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獣姫

5-4

 インタヴューが終り、的場と岡田が写真のチェック作業を行っている。岡田には俺の意図は伝えておいた。恐らく出来上がりの素材は問題ないものだろう。それが結果、使用出来るかどうかは現時点では不明ではあるが。一時間近くにも及ぶインタヴューに少しばかり疲れたのか、君はソファの上で身体を伸ばしていた。俺は君の部屋の中に置かれた様々な人形達を眺めて回る。ワンピースを着た黒髪の少女。着物を着飾った少女。眠たそうに眼を窄める少女。そのどれもが少女だった。少女の人形がこの部屋には割合多い事に気がつく。そして、そのどれもがアンティークのような重厚さを纏うと同時、人間の子供の様な軽やかさを持つ。よくよく見れば、人形達全て、どこか同じ様な顔立ちをしている。俺はウズウズしていた。煙草が吸いたくて溜まらない。俺はゆっくりと長い黒髪の少女の人形へと指を伸ばす。眼は黒目がちで、一見すると市松人形が洋服を着せられたかのようだった。
「その子はお気に入り」
俺の指が止まる。振り返ると君が立っていた。
「名前はあるんですか?」
「塔子」
「可愛らしい名前だ。全てに名前が?」
「出来がいい子は。それ以外の子は名前を付けない。先生はそうじゃないみたい」
「全ての子に名前をつける?」
「子供みたいなものだと言っていた。煙草、吸ってもいいわよ」
「俺が吸う事を?」
「匂い、染み付いてる。狼人は鼻が利く」
俺は頷いた。キャメルを取り出そうと思案したが、止めた。
「止めておく。塔子達に匂いがつくだろう」
「大丈夫。私も吸うわ」
俺は苦笑した。それでも首を振った。
「やっぱり止めておく。最低限の礼儀だ」
「真面目なのね」
君は少しばかり落胆したかのように微笑んだ。改めて部屋を見回す。数々の人形。数多の人形。それはやはり生きているかのようだった。生命を伴って俺を見下ろす。目が合うと不意に背筋が凍るのはやはりその精巧な瞳が俺の中の罪悪感を投影するからだろうか。たかが硝子玉なのに。
「デザインの話、もう少し聞かせて?」
「何が聞きたいんです?」
「どうやって作るの?」
「パソコンですよ。簡易のソフトが今じゃどこでも出回ってる。ソフトを使えば誰でも作れる。少しばかり勉強する必要はあるけれど」
「誰でもデザイナーになれる?」
俺は頷く。煙草が吸いたくて堪らなくなる。
「誰でも。でもその中でも生き残るのは僅か。数%です。デザイナーにはやはり多少の天分が必要だ」
「あなたはそれがある?」
「どうだろう。人よりはあると自負してます。いつの間にか俺のインタヴューになってる」
「一体どんな物を作るの?」
「チラシや企業のコーポレートデザイン、ファッション雑誌の紙面。そんなところかな」
君は頷く。君が作り手に興味津々なのはその瞳を見れば一目瞭然だった。
「たいしたことじゃない。君の方が、先生の方が何倍も何十倍も凄い。君たちが芸術家だ」
「あなたは違う?」
「おそらく。あそこで的場と話してる岡田さん。カメラマン。彼の撮った写真や、ライターが書いた原稿。君の言葉。コピー。全てが素材になる。俺はその素材の良さを料理する。宛ら料理人です。職人と言ってもいいかな」
「人形師とどう違うの?」
「俺達にはクライアントがいる。君たちは作りたい物を作る。納得のいくまでね。その違いかな。クライアントがいる以上、俺達は作りたい物を産み出す事が出来ない。妥協、妥協、また妥協。その上での最高の物を目指す」
君は腕を組む。どこか納得がいかないという顔つきだった。ゆっくりと手を伸ばし、棚の中から眼帯の少年を手に取る。
「納得がいきませんか?」
「人形師も同じ。クライアントがいるわ。依頼主の欲しい人形を作る。それは職人と同じじゃない?」
「そうかもしれません。でも違います。少なくとも君たちは。自分の作りたい物を作り、それで生計を立てている。それはもう芸術家でしょう」
話している内に自分のプライドが氷塊していくのが感じられた。君は俺の仕事に敬意を抱いていた。それだけ充分だという気持ちが俺の心を満たしていく。俺自身、噛み砕いて君たちとの差別化を説明する事で、自分の立ち位置が明瞭になった気がした。
「ロエン」
君がポツリと言葉を口にした。え、と一言俺は呟きでその言葉に応える。君がチラと俺を見つめる。その眼は微かに潤んでいるかの様に感じられる。
「ロエン。あなた達の作っている雑誌。以前家に来た時に置いていったでしょう?」
真田に渡したロエン。思い出した。
「素敵な本だった。とても綺麗な頁。大好きな本よ」
真田に渡したロエン。特集は杉田白秋。俺もそれなりに気に入っていた仕事だった。

ー真田先生の仕事ぶりを一言で表すなら?
ー天才。それ以外に言葉はないですね。時々ですけど、神懸かるというのかな。何か鬼気迫る勢いで人形を作っているときがあります。その熱気に当てられると私自身、創作意欲が一層に増すというか。
ー周囲を巻き込む。
ーそうそう。だからー、そうですね。だからさっきの一言、何かに例えるのなら…あれは台風が近いのかもしれない。
ー台風ですか?
ーハリケーンとか竜巻。先生が台風。周囲を巻き込む。暴れ回ったと思ったら台風一過。本当に急速に静かになるんです。あのテンションの落差が凄いというか。
ーだとしたら面白いですね。先生は何か使命感みたいなものを抱いて創作活動に没頭しているんでしょうか?
ーどうかしら。それも勿論あると思う。でもどちらかというと贖罪ーに近いのかな?
ー贖罪。
ー贖罪。
ーどういう意味でしょう?
ーある種狂信的なー人形に対して何か特別な思いをぶつけている気がするんです。
ーそれは贖罪という言葉と結びつく?
ーええ。止めましょう。これはとてもプライベートな事。すいません、喋りすぎました。
ー分かりました。それでは別の話題に移りましょうか。あなたの最終的な目標は?先生を超える、超えると言ったらおかしいか。先生以上の人形を造り出すとか?
ー先生以上の人形、とういうものの定義が定義がわからないけど。でも多分、私も先生も最終的なゴールは同じだと思うんです。
ーゴール。ゴールというのは?
ー人形に命を与える。生きているように見えるだけじゃない。人形に命を与える。

 テープを巻き戻す。昨日聞いた君のインタヴュー。三時間に及ぶロングインタヴュー。最初は明朗に話していた君だったが、疲れが蓄積したのか朦朧とした表情でインタヴューに応え始めた。その中で漏らした言葉の数々。君と、先生の最終目標。人形に命を吹き込む。馬鹿げた夢想。叶う筈のない理想論。同時に、生命を造り出した実績を持つマッドサイエンティストが次にその場所へ向かったことに対する不可思議な一貫性をその言葉で感じ入る。何度も何度も君の声を聞く。君の声からこの頁のレイアウトを積み立てて行く。真田芳雄の愛弟子にして血縁である狼人のロングインタヴュー。目玉になる特集だった。もし君の美しい顔も合わせて、そしてもし君の造り出す芸術的な人形と工房も合わせて紙面を彩ったのなら、それは万華鏡のように素晴らしい作品になり得ると、俺は一人夢想していた。実際は違う。実際には彼女の言葉と、イラストレーターの描いた稚拙な人形の絵が載るだけだ。歯がゆい思いで何度も何度もテープを巻き戻した。ふいに創作欲が沸き上がって来る。それは堤防を決壊させ、津波のように俺の心中を埋め尽くす。俺は携帯を取り出し岡田を捕まえる。岡田に写真のデータを送らせる。数百枚に及ぶ画像データをダウンロードしている間、俺は自分で文字を起こした。その作業に没頭し、夜が開けた頃には画像も、文字も上がっていた。コピーは書けない。アタリで入れる文字を作成し、早速紙面のレイアウトに取りかかる。簡易のラフだ。君の写真、君の人形の写真、君の言葉。それらの素材を元に、紙面を割り付けて行く。その時の俺も君が形容するのならば、神懸かりに近い状態だったのかもしれない。台風のようなものだったのかもしれない。
 まる二日かけて2頁のラフが完成した。貫徹に近い状態で、顔は見れたものじゃなかった。シャワーを浴び、歯を磨く。ベッドに倒れ込み泥の様に眠る。起きてまたシャワーを浴び、歯を磨いた。サンドゥイッチを作り腹に流し込む。タクシーで真田邸まで向かう。手元にはプリントアウトしたばかりのラフ。インタフォンを鳴らすと下村の声が聞こえた。突然の来訪にひどく驚いたようだったが、快く応じてくれた。何か御用ですか?と問われ、俺は急に気恥ずかしくなった。茶封筒に入れたラフ二枚を君に渡して欲しいと言付けると、俺は直ぐさま歩いて丸太町までの道を下る。今頃になって襲って来た気恥ずかしさに、俺はどう対処していいかわからなかった。自分で自分が何をしているのかわからなかった。渡すんじゃなかったと年甲斐も無く後悔した。
 その後の記憶は定かではない。ラヴレターを手渡した学生の様に、俺は君からの返答を心待ちにしていた。勿論、君から何の返答もある筈もなかったが。渡したその日は返答を待ち惚けしソワソワと落ち着かない日々を送っていたが、翌日には心の片隅に置いておく程度で、他に山積みになっている仕事に取りかかる。ネット媒体の仕事が収入の七割を占めるが、紙媒体の仕事もまだまだ需要がある。まだ紅葉の盛りも過ぎていないのに、春のアウター特集の仕事がもう入っている。ベージュやピンク等春らしい色合いで全体の枠取りを決める。掲載商品の画像が届くのは来年の頭になるという事で、ここでの画像は全てアタリだ。半日程ぶっ通しでモニターの前に座って仕事に没頭する。メールの着信にも気付かなかった。メールシェア機能を起動するのを忘れていた。送り主はhinagikuとローマ字で書かれていた。その言葉を小声で二度程復唱する。
ーとても素敵なデザインー
そう一言添えられていた。ただ数文字の羅列に年甲斐も無く破顔する。再びメールの着信。また雛菊からだった。
ーお願いしたことがあるの。仕事の依頼ですー
俺は首を捻る。仕事の依頼。君が投げかけたメールの意図を掴みかねる。
ー了解した。次に伺った時に詳しく話を聞くよー
俺は直ぐさま返信する。携帯を置いて手前のモニターを見る。先程までは均整の取れた美しいデザインだと思っていたが、少し古くさい気がした。使い回しとまではいかないが、昨年のデザインのあくまで派生といったレヴェルだ。センスが摩耗したのか古くなったのか。時折感じる自身の老い。まだ三十半ばだというのに、既に若手に脅威を感じる事が多くなる。言うまでもなくデザインは若い程新しさがある。当然だ。時代は移ろい変わる。普遍的なデザインを作れるかどうか、自分が生き残って行くデザイナーになれるかどうかは、これからの数年にかかっているのだろう。であれば、真田芳雄はどうか。改めて考えてみるに、あれこそ本物のデザイナーだろう。真の意味での芸術家、アーティストと呼べる。永遠に残っていくものを幾つも産み出し、造り出した。その才覚はまさに俺の物とは桁違いだと目の前のモニターに映るラフを見て思う。再び着信。君からだった。
ー明日ではどうですか?嵐山の老松で。とても美味しいわらび餅があるんですよー
思わぬ提案に浮き足立つ。直ぐさま了解の旨を送る。時間は午後の二時。時計を見ると夜の十時を少し回った所だった。もう一踏ん張りだと肩をならす。手を伸ばし深呼吸をすると、再びモニターに向かい、目の前のラフの修正に取りかかった。

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