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文の文 1

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文というハンドルネーム、さわむら蛍というペンネームで書いていた作文をブラッシュアップしてまとめています。
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#次郎

ざつぼくりん 52「次郎Ⅴ」

ざつぼくりん 52「次郎Ⅴ」

ふいに木枯らしの音が押し寄せ、吹き続ける風の音はダイニングに満ちる。志津は膝に目を落として、ずっと風の音を聞いているようにみえる。  

「……こんな息づかいだったの、ずっと」

うつむいたまま志津は低い声で話し始めた。次郎はだまって聴く。

「……木枯らしみたいに、ひゅうひゅうって重たい息だった。孝蔵さん、肺がだめになってたからいつも苦しそうで……来る日も来る日もこの家にはこんな風が吹いてた……

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ざつぼくりん 51「次郎Ⅳ」

ざつぼくりん 51「次郎Ⅳ」

「孝蔵さんは自分のだいじなひと、たくさん亡くしてるの。わたしもそうだけど、早く親亡くして身寄りがなくてね。安心して寄りかかる人のいない暮らしのつらさは若いときから身にしみてるひとだったから、若い子のことが心配だったんでしょうね。……だから勉ちゃんが事故起こしたときは孝蔵さん、ほんとにものすごく怒ったのよ」

「はー、そうでしたか」

後にひとりむすこの純一もバイクに乗っているときに事故にあい、いの

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ざつぼくりん 50「次郎Ⅲ」

ざつぼくりん 50「次郎Ⅲ」

坂の途中にその家はあった。二回乗り換えして一時間余りかかった。所番地を確かめ手になじんだ地図帳を閉じる。板塀からのぞく植木の細枝が木枯らしに吹かれ、しなっている。さぶいな、と次郎は首をすくめる。木戸の脇に木の表札がある。沢村孝蔵。かっちりとした筆文字だ。何事もおこらなかったかのようにかつてのあるじの名がそこにある。男名前の表札がいらぬトラブルを未然に防いでくれることもある。今はもうここにはいないひ

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ざつぼくりん 49「次郎Ⅱ」

ざつぼくりん 49「次郎Ⅱ」

「さてと……仕事の話をしようかね。勉ちゃん、うちの『いとでんわ』をいったいどこへつなげたいんだい?」

「あ、それそれ。品川の手前まで行ってもらいたいんだよ」
「品川かあ。ちょっとまってくれ」

次郎は美術本の並ぶ隅の本棚から小さな赤い地図帳を取ってページをめくる。東京二十三区という背表紙の文字がかろうじて読めるが、角が擦り切れどこも傷んでいる。

「東京行くときはいっつもそれだね。そいつ、ほんと

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ざつぼくりん 48「次郎Ⅰ」

ざつぼくりん 48「次郎Ⅰ」

「ごめんよー。ジロさん、いるかい?」

母屋から聞こえてくるあの割れた声の持ち主は勉だ。わが町の消防団の班長さんの声はやたらでかい。

「あ、勉さんいらっしゃい。今日はなんだか急に寒いですねえ」

由布が迎える。

「べんちゃーん、いらっちゃーい」

藤太の声も聞こえる。藤太はどうもサ行の発音がうまくない。

「おう、暖冬とはいえ、さすがに大寒だもんな。おい、藤太、おまえは風邪もひかねえで元気そう

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