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マルセル・デュシャンとジョセフ・コーネル


マルセル・デュシャンと言えば、20世紀を代表する芸術家で、『泉』という、便器の作品が一番有名だろう。
最近、マルセル・デュシャンのインタビュー本を購入し、一読して、改めて天才的な発想/感覚、またロジカルな考えを持つ人だと感嘆した。

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デュシャンの作品の多くは難解で、それらは意味を模索し、探求し、彼の意図を汲む必要性があって、観る側にリテラシーが求められる。
私なんか馬鹿なので、彼の作品の意図なぞ解説を読んでも、なんとなく輪郭が掴めたら万歳である。

例えば、通称大ガラスと呼ばれる、『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』などは、解説を読んでもさっぱりわからない。

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これは、性的な作品で、非常に複雑怪奇なシステムを描いているが、私もよく理解していないので、気になる方は調べて頂ければと思うのだが、この作品を創るためにデュシャンは8年の歳月をかけて、膨大な創作メモを残した。それが収められた作品が『グリーンボックス』と呼ばれている。デュシャンにはこの大ガラスを創るための過程、今ならば映画などのメイキング本だろうか、そのような物も一つの作品として考えていた。

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私がデュシャンの作品で、これは凄いなと思ったのが二つあって、
『(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ』というもので、これはデュシャンの遺作で、彼がアーティスト活動を止めてチェスに興じていた晩年の20年間(彼はチェスを絶対的に明晰なもので、デカルト的であると語っていた)、この作品を拵えていた。それを識っていたのは彼の妻だけだったが、この作品はフィラデルフィアでしか観ることが出来ない。それは、移動させることが不可能だからである。色々な解釈が可能な作品であるが、死体を覗き見る感覚、というのが一番最適解のようで、ディビッド・リンチ監督にも多大な影響を与えている。非常に見世物小屋的な作品だが、きらきらと光るガス灯、そして水が美しさをたたえている。これは彼の死後に発表された作品である。

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デュシャンはインタビューで面白いことを話していた。以下に引用すると、

『「コカ・コーラ」、「コカ・コーラ」と繰り返すというアイディアみたいなもので、しばらくするとコカ・コーラの周りに魔法が出てくる。(中略)あと50年経って、誰もコカ・コーラの話をしなくなったら消えます。』
これはまさしく納得のできる言葉で、アートでももちろんそうだが、作品などもそうだろう。例えば、三島由紀夫の名前を繰り返し続けたことによって、彼の作品は無論評価に値するが、読んだことのない人間にも彼の作品は傑作だという認識=魔法が生まれている。

最後の一つが、デュシャンの『トランクの箱』なるもので、これはトランクの中に、デュシャンの全作品が収められるという、彼の作品のミニチュア複製持ち運びトランクである。

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これは署名入りが20部、署名&番号なしの普及版が300部作られた。よく観ると、『泉』もあるし、『大ガラス』もある。この作品には、なんといっても70ほどの彼の作品が収められているわけで、一つのカタログ乃至は美術館になっている、そういうコンセプトの作品である。
この作品は、複製が簡単に買える。

まぁ、価格は約30000円ほどするため、なかなか高価なものだが、この複製の複製がアートとして売られている。彼は複製もまたアートとして捉えているので、これもまた本物である。全て紙製で、非常にクオリティの高いものなので、一家に一つ、どうだろうか?

この作成を手伝ったのが、ジョセフ・コーネルである。ジョセフ・コーネルもまた天才で、アメリカの偉大な芸術家である。
彼の作品は、基本的には少年期の詩情を箱に閉じ込める、ボックスアートである。
彼は孤独な人で、日本人のアーティストでは草間彌生と親交があった。生涯独身で人嫌いである。

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彼の作品は圧倒的に静謐で美しい。まさに、少年の思い出そのままが、その箱の中に息づいている、いや、眠っていて、夢を見ていると言えるだろうか。

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このコーネルの作品はネットで買える。無論、海外サイトであり、普通の紙のコラージュで70万〜500万円、ボックス作品は1000万円〜数千万はくだらないが。

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この箱の小宇宙、これらはどれもが、コーネルが住むニューヨークの街の雑貨屋で、あるいは道端で集めたものばかりである。そのどれにも物語があったはずだろうが、朽ちていく運命だった。然し、それを神が拾い上げて、箱庭の天国においてやると、そこは聖なる少年少女の場所になった。

美しさとは、豪奢なものだけではない、ただ思い出をかき集めただけのものや、人間が考える思考そのものも、それに値するのだ。
そして、それは、一つは少年少女の遊びであり、大人の遊びでもある。遊び続けることが、人間の美しさなのかもしれない。


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