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黒の深淵 vol.1 「流動する黒」◆森口 邦彦(友禅作家)

 私たちがふだん手にすることの多いカタログなどの印刷物は、通常、黒・青・赤・黄の4色のインクで印刷されている。
 黒1色だけでは再現できないしっとりとした黒に仕上げたいときには、黒に他の3色を加えて印刷することがある。リッチブラックとよばれる、豊かでこくのある黒だ。
 無彩色とよばれる黒。しかし、すべての色を含みながら、すべての色を超越した深みのある黒には、見るものを惹きつける不思議な力がある。
 独自の表現世界に挑み続ける作家にとっての「黒」を追う連載企画。第一弾の今回は、人間国宝が見つめる「黒」を取り上げる。

取材・文/岡崎素子

友禅着物「流砂文」 1984年 東京国立近代美術館蔵 撮影者:エス・アンド・ティ フォト©2019
着物全体に散りばめられたグラフィカルな文様は、森口氏ならではの表現といえよう。今にも動き出しそうな流麗なラインが黒と白で染め分けられている

森口 邦彦(もりぐち くにひこ)
1941年、友禅作家の森口華弘かこうの次男として京都に生まれる。2007年、「友禅」の技術で国の重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)に認定。父・華弘に続き、親子二代での認定となった。京都在住。
* 名前の「邦」は、字の左半分の上が出ない漢字が正しいものです。


 モノトーンの幾何学きかがく的な文様は、人がまとったときのしなやかな動きを連想させ、自由で伸びやかな心象風景を浮かび上がらせる。
 三越のショッピングバッグ「実り」(2014年)では、「友禅」とグラフィックの領域を自由に往来しながら日常にアートの精髄を吹き込んで見せた。
参考サイト 「グッドデザイン賞」

 パリで学んだグラフィック・デザインの思考で、伝統工芸にあらたな地平を切り拓いた作家。その唯一無二の「黒」をたずねる。


着物は、着る人を美しく見せるためのもの、
それ以外には何もない

―― 友禅というと、絵画などをモチーフにした華やかな色彩の世界というイメージがあります。なぜモノトーンを使われているのか、その理由をお聞かせください。

 日本には陰影礼賛いんえいらいさんという美意識がありますよね。
 これに対して、光を浴びているほうを中心に、その光り方を表現することに重きを置いているのが、西洋の文化だと思うんです。
 日本はその後ろ側、陰のほうに注目する。これは、日本の美しい自然や人がかわす心くばりの中で培われてきたものなのかもしれませんが、独特の感性ですよね。

 僕が黒を使う理由はいくつかあります。
 もっとも大きな理由は、僕は日本の女性のための着物をつくっているということです。西洋の人が着ることはあまり考えていません。
 日本の女性の肌色に黒を合わせると、とても美しく見えるんです。

 着物は、着る人を美しく見せるためのものです。それ以外に何もありません。僕の着物を着た人は、みんなきれいに見えなくては意味がない。そう思ってつくっています。


京都にいなければ、出会えなかった黒

―― 染料にも、特別なこだわりがあるとお聞きしました。

 ものすごくつやのある三度黒さんどぐろに出会えたことも、黒を使っている理由の一つです。京都にいなければ、出会えなかった黒です。今でも僕にとって不可欠な、かけがえのない存在になっています。

 三度黒というのは、ログウッドという植物を使った黒染めの技法の一つです。一度目は木のチップを腐らせて発酵させた染液せんえき(ボーメ三度の濃さ)で染め、二度目に染色を助ける働きのある液で還元させます。三度目に酸化させて発色を定着させます。
 管理がとても難しいですし、手間もかかります。精通した専門家でないと染料を調合することもできません。

 このログウッドが外国から入荷されるようになったのは、明治に入ってからです。東京や京都を中心とした黒染め屋が、さまざまに工夫しながら使うようになりました。しかし結果として、東京では三度黒はうまくいかなかった。それは、水の硬度が高めだったためです。
 三度黒では、最後に酸化させた後、大量の水で洗うんです。そのときにきれいな色に発色させるためには硬度が低いほうがいい。
 これに適していたのが京都の水だったんです。東京には根付かず、京都で歴史を残した背景にはこうした事情があります。

 一般に化学染料は、色を定着させるために高圧の蒸気にかける必要があるんですが、防染ぼうせんのために糊を置いた絹地(縮緬ちりめん)の白い部分が黄ばんだような状態になってしまうことが多いんです。
 三度黒は高圧しをしなくてもいいので、縮緬の白さがきれいに上がり、黒がきらきらとした艶やかな色に染め上がるんです。
 これ以上に質感のいい、美しいものはないというおもいで使い続けてきました。

 あとは造形をどうするかですよね。僕が特に重んじてきたのは、黒と白の対比です。あいまいな部分をつくるより、はっきりと対比させた造形にすることで、黒と白をかそうと考えてきました。

 黒というのは、色としてはなかなか難しいものなんですよね。
 僕が文様を考えるときは、黒との対比で表現していきます。他の色を使えば、いくらでもごまかしがききますが、黒白の組み合わせだけは隠し事が一切できません。それでも黒と白のシックさに惹かれたんです。とてもいきで、この雰囲気は他のいかなる色の対比よりも優れていると思っています。


モダンであることに妥協しない

―― 独創的な幾何学文様を使った森口さんの友禅は、世界的にも高い評価を受けています。

 友禅というのは、典型的な異次元へのいざないだと思っているんですよ。まったく違う世界へぶっ飛んでしまうような存在だと。もともと友禅は、とてもたくましくてしたたかなものだからです。

 江戸時代になり暮らしが豊かになると、高価な衣装の注文が、江戸から京都へと殺到するようになりました。
 それ以前のように中国などにルーツを持つものとはまるで違う、桃山文化の後期あたりからはじまっていた華やかな文化が元禄で一気に開花します。
 そして、独自性の強い日本ならではの文化が、着物にも求められるようになっていきました。その代表格が友禅です。友禅は、江戸文化の申し子なんです。

 どんなものでもこい、何でもこいといった自由な発想で、それまで繰り返されてきた概念的な文様の延長ではないあたらしいもの、すごい表現が次々に生み出されていきました。
 友禅は、そういう挑戦ができるものだと思っています。

 僕の友禅は、外国では〝インターナショナル・ランゲージ〟として評価されているらしいです。
 モダンであることに妥協しない。これが持って生まれた友禅の使命だと考えています。

 僕は若いころにパリで学び、帰国してから友禅という日本の伝統文化の世界に入ったわけですが、今ではこんなに素敵なものを日本だけにとどめておくのはもったいないと思い世界の人と交流することを大切にしてきました。

 現在、ニューヨークのメトロポリタン美術館やパリのポンピドゥー・センターなどに僕の作品は収蔵されています。
 ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館では、着物を取り上げた企画展の海外巡回を行っていて、今年の秋にはフランスでの開催が予定されています。どうやらそこにも駆り出されそうですがチャレンジするつもりです。

 友禅の世界で、ログウッドブラックに出会っていなければ、ここまで黒はつきつめていなかったと思います。最近、父の代からお願いしていた黒染め屋さんが店じまいをするというので、道具をすべて譲り受けて自分でやることにしたんです。発酵させるのにも外気温から影響を受けますし、すべてが大変で時間がかかります。
 それでも一生懸命、なんとかいい黒を出し続けたいと思っています。


制作中の森口氏(画像提供:株式会社日経映像)


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