見出し画像

獣姫

5-6

 その後、打ち合わせも兼ねて君の工房へと向かった。真田は留守の様で、聞けば今日も化野へ向かっているとのことだった。君の部屋は変わらず小さな小宇宙を形成していて、どこか非現実感が漂う回廊のように俺はその光景に困惑する。改めて君の人形を見る。部屋の中に鎮座する数々の人形達は、近くでみるとその精巧に驚かされる。本当の少女の様に透き通る肌は、不謹慎ではあるかもしれないが、この人形にすら欲情を抱く輩がいても可笑しくはないと納得させられる程だった。陶器のように滑らかな指先。
「全てが私の子供。動かない。意思の無い子達だけど」
俺が人形の指先に触れる寸前、君が口を開く。俺は指をスッと引き、君を見つめた。再び、この部屋で初めて君を見た時に感じた既視感に襲われる。君を知った後でも、いや、知ってから尚更に人形の中に浮かぶ君は、やはり人形のように俺の瞳に映る。
「でも意思を感じる様に俺の眼には映る。不思議だな」
「そこが人形の面白い所。この子達の意思は、作り手の私たちの意思を反映しているように思えるの。私たちの内面、ナルシシズム、その全て…」
言われてみれば納得だ。君の人形達は全てが美しく、邪気がなく、それでいて時折魔性を感じさせる。俺は再び手を伸ばし、人形達の指先を優しく撫でてやった。人形達が微笑んだような気がした。
「喜んでる」
「わかるのか?」
「わかるわ。母親だもの」
聖母じみた優しい声が君の唇から零れ落ちた。
「この工房で五年、人形を作り続けた」
君は言葉を続ける。どこか講談めいた語り口に思わず吹き出しそうになる。
「延々と。ただただ先生の作る人形に追いつきたくて。それが叶わないことだと知ったのは一昨年の事」
「何かあったのか?」
俺の問いに君は答える事も無く頭を垂れる。野暮な詮索だったのかもしれない。俺は視線を再び人形達に向ける。ぞっとする程に冷たく無機質な瞳が部屋中を埋め尽くす。これだけの瞳に射抜かれながら生活する君たちはやはりどこか歯車が狂っているのかもしれない。棚を見ているうち、ある傾向に気付く。動物や大人も交じってはいるが、君の棚の人形達の多くは少女だった。どれもがまだ五つか六つ頃の姿形をしている。塔子。君が名前をつけた人形達を思い出す。愛らしく微笑んだ人形には、既に君が欲して止まない生気のようなものが感じられる。
「充分だと思うがな」
「何が充分?」
「充分に生きている様に見える。魂が宿っている様に感じられる」
俺の発言に君は微笑で返す。その様はやはり魔性だ。
「一番嬉しい褒め言葉」
君は静かにそう言った。
「先生の目録と同じで構わないのか?その…構成だよ」
「図鑑みたいな感じだよね?」
俺は頷く。真田の目録はまさに図鑑、カタログの類いだ。選りすぐりの作品を選んでなお、あの点数なのだろう。一つ一つの作品に重みがあり、頁も特殊な紙を使用しているのか、目録はひどく分厚かった。掲載されている作品に価値があるからこそ、真田の目録はあえてシンプルな装丁が際立つ。君の作品も彼の作品に負けず劣らずだが、少し遊びを加えた方がいいのかもしれない。
「基本はカタログ調で。先生のは古書か図鑑みたいな目録だから、あえて君はそれに追随しない方がいいだろう。モダンな色合いを取り入れてみよう」
「モダンな色合い?」
「八十年代美術がまた見直されてるだろう?あの路線」
「嫌いじゃないわ」
「人形だけを載せるのはつまらない。全体的に凝った装飾を施したポートレートもいくつか載せよう。君の人形は活き活きしてるから、作品単体でもジオラマで良さが引き立つ」
 頭の中にラフを描く。そのラフは目録ーというには少しファッション性や商業性を誇示しすぎの嫌いもあるかもしれないが、真田との差別化にはその方が良さそうだ。それに君自身のヴィジュアルもまたその系列のデザインと指向性が合っている様に感じられた。俺の言葉にきょとんとしている君の表情は、俺と君の才能が違う事を何よりも雄弁に物語る。今の君のように。君が頭の中で人形を思い浮かべ、その製作過程に思いを馳せる時、俺はきっと蚊屋の外だ。使用する人形を改める。君がいくつかをピックアップするが、その数は膨大で、これを絞りきるのは一仕事だと感じると同時、君の日々の創作スピードに感嘆する。携帯カメラで写真を取り込んでいく。画素数が少ない簡易カメラですら、君の人形が他とは一線を画しているのが見て取れ、その美しさに武者震いする。簡易カメラで撮った画像を一括でパソコンへ送りつける。パソコン上に映し出された写真をスクロールしながら一枚一枚を改める。小一時間近く、その作業は続いた。君の吐息と俺の吐息しかこの部屋内には聞こえなかった。人形の館、静寂が包む部屋。君はモニターに映る自分の子供達の美しさに感嘆の声を時折あげるものの、その瞳は真剣そのものだった。不意に鼻をくすぐるミント系の香り。シャンプーの香りだろうか。君の髪から発せられるその蠱惑的な誘いに自制心を破壊されそうになる。項に眼をやる。白い体毛。それは人工物の様に不自然に彼女の肌に吸い付いている。白い肌。陶器のような白い肌。君の頬は桜色に染まり、その美しさがスクロールする画面の暗がりで一瞬花開く。延々と続く君の子供達の写真。永遠に続くかと思われたそれが、一つの写真で終りを告げる。君、だろうか。涙を浮かべてしゃがみ込む女性。画面が暗闇へと戻る。君がパソコン操作を終わらせたのだ。
「今のは忘れて」
「綺麗な写真。最近か?お芝居のお勉強もしているのか?」
強烈な眼光が俺を射抜いた。射精したときの様に、背筋が震える。
「忘れて。今日は帰って」
くだらない冗談を言った事を悔い、謝ろうと口を開ける。しかし、君の人形のように冷たい横顔にその思いすら萎えていくのを感じた。
「また来るよ。今日のデータ、俺のアドレスに送っておいてくれ。どれを使うか君の希望をリストアップしておいて。今度また、的場を交えて企画会議をしよう」
君は頷く。先程までの魔性はどこに消えたのか、少女の様に頼りなく朧げな表情を浮かべている。
 
 家に帰り、カップヌードルを意に流し込み、パソコンへ向かう。仕事中のデータを立ち上げて、一人その画面と格闘する。なかなか終わらない作業に嫌気を差し、ロエンの事を思い出す。部屋の片隅に置かれた真田の目録へ手を伸ばす。立派な装丁。ヨーロッパの書物の様に表紙の革が豪華さに拍車をかける。パラパラと頁を捲る。やはり引き込まれるものがある。真田の本。他とは違う。ただの人形の羅列とは決定的に違う。何が違うのかわからなかったが、捲っていくうちに、こちらにもある種の傾向が見て取れた。女性の人形が多くを占める紙面が、ある時を境に男性へと変わる。妙齢の男性の人形がその多くを占める様になるのだ。真田は同性愛者か?それともナルシシズム?男性器まで精巧に作り込まれたそれを見ているうち、真田の人形が他と決定的に違う、違和感とも言える程のその差異がどこにあるか気付かされる。有機性。合成生物という、生身の学問から派生し、その先へと向かっている人形作りだからだろうか。真田の人形は等しく有機的だった。頁をさらに捲り続ける。再び女性。それも妙齢の。二十代幾ばくかの年頃の外見の人形が多い事に、俺は訝しがる。中年、壮年、もしくは老年。その先の人形の姿は目録からは散見出来ない。思い返せば君の部屋、真田の部屋、どのどちらにも共通する事象だった。年老いた容姿をした人形が少ない。何か理由があるのか、一人首を傾げるが、考えても埒の飽かないことだった。君が真田に対抗して造り出そうとしている目録。俺のデザインで価値を押し上げる等と豪語してみせた事に対して、今になり気恥ずかしさがこみ上げる。両者ともに素晴らしい作品の作り手だ。掛け値無しの芸術品を装飾する外箱を造り出すのは、同じく芸術品を産み出す作り手こそが相応しい。俺にその資格があるのかどうか、今にして思えば疑問だった。そこらの書店で見かける一目を引くレイアウトならお手の物だ。しかし、それが果たして君が欲する目録として相応しいのかどうか、先程とは打って変わって今の俺には自信がなかった。
 夜を徹して依頼されていた広告チラシのデザインを仕上げる。先方にデータを送り、暫しの間休息に浸る。珈琲を飲んでいたその時だった。携帯が震える。知らない番号。
「貴様、何を企んでるのか知らんが余計な事をしてくれたな」
声の主は真田だった。激高している。牙を剥き出しに吠える狂犬の顔が眼に浮かぶ。
「何の話です?この番号はどこから?」
「恍けるな、糞野郎。貴様雛菊に何を吹き込んだ?」
「何も。雛菊さんが何かおっしゃってたんですか?」
「お前から送られて来たラフを見た」
君へのプレゼント。真田はあれを見たのか。
「あれはほんの遊びだ。せっかく素晴らしい人形を作ってるからそれを紙面にしたらどうかと。雛菊さんには断られましたが」
「当然だ。いいか。俺の創作風景を覗き見し、本にするのは別に構いやしない。俺がお前らから注目されるのも致し方ない。だがな、雛菊は別よ」
鼻息荒く真田は捲し立てる。そのあまりの勢いに、電話越しなのに俺は冷や汗をかく。
「雛菊は狼人だ。お前らマスコミはー」
「マスコミじゃない。デザイナーです」
「どっちでも同じ事さ。お前らマスコミ連中はいつも同じだ。人様の聖域に土足で上がり込んで荒らし、盗み、犯す」
「物騒な物言いですね」
「違うか?雛菊は俺の弟子だ。お前らの作る本に出る事自体、俺には虫酸が走る」
「所有欲ですか?」
真田の口から勢い良く奔流していた言葉が止まる。喉を鳴らす音が聞こえる。
「そういう憶測だよ。お前らは嘘百百を面白おかしく書き立てる。金儲けになるならなんでもやる」
「気分を害されたのなら謝る。それにロエンにはもう彼女のことは一切書かない」
喋りながら的場の苦虫を噛み潰した顔が浮かんだ。奴は烈火の如く怒り、失望するだろう。
「それで済むか、間抜けめ。お前らの作る雑誌そのものに俺はもう出ん。お蔵入りだよこの企画は」
「それは困ります。編集者達は何も知らない事だ。俺の独断でやったことだ」
「同じ穴の狢だろうが。同様の企画を考えていた」
「確かに。それは否定しません。ただ彼らは真剣にあなたを尊敬して、素晴らしい本を作ろうと奔走しているんだ」
「知った事か」
「なら俺はもう関わらない。今回のロエン、俺がアートディレクションを行う予定だった。それを辞退する」
言いたくはなかったが、一番現実的な妥協案を投げかける。電話越しに唸り声が聞こえる。真田は考えている。俺の謝罪と妥協案を吟味している。
「あなたが怒るのも当然だ。俺が無作法だった。謝ります。だからロエンの企画だけはこれまで通りに関わって欲しい。後生です」
真田が唸り続ける。暫しの沈黙の後、真田が喉から絞り出したような声で俺に囁く。
「いいだろう。だが貴様は俺の家には出入り禁止だ。雛菊とも会うな。金輪際な」
「わかりました」
「約束は守れよ、この間抜け」
そう言って真田は電話を切る。突如途絶えた電波に俺は笑うしかなかった。
 暫く一人、冷めた珈琲を飲みながら君の拵えた人形達の写真を見つめていた。この仕事も無くなるのだろう。君と会う事は的場や岡田に対しての裏切りになり得る。幸い、的場には優秀なデザイナーの伝手がある。それなりの紙面をこさえることが可能だろうと、俺は目算を立てた。だが釈然としなかった。真田の怒りは異常だった。話も辻褄の合わない事が多い。狼人の人形師。それは企画としては確かに美味しい素材なのかもしれないが、それが発端となり君に何らかの災禍が降り掛かるとでも、彼は本気で信じているのだろうか?俺にはよくわからなかった。第一ロエンは数千部しか発行しない同人誌のようなものだ。電子版と合わせても一万も売れないこの雑誌に、それほどの影響力があるとは思えない。あくまでも好事家達の慰めものだ。携帯が震える。今度は君からだった。
「もしもし。私。先生から電話あった?」
矢継ぎ早に先程の事に関する質問。俺は気のない返事を返す。
「少し前に。随分お冠のようだぜ、君の先生は。だから本当言うとこの電話もまずいんだ」
「あなたが辞退するって。そう聞いた」
「ああ。だからロエンは他のデザイナーがアートディレクションする。そして君にはもう会えない」
「馬鹿みたい。そんな約束を守るの?」
君が咎めるように小さな声で囁いた。君は怒りに包まれると言葉遣いが幾分幼くなる。それだけは年相応だ。
「守らなきゃ。そうしないと的場達に迷惑がかかる。あ、編集者の人」
「知ってる。でもバレなきゃ」
「熱りが冷めたら会えるさ。それに君の仕事が残ってるだろう」
電話越しに、君の顔にパッと明かりが灯ったのかがわかる。
「それを心配してたの。やる気なんだ?」
「なるべく会わない様にね。理想を言えばロエンを作った後。どう?」
「私は構わない。それまではメールで打ち合わせをするわけね」
「ああ。でも今度はバレない様に細心の注意を払ってくれよ。的場や岡田に協力してもらえば素材の撮影はなんとでもなる」
話を続けているうちに君が昂揚していくのがわかる。空気感だろうか。俺達を包む空気感は間違いなく2人の間では昂揚している。
「あなた、逃げ腰になったかと思った」
「俺が?俺は喧嘩を売られてるんだぜ?君が喧嘩を売る張本人に。買わなきゃ損だろう」
そう言いながらキャメルをくわえる。ロエンの製作に手をかける必要性が減った今、君の仕事に本腰を入れて取りかかれる。俺は煙を吐き出しながら、自分の中に点いた小さな火に気がつく。初対面から馬鹿にされていた。デザイナーは芸術家とは違うと。何もデザインをしていないと。ならば見せてやると息巻く。俺が君の人形を一歩上へ押し上げる。
「それにしてもわからないことがいくつかあるんだ」
俺は思い切って気にしていた疑問を口にする事にした。蟠りではないが、君について気になる事柄を氷解した上で進めていくことが、より良い作品に繋がると俺は感じていた。
「何?」
君は訝しがる様な口調で俺に尋ねる。俺は思い直す。プライヴェートな事柄は、会った時の方が安全だろう。
「いや、次に会った時。その時に聞かせてもらうよ」
電話越しで君が微笑んだ気がする。そのまま電話は切れた。俺は肩を鳴らし、モニターに向かう。先程の送ったファッションチラシの修正指示がメールで届いていた。俺が送ったデータに大量に赤が書き加えられている。それは既一つのデザインのようだ。苦笑いしながらそのデータを見つめる。
 的場は俺の戦線離脱をひどく残念だったが、それでも真田芳雄という素材を手放す事と天秤にかければ答えは考えるべくもないと言わんばかりに、俺に礼を言った。
「色々とさ、手伝ってもらいたい仕事もあるんだよ」
「雛菊さんの目録のことか」
「そう。何十点か写真を用意して欲しい。出来るだろ?」
「下村さんがなんて言うかだな」
下村。思い出した。あの男は歪んだ愛憎を抱えていた。俺の贈ったラフを真田に見せたのは下村かもしれなかった。今の状況を引っ掻き回そうとしているのかもしれなかった。何の確証もある訳ではないが。
「そこは幾らでもごまかせられるだろう?口八丁手八丁の的場さんだ」
俺の軽口に苦笑しながらも、的場は俺の仕事を手伝うのを了承してくれた。画像データさえ入れば最悪一人でもデザインをあげられる。当初の頁数である七十二頁は難しい為、半分の三十六頁でデザインを作る事を君に相談する。
ー構わないわ。その代わり金額は半額の二十五万ねー
初めから半額なんだけどな、と苦笑しながらも了解のメールを打つ。ライターは必要ないだろう。俺は今ある写真データを改め、精査する。大量にある写真の山から正解を導き出すのは難しい作業だが、俺は直ぐさまその仕事に没頭していく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?