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題名 「コードGR」 第一話 創作大賞2024漫画原作部門

#創作大賞2024 #漫画原作部門

あらすじ

若き医師エンゾは医療廃棄処分だったサイボーグ少女のボディを家に隠し持っていた。安楽死処分の患者の脳をサイボーグに移植する。ボディは少女、心は少年の機械仕掛けの美少女が爆誕。どうやら少年はある事件に巻き込まれたらしく記憶の一部が消えている。運命に誘われるかのように二人は治安の悪い地域ギルダタウンに足を踏みいれ、マフィアの兄妹に関わるようになる。マフィアの帝王マックスは妹ロザンヌの機体にいくら金を積んでもいいと言う。主人公エンゾとサブ主人公ジョーは、サイボーグ少女の機体の制作者人形師とエンジニアを探しにシカゴ旅立つ。

第一話 「機械の心臓」

 オペレーティング・シアター(手術室)で、エンゾが見たものは大きな筒型のガラスケースに入った胸部と頭部だけの人の身体だった。溶液の中に沈んでいるものは象牙でできた銅像のような無機質な物体だったが、まだ生きているということだけが人間の象徴だった。

 大学病院に運ばれてきた患者だ。推定年齢十六歳、白人、ほとんどの身体のパーツ、臓器などは抜き取られている。法医学検証後、警察にレポートは提出済み。

 しみだらけの禿げ頭のヤンセン教授はエンゾに伝える。
「君は安楽死の処置をするのは二回目だろう?  処置は君に任す」
 検体者がいれば脳移植で命を吹きかえすことは可能だが、問題は少年の精神のことらしい。生命を繋ぎ留めたとしてもこのような惨い事件にあった後には普通の生活には戻れないだろうと教授はだらだらと話した。おそらく臓器密売のグループの仕業だろう。きっと精神にも異常をきたす。ミーティングの結果、安楽死という方法をとることになった。

 サイバネ医師のエンゾは理解できなかった。
 少年の身元調査も親族への承諾もなしに処分するのか。
「脳移植をしてみるという手段がまだ残っていると思うのですが」控えめな口調で拒否した。
「会議で決まったことだ。すみやかに処分しなさい」教授は厳しい口調で命令し白衣を翻しさっそうと去っていった。

「安楽死か」手術室に独り残されたエンゾは自分の髪に手をやる。丸刈りに近いほど短い髪をジョリジョリする。
 医師三年目だが神業的器用さと術式の得とくが天才的に早かったので一目おかれていたが、付き合いが悪く、神経質で何を考えているのかわからないところがあり好かれていなかった。

 手術台の上の残骸と化した微かに生きている少年と対峙する。 ガラスのケースの横の注射器と薬のパス。薬を頸部に注射すれば少年は永遠の眠りにつく。
 いかなる方法を使って、あきらめず患者を治療するのが医師の勤めだと大学で学んだ。少年の命を奪うことはできないと直感的に感じていた。運命だったのかもしれない。

 ガラスケースをキャスターに乗せて白い布を被せる。キャスターを押して手術室を出る。
 エレベーターの前でほかの医師と立ち話をしている教授に終わりましたと伝え、裏口に向かう。小さな車輪の回るカラカラという音と天井の青白い蛍光燈の光。ただ出口に向かって何も考えずに歩く。たどり着いたドアを勢いよく開ける。
 夜空には星が見えない。曇りのためではなく、巨大都市ロサンジェルスから空に向けられた人工の光が星を消しているからだ。

***

 シーツに包まれたガラスケースを抱え、車の後部座席に置いた。

 キャスターを手術室に戻す。少年の死亡告知書を記入し、事務室に届けると帰宅することにした。

 家に向かう車の中で考えるのはアンソワープのこと。人形職人とロボット工学者の粋の技術を合わせて作られた芸術。思春期の少女の形をした機械。

 エンゾが彼女を見たのは三年前、まだアンソワープが魂を持っていたときのころ。

 彼女の持ち主は資産家の令嬢だった。令嬢は細胞が破壊される不治の病に罹っていて、朽ちていく肢体すら大学病院の医師団は食い止めることはできなかった。

 資産家の両親が棺に入った機体を或る日、病院に運んできた。巨額の資金を投資してどこらかで作らせた機体と数十冊もあるマニュアルを医師団に渡した。令嬢の脳を機体に移植をするよう資産家は依頼した。

 人体ドナーや機体への移植は五十年前の2150年に本格的に施行されたが危険を伴う難解な手術であった。安全な移植だと確信は得なかったが、天才外科医ウリス博士と脳外科チームが移植を成功させた。エンゾはその当時、見習いの工学脳外科医だった。

 リハビリ終了後、令嬢は機械の身体で家に帰っていった。しかし一年後、脳細胞の破壊が元で病院で息をひきとった。両親は機体を処分するよう病院側に頼んだ。

 芸実品とも言える人工人体をスクラップにするのは惜しく感じた。
 医療廃棄物置き場に無造作に捨てられた機体をエンゾは家に持ち帰り、アンソワープと名づけた。

 地下室のテーブルの上に安置して、休日は構造などをよく観察してみた。
 関節はとても良くできていて、人間の関節の動きと変わりない自然な動きができる。手を掴み肘を曲げて動きを観察する。驚いたことに360度回転できる構造だった。

 ボディ内部は合金、総重量は百五十キロ。関節は人工皮膚で覆うことはできなかったようで白金が直に見えていた。身体は硬化レジンで覆われている。
 顔はよく見ないと機械だとわからない。生え際や、瞳孔、頚部のつなぎ目をみるとサイボーグであることが判別できた。腰まである天使の様なウェーブのかかった金髪。少女らしいバレリーナのようなすらりとした体つきだった。胸は平らで当然性器は無い。怖いほど美しく精巧な芸術品、工学士の頭脳と人形師の美学の統合。

 或る日、彼女の唇に自分の唇を重ねてみた。冷たい無機物の味がした。それさえも心を虜にした。

 実際に動いたら、心をもったら。気がつくとそんな事ばかり考えるようになっていた。

 脳移植用に設計されており人工頭脳を組み込むことは不可能なことは知っていた。この時代、死は脳死をして宣告され心臓停止ではなかった。

 生きた脳が手に入ればアンソワープは目を覚ます。しかし、それは不可能に近かった。

 不可能が可能になった今日。人間の脳を手にいれた。考えることは少年の命よりもアンソワープ。

 郊外の緑の多い高級住宅街に着く。もう深夜なのでしんと静まり返っていた。一軒家が並んでいるが独身のエンゾは一人で住んでいる。

 アンソワープの機体をハーネスを使って車に運び込む。 車を運転し父親の経営する病院に向かう。患者は十人しか収容できない病院だが外科手術の設備は整っている。

 病院の入口で出迎えてくれたのは夜勤ナースのタオ。
「ぼっちゃん、これは?」
 昔から働いているタオはエンゾの元ナニーでもあった。
 「犯罪に巻き込まれて瀕死の状態にある少年だよ。これから緊急脳移植手術を行う」
「でも院長の許可は?」
「父の許可は取ってある。オペの補佐をしてくれないか?」
 タオはいぶかしげな顔で見るが、いいでしょうと手助けしてくれた。
 初老のナースと腕力ない青年は、やっとのことで機体とガラス瓶をストレッチャーに載せる。
 
 アンソワープへの脳移植は以前見ていたので、できるとエンゾは確信していた。
 白衣に着替え手術台の横に器具をならべる。少年の身体を生命保存液から取り出し維持装置に繋げた。
 タオは剃刀で少年の頭髪を削ぎはじめている。

 一番大きな器具は頭部切開SAWだった。これを扱うのは手慣れたものだが、肉と骨の焼けるあの臭いだけは何年経っても慣れない。軽い吐き気をもよおす。
 頭部開切SAWのパワーを入れると、手術室に甲高い回転音が不気味に反響する。躊躇することなく少年の頭部地肌にブレードを沈めた。

***

 脳移植が完了したのは午前四時。
 空いている病室にアンソワープを運んだ後、魂の抜け殻になった少年の身体を超低温窒素冷却し冷凍保管庫に保管する。

 エンゾはアンソワープの寝ているベッドの縁に座り、顔を覗き込む。
 ── はやく目を覚ましてよ。手術で疲れたから寝るよ。また会おうね。

 短い仮眠を取るつもりだったが、いつのまにか深い眠りへと落ちていった。

 夕方、父親に起こされた。
「突然やってきて手術室を勝手につかって」
「あれは、その……」
「エンゾにはおじいちゃんのようなマッドサイエンティストにはなって欲しくはないんだ。あのサイボーグは誰なんだ?」
「道で拾ったんです。壊れていたから修理して」でまかせの嘘。
「拾ったなら警察に届けなければならないな」父親は口髭を触わりながら言った。
「スクラップ場で拾ったので廃棄してあったのと同じです」慌てふためいて弁解する。
「相変わらず嘘が下手だな。誰にも言わないから全ての事を話してごらん」

 優しい口調に負けて、処分されるはずだった少年の命を救ったことを打ち明けた。
 医者として命を助けることは使命ではあるが、ときには患者の事を考慮して倫理に反すことをするのも医者の勤めだと、やわらかだが厳しく説教された。

 説教の後、エンゾはアンソワープの様態を見に行く。
 ベッドに寝ている彼女は窓から差し込む夕暮れのオレンジに白い頬を染められている。
 短いネグリジェからでた合金とレジンの脚は光を反射してとても奇麗だ。
 あまりの美しさに心を奪われキスしようとした。

 突然、彼女の目が開き、額にガツンと軽い頭つき。
 軽いといっても合成皮膚の下は鉄なのでまるでハンマーで叩かれたように強烈だった。エンゾはズキズキ痛む額を押さえて立ち上がる。

 アンソワープはベッドから上体を起して、何か話そうと口を開いた。
 かの愛らしいぷっくらとした唇から発せられた一言は。
「おい、てめえ誰だ?」
 声は澄んだ優しい声だったが、言葉遣いが乱暴だった。
「僕はエンゾ。外科医で君の手術をしたものだよ。手術したばかりだから安静にしていなさい」
「俺はジョー。あれ? なんか俺の声変じゃないか?」アンソワープは首をかしげる。
「なにがあったかあとで説明するから寝てなさい」
「うるせー。なんか身体の具合も変だな。げげげ。手足、生身じゃねーぞ。もしかして俺、サイボーグにされちまったの?」手足を見つめて唇をわなわなさせる。
「状態が安定するまで安静です」
「おい! 鏡! 顔、見てみたい」
 壁にかけてあった鏡を渡すと乱暴にひったくり、彼女は鏡を覗き込む。瞬きも忘れて、鏡の中の姿を見つめ長い事沈黙していた。

 五分ぐらい経っただろうかガシャーンという大きな音が沈黙を破った。
 突然、彼女は鏡を白い壁にたたきつけた。ガラスも枠もいとも簡単に粉砕してバラバラと床に散乱した。
「てめーか? 改造したのは? なんだこれは? もとに戻せ!」
 錯乱状態に陥るかと心配したが意外と冷静でただ怒っているだけだった。一通りの動作や言語発声を見ている限り、手術は成功したようだ。

 彼女はベッドから降りようと身を乗り出すがずるずるとシーツと共に床に滑り落ちた。立ち上がろうとするが脚まで指令が伝達できず、上体しか起こせない。
「だから安静にしていなさいと」
「うるさい! 俺の身体はどうした?」

「保存してあるから安心して」かがみ込んでアンソワープの顔をやさしく覗き込み語り掛ける。

 機械の冷たい右手がエンゾの首にかかり力を込めはじめる。
 喉を締められ息が吸えない。絞殺するつもりか?
「今すぐ見せろ」彼女は睨み付け命令する。
 手を振って分ったと動作で了解した。
 開放すると胸を軽く突いて早くしろと催促する。

 咳をしながら立ち上がると廊下にある車椅子を取りに行く。
 なんて腕力だ。まるでゴリラ並みの腕力だ。

 彼女を車椅子に乗せると地下の貯蔵冷凍庫まで運ぶ。
 厚手の手袋をはめると鉄の重い扉を開ける。
 霜に覆われたガラスケースに入った体を彼女の目の前にかざした。零下三百度で冷凍保存された四肢のないトルソー、頭部切開された痕は生々しく、誰かによって切断された胸部の傷口も赤黒くグロテスクだった。

 アンソワープはそれを見ると同時に身体を曲げて口を抑えた。生身の人間だったら吐いていたかもしれないが、機械の身体では胃に吐くモノもない。
 すぐに遺体を冷凍庫に戻した。
「ショックだったかい? 殆どの身体のパーツは盗られて売られてしまったらしいんだよ」彼女の背中を優しく撫ぜてあげる。

 ウェーブの金髪の間から聞こえてきた声はまるで悪魔のささやき声のようだった。
「あのデブ! バラバラにしやがって。ただじゃすまねーぞ! ぶっ殺す」
「デブって?」
「ギルダタウンのミノクの野郎だ。奴がやったに違いねえ」

 ギルダタウンとは東部のダウンタウンで、あらゆる犯罪が行われている地域だった。普通の市民は怖がって足を踏み入れない無法地帯である。
「君はギルダタウンに住民だったのかい?」
「違う。隣のアルトンに住んでいた。ところで、俺は歩けるようになるのか? 足がもつれてうまく歩けないみたいだ。もしかして手術が失敗したんじゃないかって心配なんだけど」

 少女の顔に暗い影がよぎる。
 親指を少しくわえ心配のそうに考え込む少女の姿にエンゾは胸がときめく。アンソワープには命がある。動かない人形だったアンソワープに魂が宿った。
「リハビリするれば二週間で歩けるようになるよ。どうやら様態は安定しているみたいだね。僕の家に来てゆっくりリハビリしようね」

***

 車の助手席にアンソワープを座らせシートベルトをかける。
 家に着くと車椅子に乗せた彼女を静かに家に招き入れる。
 おかえり、アンソワープ。

 彼女は殺風景なダイニングをまじまじと見回す。テレビをつけると前に連れて行く。

 冷凍庫からピザを取り出しオーブンに入れる。瞬時に調理が完了し、皿に乗せ、立ったまま食べはじめた。
 
「俺もピザ食いたい」アンソワープは、お願いするような口調で言う。 
 彼女は食べ物を口にできない。脳の生命維持用の栄養補給カプセルを一日2回経口摂取するだけだ。機体は充電、またはソーラーパワーで動く仕組みになっていた。
「君は普通のもの食べられないんだよ。人工身体だからね」
「そ、そんな。飢えて死んじまう」
「後でカプセルあげるから大丈夫だよ」
 薄い緑の瞳が少し哀しそう。
 エンゾの顔とピザをうらめしそうに交互見つめる。時に口をモグモグしたり。すごく可愛い。
 彼女を見つめながら、三角にカットしたピザを手に掴んで自分の口に運ぶ。彼女もつられて、あーんと口を大きく開く。がぶりとピザに噛み付くと、がっかりした顔で正面に向きなおしてテレビを見だした。

「俺、家に帰りたい」
 彼女の口から漏れた言葉で、エンゾは食事の手を止めた。
 そうだ、大切な事を忘れていた。あの少年の家族のこと。
「でも、オカマになってしまったって、じいちゃん知ったら悲しむだろうな」ぼそぼそと話し出す。

「家族には僕が連絡を取るよ。詳しく教えてくれないかな?」
「親は俺が小さい時、交通事故で死んだ。その後、じいちゃんが面倒みてくれた。じいちゃんは職人で、サイボーグの顔とか腕とか足を作って俺のこと養ってくれていたんだ。半年前まで普通に暮らしていたんだ。あんな奴等がじいちゃんに目をつけなければ、ずっとあの生活は続いていたんだ」
「あんな奴って?」さらに話を聞きだそうと質問をした。
「また別の時に話す」寂しそうな口調だった。
 大きな二重の目がエンゾをじっと見つめるが、薄緑の瞳はやはり見るだけの機能を行うために設計されていて、感情は浮ばないようだった。金色の長い睫からは涙はこぼれない。
 
***

 家でアンソワープのリハビリが始まった。歩行練習が主な日課だった。
 字を書いたりボタンを押したりする手の動きは直ぐに元に戻り、何の支障もなくできるようだった。一週間で、なんとか普通に歩けるようになり、人の手を借りずに階段も手すりにつかまって上れる様になった。

 彼女は長い髪をもてあましていた。エンゾは鏡の前で彼女の髪を櫛でとかしてあげる。

 鏡に映る美少女と平凡でつまらない男。
 いつの間にか二十九歳になっていたとエンゾは心のなかで呟く。毎日毎日衰えていく顔。あと数年もすれば、白髪も増えておじさんのような顔になる。髪は短く刈ってある。父譲りのとんがった鼻はあまり好きではない。黒い髪に青い目……これは遺伝の順列を一つとんで祖父から譲り受けたようだった。
 サイボーグのアンソワープは永遠の少女。歳をとることはない。
「おい、先生よお。髪が長いって面倒だな。女ってメンテナンスが大変だな」
 お願いだから、しゃべらないで欲しい。幻想が壊れるから。
「アンソワープ。ちょっと言葉遣い気をつけてくれないか?」
「俺、男なんだってば。とりあえず、サイボーグの身体借りるけど、生身の体を復元して元に戻るから」

 或る日、彼女は頼んだ。
「女の声、嫌だから、どうにか元の声っぽい感じにかえられないかな?」
「できないことはないけど」
「頼む。お願いだから」

 エンゾの両腕を掴んで、顔を見上げながら真剣な声で懇願する彼女の顔を見ていたら、お願いをきいてあげたくなった。
「キスしてくれて、愛してるって言ってくれたら」
「なんだそんなことか。いいよ。ただし、俺の声を戻してくれたらな」 素直なので変だと思ったが、彼女を自室のコンピューターの前に連れていった。

 首の後部のハッチを開け、コードでコンピューターに接続し「声帯変換」プログラムを起動する。
 ペンを彼女の右手に握らせ、声の変え方を教える。
 音域、低音、高音のカーソルを上下させながら発声し、決まったらコンプリートボタンを押せばいい。
「あー、いー」と少しソプラノの優しい声で、音程を変えながらテストしはじめた。すぐに元の声らしき音程みつけ音声変換プログラムを完了させた。

「ありがとう、先生」ハキハキした少年の声に変わっていた。
「あ、約束の……」
 そう言い終わらないうちに、アンソワープはエンゾの首に優しく腕を回す。 エンゾが目を閉じた瞬間、思いっきりヘッドロックを掛けられた

「この変態! 誰がてめえなんかにキスなんてするかぁ。俺の名前はジョーだ。分かったか。ジョーって呼べよ!」肘で首をぎりぎり締め付ける。

 万力みたいな鋼鉄の腕で首を絞められ殺されるのか。どこの誰だか分からない少年の脳を移植するんじゃなかった。大失敗だった。
 
 意識が落ちる前にどんと床に突き飛ばされた。
「家に帰る。車で送れ」彼は車椅子から立ち上がると、偉そうな口調でエンゾに命令する。
 断れば、また首を絞められると思い、冷や汗もので『彼』を家に送ることにした。

***
 『彼』が助手席に座り方向を指示する。

 アルトン地区は小さなこうばが立ち並ぶ活気のある職人街だった。
 車が止まった前にあったのは、焼け崩れた家だった。
 彼は車から降りると、黒くすすけた家を見て呆然と立ち尽くす。
 足元にはアルミでできた看板がおちていた。
「工房ルシア」
 なんとか文字を確認できるほど、ひどく焼けこげていた。

「家が焼けてる。じいちゃんは死んじまったのか?」
 両手をぎゅっと握り締め立ちつくしている彼の口から絶望的なつぶやきが漏れた。エンゾは肩に手を置いて慰めようとする。
「車ですこし休んでいなさい。近所の人に聞いて、何があったか調べてくるから」
 そう言い終わらないうちに、向かいの工房から老婦人が引き戸を開けて現れた。
「一ヶ月前、火事があって全焼したんだよ。放火じゃないかって警察は言ってたけど。じいさんなら生きてるよ。酒場に寝泊まりしてるよ」

 エンゾはお礼を言って、婦人が指さした方向にアンソワープと歩く。

 ツタがからまった薄汚い小さな酒場があった。
 暗い店内の片隅で、ひげののびきった老人がテーブルに頬杖をついて、瓶に直に口をつけ、どうでもいいといった様相で酒を飲んでいた。

 エンゾたちは向かいの席におずおずと座る。
「あー。おめえらなんだ?」
 酒臭い息が鼻についた。
「僕はエンゾ・ヨキルスク、医者です。実はお孫さんのことで……」
 言い終わらないうちに、老人はおいおいと泣き始めた。
「殺されたんだろ。誘拐された後、ジョーの切断された両手が小包で送られてきたんだ」
 老人はごほごほと咳込んだ
 アンソワープは無言でエンゾの袖を引いて外に連れ出した。
「どうする? お爺さんに君のこと話していいのかい?」
 
「止めとくよ。じいちゃんは、職人気質のプライドの高いマイスターだった。なのにあんなに変わってしまうなんて。俺が、こんな姿になったこと知られたくないし。じいちゃん、身体壊してるみたいだから診てやってくれよ」戸惑った様子で、でもはっきりと言った。
「分った。その代わりに暴力を振るうのはやめるって約束してくれる?」
「分った、ごめんなさい。もうしないから」

 酒場に戻ると、老人はテーブルに突っ伏して寝ていた。肩を揺すっても返事はない。老人の手を見ると異様に黄色い。
 黄疸がでている、これは救急車を呼んだ方がいい。

 サイレンをあげ去っていく救急車を見守りながらアンソワープは呆然としていた。
「じ、じいちゃん、死ぬなよ……お、俺っ、うっ」
「僕が勤めてる病院に入院できるように手配したから大丈夫だよ」

 脳外科医のエンゾには、老人の病気は完治するかどうかは分からなかった。ただ明確なのは長期入院になるが、そのほうがホームレスの老人にとっては良いということだけ。

一週間後、エンゾたちはお見舞いに行った
 まだ重篤な状態なので様子を見ただけで一言も言葉を交わさず、アンソワープが持ってきた好物のビスケットをベッドの横に置いてきただけだった。
 病院から歩いて帰る途中、アンソワープはエンゾに問いかける。
「この身体って拷問だ。悲しいときに涙はでない。ただ感情をこらえるしかなくて。なんなんだよ……この『アンソワープ』って女はよ?」
 エンゾは、どう返答すればいいのか分からず視線を店のほうに向ける。
 繁華街の大通りの真ん中だった。ショーウィンドウに群がる客は商品の物色に夢中になっている。
「サイボーグの体のせいで人間らしい生活なんて全くできない。飯も食えない、風呂も入れない、友達もできない、じいちゃんに本当のことも話せない」次々に文句をまくしたてる。
 さっきから悪態ばかりついているアンソワープが可哀相になって、つい言ってしまった。
「女の子なんだから、その言葉遣いはやめようよ。そうだ、可愛い服買ってあげようか? 靴も欲しい?」
 
 アンソワープの歩調が止まり、きっとした顔で睨む。大きな声ではっきり言い放った。
「いいかげん目を覚ませ! これは『人間』じゃないんだよ。てめえは、サイボーグの女の子と自分の世界に生きているだけなんだよ!」
 シルバーのパトカーが一台、突風と共にアンソワープの横を走り抜けていく。
 風圧で長い金色の髪がふわっと空に舞い、キュッと唇をかみ締めたと思ったら、突然、背を向けて走り出した。
「ちょっと! 待ちなさい」
 エンゾもつられてダッシュで追いかけるが、百メートルも走らないうちに息切れしてクラクラしてきた。
「止まりなさい!!」必死でアンソワープを追う。
 アンソワープはみるみる距離を離して、視界から消えていった。
 エンゾはハーハー肩で息をしながら、とぼとぼと一直線の道路を歩く。
 交差点で交通整備をしているヘルメットをかぶったロボ警官にサイボーグの少女を見なかったか尋ねてみた。
 ロボ警官は黒い革の手袋におおわれた人差し指を交差点を渡った正面にある公園の正門に向けた。

 ***

第二話に続く

https://note.com/bun03/n/neb0792cdde83?from=notice


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