首都の品格《⑨牡牛の頭》

  明治維新以降約150年の間に、東京に蓄積されたあらゆる既得権益と、そこに住む人々の心の中で無意識のうちに醸成されてきた慢心を振り払うためには一体どうすればよいのだろうか。それを解く鍵は我が国の歴史に隠されている。
 作家の堺屋太一氏が指摘したように、我が国の歴史をひもとけば、飛鳥時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代・安土桃山時代(本来であれば安土大坂時代と呼ぶべきだが)・江戸時代といった具合に、すべて首都機能の所在地で時代名が呼ばれていることに気がつく。この事実は、我が国では首都が移転すれば、時代が一新される一方、首都が移転しなければ時代も一新されなかったことを如実に示している。仏教勢力の弊害を一新するために、都は奈良から平安京に、北条氏の得宗専制政治の弊害を一新するために、政治の中心が鎌倉から京の室町へ首都機能が移転した結果、時代は一新されたのである。そして、今こそ東京出身の二世・三世議員が多数を占める国会議員や官僚の既得権益を一掃するために、首都を官主導のまち東京から民主導のまち大阪へ遷す時である。
 ある人はこう言うだろう。首都を移転しなければ、改革が進まないという発想は本末転倒ではないかと。しかしながら、我が国の制度改革の成否はある意味で国民の意識改革を実現できるか否かにかかっているのであって、現実に制度改革が遅々として進まず、国民の意識改革が一向に進まない中で、改革の起爆剤となるのが首都移転なのである。
 「首都の品格」とは何か?英語で首都を表す「capital」には「牡牛の頭」という意味がある。牡牛は高みで安らぎ、世界を軽やかに走り回る、陽気な戯れの神ディオニュソスの象徴的な動物である。ディオニュソスは「牡牛の徳」を備えている。それは、自由で、多様な存在を肯定し、あれもこれも欲しがらない贈り与える精神、すなわち「贈り与える徳」にほかならない。本来、一国の首都たる地には困難な状況の時にこそ、このような贈り与える徳が備わっていなければならない。これが「首都の品格」である。
 荒涼たる砂漠の動物であるラクダはつねに重苦しい反動的な価値観しか構築することが出来ない。たとえ、ラクダが牡牛の持つ異質さや負の側面を幾ら取り出し、軽蔑してみせても、それは怨恨に基づく反感でしかない。ラクダは牡牛には決してなれない。
 むしろ、東京によってこれまで負のレッテルを貼られ続けた大阪の方が、自律的で、笑いと軽やかさに満ちた次世代日本を先導できる。軽やかな牡牛の頭にふさわしい大阪の地から、自主・自立の精神を全国津々浦々に流布し、国民一人ひとりが自信にあふれ、やりがいを感じる日本を構築すべき時が来た。

雑感 2020年4月16日(木)
 松井一郎大阪市長は4月14日(火)に、医療現場での防護服が不足している状況を踏まえ、雨がっぱの提供を呼び掛けたところ、2日間だけで10万着以上の提供があったことを明らかにし「大変ありがたい」と感謝の言葉を述べた――ノーコメント。

雑感 2020年5月6日(水)

 吉村大阪府知事は大阪府が創設した「新型コロナウィルス助け合い基金」に10億円の寄付の申込みが来ていることを明らかにし、感染者を治療する医療従事者に1人当たり一律20万円を渡す方針を示したーーノーコメント。


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