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タイBL考現学 #1 福冨渉

 公共交通機関の表示にも、近頃は英語、中国語、ハングルに続いてタイ語が見かけられるようになりました。タイの食文化は、既にスーパーやコンビニでも定番です。
 旅行先としてもお互いに相思相愛の日本とタイ。そしてなにより近年はネット配信されるBLドラマの数々を通じて〝タイ沼〟にはまっている日本の人々も少なくありません。
 そこで、タイのBLを切り口に、現代タイ社会のさまざまな変化や課題、タイの若い人々のカルチャーに触れていこうという連載をはじめます。書き手はタイ文学研究者・翻訳/通訳者である福冨渉さんです。


「タイ」から見るBLドラマ


 サワッディーカーッ(プ)! タイBL、見てますか? ぼくはめっちゃ見てます!

 と、カラ元気とともに始めてみたものの、ぼくはジェンダーやセクシュアリティの専門家ではない。そして確かにタイのBLドラマは見ているものの、「タイ沼」に落ちているドラマファンの方々のスピードや熱情について行けているとは、とても言えない。「タイBL考現学」と銘打たれたこの新しいコラムの依頼をいただいたのはいいが、ファンミーティングの通訳を少しさせてもらったことがある程度のタイ語翻訳者・通訳者のぼくに書く資格があるものかどうか、書いていいものかどうか、ずっと悩んでいた(ぶっちゃけると、とりあえず「書きます」と返事をしてからの数ヵ月も、途中で胃腸炎で倒れたりしながら、ずーっと悩んでいた)。けど、書いてみることにした。

 じゃあ、なにが書けるのか。

 日本におけるやおい/腐女子/BLの研究や分析の蓄積については言うまでもないが、いまは「アジアBL」をつなぐ国際的な研究のネットワークすら構築されつつある時代だ。ジェームズ・ウェルカーが指摘するように、日本発のBLメディアは、東アジアと東南アジアの各地に広がって「変容・変貌・変化トランスフィギュレーション」している、「トランスナショナルなメディア現象」とみなされている(※1)。作品やファンダムを分析するのだって、必然的にある種の国際的なアプローチとか視点が用いられることが多い。

(※1)出典:ジェームズ・ウェルカー「ボーイズラブ(BL)とそのアジアにおける変容・変貌・変化トランスフィギュレーション」、ジェームズ・ウェルカー編著『BLが開く扉――変容するアジアのセクシュアリティとジェンダー』、青土社、2019年、12、14頁。

 ただ、さっきのウェルカーと同じ本のカン゠グエン・ビュンジュ・ドレッジの言葉を借りれば、アジアのBLというのは、日本(東アジア)発のポピュラー文化が(東南)アジアで「現地化され、新たな装いを与えられ、再流通している」ものでもある(※2)。ややこしい言い回しをしているようだけれども、要は、各地域のBLには各地域の文脈が反映されるということだ。

(※2)出典:カン゠グエン・ビュンジュ・ドレッジ「ゲイ『ファン』の『ファン』――想像と存在のはざまから立ち上がるタイのボーイズラブ」佐藤まな訳、『BLが開く扉』、193頁。

 で、この各地域の文脈を追うのが、特に東南アジアでは、実は意外と難しかったりする。ひとつには言語の障壁の問題が大きいし、日本と比べれば専門家とか研究者の数が少ない場合もあるし、データや資料がきちんとアーカイブされているとも限らない。そもそも現象としてはやはり新しいものでもあるので、個別の作品ごとの言及みたいなものもまだ少ない。 

 ぼくはタイの文学をずっと読んでいて、タイ語の翻訳をしたり通訳をしたりしている。ここで言うタイの「文脈」というのも、知っていると偉そうに吹聴もできないが、一応、ちょっと勉強したこととか、経験したこともなくはない。

 いまも多くの方が日々鑑賞して、話題になっているタイのBLドラマの物語を、タイの文脈からもう一度読み解いてみたら、どんな見方ができるのか。そういう視点からだったら書けることがあるかもしれないと思って、ひとまず導入編の原稿に取り掛かってみた次第だ。

 次回以降は、各回で作品ひとつないしはふたつを取り上げて、そこにある(サブ)テーマをタイ社会の文脈から解説する、みたいな文章になっていく。いま考えているものだと、たとえば作品SとEからみるタイの抑圧的とも言われる教育制度の話とか、作品Nにおけるアクティビズムの成功と失敗の話とか、作品Iと福建華人の話とか(とはいえあんまり固く重くなりすぎないように、作品を見るのが楽しくなるような文章を心がけます)。

 ぼくの得手不得手の問題だけれども、俳優やカップルやシッピング(カップリング)、あるいはファンダムやメディア環境の話よりは、個別の物語についての分析が中心になる。ただ、BLドラマの多くは小説が原作になっているので、原作への言及も考えている。たとえば作品2(バレバレか)のタイ語原作・英訳・日本語訳の読み比べとか。あるいは作品Bみたいに、作中でタイ文学の古典的作品が紹介されるものなんかもあるので、そういう間テクスト性みたいなところも考えてみたりしたい。

 連載の回数はひとまず5、6回を予定している。なんだかんだで色々と考察しがいのある、GMMの作品が多くなりそうだ。ただ、もし仮に好評になることがあったり、なにかリクエストがあったりしたら、もう少し続いていくかもしれない(ので、ご意見があれば気兼ねなくお寄せいただけると幸いです)。


タイのBL、いまむかし


 とはいえここで終わると、ただの決意表明になってしまう。インターネットとかSNSを探せば、すでに多くのまとめが存在しているのだが、改めてごくごく簡単に(とはいえちょっとボリュームが出てしまったが)、タイにおけるBLの歴史を振り返って、今後のコラムへのとっかかりにしておきたい。なお、以下の記述は主にナッタナイ・プラサーンナーム(นัทธนัย ประสานนาม)とニッチャーリー・ルートウィッチャヤロート(ณิชชารีย์ เลิศวิชญโรจน์)の著書や論文を参考にしている(※3)。特にナッタナイとは、たびたび直接言葉を交わして、さまざまな知見を提供してもらっている。記して感謝する。

(※3)出典:
นัทธนัย ประสานนาม. “การดัดแปลงกับวัฒนธรรมแฟน.” เขียนด้วยเงา เล่าด้วยแสง: วรรณกรรมกับการดัดแปลงการศึกษา, แสงดาว, 2021, pp. 263-323.
ณิชชารีย์ เลิศวิชญโรจน์. หัวใจ/วาย . BUNBOOKS, 2017.
Prasannam, Natthanai. “The Yaoi Phenomenon in Thailand and Fan/Industry Interaction.” Plaridel, vol. 16, no. 2, 2019, pp. 63-89.


サーオ・Y・2D


 タイでやおい・BLカルチャーがいつごろ興ったのか、正確なタイミングはわからない。ただ、1990年代に日本の少年マンガを読んでいたタイの女性読者のあいだでの、キャラクターへの萌えやカップリングの欲求が、やおい的二次創作につながったともされている。

 これがもう少し規模の大きなムーブメント・コミュニティに変化するのは、バンコクを中心に、日本の少年マンガではなく、BLマンガの海賊版翻訳が密かに流通し、若い女性がそれらを買い求めるようになる、2000年代に入ってからだ。黒塗りやモザイクなどの修正もないままに販売されていたこれらの海賊版は、当然わいせつ物とみなされる。2007年には、カルチャーの中心地サイアム・スクエアで、主に女子高校生相手にこっそりと営業していたBLマンガ書店の3軒が一斉に摘発され、店主は逮捕、日本や台湾のBLマンガの海賊版翻訳2000冊が押収されるという事件も起こった。

 まったくの余談なのだが、大学生の恋を描くBLドラマ『TharnType』(2019年)で主人公カップルのターンとタイプが、ベッドやらシーツやらを買いに行くシーンが何度かある。その家具屋の店員の、40代くらいに見えるかなという女性キャラクターがいるのだが、彼女はそれこそ「やおいのまなざし」みたいなものを発動させて、ふたりを見てニヤニヤとしていて、そのさまが印象的だ。なんとなく、彼女は1990-2000年代初頭に青春を過ごした、タイのやおい・BL第一世代だったりするのかなと妄想している。



 リアルの世界からは放逐されかけていた「サーオ・Y」(一般的にはやおい・BL作品を好む女性のことを指すタイ語。男性の場合は「ヌム・Y」)だが、2000年代のさまざまなオンラインサービスの広がりによって、新たな居場所を見つけて、捕捉されにくいコミュニティやネットワークを構築していくことになる。

 たとえば一世を風靡したブログサイトのExteenは、2004年にサービスを開始している。ここにも多くの二次創作マンガ・小説ブログが登場した。また、10代向けの情報・交流サイトとして1999年に開設されて、いまやもっとも影響力のある小説投稿サイトのひとつとなっているDek-D.comが大きく成長して、国内トップクラスのトラフィックを叩き出すのも、この時代だ。Dek-Dからは、このあと、数多くのライトノベル・BL作家が輩出される。

 また、タイ最大の掲示板サイト、パンティップでは、2006年に立てられたスレッドが大きな話題となる。航空会社で働くらしい「セン・ペット เซ็งเป็ด」と名乗るスレッド主が、「自分はゲイではないのに、同僚の男性に好かれている」という苦悩(?)を綴ったところ、多くのユーザーがふたりの恋路に夢中になった。セン・ペット氏が投稿するたびにサイトにアクセスが集中し、サーバーがダウンするほどになってしまったため、彼の物語を投稿させるためだけのウェブサイトが開設されることになった。このサイトがのちにThai Boys Loveという、サーオ・Yのコミュニティ兼小説投稿掲示板に進化していく。

 ちなみにこのセン・ペットの物語は、のちに小説として出版されて、2009年には映画化もされている。『電車男』を思い出すような話だ。「セン・ペット」を直訳すると「ついてないアヒル」となり、この言葉は、「不運」を示すスラングとしても使われるようになった。そしてこの「アヒル」でピンと来るタイドラマファンの方もいるかもしれないが、空港が舞台のBLドラマ『What the Duck』(2018年)は、セン・ペットの物語がもとになっている。なるほどなるほど〜



「2D」から「3D」へ


 さてここまでは、ニッチャーリーの言葉を借りれば「2D」のやおい・BLの話が中心だったが、それが現在のような「3D」あるいは俳優萌え・カップリングに接続していくのも、やはり2000年代初頭のことだ。

 転機となったのは、2004年に放送が始まったリアリティショー『Academy Fantasia』、通称『AF』だと言われている。歌手やダンサーを目指す若者たちを集めて、毎週のコンテストを繰り返していくオーディション番組なのだが、この参加者たち全員でひとつの家に生活し、そのようすが24時間中継され続けているというのが、番組のもうひとつの大きな魅力となった。そして各シーズンの優勝者と準優勝者のあいだに同性愛的な関係を見出していくのが、番組ファンの中での慣習となっていったのだ。ここでのカップリングはやおいの場合もあれば百合の場合もあったようだが、シーズン終了後は、いまでいう「カップル営業」のようなものも行なわれた(ちなみにほとんど同じ時期に、韓流スターたちのカップリングも盛んになっている)。

 ぼくはタイ語の勉強を2005年に始めたのだが、2007年の『AF』シーズン4でカップリングされた、ナットことナット・サックダートーン(ณัฐ ศักดาทร)と、トンことワントンチャイ・インタラワット(วันธงชัย อินทรวัตร)のことは、日本にいたタイ人留学生から耳にした記憶がある。で、実はタイで最初の「完全」なBLドラマとされる『Love Sick』の「Season 2」(2015年)の主題歌は、このナットとトンのふたりが歌っていたりする。先程の「セン・ペット」と『What the Duck』の関係もそうだが、たびたびこのような形で、BLの過去と現在は接続されるし、ファンダムの記憶は継承されて、再生産される。



 映像作品としてBLが制作されるようになるにはもう少しだけ時間がかかる。だが2007年には、その後のBLドラマブームの嚆矢になったとも言われる映画『ミウの歌〜Love of Siam〜』(チューキアット・サックウィーラクン監督)が公開される。ポスターからは、一見よくあるフォーマットの、異性愛学園ラブストーリーを想像するのだが、その実は10代の少年ふたりの揺れ動く感情を繊細に描く青春BL・ゲイ映画で、大きな反響を引き起こした。この作品は日本でも公開されたので、見たことのある方もいるかもしれない。



* ちなみに、本稿ではまったく触れられていないタイのクィア映画の潮流について関心のある方は、児玉美月の論考「タイ “クィア映画” 天文図の素描」(『ユリイカ』2022年3月号、197-210頁。)をぜひお読みいただきたい。


融合するBLドラマとBL小説


 ようやくBLドラマが登場する。きっかけのひとつは、タイ最大手のエンターテイメント企業GMMグラミーが、2012年に、テレビ事業の規模を大幅に拡張したこととも言われている。翌年には、GMM傘下のGTHが制作した青春学園群像ドラマ『Hormones』が社会現象的なヒットとなる。この作中でも、同性愛がサブテーマのひとつとなっていた。

 ここに合流したのが、「2D」のやおい・BLカルチャーだ。2000年代初頭から先述のDek-Dなどに投稿されていた小説のうちで人気を博したものが、その後次々と書籍化されていくようになる。主導したのが、チェムサイ(แจ่มใส)やサターポーン・ブックス(สถาพรบุ๊คส์)といった、比較的歴史の長い、大衆恋愛小説の出版社だった。2010年前後から、インターネット発の作家たちの「青田刈り」が積極的に進められて、BL小説の出版が盛んになっていく。その後チェムサイはEverY、サターポーン・ブックスはDeepというBL専門のレーベルを設立して、ますます集中的に出版を続けていく。なお2009年からは、やおい・百合・BL・GLを扱うブックフェア「Y Book Fair」も開催されていて、近年ではドラマ化された作品の出演俳優まで来場する、大きなイベントになっている。

 こうした出版社やレーベル、ないしは投稿サイトのヒット小説を原作として、GMMが多くのBLドラマを制作するようになるのだった。大ヒット作『SOTUS』(2016年)や『KISS』(2016年)シリーズも、いずれも小説が原作となっている。GMMの作品ではないが、先述した『Love Sick』(2014年)もやはり、Dek-Dに投稿された小説が原作だ。BLドラマに学園モノが多いのは、若者が書くこうした投稿小説が原作になっているという理由も大きいだろう。



 いやはや、すっかり長くなってしまった。こうして、「2D」を源流とするタイのBLが、「3D」のBLと合流して、現在の形になっていったのだ。おもに耳目を集めているのは「3D」のドラマであり、そこに出演する俳優たちであるけれども、フィクションを原作としている点においては「2.5次元」的な側面もあるとも言えるのかもしれない。先述のY Book Fairをちょっと覗いてみても、2Dと3Dの交差点めいた雰囲気がある。



 その後、新型コロナウイルス感染症が世界中に広がり、「おうち時間」を余儀なくされる人々が増える中で、『2gether』(2020年)をきっかけにタイBLドラマ人気に火がついて……というのは、みなさんもご存じの通りかと思う(ちなみに『2gether』の原作小説も、先述のEverYから出版されている)。そこから俳優同士のカップリングが広がり、ファンミーティングが実施され、メディア制作側とファンダムのあいだでの物語や記憶の交換や共有が起こって、ブームが持続しているわけだが、そこはもう本稿の射程からは外れる。

 次回以降は、最初に宣言したとおり、ひとつひとつの作品を見ていく形式で筆を進めていこうと思う。どうぞ、よろしくお願いします。


福冨渉(ふくとみ・しょう)
1986年、東京都生まれ。タイ文学研究者、タイ語翻訳・通訳者。青山学院大学、神田外語大学で非常勤講師。著書に『タイ現代文学覚書』(風響社)、訳書にプラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』(ゲンロン)、ウティット・ヘーマムーン『プラータナー』(河出書房新社)、『絶縁』(共訳、小学館)など。

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