現代アジアの華人たち vol.2 ◆ 黄銘彰 (ライター・『VERSE』執行主編) 後編
漢字、言語、食、風習――。中国ルーツの文化に生きる〝華人〟は、広くアジアの各地に暮らしています。
80年代、90年代生まれの、社会で活躍する華人や中国研究者の言葉を通して、私たちの前に見えてくるものは何でしょうか。
台湾の人気カルチャー誌の執行主編をつとめる黄銘彰(Huáng Míngzhāng/黃銘彰)さんの「後編」。名門・台湾大学法学部で学びながら、法律家への道ではなく〝書く〟仕事を選んだのはなぜか。
インタビューと構成は、北京大学大学院で中国近代文学を専攻した河内滴さんです。
サムネイル画像は本人提供
1993年生まれ、嘉義市出身。『The Big Issue Taiwan』を経て、フリーのライター・編集者として独立。同時にカルチャー誌『VERSE』の執行主編としても、編集・企画立案・執筆などに携わる。台湾大学法学部卒業。
〝切れ端〟を残していきたい
2014年9月。台湾大学学生会が発刊する学内誌『花火時代』の編集作業の中心には黄がいた。この雑誌を通して、学生と社会を結ぶことはできないだろうか。そうした思いから、ひまわり学生運動に参加した学生たちの声を集めたり、「社会と学生」のテーマで専門家に寄稿を依頼したりするなど、黄は学内外を奔走していた。
『花火時代』はウェブ版も発信されていて、結果として、学生会では紙とウェブの両媒体の編集に携わった。
(撮影:黄銘彰)
学生会の1年間の経験を通して、雑誌製作が好きであることを実感したほかに、もうひとつ大きな手応えが黄のなかに残った。
「雑誌を作ることは、今を記録することなんだ」と、学生会の活動を通して強く思いました。
たとえば、日常生活の中で年上の方が「あのときはこうだった」と昔を語ることがありますよね。でも、映画でも音楽でも、それが何らかの形で記録として残っていなければ、今の時代を生きる人にその感動が伝わることはありません。
わたしが雑誌を作るのも、今の時代の本質に迫る出来事の〝切れ端〟を残していきたいという思いが強くあるからです。この世界からそれが消えてなくなってしまう前に、雑誌という形で記録することが、わたしなりのこの社会との向き合い方だと思っています。
学生会の活動が終わった頃には、黄は大学4年生になっていた。法学部の同級生たちは司法試験へ追い込みをかけるなか、黄の心は揺れ動いていた。みんなと同じように法曹の道に進むべきなのか、それとも自分が本当に心から打ち込めることを仕事にするべきなのか――。
そう悩んでいた折、『The Big Issue Taiwan』が半年間のインターンシップを募集していると知った。「この半年間、真剣に取り組んで、それから考えてみよう」と思った。
周囲のインターン生の多くが、ジャーナリズムやメディア学を専攻していたなか、自分一人だけが畑違いの法学部だった。けれども、雑誌にかける情熱は他の誰にも負けない自信があった。
学業にも手を抜かずに、ほとんど休む間もなく駆け抜けたインターンの半年間。その姿をじっと見ていた編集長から、「ぜひこれからも一緒に働いてほしい」とインターンが終わる頃にオファーがあった。黄のなかにも、もう迷いはなかった。
台湾社会の価値観から言うと、台湾大学法学部から雑誌編集の道に進むことに対して、「もったいない」と思う人は少なくないでしょう。実際にそう言われたこともありますし、同級生のなかで司法試験を受けなかったのも、わたしを含めてほんの数人だけでした。
でも、わたしは「もったいない」とは思いませんでした。既成の価値観に自分を合わせていくよりも、自分に合った場所を見つけ、そこでより良いパフォーマンスを発揮するという生き方も大切だと思うからです。
『The Big Issue Taiwan』から『VERSE』へ
『The Big Issue Taiwan』は2010年4月に創刊され、現在までに139号を刊行している。表紙デザインは世界的にも有名なグラフィック・デザイナーのアーロン・ニエ(聶永真)が第5号から担当。さらに国内外のイラストレーターやデザイナーと頻繁にコラボレーションを行っていて、出版業界だけでなく、デザイン業界からも注目を集める雑誌だ。
『The Big Issue Taiwan』2018年1月号
(写真提供:黄銘彰)
『The Big Issue Taiwan』では、「まず100号を目指して頑張ろう」と決めて入社しました。月刊誌のプレッシャーは大きかったですが、企画から最後の発刊まで、雑誌制作におけるすべての過程に関わることができたのは、貴重な経験になりました。また、Big Issueが担う公益的な側面にもやりがいを感じていました。
当時の編集長は台日文化交流を特に重視していたので、日本に関係する企画をよく組みましたね。イラストレーターのNoritakeさんや、写真家の濱田英明さんや奥山由之さんたちとコラボしたこともあります。彼らの仕事に対する妥協のない姿勢から、社会に出たばかりのわたしは多くの刺激を受けました。ほかにも、イギリスやドイツといった他の国の作家さんたちとも、一緒に仕事をするなかで、彼ら独自の文化を学びました。
怒涛のように過ぎていった『The Big Issue Taiwan』での3年間。目標の100号の発刊を達成したあとは、少し休息をとるために退職することに。
すると、黄に時間ができたと聞いた、以前一緒に仕事をした関係者たちから、寄稿や長期企画の依頼が次々に舞い込むようになった。休息後に転職活動をするつもりだったが、今ある案件を丁寧に仕上げていこうと、フリーランスのライター・編集者として独立することに決めた。
フリーランスとして、日本文化を紹介する雑誌『秋刀魚』や、台湾の地方の郷土史・文化を紹介する雑誌『本地』をはじめ、さまざまな媒体に精力的に寄稿し、実績を積み上げていった。また、取材で日本を訪れたこともたびたびあるという。
日本には何度も行きました。工芸品から建築まで、日本のデザインのレベルの高さからはいつも刺激を受けています。
それと同時に、外から台湾を見ることで気がついたことも多くあります。特に、台湾には多様性を尊重する文化が根強くあること。身近なところでいえば、夜市が象徴的かもしれません。色んな人や、匂いや、音が入り乱れていて、とても雑然としたところでしょう。
また性的マイノリティーへの尊重にも、台湾らしさが表れているとも思います。多様な存在を受け入れる土壌があると感じています。
『本地』は日本の2019年度グッドデザイン賞
ベスト100に選出された
(写真は本人提供)
「『VERSE』という、台湾の文化を見つめる新しいカルチャー誌の立ち上げを考えている。ぜひメンバーに加わってくれないか」
作家・編集者としてマスメディア業界で斬新な仕事を数多く手がけてきた張鉄志(Zhāng Tiězhì)から声がかかったとき、黄の心は高鳴った。
一回り以上年上の張が熱心に語る『VERSE』の構想を聞き、自身のなかでも次々と新しいアイデアが浮かんでくるのを感じた。2019年夏のことだった。
「わたしたちの時代の文化メディア」
黄によると〝VERSE〟という言葉は、張鉄志が映画『いまを生きる』を見ていたとき、音の力強さが耳に残った単語だという。辞書で引くと「詩歌、韻文」などを意味する美しさが漂う言葉だ。この力強さと美しさは、まさに『VERSE』の誌面から存分に放たれている。
わたしたちが〝VERSE〟にこめた意義は、他にもたくさんあります。たとえば、音楽用語では、VERSEはサビに入るまでの導入の部分を指します。サビというのは、みんなが一緒に口ずさめて、盛り上がれるところですよね。わたしたちが作りたいのは、むしろサビの盛り上がりを演出する基盤のような部分なのです。
また『VERSE』では毎回、さまざまな人をインタビューします。それぞれの記事で語られた言葉や声が、雑誌を通してひとつの〝詩〟を構成するような、そんな思いも込めています。
(写真提供『VERSE』)
2020年8月に創刊した『VERSE』。隔月出版のため、現在では第8号まで発刊されている。
これまでに取り上げてきたテーマは、PODCAST、映画、旅行、音楽、植物など多岐にわたる。個々の事象だけをピックアップするのではなく、その背後にある現象まで丁寧に調べあげ、読者に疑問を投げかけることを心がけている。
たとえば、PODCASTを特集した第2号では、聴取できるすべての台湾のPODCAST番組を聴き、構成を練り上げた。ライフスタイルの変化、他のプラットフォームとの差異など、PODCASTブームの背景について多角的に論じた。
台湾音楽を特集した第7号では、過去40年間のさまざまな時代を象徴する楽曲を紹介。それぞれの曲がその時代のどういった感情を表現しているのか、歌詞やメロディから考察する。
特集以外の毎月の連載ページなども充実している。隔月とはいえ、チーム一丸となって、毎号迫りくる締切りと死闘を繰り広げる。
こうした各号の記事は、時間差で電子版記事として、公式ウェブサイトから配信されている。しかし、主戦場はやはり紙の雑誌だ。
わたしは、紙メディアの読書を「月の読書」、ネットメディアの読書を「太陽の読書」だと思っています。
月は温厚で、静かで、どこか人間の感性を刺激します。また、自ら光を発するのではなく、常に太陽の光を反射して明かりを届けます。雑誌も同様に、社会が発する光を反射する存在なのです。
一方、今は特にさまざまな問題に対してネットの力を使って声をあげることができます。それは太陽が自ら光や熱といったエネルギーを生み出すことに似ています。
どちらが優れているかという話ではありません。月と太陽がそろってこの世界は成り立ちます。ただ、わたしが愛しているのが「月の読書」であるというだけです。
『VERSE』は、毎偶数月に発売。台湾の各書店で広く取り扱われているほか、マレーシアのオンライン書店でも販売されている。日本では、代官山の蔦屋書店で創刊号が取り扱われた。
また、雑誌と公式ウェブサイトの運営のほかにも、VERSEは不定期でワークショップやトークイベントなどを実施している。さらに今年からは対談形式のPODCAST番組と、各号の特集テーマを更に深く掘り下げるPODCAST番組を相次いでスタートした。
雑誌を軸にして、ウェブ、PODCAST、ワークショップなど、多様な形で読者の五感に訴えかけるVERSE。まさに創刊号の表紙や公式ウェブサイトにも掲げられているキャッチコピー「屬於我們時代的文化媒體(わたしたちの時代の文化メディア)」を実践している。
『VERSE』編集部(右端が黄銘彰、最前列左端が張鉄志)
『VERSE』創刊号の巻頭言で、編集長の張は次のように述べている。
「一冊の雑誌が世界を変えることは当然難しいでしょう。しかし、そのなかの一言や一枚の写真が読者を触発し、わたしたち自身の文化や置かれている時代について、より多くの議論や想像を喚起するかもしれません。そこから、新しい対話が始まり、新しい考えに気がつくこともあるでしょう…… わたしたちは文化で台湾の時代精神を綴っていきます。あなたも一緒に書き綴りませんか?」
黄たちが紡いでいく台湾の〝詩〟に、これからもそっと注目していきたい。
〈VERSE〉
公式ウェブ:https://www.verse.com.tw/
Instagram:https://www.instagram.com/verse.tw/
PODCAST:https://podcasts.apple.com/tw/podcast/lexus-x-verse-my-way/id1565087227
https://podcasts.apple.com/us/podcast/v-voice/id1585117524
次回は11月25日に「番外編」を公開予定
インタビュー・構成/河内滴(かわうちしずく)
1991年、大阪府生まれ。2020年1月北京大学大学院中文系修士課程(中国近代文学専攻)修了。同年2月より都内の雑誌社に勤務。
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