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発達障害(自閉症)の息子の発達記録

自閉症の息子と行くアウトドアを書いています。
今回は、発達記録です。

息子は、予定日よりひと月ほど早く2426gで誕生しました。
父親(私)は離れた場所にいたので、病院に着いたらすでに生まれていました。もともと助産院で出産の予定が、大病院での出産となりました。

1歳ぐらいまでは、何の疑いもなく健康に成長していると思っていました。

もう少しで、バイバイしたりとか「おとーさん!」とか言うのかな~と期待していました。

しかし、1歳を過ぎても、
・目が合わない
・マネをしない
・しゃべる気配がない
・同じところにとどまらない

という状態が続いていきます。

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体は健康で、1歳2か月では、サッカーボールも蹴っていました。

1歳5か月頃、私の両親(息子の祖父母)が遊びに来て、息子に発達障害の疑いがあると告げました。実は、1歳頃から気付いていたけど、言わなかったそうです。私の両親は2人とも元養護学校の教諭でちょうど定年退職したばかりでした。私は、そんなことは信じたくなかったし、たまたま発達が遅いだけだろうと思っていました。

ネットでいろいろ調べチェック項目を見ると結構あてはまる事がありましたが、心の中では、何かの間違いであろうという期待がありました。

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歩かせると常に逃げるようにどこかに行こうとしていました。

1歳半検診では、発達の疑いを示唆されました。そもそも発達検査をきちんと受けてくれません。後日再検診ということになります。。

そんなおり、帰省の際の高速道路のサービスエリアで休憩中の事です。広場で息子を歩かせていたら、奇妙なつま先歩きを始めたのです。前に見た自閉症のチェック項目で、つま先立ちをしたり、くるくる回ったすることがあるとの記述があり、こんなことはしていないなと安堵の気持ちがありました。しかし、それを目の当たりにし、脳天を撃ち抜かれたような衝撃を受けたのです。そして、その他の項目とあわせて、この時息子の発達障害が事実であるということを突き付けられました。

その後、帰省先まで運転したのですが、ショックと悲しみで妻と共に涙が止まりませんでした。息子ははしゃいでいましたが、その無邪気さがまた悲しくなりました。

しかし、私自身もともと楽天的な性格なので、涙が出るほど深く悲しんだのはこの時ぐらいです。子育ては問題だらけですが、これ以降悲しむことはありませんでした。

再検診において、保健師さんにこの子は発達障害ですか?と問うと、恐らくそうだと思います、と割にはっきり回答してもらえました。この時は心の準備が出来ていたので、驚くことはありませんでした。型はめをさせられていましたが、そもそも、はめることに興味は無さそうでした。。

この頃、石ころや葉っぱに執着しだします。
外出するときは、葉っぱを探してつまんでいました。

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(サクラの葉っぱをずっとつまんでる。)

小児精神科の順番待ちは、半年ぐらいかかるので、診断結果を待たずに、2歳2か月から週三で療育センターに通い始めました。

2歳半ぐらいから指差しをするようになりました。
言葉はまだでません。

指差しが出始めた後、「あっ、あっ」と言って、なにかを要求するようになりました。
「食べる?」と聞くと「あっ」というレベルです。
そのうち、YesとNoを「あ」の強弱で表現するようになりました。
クレーン現象も多くなってきました。

年少から幼稚園の代わりに療育支援センターに通いました。
ここでの療育は楽しかったようで、中学生になった今でも、先生の名前を口に出します。

3歳を過ぎても言葉はまだ発しませんでしたが、「ぱぱぱ」だけで歌うようになりました。結構難しい音程も取るので、ちょっとびっくりしました。

この時期に、やっと小児精神科を受診出来る順番がまわってきて、「自閉症スペクトラム」との診断を受けました。

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(並び方が気に入らなくて機嫌が悪い様子、、、)

最初の言葉は、3歳7か月です。
祖父母と海水浴に行った際、「おじーちゃんと、おばーちゃん」と言ったのです。

えっ、今、しゃべったよね??となりました。

たまたまビデオ撮影していたので、見返すと、ちゃんと発音していました。
最初が、おとーさんや、おかーさんじゃなかったのが、残念です、、、

その後、カメのような歩みで単語が増えて、2語文、3語文となっていきました。今では、何度も繰り返すおしゃべりへの対応が疲れます、、

親として、特に希望は出しませんでしたが、小学校の支援学級に行くようになりました。支援学校レベルだと思っていたので、大丈夫かなと思いました。

まわりの子に比べ、会話や勉強系が全く出来ないので、レベルに合ってないかなと感じていました。また、運動会などの行事は、ただそこにいるだけで、踊りは全く出来なかったので、これ意味あるのかなという気持ちになりました。

私の転勤で、小3の途中で引越しをすることになります。息子は養護(支援)学校の方が合っていると思い、この時は養護学校を希望し、現在に至っています。

小6ぐらいまでは、ずっと多動の傾向が強く、買い物や外食が大変でした。また、自分の髪の毛を抜いたり、食事をひっくり返したり、自閉症特有の問題行動が続き、これいつまで続くんだろうということが多々ありました。

一方、体は丈夫で健康に育ってくれ、体調を崩すことはほぼありません。自閉症児に珍しく、食べ物の好ききらいがありません。環境の変化にも強く、今では、父親の私とキャンプを楽しめるようになっています。

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療育手帳はA2判定です。

今でも、親と手をつないで歩きます。
スマホやアイパッドが手放せません。
歯磨きやおしりふきは自分で出来ません。
お風呂は親と一緒に入ります。
ルーティーンが多いです。
何回も何回も何回も同じことを聞きます。

帰宅したら、ハグしてくれます。
死ぬほどかわいいです。。

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