見出し画像

マルコム&マリー を観た 感想

Netflix配信の『マルコム&マリー』を見ました。
ジョン・デヴィッド・ワシントンとデンゼイヤ主演、というよりも完全に二人だけの会話劇です。

監督はサム・レヴィンソン。映画監督のバリー・レヴィンソンの息子。
つまり、巨匠監督と大御所俳優(デンゼル・ワシントン)の息子の二世映画ですね。

物語はマルコムの監督した映画のプレミアから自宅へ帰宅したところから始まるんですが、ここから主演女優を務めたマリーとの口論が途中休憩を挟んで2時間近くまるまる描かれる。

 どうやらマリーは昔ヤク中だったようで、その時に彼女と出会ったマルコムが彼女を献身的に支えて、今は二人ともなかなかの成功を収めている感じで、非常に大きな豪邸が出てくる。豪邸といえば、『パラサイト/半地下の家族』の豪邸は素晴らしくて、同じ韓国映画の村上春樹原作の『バーニング』に出てくるベンという人物の住むマンションも最高にセンスがあって、去年この二本を観てええなぁと思いました。調べると、どちらも同じ美術が担当しているとのことで、こういうことはよくある。いい曲だと思って作曲家を調べると、好きな歌手だったりとか。
 

 閑話休題で、とにかくその豪邸から一歩も出ずに(庭には出るが)、ひたすら罵倒し合うわけだ。マリーはリスペクトやありがとうという言葉がないことに対して、彼に不信感を抱いていて、彼自身も彼女を見下している感じは確かにある。彼は、彼女の体験、彼女の存在をベースに作品を作ったわけで、それに対して不満もあるようだ。ただ、それに関しては彼自身の創作の源泉というものは彼あってのこそであると思うから、共感はしづらい。

 然し、マルコムも面倒くさいネチネチとした男だから、こいつもまた共感は出来ない。こういうワンシチュエーションものは、セリフが余りもセリフ臭いと白けてしまう。ウィリアム・ワイラーがどうしたとか、『我等が生涯の最良の年』がどうしたとか、『アルジェの戦い』がどうしたとか、そういう狙いすました単語が乱発されると萎える。あんな糞オタクの映画監督だから、そりゃリスペクトなんてないよとマリーに言ってあげたい。

 主演二人のオーラでもっている映画。モノクロ映画は基本的に美しいが、この映画にはモノクロの加えての、+アルファの美しいショットが見当たらなかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?