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ミルキーウェイ

1-2

 はるになってゆきどけると、くさまおは、まちのがっこうにかよいました。それは、くさまおにあんしんをあたえました。あの、なずながみぞでおぼれたばんに、やしきがくろいあまぐもにおおわれたように、しじゅうくらいかげがさしていたということもありますし、なによりもおきなが、あのひからとりつかれたように、なにかのけんきゅうにふけっていることが、くさまおにたまらなくおそろしかったからかもしれません。おきながなにをけんきゅうしているのか、くさまおはしりませんでしたけれども、しかし、そのまなこもまたけもののようにいかりにたけっていて、あのさけびをはなったひのように、おそろしいいんしょうをくさまおのこころにやきつけたのです。あのひから、おきなはアトリエにこもりました。そうして、そのこころをくさまおにひらくこともなく、えんえんとへやでひとりごちながら、ぐるぐるとしこうのうみをさまよっていました。おきなは、アトリエにおかれたにんぎょうたちにはなしかけて、そうしてときおりおもいついたように、なにかのすうしきをコンピューターにうちこんでいました。まいにち、あさもひるもよるもなく、けんびきょうをのぞきこむのです。くさまおは、おきなのなかみがかわってしまったようにおもえて、おそろしくてなりませんでした。おきなのこころがどこかにいってしまって、そうしてかわりに、ほかのだれかが、アトリエのなかのにんぎょうたちのだれかがかれのこころにしのんで、いつしかいれかわってしまったのかとおもえるほどでした。にんぎょうのように、ほんとうのこころがわからないのです。
 ふたりのこどもたちがいたときのおきなも、あのみぞにながれていってしまったのでしょうか。だからこそ、はるからまちのがっこうにいくことは、くさまおにとってはとりかごからぬけでたようなここちで、ぎゃくにあんしんして、ほっとしたのでした。
 くさまおにはおかあさんがありません。くさまおとなずながうまれたときに、おかあさんはしんでしまいました。それが、くさまおがはじめてかいだしのにおいでしたけれども、とうぜんとおすぎるから、もうわすれてしまったにおいです。おきなも、おかあさんがいきていたときは、まちにけんきゅうじょをもうけていて、そこでしごとをしていました。いまのようなさむえではなく、はくいをきてしごとをしていたそうです。むかし、なずなといっしょに、おきなのアトリエでたからさがしをしていたときに、みつけたアルバムにも、はくいすがたのおきなのしゃしんがあったのです。そのアルバムには、おかあさんのしゃしんもありました。おきなといっしょにうつったおかあさんのしゃしんです。そのしゃしんは、どこかのおやしきのせいもんをはいけいにしていて、おかあさんはきものをきていました。さくらいろのほほがきれいで、くさまおはみとれました。そのうつくしいおかあさんはにこやかにほほえんでいて、しあわせそうでした。なずなは、そのおかあさんのしゃしんがたいそうにきにいって、ときどきアトリエにしのびこむたびに、アルバムをとりだしては、おかあさんにあいにいくように、うっとりとそのかおをみつめるのです。それは、もうあえないマリアさまで、みらいのじぶんのかおでしょうか。くさまおはそのよこにちょこんとすわって、うれしそうにほほえむなずなのかおをみつめるのです。おかあさんはさくらのはなびらでけしょうしたようにきれいでしたけれども、それをみつめるなずなのくちびるはばらのはなのようにおもえました。あわいピンクのあいらしいばらいろです。
 おきなのへやはこのころからえやしゃしんやほんがひらかれたままおかれていて、オレンジいろのひかりがランプのシェードからこうこうとへやをてらしていました。そうして、アルバムをぱたんととじると、てんじょうをみあげます。そうすると、てんまどからほしぞらがみえます。ここはまちとはちがってくうきがすんでおりますから、とてもとてもうつくしくきらきらとほしがかがやくのです。はなばたけのはなのように、ほしのうみがひろがっていて、そのぎんがはてをのばすととどきそうです。
 そのゆめのようなおもいでをおもいかえしているうちに、ばすはぐんぐんとおかをのぼっていって、せせらぎのおとがガラスごしにきこえはじめて、ああ、ぼくはかえってきたんだとくさまおはおもいました。ともだちはもうぜんいんがおりていて、こんなとおいはてちにすむのはくさまおだけですから、やまねこのやしきと、がっこうのせんせいやりょうせいたちも、くさまおのやしきのことをいうのでした。
 くさまおはばすからおりると、しばらくはやしのなかをあるきました。なつはふゆとはまるでちがって、もうきぎはあおあおとうまれかわったようになっていて、はやしのなかのかぜはさらさらとながれるのでした。せせらぎにとりのねいろがかさなって、いのちにあふれているようでした。くさまおはときおりたちどまっては、そこここにはえているはなをみつめました。なずながいっしょならば、よろこんでこれらのなつのはなをたおったでしょう。そうして、かみかざりをつくったでしょう。それでも、なずなはもういませんから、くさまおははなをつんでもしょうがないとおもいました。そうすると、いっぽんのしろいばらがはあざやかにさいているのがめにつきました。ほかのばらはかすかにしおれていましたが、たいりんのしろばらが、こちらをほほえむようにみつめているのです。くさまおはそのばらのはなびらにふれると、ゆっくりとゆびさきでなでてやりました。なにかばらははじらいをうかべているように、かすかにはなびらがももいろになっているのにきづきました。くさまおはいばらでゆびさきをきらないようにきをつけながら、そのばらをつむと、そのままやしきへのみちをすすみました。
 だれがやまねこのやしきといいだしのでしょうか。いいえてみょうだとくさまおはおもいます。ふるぼけたにかいだて(やねうらもふくめるとさんかいだてなのですが)のやしきは、にかいのろうかにおおきなきいろいがらすがはめられていて、それがはやしがゆうやみにそまるころ、ランプのひがともされると、らんらんとひかるねこのめとなるのです。キャットアイというんだよと、そうおきながいっていたのがおもいだされました。それは、おきなのてのひらのうえにおかれた、だいだいいろのかがやきのほうせきです。おきなはそのいしをさむえのなかからとりだして、くさまおとなずなにみせてくれたのでした。そのいしをみたとき、なずなのかおはぱっとはなやいで、めがきらきらとほうせきのようにかがやいていたのをおもいだします。なずなのめもほうせきのようにくろぐろとほしがまたたくのですが、それもキャットアイのかがやきで、うつくしくひかりかがやくのです。そういうおもいでをこころにうかべていると、もうやまねこのやしきはこちらをみつめていました。じぶんをみおろすやしきをみあげながら、おもいとびらをひらいてなかにはいると、ひさかたぶりにもどったそのいえに、なにかなつかしいものがこみあげました。ただ、しずかでちんうつなくうきはかわらずで、ひとけがないのもあいかわらずでした。
 くさまおはかえったよとこえをあげることもなく、このくらいやしきのにかいにあがると、おきなのアトリエのまえをとおりすぎて、ろうかにかけられたさまざまなえをすどおりして、いちばんはしにあるじぶんのへやにはいりました。ひさしぶりにもどったからでしょうか。じぶんのへやは、すこしかびくさくかんじられましたが、ていねいにそうじされていました。このやしきにはたらきにきているおてつだいさんがそうじをしてくれたのでしょうか。くさまおのへやにおかれたしなじなのいっさいは、うごくことなくそのばにいました。くさまおはベッドにたおれこむと、せいぼうをなげだして、そのままてんじょうをみつめました。ちこちことおとがします。それはかべどけいのおとです。ぜんまいのおとです。からくりのおとです。そのおとがおりかさなって、くさまおはじぶんのしんぞうがきかいじかけになってしまったようにおもえました。ただ、それもくさまおのゆめのようなもので、おきあがると、しずかなそとにかぜおとがきこえました。まだひるさがりですから、なつのひざしはきいろく、はやしのみどりがゆられています。やしきのなかのくらがりとちがって、そらはどこまでもあかるいのです。くさまおはおきあがり、おきなにあいさつにいこうとおもいたって、へやからでました。おきなはくさまおがかえったこともしらないかもしれません。
 くさまおは、ろうかのまどからみえるはやしをみおろしました。はやしはかぜにゆられていて、なんのおともきこえません。そうすると、なにかうまのひづめのおとがきこえてきました。くさまおはかおをあげて、まどがらすからそとをみおろしました。やまねこのからだのなかから、そとのけしきをみるのです。すると、しゃらしゃらとすずねの音がなって、はやしのきぎのあいまからばしゃがあらわれました。ふるいばしゃで、ぎょしゃらしきはくはつのおとこがひとり、うまをけしかけています。ばしゃなどはまちでたまにみかけるくらいですから、くさまおはおどろきました。そうしてみていると、ばしゃはやしきのもんぜんでとまって、ぎょしゃはいそいだように、だいざをとりだすと、それをのりぐちにしたにおきました。とびらがひらいて、なかからおきながかおをだしました。おきなはまえよりもすこしばかりひげがのびていて、そうしてくろぐろとしたかみはそのままで、ばしゃからおりると、なかをのぞきこみました。くさまおはみをのりだして、おきなをみつめました。おきなはやまねこのやしきがみおろしていることなどきづいてもおりません。そうして、おきなはてをさしだして、なかにいるだれかにこえをかけています。ささやきごえのようにかぜにかきけされて、そのこえはきこえることもありません。そうして、きゅうにとてもしろいてがのびてきて、おきなのてをつかんだのです。おきなのくろぐろとしたてとはちがって、やわらかいしろいてです。ゆっくりとおきながてをひくと、なかからひとりのむすめがおりてきました。くさまおはいきをのみました。なぜなら、そのむすめはなずなにとてもそっくりでしたから。くさまおはゆめをみているのか、じぶんのほほをゆびでつまむと、いきおいよくつねりました。けれども、いたいだけでいっこうにゆめからさめることはありません。あれは、ほんとうのなずなだろうか。くさまおはしんぞうがどくどくとおとをたてているのにくるしくなって、むねをおさえました。なずなにそっくりのしょうじょは、ばしょからおりるときょろきょろとあたりをみまわしました。そうして、やまねこのやしきにしせんをむけて、ちょうどくさまおがのぞきこんでいたガラスをみあげました。しゅんかん、くさまおのめとしょうじょのめがかさなって、くさまおはあわててしゃがみこみました。みられてしまったのでしょうか。くさまおのしんぞうはいっそうにはやくなって、よぎしゃのようにおとをたてます。しんぞうがおちつくようにしんこきゅうをくりかえしていると、だんだんとそのおともしずかになっていきます。くさまおはようやくおちついてたちあがりました。そうすると、もうばしゃのまわりにはおきなのすがたもしょうじょのすがたもなく、ただみみもとにぱかぱかとひずめのはじけるおとだけがきこえます。ぎょしゃがばしゃをやしきのうらてにはこぼうとしているのでした。ぎょしゃのかおはここからではよくはみえませんでしたけれど、なにか、うつろなひょうじょうをしているようにおもえました。ぎょしゃをみつめていると、きぃぃと、いっかいでとびらのひらくおとがして、くさまおはまたあわてました。そうして、どこかにかくれようとして、おきなのアトリエのとびらをつかむと、いちもくさんにそこにかくれました。おきなのへやははるのころからかわらずにまだまだたくさんのにんぎょうがおかれたままで、くさまおはあわてていましたから、そのにんぎょうのひとりになって、とけこむようにかくれました。
 すぐにドアノブにてがかかるおとがして、それがかいてんすると、とびらがぎいとおとをたててひらきました。くさまおは、じぶんがにんぎょうにでもなってしまったかのように、こおりのようにからだをかためて、いきをひそめました。おきながへやにはいってきて、そのままぼうしをぬぐと、まどガラスをあけました。ひゅうひゅうと、かぜがながれるおとがします。くさまおがいきをひそめたままおきなをみつめていると、そのかげからもうひとり、ちいさなおんなのこのすがたがみえました。へやをきょろきょろとみまわして、くさまおのばしょからではかおがよくみせません。そうして、おんなのこはへやのちゅうおうにたって、ゆっくりとまわりました。そうすると、おんなのこのかみのけがふわっとかるくうきあがり、におうようでした。おんなのこはとまって、ゆっくりとくさまおのほうへとかおをむけました。めがあって、やはりなずなでした。なずないがいにはみえませんでした。
 おんなのこはこくびをかしげてくさまおをみつめました。くさまおはにんぎょうのふりをやめて、ゆっくりとそこからうごきました。
「あら。おにんぎょうかとおもいましたわ。」
おんなのこはいたずらめいてそういいました。おんなのこのくちからするりととびでたひびきがなずなといっしょのことに、ますますくさまおはおどろきましたが、ただくさまおはなにもいわずにおきなのほうへとしせんをやりました。おきなはくさまおをだまってみつめて、
「かえってきたばかりか?」
くさまおはうなづきました。そうして、このこはだあれ?とのどまででかかったことばがでませんでした。おきなはソファにすわりこむと、めをとじててんじょうをみつめました。おきながだまってしまうと、こんどはおんなのこがきょうみしんしんになって、へやじゅうのものをいじりだしました。
「それはさわっちゃだめだよ。」
テーブルにひらかれたままにおかれたほんになずながふれると、くさまおはあわててかのじょをとめようとしました。
「あら、どうしてですの?」
「おとうさまのたいせつなものだから……。」
くさまおがそういうと、おんなのこはまたこくびをかしげて、
「あら、でも、このおやしきのものにはなんでもふれていいって、おとうさまがおっしゃいましたわ。」
「きみのおとうさま?」
「いい。いい。くさまお。そのこのすきにさせてやりなさい。」
くさまおとおんなのこのあいだにわってはいって、おきなはねむたそうにくちびるをふるわせながら、そういいました。おきなのゆるしがでたからでしょうか、おんなのこはかちほこったようにほほえんで、くさまおをみつめました。そうして、へやじゅうにおかれているほんのあれこれをひらいてとじて、とじてはひらきました。それから、へやじゅうにおかれたにんぎょうや、ロイヤルコペンハーゲンのとうじきをてにとって、そのはだざわりにふれながら、そのミルクのいろのやきものにちいさくくちづけするのです。くさまおのめに、とうじきでできたおとこのこのにんぎょうが、たちまちいろけづいたようにみえました。それは、みているうちに、くさまおにまであやしいおもいでした。いろけづいたのはとうじきのにんぎょうたちだけではありません。おんなのこのはなやかなにおいに、へやじゅうのえやほんまでも、みとれているようです。それはただみとれているだけじゃありません。それは、なずなにそっくりにあいらしいむすめがいることへの、かぞくのよろこびかもしれません。とうじきのてんしたちは、ファンファーレをならします。しかし、そんながくたいのねいろがあっても、つかれているおきなはそのままねむってしまいそうです。めをとじたまま、かすかにちいさないびきをかいているようです。ただ、ときおりまぶたがひらいては、そのしたにかくれているつめたいめつきを、へややおんなのこにむけるのです。
「ねぇ、どうしていじってはいけないの?」
そのようなおきなのしせんはどこふくかぜのおんなのこは、くさまおにむきなおると、そうたずねました。てにはわほんがひらかれていて、むずかしいかんじがならんでいます。くさまおがまだがっこうでならっていないかんじです。せんせいじゃなければ、よむことなんてできません。くさまおはためいきをひとつついて、
「おとうさまは、おきにいりのものを、いつもおなじばしょにおくんだよ。うごかしたら、おこられるんだよ。レイアウトがかわるっていうんだよ。」
「まぁ。すてきだわ。みんながいつもおなじばしょにいるのね。」
ほんをテーブルにおくと、おんなのこはぱんとりょうてをあわせました。そうして、またきょうみぶかそうに、へやにおかれたえをみつめます。くさまおは、このへやにおかれたえのいくつかがこわくてしょうがありませんでした。かねこくによしというがかのかいたえは、みんなひょうじょうがなくて、どこかとおくをみています。えをみつめても、しせんがあわないのです。どこをみているのでしょう。それは、ときおりおきなのめをおもわせました。おきなのつめたいつきのようなめー。くさまおがそんなことをかんがえていると、おきなにむかいあったソファに、おんなのこがいきおいよくすわりこみました。クッションがふかくしずんで、おんなのこはだいちにめりこんでいくようです。おんなのこはおおきくのびをするようにからだをのばしました。くさまおはなにもいえずに、ただただおんなのこのひょうじょうをみつめるばかりでした。
「なあに?じろじろみるのね。」
「だって……。」
「だって、なあに?」
「きみはぼくのいもうとにすごくにてる。」
そういうと、おんなのこはびっくりしたようにくちをあけて、そうしてほほえみました。
「あなたのいもうとに?わたし、そのこのこと、しらないわ。」
そういうかおが、なずなにとてもにているのです。だからでしょうか、くさまおはますますじぶんがかえってきたこのやまねこのやしきが、まだゆめのつづきで、ほんとうはまだバスにゆられていてみているゆめなのではないかというさっかくにとらわれるのです。
「あなたのおなまえは?」
「ぼく?ぼくはくさまお。」
「よろしくね。くさまお。」
「きみのなまえは?」
「わたしはなずなよ。」
そういって、おんなのこはほほえみました。そうして、なずながそういうのとほとんどどうじにおきながたちあがって、くさまおのあたまをなでました。くさまおは、ひさしぶりにおきなのからだのあたたかさにふれて、なんだかさみしいおもいと、なつかしいおもいがかさなるようでした。おきなのあしにしがみついて、じっとなずなをみつめました。なずなは、ソファのうえで、まだへやのそこここにあるにんぎょうやとうきのおきものたち、それからおきなのおしりにつぶされていたくろひょうのぬぐいぐるみをみつめては、ほほにももいろをうかべていました。
 おきなはくさまおのあたまをしばらくのあいだなでると、そっとへやからでていきました。へやにはくさまおとなずながとりのこされました。にんぎょうたちのわらいごえがきこえます。そうしてそれはまたくさまおのしんぞうにかさなります。くさまおはあたまをふって、まぼろしのおとをそとへおいやろうとしました。そのくさまおのすがたを、くすくすとみつめているなずなのめは、あのつめたくぬれたひとみとおなじようなほうせきが、こんどはひのひかりをあびたように、いっぱいにきらめいています。なつのあさのせいざのようにうつくしいめのひかりです。なずなはたちあがり、おきなのちくおんきにてをかけました。あぶないよあぶないよと、にんぎょうたちがいうのもなずなはきこえないのか、ちくおんきをきょうみぶかそうに、しんちょうにさわっています。そうしてそのゆびさきからおんがくがこぼれはじめると、それはおきなのだいすきなフランク・シナトラの『one for me baby』というきょくでした。ピアノのないやしきに、ピアノのねいろがながれます。そうして、ごせんふをふむように、なずなはステップをふみました。つたないステップですが、ああしてはやしをかけまわりながらおなじようにおんがくをかなでていたむすめのすがたが、くさまおにおもいだされました。

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