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ああ、髑髏(されこうべ)③


 大之神(おおのかみ)はもう一度部屋に戻って、喚き立てる禽獣を見つめる。欲望にのみ突き動かされて、恐ろしい顔立ちが並ぶ。鳥の嘴に麦を運んでやりながら、大之神は考える。物思いに耽るのは、時々あることだけれども、母についてはそうそうない。それとも今までにもあったけれども、きづかなかっただけだろうか。昨晩の夢まぼろしが、大之神の心に深く刻まれて、もう一つの心臓になって、血を巡らすかのよう。頭はもうそのことでいっぱいで、夜の月から母までが、すべてがひとつのことのようだ。脳みその中に浮かぶこのまぼろしを、日がな一日弄び、そのまま夜を迎えると、嬉しそうに彼の部屋を尋ねる女たち。大之神は女たちを一瞥すると、そのまま部屋に招き入れる。手慣れたように自ら着物をはだけさせると、女たちの色香は、部屋を覆い尽くす。麝香も、獣も、女の匂いで霧散する。その匂いに、いつもならばいきり勃つものがあるのだが、今宵はどうやら違うよう。大之神は、裸で戯れる娘たちに、それぞれの秘部を遊ばせて、それを見るのに尽きる形。娘ふたりは嬌態を、これ見よがしに見せつけて、大之神は唯一人、その匂いを吸うばかり。獣たちは怯えるようで、部屋の隅から女を睨む。
 翌朝、心変わりを伝えようと、番頭を呼びつけると、自身の前に座らせる。獣の匂いと目の玉とに囲まれて、番頭は怯えるばかり。
「それで、何のお話しでございましょう。改まって呼び出されるとは。」
「うん。それなんだけどね、お前もこの前に言っていただろう。僕も身を固めるべきだと。」
「ええ、ええ、たしかにそう言いました。つい最近のことでございますね。」
「その言葉がこう、僕の胸の中に茨の棘のように刺さっていてね。ちくちくと、時折痛むんだよ。」
「なるほど。年頃の男も女も縁談の話をされればみなそうなりますでしょうなぁ。」
「うん。ほんとうにそうなんだ。お前の言葉がいちいち思い出されてね。そうすると、もう寝る前も、寝ているときも、起きてからも、その言葉が周りをぐるぐるとね、回るんだよ。」
「なるほど。それでは、つまり若は私の言葉でお考えを新たにされたので……?」
大之神はほほんで、右手を伸ばすと、ゆっくりと番頭のほほを撫でた。番頭の肌の色のせいか、骨張った白い指が、一等白く見える。男であっても、呑まれるような美しさで、白い絹糸をまとめて織り上げたかに見える。目端に映る白い指に番頭は、このような指で弄ばれた女の息を思って、年甲斐もなく胸が高鳴る思い。自分が女に変えられて、遊ばれている空想が、彼の心に浮かんだ。大之神は、やさしく眦を垂らして、赤い脣でほほえんだ。
「そう、お前のせいだよ。僕は色恋沙汰とか、縁談とか、そういう類は信じていないのに、おどろくべきことだよ。自分の価値観が変わるのは、とても恐ろしいことだよ。でも、同時に喜ぶべきことでもあるね。自分が変わるのを意識できるのは、ほんとうに喜ぶべきことだ。」
「いやいや、ほんとうに喜ぶべきことですな。私どもにこんな未来がどうして想像できましょうか。夢の中にいるかのような驚きです。」
「いやいや、夢ではあるまいよ。軽くつねってあげようか。」
大之神のほほえみはやわらかい。一体なぜこのように大之神の心が変わったのか。番頭には推し量ることしかできないけれども、しかし、予想外のことに番頭は頬を緩める。大之神に触れられて、一層である。
「それではさっそく、見合いの席を設けましょう。若とお会いしたいという女は山ほどいるのです。」
「なるほど。でもそれは花柳の女ではないだろうね。」
「いえいえ、何をおっしゃいますやら。あのように下賤な花柳界の女と若が釣り合うわけがないでしょうに。すべてうら若き乙女たちです。」
「うら若き乙女たち。」
「ええ。うら若き乙女たちです。若との結婚を望むものは皆美しい乙女たちです。」
そう言われて、大之神は何か考え込むよう。眉間に皺を刻みつけ、戸惑う番頭を見つめると、
「そうだね。うら若き乙女たちだ。ねぇ、僕はお前の言うように、ほんとうにうら若く美しい乙女と契りを結びたいんだ。花柳の女は美しいけれど、汚いだろう。」
「そうでございますね。また信用もなりません。若のお美しさ、若の財産、この屋敷を狙っているやもしれません。」
「そうだね。僕と結婚をしたいという女は何人くらいいるの?」
「それは呼べばかなりの数にのぼりましょう。皆生娘たちです。」
「じゃあその何人かを呼んでくれないか。四五人で構わない。僕が直接その人たちと会って、僕に相応しいおなごかどうかを見定める。」
大之神がそう言うかたわら、何匹もの犬猫たちが、入れ替わり立ち替わり、彼の膝の上を行き来する。大之神は、その獣たちの首筋をそれぞれ優しく撫でてやる。
 その日の夜から番頭は、急いで町にお触れを出して、大之神の嫁探し。声をかけると駆けつけた、その多くが花柳かどこぞのお女中連。皆が狙うは玉の輿。しかし番頭は、大之神の言いつけ固く守ると、花柳や女中はお断りだよ、申し訳ないが、名のあるお家の方だけが、この屋敷に入れるんだ、さぁさぁ帰ってくんな、帰ってくんなと蟻の子散らす。
 一月程で集められたるは、うら若き五人の乙女。皆一様に美しく、花咲く前の蕾の頃のやわらかさ。集められたる嫁候補たちは、皆が一様に飾り立て、大之神の屋敷に集まると、まだかまだかで未来の婿を待ちぼうけ。
 簾越しに、大之神は娘たちの影を見つめながら、そっと指先で隙間を作ると、そこから舐めるように女たちを覗き込んだ。町中から集めた美しい姫君たちと番頭が宣ったのも、あながち間違いではない様子。大之神は大きく息を吸い込んで、女たちの匂いを吸った。麝香と獣と女たち。しかし、常日頃に親しんだ花柳の毒気はそこにはない。大之神は色めきたった。番頭の言葉の通り、娘たちはほんとうにまだ生娘なのかもしれない。
 一人の娘が座を立って、縁側から庭の池を覗き込んだ。退屈しのぎのその行為に、匂いが一つ立ちのぼり、胸に吸い込むその香りによって、大之神の顔つきは暗くなった。夢魔のごとし匂いである。花柳の匂いではないが、それに近しい血潮の匂い。
「汚れ無き乙女だと言ったではないか。」
大之神は、番頭を呼びつけると、たちまち怒声を浴びせた。しかし、病弱な大之神のこと、怒りにまかせた声もまた細く清しく美しく、水琴窟の音の如し。それでも番頭が怖れ戦いたのは、せっかく心変わりを果たした我が主人が、また元の木阿弥に戻ることが頭に浮かんだからだろう。
「若、申し訳ございません。私の過ちでございます。しかし、どのような。」
「御前は僕を莫迦にしてるのかい。どういうことだ。月の物の匂いがしたぞ。」
「月の物の。それは然し、女どもは生き物でございます。獣でございます。しかし、生娘でございます。処女でございます。月の物は皆に訪れること。まだ幼子なら別ではありますが……。然し、若と釣り合う年頃の娘はみな月の物を迎えております。」
然し、大之神の怒りは収まらないようで、その場にしゃがみ込むと、腕を組んで唸るばかり。まぼろしの娘を求めるかのような口ぶりに、番頭はほとほとに困り果ててしまった。
「あの五人はみな月の物が来ておると。」
「左様でござります。ただそれは一時だけのこと。そうして、健康な娘の証でございましょう。」
「僕にはどうも汚れたように思えるんだ。」
「なるほど。血の匂いがお好きではない。しかし、女人になるとはそういうことでございます。童女のような純粋なものは、女人にはございませぬでしょう。それに若は、血の戯れはお好きでございましょう。それならば、いつかはお子を授かる身でございますから、他に汚れがないのであれば、我慢していただけませんでしょうか。」
番頭は必至の形相である。大之神に不満がないことはなかったけれども、しかし、番頭の言葉は真に迫っていた。美しい乙女とはいえ人間であり獣であるから、血の臭いは当然するのであろう。然し、その血が花柳を思い出せて、彼に不満だった。
「たしかにお前の言う通りだ。僕も我慢が足りなかったようだね。その点は、僕ももう文句を言わないようにしよう。それならば、お前も安心だろう。」
「ええ、ええ。申し訳ございません。私どもも、何も若が嫌だと言う女を集めているわけではござりませぬ。ほんとうに、ほんとうに若のお噂を聞いて、この家の嫁になることを決めて来た女たちばかりでございます。一度お会いすれば、若のお心も変わるやもと……。」
「よぉし、わかった。なら女たちをつれてきてくれ。ただし、僕は女たちの前に姿を出さない。」
「何ですと?それはいったい……。」
「女たちをこの簾越しに見たいんだ。何人も来ているのだろう。僕は情に篤いから、一度でも目を交わすと、そう簡単には袖にはできなくなる。それはまずいだろう。」
「では、一度にすべての女たちと出会うと。」
「そうだ。そうして、気に入った女と改めて話をしようじゃないか。」
そうと決まれば、番頭は女たちに声をかけて、客間に一堂並べ立て、簾の奥に大之神、その横に座を持つと、一人一人の女のことを、大之神に耳打ちする。
「大尊寺の住職の娘の扶桑松子でございます。歳は十九でございます。」
「北山に住みます鍛冶職人の娘、伊藤静子でございます。歳は十七でございます。」
「大村町に薬種商を構えます稲村の娘、稲村京子でございます。歳は十八でございます。」
「泉川女学校の校長を務めます井坂の娘、井坂花子でございます。歳は十八でございます。」
「佐藤商事の社長令嬢、佐藤雪子でございます。歳は十九でございます。」
女たちの身分・名前・年齢を一通り話すと、番頭は大きく息を吐き、大之神を見つめた。大之神は、食い入るように乙女たちを見つめて、その五輪の花に夢をみるようにほほえんだ。皆色が仄白く、御髪の黒さは闇夜のよう。星々のように、双眸眦きらめいて、純粋のほほえみを浮かべている。
「このように、どなた様もあなた様におふさわしい、お美しい方々ばかり。ご令嬢たちはみな、あなた様に一目でもお会いしたいとここに来て下さった方々。旦那様、いかがでしょう。」
番頭は覗き込むように大之神を見つめた。大之神は何も言わずに、ただただ娘たちを見つめている。そうして、番頭に耳打ちをした。はじめは穏やかな顔の番頭も、大之神の言葉に徐々に眉間に皺を刻んでは、ついにはふるえ出す始末。
「若。そんなことはなりませぬ。申しましたはずですぞ。彼女たちは皆生娘なのでございます。」
「童貞なら信じるだろうが、僕にはそんなことは信じられない。女は自分を擬態するだろう。お前も男なら、そんなことは百も承知のはずだ。」
「皆由緒ある家柄の娘たちですぞ。そのような事は口に出すのも侮辱。」
「もし乙女ということが嘘ならば、それは僕に対する侮辱だろう。未来の夫に対する罪だろう。自分は清らかな娘であるというのならば、何も恐れることはないだろう。」
番頭はふるえる拳を握りしめ、立ち上がるとつかつかと、大きな音を立ててお女中連を呼びに行く。大之神はその間、女たちの顔を見つめるばかり。みな一様に、覗き込むように簾を見つめている。この上ないほど、男と女が互いに見つめ合っている。嘘つきが紛れていそうだと、大之神は、女たちを見て思う。皆美しい顔立ちだけれども、聖い美しさが、見て取れない。或いはすべての女たちが娼婦ではないかと、大之神はそう思う。 
 大之神はいたずらに自分の白い指先を簾からのぞかせて、娘たちに見せた。娘たちは嬌声をあげて、その指先を目で触ろうとする。大之神は簾から指を引き抜くと、娘たちの匂いが指先にこびりつくようで不快だった。
「あのように大きな声で騒ぎ立てるのは何故なんだろうね。あの乙女たちは男を欲しているのかね。」
「若だからこそでございましょう。他の男ならこうはいきません。乙女の心ですらその皮膜を破られるのは若の高貴さ故でしょうな。」
やんごとなき気品のようなものが自分に備わっているのだろうか、自分に抱かれる花柳の女たちもあの簾の先の娘とみな同じような目をしている。それは同じ血族であることを大之神に語るかのようである。
 五人の娘は誰もが言葉を発しないが、しかしそれぞれがそれぞれを牽制している。互いに腹の裡を探るのかのようで、そこではもう戦が行われている。愛の戦である。その中で、一際目を引く美しい娘に大之神の視線は動いた。鬢付け油が光っていて、その照りように座敷そのものが明るくなるように思えた。娘は口紅にうすく紅を引いていて、目を伏せてはいるが、時折幽かに面を上げて、簾の奥底を覗こうとする。他の娘皆同じようなものだが、しかしこの娘はその所作のひとつひとつにほんとうの生娘らしさ、男の肉体に対する焦がれのようなものがまだ芽生えていない、ともすると、それにおののきすら感じているかのような畏れが目に浮かんでは消える。その畏れのようなものに、大之神は崇高なものを感じて、娘の目を凝視した。(続く)

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