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カラサキ・アユミ 連載「本を包む」 第17回 「魂も空腹も満たしてくれたスタンダードブックストア」

 ブックカバーのことを、古い言葉で「書皮しょひ」と言う。書籍を包むから「書」に「皮」で「書皮」。普通はすぐに捨てられてしまう書皮だが、世の中にはそれを蒐集しゅうしゅうする人たちがいる。
 連載「本を包む」では、古本愛好者のカラサキ・アユミさんに書皮コレクションを紹介してもらいつつ、エッセーを添えてもらう。

〝A room without books is like a body without a soul〟
「本のない部屋というのは、魂のない肉体のようなものだ」

 紀元前1世紀にローマ帝国で活躍した哲学者キケロの名言がパキッとした赤色に映える。

 今回紹介するのは、かつて大阪は心斎橋のアメリカ村にあった地上1階と地下2階からなる大型書店「スタンダードブックストア」のブックカバーだ。

 2006年にオープンし、2019年に心斎橋しんさいばしでの営業を終えたこの書店は〝本屋ですが、ベストセラーをおいてません〟のキャッチコピーで多くの本好きのハートにその名を刻んだ有名店だ。現在は天王寺てんのうじで営業している。

 ここでいったい何冊の新刊本を購入したことだろう。どうせ同じ本を買うんだったらわざわざ足を運んででもこの本屋で買いたいそう思わせる魅力ばかりが詰まったお店だった。

 初めてこの店に足を踏み入れたのが大学1回生の時。まるで外国のようなお洒落しゃれな外観、スタイリッシュな風貌のお客さん達、そして何より店内の圧倒的な情報量に衝撃を受けた。本のみならず雑貨や文房具に服まで……とにかく盛り沢山だった。

 来店記念に何か買って帰ろうと発売されたばかりのカルチャー雑誌を抱きしめながら店内を徘徊していると、「その本が好きならこの本もきっと気にいると思いますよ」と突然背後から話しかけられた。

 振り向くとミスターと呼びたくなるようなニッコリと笑う男性が立っており、単行本がこちらに差し出されていた。

「買う買わないはお好きにどうぞ。じゃっ」そう言い残して男性は颯爽さっそうとした足取りで店の奥へと去っていたのだった。

 受け取った本は、私が手にしていた雑誌の特集に関連するエッセー集だった。なんという観察力! 本屋で接客を受けるという稀有けうな体験をしたのは未だにこの時だけだ。驚きながらも、もちろん薦められた本も喜んでレジに運んだ。

 かくしてこの体験がキッカケで私はスタンダードブックストアのファンとなった。後で知ったのだが、その時の男性こそがスタンダードブックストアを立ち上げた中川和彦なかがわかずひこさん本人だったのである。

 この店を語る時にはスタンプカードの存在も忘れてはならない。500円ごとにスタンプを一つ押してもらえて、10個貯まったら地下に併設するカフェで250円分の割引券として使用できるという、嬉しみ溢れるサービス精神だった。数冊買うと一気にスタンプが埋まってしまうので、このカードが財布の中に常時2〜3枚入っていた。

 そうして貯まったカード数枚を握りしめカフェで必ず頼んでいたのが濃厚な味が絶品のニューヨークチーズケーキと、具がパンからはみ出さんばかりの特製チリビーンズドッグだった。これがもう、とにかく美味しかった。一度食べたらまた通いたくなる罪深い味だった。買ったばかりの本を脇に置いてアーンと思いっきり頬張る多幸感と充実感たるや。

 そのせいかこの真っ赤なブックカバーを見るたびに、私の舌が記憶を呼び覚ましたようにソワソワするのである。好奇心と味覚をこれでもかと満たしてくれたあの空間の全てが、私は恋しくてならないのだ。

〝The soul feeds on books, while the body feeds on food〟
「魂が本を食べるように、肉体がフードを食らう」

 キケロさんの格言よりも、私のありのままの姿を表したこの言葉のほうが、ブックカバーに相応しいのではないか……なんて考えてしまった。


文・イラスト・写真/カラサキ・アユミ
1988年、福岡県北九州市生まれ。幼少期から古本愛好者としての人生を歩み始める。奈良大学文学部文化財学科を卒業後、ファッションブランド「コム・デ・ギャルソン」の販売員として働く。その後、愛する古本を題材にした執筆活動を始める。
海と山に囲まれた古い一軒家に暮らし、家の中は古本だらけ。古本に関心のない夫の冷ややかな視線を日々感じながらも……古本はひたすら増えていくばかり。ゆくゆくは古本専用の別邸を構えることを夢想する。現在は子育ての隙間時間で古本を漁っている。著書に古本愛溢れ出る4コマ漫画とエッセーを収録した『古本乙女の日々是口実』(皓星社)がある。

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