺の町で、幼稚園から中学まで、春夏秋冬、どの季節も僕は純一といっしょに過ごした。

いや、同級生のシンヤやマコト、何人かのおんなのこたちも混じって子犬がじゃれあうように、いわば下町風に僕らはいっしょに育った。

仲間の記憶は、雨上がりの幼稚園のから始まる。お寺さんの境内のなかにあるちいさな幼稚園で、気がついたらそばに僕より頭半分くらい背が高い純一がいた。考えてみれば、その後も僕の背が純一を抜くことはなかった。

ちいさなブランコの下に水たまりができていた。僕たちはそれに映った雲を踏みしめた。純一が最初に踏む。泥水が飛ぶ。そして僕のほうを見て誘うように不敵に笑う。

僕も負けてはいない。二回踏んで得意げに笑い返す。それがだんだんエスカレートしていき、まるで地団太を踏むように連続で泥水を飛ばした。そこへシンヤもマコトもやってきてみんなで競うように泥水を跳ね上げた。

半ズボンはもちろん、幼稚園の水色のスモックにまで泥水が跳ね上げる。おかまいなしで踏み続けた。迎えにきて、果てがないようにしゃべり続けていた母親たちがようやくそれに気づく。と、血相変えて「あんたたち、なにやってんのー」と大声出しながら飛んでくる。

その場でどの子もそれぞれの親にひどく叱られた。叱られながら見上げた純一の大きな目が笑ってた。そのときから僕らは友達だった。

お囃子は町内会館でさらった。会館の打ちっぱなしのコンクリートのくつぬぎにはいつも子供のサンダルがあふれていた。僕らは小学校にはいる前から正座と挨拶の仕方を叩き込まれた。それは背骨の延びる時間だった。

商店街の愛想のいいおじさんが大太鼓を叩くとその瞬間に違ったひとになった。自分たちもいつか大太鼓をあんなふうに力強く叩いてみたいと思い、おとなになるのが待ち遠しかった。

純一は最初から太鼓がうまかった。

「そりゃあこの子はお腹の中にいるときからとうさんの太鼓聴いてたんだからね」
と志津さんが言っていた。

建て直す前の会館はほんとにボロだった。廊下も部屋も、どこを歩いてもギシギシと軋むように鳴った。

笛を太鼓と鉦とあのギシギシはセットになって耳の奥に眠っている。新しい会館はきれいで使い勝手もいいが、時々あのギシギシっていう音をもう一度聞いてみたいような気分になる。
    

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️