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機械仕掛けのボレロ⑤


 暗殺に荷担して欲しいと、そう請われた。異様な依頼で、ロイにとっては神殺しであって、引き受ける筈もない。恵の考えが彼にはわからなかった。様々な言語が呼び合って、その言葉の全てが耳を素通りする。しかし、恵が魂で共鳴していると言ったように、ロイには、先程の呼びかいが、まさに魂の言語で、複製人間同士の言語であるように思えた。フタナリヒラを同じ複製人間として考えるならの話ではあるが。
 もう誰もが、ロイの事など見ていないように思えた。話の中心には恵がいて、ロイは蚊帳の外である。恵は、先程ロイに見せたように、くるくると顔色を変える。その景色に見とれていると、彼の指先に触れる者があった。金髪の男で、背はロイよりも微かに高いほどで、目は綺麗な緑だった。その瑠璃色の目は、宝石よりも眩い。
「君は複製人間?」
男は尋ねた。ロイは頷いた。男は手に持っていたグラスを傾けて、ワインを啜った。本で読んだ、ドラキュラ伯爵のようである。
「あんたは?」
「俺は人間だよ。人間を定義するのが、君たちと違うってことだけならね。」
男はそう言うと、静かにほほ笑んだ。緑色の目に催眠効果でもあるだろうか。ロイはこの男に妙に惹かれた。
「俺はマシュー・アダムスだ。」
「俺はロイ。」
「ラストネームはないんだな。」
「複製人間のほとんどにはない。特に、俺は戦闘用だ。」
「戦闘用?てっきり観賞用かと。美しい姿をしているから。」
「あんた、男が好きなのか?」
ロイが尋ねると、マシューはまたほほ笑んだ。マシューのほほ笑みは、ロイの警戒心を解く。
「男でも女でも、美しいものは何でも好きだ。あのフタナリヒラも美しいだろう。」
マシューは恵を指差した。ロイはマシューの言葉に頷いた。
「だから俺にはわかる気がするよ。フタナリヒラを信仰の対象にする連中が多いことも。」
マシューは恵を見つめながら、またワインを口に含んだ。
「『女がたの初として、むかし男の舞の袖、おんなかと見えて男なりけり。さながらになりひらめける其ふぜい』。」
ロイがきょとんとしていると、マシューはまたほほ笑みを零した。
「日本の言葉だよ。日本では、歌舞伎の題材で、両性具有を描いた作品がある。歌舞伎というのが特殊なんだよ。男が女を演じるから。それでいて、本当の女よりも女らしい。」
「フタナリヒラ。」
「ただ、フタナリヒラはフタナリヒラだ。彼ら、失礼、彼ら彼女らは、それぞれの性を保有している。不可思議な存在だね。どちらも持っているのに、どちらも産めない。」
「それはフタナリヒラがー。」
「複製人間だから。その通りだよ。彼ら彼女らが複製人間だからだ。君たちも、子種を所有していないだろう?」
恵の言葉が耳に残っている。猛々しいセックスと、子供を抱く夢。全ての複製人間から切り離された夢。フタナリヒラは天使で、複製人間は人形。自分たちの先祖など、必要としない。
「家畜にすら哺乳動物は情動がある。君たちにないとは思えない。」
「何が言いたいんだ?」
マシューはまたほほ笑んだ。宝石の緑が、いっそうに燦めきを増して、そうして、彼がジャケットに手を入れると、手品のように、黒い鉛が飛び出た。
「誰も俺たちを見ていない。」
マシューの言葉通り、マシューの手に握られた拳銃に、誰も興味がないようだ。
「あのフタナリヒラはお転婆で、どうも血気盛んなようだ。」
マシューはロイの胸元に拳銃を押しやると、それをそのまま離した。
「あんたも彼女に言われたのか?」
「君はあいつを女と見るか。」
マシューの目がロイの瞳を覗き込んだ。ロイは微かにたじろいで、半歩下がる。
「漆間を殺したい奴はそれなりにいる。取り入りたい奴も、信者は山といる。」
「恵と繋がってるのか?」
「海が見たいそうだ。君は知ってるか?このファームの先、森を抜けた先に海がある。渚を見たことは?」
ロイはかぶりを振った。
「ここに住む複製人間は誰もが海を見たことがない。閉じ込められて、それが当たり前だと思っている。」
「あんたは見たことがあるのか?」
「ある。寒々しいよ。それでも、見たことないよりもマシだろうね。」
「恵はないのか?」
「あるだろうが、自分の意思では行けない。そうして、今度は月に行く。君も戦闘用なら彼らの付き添いだろう。月なんて何も楽しいことはないよ。それだけは保証しよう。」
「月にも行ったことが?」
マシューはただロイの目を見返して、
「君がどうするかはわからないが、とにかく渡すべきものは渡したぞ。」
マシューはそう言うと、またほほ笑みをロイに向けて、パーティーの喧噪の中に消えて行く。
 ロイは一人取り残されて、頭の中にある様々な言葉の羅列を整理するので精一杯だった。そうして、自分のタキシードの中に隠された拳銃の重みに、戦きを感じた。恵を見ると、彼女(彼)は一瞬だけロイを見たように、彼には思えた。
 ロイは一人、パーティー会場から離れて、初めて恵と会った場所へと戻った。そこにはもう喧噪も、小さなバレリーナたちの姿もない。ただ、空だけはまだ青青としている。ぎいと音がなって、振り向くと恵が立っていた。
「あの男は?」
「誰?」
「マシュー。」
「ああ。協力者よ。あなたに拳銃を渡したでしょう。」
「さっきの話、本気か?」
「御父様を殺す話。暗殺を森で行う話。本当だよ。」
「あの森の奥で?」
ロイの言葉に、恵は頷いた。
「森の奥で。そのまま抜けて、星座を目印に、海に出るの。」
「海。」
「ロイ。あなたは見たことがないんでしょう?海は美しいわ。」
「本で読んだことはある。詩にもたくさん出てくるから。」
「生き物は全部、海から来たのよ。」
恵はそう言うと、自らの腹を手で撫で回した。その動きに、なぜかロイは心が動かされた。
「俺たちに子供の夢は見ることは出来ない。」
恵は何も言わずに、ただロイを見つめた。
「ねぇ、御父様の部屋に、たくさんのお人形があるでしょう?」
恵の問いかけに、ロイは御父様の部屋を思い出した。たくさんの人形たちが鎮座する部屋。
「あそこにいる人形たちは、それこそ、私たちよりも心がないわ。」
「俺たちは有機体だ。あれは無機物だからな。」
その言葉に、恵は吹き出した。そうして、
「昔、有機体だったものもあるでしょう。狼の剥製。美しいフランスの狼。あの白い狼は、子供の夢を見たのかしら。海を見たのかしら。」
「狼は森を駆ける。」
ロイの碧い目は、森を見ていた。窓外の森は深い青色に染め抜かれている。
「あなたも駆けて。」
「御父様を殺せってのか。冗談だろう。彼は造物主だ。殺すのは無理だ。」
「なぜ無理なの?」
「何故だろう。神さまだからかもしれない。」
「神さまじゃない。私も天使じゃない。人間よ。」
「複製人間だ。人間じゃない。」
ロイは強く言い放った。恵は黙った。しかし、眦を上げて、それは山猫の目だった。
「いつもその目になる。」
「どんな目。」
「怖い目だ。あんたを見ていると、喰われそうだ。」
「食べやしないよ。ねぇ、考えてみて。」
恵はそう言うと、ロイの隣に立ち、そこから横並びに森を見つめた。ファームの敷地内にある森だが、その先は海になっていると言っても、十数キロは続く広大な森だ。ロイの瞳に、海の青色は映ったことはない。ふいに、恵の視線に気付いて彼女を見下ろすと、恵の脣がロイのほほに触れた。熱を帯びていて、自らの身内よりも熱く思える。
 恵はロイから脣をそっと離すと、そのまま彼の目を見ることもなく、そのまま部屋を出て行った。残されて、一人森を見ている。あの森で御父様を殺す。タキシードの中に隠された拳銃が、異様な存在感を孕んで、ロイの中に取り込まれた感覚があった。ロイはかぶりを振って、青い外を見つめた。そうしているうちに、マシューや、恵や、そうして、御父様の顔が浮かんでは、くるくると、自分の中に立ち昇り、篝火のように内側を擽る。恵とマシューの関係や、御父様を殺そうとする本当の理由、それから、何故俺が選ばれたのか、ロイにはわからないことだらけで、たまたまあのバレエを観ていたからという、そんな理由が正しいとは到底思えない。ある意味で、全て仕組まれていて、恵も、マシューも、全てを知っていて、予め用意された舞台なのかもしれない。もしかしたら、御父様も一緒になって、皆でロイを担いでいるのかもしれない。異様な妄想だけが、脳みその中で膨らんでいく。
 会場に戻ると、いつの間にか人々の姿はなく、御父様と、幾人かの男たちがソファに座り込んで、煙草を燻らしていた。ロイは、嗅ぎ慣れないその匂いに、敏感に不快を示した。彼らは、御父様を中心にして一所に円を組んで、何やら談笑を交わしている。ロイは、その場から立ち去るべきか、それともここでその成り行きを見守るべきか、決め倦ねているうちに、御父様はロイの視線に気付き、彼を呼んだ。ロイは頷いて、御父様の後ろに立つと、周囲の男たちは一様に、ロイを眺め回した。その睨め付けるような視線に、ロイは居心地の悪いものを感じながらも、黙っていた。御父様の手が伸びて、ロイは傅くように、無言で命じられる。ロイは、男達にひれ伏すように傅いて、次には頭を垂れるようにと、命じられる。全て、御父様の囁きにも似た小声で、耳もとにそっと呟かれる。男達は、様々な言語で、ロイを賞賛し、嘲笑し、そうして、複製人間の美しさを語っている。ロイは、次には衣服を脱ぐように命じられた。はっと、拳銃の存在を思い出し、ロイは脣を固く結んで、視線を逸らした。どうしたというのだと、御父様は横で傅くロイの髪の毛を、犬を撫でるかのように、優しく愛撫した。ロイは、立ち上がることも、頭を上げることも出来ず、ただ顔をかすかに持ち上げて、その目で御父様を見つめた。しかし、数多の視線がロイに突き刺さる。ヒールの音が聞こえて、そちらに視線を向けると、女がいた。裸の女で、恐らくはロイと同じく、慰めものになるだろう、複製人間だ。その複製人間は、星空よりも美しい肌色をしていて、その顔が見覚えのあるハイネだと気付くと、ロイは自分の中に激しい雷が落ちたように思えた。しかし、ロイは立ち上がることもせずに、その裸に剥かれたハイネがそこにいるコレクターたちの指や手や足で遊ばれるのを見せつけられた。誰かが、複製人間の子供について、話を始めた。ロイは、悪寒が走るのを覚えた。それは、コレクターの一人が放った言葉で、複製人間同士を遊ばせるのも、一つの楽しみだと。彫刻のように、神話のように雄々しい複製人間の遊びならば、尚のこと素晴らしいと、その男は語った。別の男は、そのような事はあまりにも見苦しい、ブルジョアの下卑た楽しみだと罵ったが、その下卑た楽しみに、御父様は甚く興味を示したようで、傅いたままのロイの両ほほを手で持ち上げると、そっと耳もとに囁いた。そうして、ロイにもう一度服を脱ぐように言って、それからハイネを貫くのだと、そうも言った。ロイはかぶりを振り、俺には出来ないと、そう涙をこぼしたが、なぜ出来ないのだと、御父様は困惑と悪戯心の両方を胸に灯した顔つきで、大仰に尋ね聞いた。コレクター達は、ただただ笑い、下卑た匂いをまき散らしている。いよいよ吐きそうになり、ロイは、ハイネが男達に連れて行かれようとしているのを見るに付けて、立ち上がろうと両足に力を込めるが、しかし、御父様の座っていろという、冷徹な声が再び雷となって、彼の芯を貫く。ハイネを貫かぬのならば、それは代わりに誰かがやるという、それだけの話だと、御父様はそう言った。いっその事、拳銃を抜き、今この場にいる人間たち全てを撃ち殺そうかという、獰猛な考えがロイの中に一瞬生じ、しかし、ロイには彼らを殺すに足る理由はあっても、御父様を殺すための箍が外れることはない。恐ろしいほどに、信仰と言えるほどに、御父様の声はロイを癒し、御父様の両の掌は、ロイを安穏へと導く。しかし、ハイネを貫くことも、または見逃すことも、そのどちらもロイには出来ない。ロイは静かにその目を閉じた。ハイネは、暗闇の中で、恐怖の声と、嗚咽の声を上げている。そうして、ロイはゆっくりと目を開いた。暗闇の中で、ハイネが蠢いている。どうして、ハイネがここにいるのだ。インビテーション・カードは自分にだけ配られたはずなのに。ピアノの音が聞こえる。それは連弾だった。パーティーの残り香のように、音楽だけがまだここに居残っている。しかしそれは不協和音でしかない。盲人が聞く流麗なピアノの旋律とは異なる煉獄の音叉でしかない。ロイは、ただ傅き続けた。何も言うこともなく、ハイネがどう考え、今どのような苦痛と相対しているのか、それは音叉になって、ロイの魂を傷つける。俺に、魂があればの話だが。御父様の声で再生されたそれは、ロイの内なる声なのだろうか。延々と堕ちていく感覚。ロイは這い上がることもせずに、静かにその音叉に、ずっとずっと耳を傾けていた。
 全てが終わって、紫煙までもが晴れていくと、もうピアノの音なども聞こえない。男共の嘲笑も消えて、ロイは、ただ横で崩れ落ちたように眠るハイネの肢体に、視線を注いでいた。人形になってしまったかのように、ロイの目には映った。静かに眠るその裸身は、もう骸にしか思えず、ロイは、誰もいないホールに散らばった様々なパーティーの残滓を一瞥すると、そのまま屋敷を出て、宿舎へと戻った。

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