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「発刊の辞」の研究

KADOKAWAの角川歴彦会長が東京五輪の贈収賄事件にからんで逮捕されたのは出版にかかわる者には衝撃でした。SNSでもいろんな人の感想や意見が読めました。角川書店の思い出とか。その中で気になったのが、角川文庫の最終ページあたりに載っていた「発刊の辞」がなくなっているらしいという話題。

え? マジで?

文庫レーベルで特に老舗は、すべてではありませんが、レーベル発足にあたっての発行人の決意や読者への呼びかけを格調高く記すページを設けています。

有名なのは岩波書店創業者の岩波茂雄による「読書子に寄すーー岩波文庫発刊に際してーー」でしょう。昭和2年7月と記されています。「今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である」「いやしくも万人の必読すべき真に古典的価値ある書をきわめて簡易なる形式において逐次刊行し、あらゆる人間に須要なる生活向上の資料、生活批判の原理を提供せんと欲する」といった、時代を感じさせる文言が並びます。

岩波文庫

この檄文(自分の主義や行動の正しさを人々に知らせる文章。『三省堂国語辞典第七版』より)のような文章が、創刊以来95年にわたってずっと岩波文庫の巻末に掲げられていたわけです。

(ただし今参照している2022年刊行のグレゴリー・ベイトソン著『精神と自然』では現代仮名遣いなので、途中で1回以上版を改めたものと思います)

角川源義による「角川文庫発刊に際して」は、発刊の辞としては「読書子に寄す」と並んで有名でしょう。「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。」という書き出しを初めて意識的に読んだときには不思議な感動を覚えたものです。岩波茂雄の言葉よりはるかに強く時代の刻印を感じさせますが、普遍的な価値を訴えるのではなく、古びることを恐れず「この日この時に俺はこう思っているんだ!」と自分の思いをまっすぐに突きつける感じ。

角川文庫

この文章に衝撃を受けた人は少なくなかったはずです。

それをもう掲載しなくなった、すなわち創業者の思いをあっさり捨て去ってしまったとすれば、それほど冷たく非情な会社になったのだというストーリーがすぐに描けそうです。しかし手元の角川文庫を確認してみると、2019年(令和元年)の奥付がある塩田武士『騙し絵の牙』の末尾には残っています。件の投稿をした人の手近にある実物にたまたま載っていなかった可能性もあると思って調べたら、やはり今でも健在だそうです。

ではほかの文庫レーベルはどうでしょう。

新潮文庫は1947(昭和22)年に今の形になっていますが、手元にある一番古い1974(昭和49)年発行の辻邦生『北の岬』にも載っていません。1914(大正3)年に刊行を開始してから、判型が現在のA6判になるまでに紆余曲折あったことも関係しているのでしょうか。

手元にある文庫本で「発刊の辞」を載せているのは、老舗では講談社文庫でした。発刊時の社長、野間省一氏によるものです。

講談社文庫

同時期に発刊された集英社文庫、中公文庫、文春文庫は載せていないようです。

比較的新しい1985年創刊の福武文庫は、会社創立者であり当時の社長でもあった福武哲彦氏が「福武文庫創刊に際して」を寄せています。まさかこの翌年に急逝するとは思っていなかったでしょう。

福武文庫

角川書店出身者が設立した版元、幻冬舎と角川春樹事務所はどうでしょうか。幻冬舎文庫の奥付のデザインは角川文庫にちょっと似ていますが、見た範囲では「発刊の辞」は載っていません。角川春樹事務所のハルキ文庫にも見あたりませんでした。角川春樹氏の父に対する複雑な感情があるせいでしょうか。

近年刊行が始まった文庫レーベルの中では、コンセプトが明確な光文社古典新訳文庫にはあってもおかしくないと思ったら、やっぱりありました。「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」と題する平明かつ格調高い文章です。おそらく創刊編集長の駒井稔さんによるものだろうと思いますが、文責がどこにあるかは記されていません。

光文社古典新訳文庫

まだ調査が不十分ではありますが、発刊の辞を読むと、出版という事業はまさに人間らしい営みなのだなと再認識させられます。

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