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movement #1

昨日、2週間のフィンランド旅に終止符を切った。

長かったような、あっという間だったような、今でも夢だったような。
忘れないうちにありったけの感触を今のうちにまとめておこう。

日本を飛び出す

ちなみに私は今回が生まれて初めての海外だった。
航空券の安さに惹かれた結果、

羽田空港→関西空港→マレーシア→カタール→フィンランド

という大移動を経験することになった。
1つ国をまたぐたびに飛行機で7時間を過ごし、次の飛行機に乗り継ぐために降り立った国で長ければ11時間もの時間を過ごす。

ただ大変そうにも見えるが、これが結構楽しかった。

流れる案内放送も横にいる人の話の内容も全く私にはわからない。
けれど、目や単語で身体に入ってくる「飲み込める」情報を手探りで探して、目的地を目指していく。いつも情報に飲み込まれてしまいそうになる日本と違って、必要最低限の情報で完結していく海外は少し心地が良かった。

そして、国が変わると雰囲気も物の扱い方もガラリと変わっていく。
お金の通貨の名前、食べ物の味、横を通り過ぎる人の着ている服、機械の動かし方。

初めて目にする色々は、色鮮やかで鮮明であったかいものばかりだ。

日本を飛び出して、自分が外国人として過ごす毎日はいつも分からないことが当たり前のように出てくる。例えば、シャワーの使い方、スーパーの場所、物の買い方、電車の乗り方のように1つの行動をするのにも最初はなんでも分からないが付きまとうし、時間がかかる。

でも、それと同時にいつも人のあたたかさに触れる。

手の乾かし方が分からなくて色んなボタンを探っていたら横で手を洗っていたおばあさんに話しかけられて最後にはお菓子をもらったり、空港で充電器の場所を一緒に探してくれたお兄さんと最後にはフリーサービスの水で乾杯したり、カタールの保安検査場でいきなり「僕perfumeってアーティスト好きだよ」と話しかけられたり。「Excuse me. 」「Thank you」を使い倒した先には、どこに行っても人のやさしさとつながりがあった。

日本にいると私はいつも分からないことを隠して強がっていた気がする。
人に聞くのは最後の手段くらいに思って、調べて確認して悩んで、最後の最後に人に頼る。けれど、海外に行くと「分からないことを聞く」が人と仲良くなる一歩だったりする。逆に、知っているふり、分かるふり、興味があるふりで距離感がつかめないこともある。

分からないことは堂々と分からない顔で聞いてみればいい。

日本から見た世界はとにかく広かった。


言葉と心で伝え合う先にあるもの

今回、2週間のうちの9日間はフィンランドの教育について知るために毎日違う教育現場に足を運んだ。そこで感じた日本との教育環境の違いは今度にするとして、そこで出会った人について今回は書きたい。

アンとアンジェリーナ。
この2人とは、田舎の方にある小学生から高校までが一緒になった一貫学校で出会った。

高校生の授業を視察した後に、一人で息抜きがてら散歩をして帰ってきた時。突如学校の入り口で出会った。携帯の翻訳機能を使って、「あなたはウクライナが好きですか?」といきなり話しかけてきた。そう、彼女たちの出身はウクライナ。戦争がひどくなる前に家族で安全のために移動してきたが、お父さんは今、ウクライナ兵士として国を守り続けている。
もちろん、ウクライナについてはニュースで知っていた。けれど、この言葉を目の前で突き付けられた途端、少し遠くにあった悲しみが目の前にぎゅっと現れたような感覚になってすぐに「好き」と言葉にすることをためらってしまった。

彼女たちと時間はかかるが翻訳機能を使ってお互いの言葉を日本語やウクライナ語に変換し合いながら会話をした。家族の事、ウクライナのこと、今の環境に対する不安、色んなことを話した。話しながら辛いことも涙を流して思いを伝えてくれた。最後には「あなたに会えてよかった」と翻訳機能で日本語に変換した文字を、さらにたどたどしい日本語で音にして伝えてくれた。そして別れる時には、名前を忘れないようにと油性マジックでお互いの腕に名前を書きあった。

日本には移民や難民の人の苦しみや悲しみを学校で目にすることが少ない。
けれど、ニュースで報道されている悲しみは場所や見方をかえた途端、すぐに目の前に現れる。日本にいれば安心。その言葉で、誰かの悲しみに目をつむってしまっているかもしれない。この2人に出会って、知りたい、もっと力になりたいと心から感じた。

2人とはまだ連絡を取り合っている。



フィンランドで過ごした2週間、2人に限らず子ども達は私によくハグをしてくれた。
フィンランドでは英語は日本と同じように第二言語として存在する。
しかし、移民が多いことやフィンランド語が無くなることを危険視してなのか、授業や日常会話が英語で行われていたりして、流暢に英語を話す大人が多い。ただ、その流暢さは高校生くらいから見られて小学生には先生に英語フィンランド語に翻訳してもらうことが多かった。

そんなことも影響していたのか、小学生と触れ合う時はジェスチャーや擬音、表情で会話することが多かった。私は今回のフィンランド旅の達成することの一つに「言葉に頼らなくても人は心が通じ合える」ことを検証することにしていた。自分の授業する対象が小学1~2年生だったこともあって、この検証は簡単にできた。

この仮説の結果は「できる」
言葉を使えば、すぐに情報が伝達できるし、会話のラリーがスムーズだからとにかく楽ちんなのは間違いない。
けれど、言葉に固執したり頼らなくてもそれ以上の気持ちや思いを伝えることはできる。ハグする文化、素敵!

(でも英語、ちゃんと頑張りたい…)


自分の魅力って?

今回、私と同じプログラムに参加したのは主催メンバー3人を含めて17人。年齢も経歴も、住んでいる場所も違う。とにかく、時間があると自分の話を沢山したし、みんなの話も沢山聞いた。恋愛も価値観も、自分の良い所も悪い所も、昔のやらかしエピソードも今抱いてる未来像も親の名前まで話した。

最終日にそれぞれが自分の誕生エピソードを話す場面では、お互いの苦しかった日を話して泣いたり、ここが素敵だよって言い合った。

結果として、このプログラムに参加しているメンバーに出会って、このままで良しとしていた自分に少し疑問を抱いた。そして、良い意味で、自分がまた分からなくなった。

みんな自分の苦手なことに必死に向き合おうとして、自分だけじゃなく人を幸せにしようと夢や未来に向かって必死になっている。
苦手なこと、嫌いなことは踏み込むのをやめたり無視したりして、自分の機嫌をとることで安定を維持していた私とは少しちがう。
とにかくかっこいいし、素敵だし目に見えやすい魅力を感じた。

ちょっと苦しいかもしれないけど、失敗したり弱い部分を見せながら、自分が自分に魅力の持てる人を模索してみよう。

そう思えたのも今回のフィンランド旅に参加して得られたもの。

色んな人に出会って気づいたのは、
私が魅力を感じるのは自分の行動に堂々と自信を持っている人。そして、人の立場になれる人。私がなりたい人間像もこれだと思う。

そしてみんな、ちゃんと苦しんでいる。
けれど、その苦しみを楽しんでいる。

まずは、苦しみから逃げずに向き合ってみようかな。

“自分の魅力って何だろう。”




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