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片しぐれ

1-6

 計が離れの景の部屋に入り浸るようになってからしばらくすると、計に人形を発注している、東京のメーカーの営業である服部が屋敷を訪れた。服部は幸子に離れに通されて、意外な顔をした。
「お父様の仕事場ではないんですね。」
「はぁ。坊ちゃんも、お嬢さまも、今は離れでほとんど寝食を共にしておられます。」
「お嬢さんと?」
「なんでも、お嬢さまのお人形を拵えるそうで……。」
「妹さんの人形ですか。倒錯していますね。」
服部がそう言うと、幸子は苦笑した。そのまま離れに上がると、景は、白い薔薇の刺繍が施された着物を纏っていて、計の前に座っている。そして、同じ構図で撮られた写真が壁に何枚も貼られている。その隙間から、男装の令嬢の目が服部を射貫いている。
 計は、木枠に触れながら、時折立ち上がり、景の肌に触れていた。景の掌に触れて、指で感触を確かめている。その二人の遊びは服部に、妙な胸騒ぎだった。
 景は、服部が見つめているのを知っていて、わざとであろうか、素知らぬ振りをして、時折視線を送っては、計に触れられた箇所をくすぐったそうにさする。
「坊ちゃん。御客様でごさいます。」
幸子に言われて、計が振り返ると、服部がお辞儀をして、計もそれに倣った。
「お久しぶりですね。」
「東京から来られたんですか?」
服部は頷いて、景に目配せをした。景はすました顔で会釈をするだけだった。
「仕事の話と、それから、妹さんの話と……。」
服部は声を落として、ささやくように計の耳もとに話しかけた。計は頷いて、
「それなら、応接間に行きましょうか。」
計は服部を促すと、景を離れに残して、屋敷に戻った。景は、その背中を見つめながら、番の小鳥を籠から取り出して、指先で遊んだ。白色に青色が交じった。
 計は、幸子に茶を持って来させると、服部と向かい合って、
「わざわざ東京からご苦労様です。連絡をくださったら、色々と準備をしましたのに。」
「いやいや。出張の名目で、京都観光できるチャンスなんて、そうはありませんから……。」
「またお寺か何か、見てこられたんですか?」
服部は、京都の古美術や寺社に興味があって、京都に住む公武ともその縁で、仕事の関係以上の親交があった。服部も、計と景が複製人間であることを知ってはいるが、しかし、そのことにはあまり頓着がないように、計には見えた。
「梅津にある、梅宮大社にね。あそこは庭が広くてね。鯉がやまほど泳いでいますよ。あれは梅の時期がきれいなんだが、今も紅葉が池に浮かんでいてね。穴場ですよ。僕は鯉の相手を一人で買ってね、百匹ほどもいる鯉に、餌をあげてきたところです。鯉は、餌の匂いがわかるのか、それとも、多分人間の気配でわかるんでしょうな。こちらが桟橋に立つとね、その下にもう二三十は集まっていて、それから遠くから鮫のように水をかき分けて、進んでくるわけですね。あの光景はね、滑稽ですけど、面白いものですよ。ああいうのは、水の中で仲間たちが動くと、気付くものなのかなぁ。」
「うちの庭にも鯉はいくらかいますが、餌やりは面倒なものですね。」
「妹さんは、まだ小鳥道楽ですか。」
「それと宝塚道楽ですね。」
「前のお見合いはどうだったんですか?」
「だめでしたね。これでもう何人か。そろそろ両手に届きそうです。」
「じゃあ、いっそのこと、届けるのもいいかもしれない。もう一人、いかがでしょうか?」
服部はそう言うと、鞄から一枚の茶封筒を取り出して、その中から、一枚の写真を抜き出した。写真には三十半ばほどの男が映っている。濃い眉毛で、目つきが険しいが、若々しい精力に溢れている。
「今四十二の男でね。うちの会社と取引のある、包装紙メーカーの社長の息子です。本人は今は営業本部長だが、後々はね。それから、まだ未婚で、バツもありません。」
「いいお話ですね。」
「先方にはもう景さんの写真は見せましたよ。すごい乗り気でね。」
「僕らが複製人間だっていうことは……。」
「もちろん伝えていないですよ。まぁ、あまり気にせんでしょうね。親御さんも、結婚できたら御の字だと思っているくらいだし。」
「子宝には恵まれませんよ。」
「本人も歳を取ってますからね。問題ないでしょう。」
計は頷くと、封筒を受け取った。そして、服部は続けざまに、
「あなた方が考えるよりも、複製人間差別ってのは、この文明の時代にはSF小説のようにそこまで露骨ではありませんよ。今は権利団体やらがうるさい時節ですし、他人は意外と他人に興味がないもんだ。子供が出来ない以外、何の違いもないでしょう。」
「それは服部さんが理解のある側にいるからでしょう。僕らは、その理解のない側の人間を腐るほど見ていますから。」
「僕から見れば、あなた方は充分人間ですよ。複製人間には魂がないという輩もいますが、それは過激派で、合成生物にだって文句をつけているんだから。少数派ですよ。複製人間はもう世界で何万人といるんだ。むしろ、あなた方複製人間の側が、魂がないと喧伝する宗教を盲信する嫌いすらあるじゃないですか。」
服部はそれだけ言うと、幸子から出された茶を啜って、
「条件は申し分ありません。あとは景さんのお気持ち次第ですね。たぶん、僕が思うには、御父上である城先生が、あなた方をお育てになったことが、人格の形成に、多いに関係していると思いますね。彼は、自分で複製人間を開発しておきながら、それに一番懐疑的なんだから。複製人間が天涯孤独の存在だと、そう言っていたでしょう。」
「口癖でしたね。」
「その考えっていうか、思想っていうのがね、染みついてしまったんでしょう。それが景さんの厭世観に繋がっているように思えますね。恋人に複製人間を選ぶ人間も、今は市民権を得ていますよ。」
服部はそれだけ捲し立てると、また茶を啜った。
「ありがとうございます。それじゃあ、一度景にも見せてみます。」
「お願いしますよ。それから、もう一件、今度は仕事の話ですが。」
服部は今度は白い封筒を取り出した。そこから何枚かの資料を取り出すと、
「来年の夏にね、新しいドールの展覧会を行うんですよ。そのドールはグラスファイバーを使ったものがほとんどで、新興のメーカーが開発しているんですが、その素材を使って、あなたにも数体拵えて頂きたいんです。」
服部の渡した資料には、大きな目をした人形がモノクロ写真で載っていて、計をその目で見つめていた。
「面白そうな企画ですね。夏と言えば、まだ余裕がありますけど。僕はこの素材に詳しくないから……。」
「今日お持ちしたかったんですけどね、少しばかり大きいから、郵送で送りましたよ。かわいらしい人形でね。あなたの作る人形や、あなた方とは違うようだ。愛玩品ですよ。あれこそが、人形だと思うな。」
服部の言葉に、計は顔を曇らせたが、服部はそのまま、そのグラスファイバーの人形がいかに高値で売れるのか、今は海外の需要が高まりつつあり、中国でとくに売れていると、意気揚々と話してみせた。年間数千体の注文が見込めるが、生産が追いつかないことがネックで、それが今後の一番の課題であると、捲し立てるように喋った。
 服部が帰ると、入れ違いに服部からの荷物が届いた。一メートルに近いダンボールに梱包されていて、中から取り出すと、先程までモノクロで計を見つめていた目が、青い輝きになった。肌触りは人間のようで、触れている内に、計は景の肌を思い出した。
 人形をソファに座らせて、向かい合って見つめていると、
「大きいプレゼントね。」
景がその人形の横に立ち、人形のほほに触れた。景の方が、幾分か仄白いのが、計に不思議な感覚を抱かせた。
「私、あの人のこと、嫌いですわ。」
「君にお見合いの話を持ってきてくれたんだよ。」
「じゃあ、その方も、あの人と同じような人種かもしれませんわ。理解がある振りをして、実は一番差別するような人種。」
「口が悪いね。あまりそういうことを言うもんじゃないよ。善意で持ってきてくれたんだ。君も一度目を通しておいてくれ。」
そう言って、計は景に服部からの封筒を手渡した。景は封筒から写真を取り出すと、その男の顔を見つめた。景は目を細めて、
「ずいぶんお年を召されている方ね。私よりも二回り近く上なんじゃない?」
「四十二だそうだよ。」
景は大きくあくびをすると、封筒をソファに投げ捨てて、人形の隣に座りこみ、そのまま人形を抱きしめた。
「兄様は、私がその方と結婚して、あの離れからいなくなったら寂しい?」
「寂しいだろうが、長い目で見たらいいことだよ。君は生涯食うに困らない。彼は将来会社の社長だそうだよ。君は社長夫人になる。僕は人形作りに本腰を入れる。」
「でも、今は私の人形を作っているじゃない。それは本腰じゃないの?」
景は口を窄めて、睨むように計を見つめた。計は苦笑して、
「もちろん今も本腰だけどね。でも、やはり妹がそのようにふらふらしていては、自分もそれに流されるようだよ。」
計がそう言うと、景はつまらなそうに天井を見つめて、
「私、今日はもう眠りますわ。」
と、そのまま目を閉じて、人形の隣で眠り始めた。計は立ち上がると、離れに向かって、自分が今拵えている木枠を持ち上げた。そして、グラスとウィスキーを持って、応接間へと戻ると、もう人形を抱きしめたまま、景は眠りにおちていた。すやすやと眠っているのが、幼い娘のせいか、寝息も小さい。そして、着物の裾からのぞいた足の裏は、若草色のソファの上をほんのりと桃色に染めていて、フランスかどこかの人形のようである。このまま、あの瑠璃色の小鳥たちを肩におけば、どこかやんごとなき姫君のようであろう。これはもう、そのまま人形であると思えて、それに付き添う人形が、急に古くさい黴びたものに思えた。
 人間も、寝てしまえば人形である。人形作家の四谷シモンが、生きているような人形よりも、今死んだ人間こそが人形であると、そのようなことを本に書いていたのを読んだが、それはその通りかもしれないと計には思えた。ウィスキーに口をつけながら、木枠をいじるうちに、景の言葉通り、今作っている人形よりも、一等人形である景を飾ることこそ、ほんとうの美しさなのかもしれないと、計には思えた。

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