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ミルキーウェイ

1-4

 やまねこのやしきへのみちすがら、なずなはいいました。
「あなたはほんとうにゆうれいをしんじてるの?」
くさまおはとっさにこたえることができずに、ただかおをしかめました。ゆうれいはしんじていませんけれども、くさまおはふしぎなものをみることがありましたし、きくこともありました。
「ゆうれいはしんじちゃいないんだ。でも、もりがしゃべったり、なにかがこちらをみているっておもうときはあるんだ。」
「そんなのかんちがいですわ。」
なずなはくさまおのことばに、けたけたとこえをたててわらいました。くさまおはかおをしかめて、
「ほんとうだよ。だから、うちのやしきにはたくさんのはくせいや、にんぎょうがあるから、そういうふしぎなものが、ぼくにしゃべりかけたりするんだよ。ゆめじゃないんだ。ほんとうのことだよ。」
くさまおがまがおでそういうと、
「うそばっかり。それじゃまるでゆうれいじゃない。ゆうれいなんていないわ。」
なずなはわらいながら、くさまおをこばかにしたようなしせんをむけます。
「じゃあ、こんやきもだめしをしようよ。」
「きもだめし?」
「よるにやしきをたんけんするんだよ。きっとにんぎょうたちがうごきだすよ。きみはおどろくよ。」
「そんなこどもじみたことしないわ。」
なずながそういうと、こんどはくさまおがくちびるをゆるめて、
「こわいんだろう?じゃあやめておこう。きみはこわいんだから。」
「こわくなんかありませんわ。いいわ。じゃあこんや、きもだめししましょう。」
なずなはいきおいよくそういうと、ずんずんとひとりまえにすすんでいきました。くさまおはだまってなずなのあとをおいかけました。なずなのせなかをみつめながら、くさまおにふしぎなおもいでした。それは、なずなはあまりにもしんだいもうとににているのに、こころはちがうからです。せたけも、こえもおなじなのに、こころがちがうと、おおきさも、こわいろもかわるようです。しんだなずなはもっとやわらかいむすめでした。そうして、もうしんでしまったいもうとをおもいだしていると、ふしぎといろいろなおもいでがあふれてきて、いまここにいるなずなとかなさるようでした。かのじょがじぶんがなずなだとみとめれば、それでいいのではないかと、そのようにおもうのでした。そうすれば、かのじょがなずなになって、くさまおとなずなとおきなと、またさんにんいっしょになれるのですから。
 やまねこのやしきにもどると、げんかんのホールに、みなれないおとこのひとがたっていて、くさまおはおもわずたちどまりました。そのおとこのひととむかいあって、おきながたっています。おとこのひとははくはつで、ひたいになんぼんをしわがありました。おきなよりもすこしわかいようにみえました。せのたかいひとで、くさまおをみとめると、めじりをすこしさげて、ほほえみました。くさまおはどきどきして、めをそらしました。
「はずかしがっているようだね。」
おとこのひとはわらいながらそういいました。おきなはわらうこともなく、ただだまってくさまおをみつめています。
「どこへいっていた。」
おきなのつめたいこえに、くさまおはおもわずみがかたりました。
「はやしに……。このこを、なずなをあんないしてたんだ。」
「かってにでるな。あぶないだろう。」
「わたしがあんないをしてほしいって、くさまおにたのんだんですわ。」
「おまえはだまっていろ。」
「まぁまぁ。そうおこらずに。くさまおくんもそんなにおちこまないで。」
おきなのつめたいこえをせいして、おとこのひとはしゃがみこんで、くさまおのめせんになりました。めがきらきらとあおいほうせきのようでした。しきそがうすいのでしょうか。どこまでもとおくにすきとおっています。くさまおはそのガラスのようなめにすいこまれそうでした。なんのいきものもいない、こおりのしょうわくせいのようでした。
「ぼくはかりやだ。かりやまさおみです。」
かりやはほほえんでいましたが、しかし、そのすべてがしろとはいいろのかおだちは、どこかにんぎょうをおもわせました。おきながこしらえたにんぎょうがいのちをえたようにくさまおにはおもえました。
「かりやせんせいは、わたしにいろいろおべんきょうをおしえてくださいましたのよ。」
「ぼくはなずなちゃんのせんせいなんだよ。きょうは、なずなちゃんがいえにかえるひだから、おわかれのあいさつにきたんだよ。」
そのことばに、くさまおはなずなのはなしていた、グレーグリーンのへやをおもいうかべました。このひとがてんたいぼうえんきょうで、せいざのいろいろをおしえてくれたせんせいなのでしょうか。ほしぞらがすきなひとなのでしょうか。それならば、このひとはやさしいひとなのでしょうか。
「くさまお、なずな、うえにいっていなさい。」
そういって、おきなはふたりをあごでうながしました。かりやはなにもいわずに、ただほほえんでいるだけでした。
「はい、おとうさま。」
なずなはワンピースのすそのりょうはしをもちあげると、きぞくのおじょうさまのようにいちれいをしました。おきなもかりやも、ただうなずくだけでした。
 ふたりをのこしてへやにもどると、すぐさまにせいじゃくがおとずれました。なずなはつまらなそうに、くさまおのへやにおかれたいろいろなものをてにとっては、じかんをつぶしているようでした。くさまおがたいせつにしているとりかごをもちあげては、そのなかをのぞきこみます。
「たいくつだわ。ここじゃつまらないわ。」
「でも、おとうさまはへやにいろっていったよ。」
「へやじゃないわ。うえっていってらしたわ。だから、ねぇ、またおとうさまのへやにいきましょうよ。」
「そんな……。かってにあそんでたらあとでしかられるよ。」
「だいじょうぶよ。かりやせんせいとおはなしがあるんですもの。まだしばらくはこないわ。」
そういうと、なずなはすぐさまとりかごをくさまおのベッドにほおって、へやからとびでました。くさまおはあわててそのあとをおいます。もうなんどもなんども、このようなことがくりかえされたようなきがします。アトリエにはいると、いっせいににんぎょうたちがふたりをみつめました。ただ、なずなはきがついていないようです。またいろいろなほんをてにとっては、それをながめています。くさまおは、にんぎょうたちのしせんがからだじゅうにあちこちにつきささってつらぬかれて、とてもいごこちのわるいおもいでした。そのうちのいったいの、のうのおめんをかぶったにんぎょうは、つめたいめでくさまおをみつめます。そうしてどうじのめんのにんぎょうは、そのあかねいろのくちびるをなまめかしくうごかしながら、このこはだれなのと、そうたずねるのです。くさまおはなにもこたえることもなく、ソファにこしかけて、くびをふりました。そうしていると、なずなはなにかみょうなものでもみたように、ほんをおいてくさまおにちかづきました。
「だれとおはなししているの?」
「にんぎょうだよ。ぼくはにんぎょうとはなせるっていったろう。」
そういうと、おかしなことをきくかのように、なずなはまゆをひそめました。
「さっきいってたおはなしね。そんなこと、あるわけないじゃない。だって、にんぎょうにはいのちがないわ。たましいがないもの。はなせないわ。ゆうれいのほうがまだましよ。」
「ゆうれいのほうがましかい?」
「そうよ。だってゆうれいはむかしいきていたんだもの。たましいがあるじゃない?」
「ひとだまみたいなものだね。」
「そうよ。ひとだまよ。あなたにも、わたしにも、こころのなかにあるのね。だから、そっちのほうがましよ。」
「でも、ぼくはほんとうにはなせるんだ。にんぎょうのこえがきこえるんだ。」
「ばかばかしいわ。」
なずなはふてくされて、くさまおのむかいのソファにいきおいよくこしをおろしました。そうして、くさまおをみつめました。ほほをふくらませて、かんしゃくだまです。そのかわいいかんしゃくだまをはれつさせないように、くさまおははなしをそらそうと、
「あのせんせいはやさしそうだね。きびしそうでもあるけど。」
「かりやせんせい?」
くさまおはうなづきました。なずなはほほえんで、
「とってもやさしいせんせいだわ。せんせいは、かみさまのはなしをされるわ。イエスさまのおはなしよ。」
「イエス・キリスト?」
「そう。うまやどのおうじよ。」
「うまやどのおうじ?」
「うまごやでうまれたのよ。マリアさまからね。」
くさまおは、イエス・キリストについてはくわしくありませんでしたから、なずながじしんまんまんではなすことばがなにひとつりかいできませんでした。ただ、うまやどのおうじという、どうぶつたちにかこまれてうまれたそのみこが、なずなのことばをもっていわれると、とてもうつくしいもののようにかれのこころにしみこんだのです。
「かりやせんせいはなんでもおしえてくださいますわ。わたしをけんきゅうじょで、いちばんせいせきがいいっていってたわ。」
なずなはまたじまんがおです。そうして、
「せんせいとおとうさまはむかしからのおともだちだって、そうきいたわ。おとうさまと、いっしょにけんきゅうをしていたこともあるって、そうおはなししてたのをきいたもの。」
「なんのけんきゅう?うちゅうかい?」
「しらないわ。でも、せんせいはしんぷさまでもあるのよ。だから、なんでもしっているわ。せんせいは、かみさまのことばもしっているわ。せんせいに、クリスマスのこともおしえていただきましたもの。」
「クリスマスかぁ。ぼくもだいすきだよ。」
クリスマスということばに、くさまおのかおがほころびました。
「クリスマスは、イエスさまのうまれたひですのよ。せいなるひだって、せんせいはおっしゃっていましたわ。」
「しってるよ。それくらいはしっているんだ。」
くさまおはわらいながらそういうと、なずなはおこったようにまゆをひそめて、
「わたしはあなたよりもしってるわ。クリスマスのおいわいは、しちめんちょうをやくのよ。それから、もみのきをクリスマスツリーにするの。きらきらかざりつけるのよ。よるになると、サンタクロースがプレゼントをもってやってくるのよ。」
そういうと、くさまおはまたわらって、
「サンタクロースなんていないさ。おとうさまがプレゼントをもってきてくれるんだ。ぼくもなずなも、おとうさまからプレゼントをもらっていたんだよ。」
プレゼントということばに、なずなはきょうみしんしんでしたが、くちにはださずに、
「クリスマスにパーティーをするのね?」
「そうだよ。とてもきれいなんだ。あかいろやみどりのかざりで、クリスマスツリーがきらきらかがやくんだよ。それから、ツリーのしたにはプレゼントがおかれるんだ。」
くさまおははなしながら、しかし、そのようなクリスマスは、なずながいってしまってから、もうなかったことをおもいだしました。なずながいってしまって、おきなはこころがかわってしまったようです。
「じゃあきっと、またふゆにパーティをするのね。」
「そうだよ。はやしはゆきにおおわれるから。このやしきも、ゆきでおけしょうするんだよ。」
「ここからのけしきもかわるのね。」
そういって、なずなはたちあがると、まどガラスにうつるそとのけしきをみつめました。
「このいちめんがまっしろだよ。だから、へやのなかがもえているようにあかいんだ。」
だいだいのランプシェードがこうこうとかがやくのをみつめながら、くさまおはそういいました。そうしてそのしたにおかれたとうじきのにんぎょうたちが、またかすかにうごいたきがしました。かれらは、なずながかえってきたことをかんげいしているのでしょうか。それとも、なずなとはちがうたましいだということをもうみぬいているのでしょうか。
 なずなはめをとじて、かぜをほほにうけていました。そうしてしずかにめをつむっていいます。なずなはここにすむのだといいましたが、いったいどのへやにとまるのだろうと、くさまおはぎもんにおもって、そうして、なんとはなしになずなのよこにならぶと、おなじようにめをつむって、かぜのおとをききました。そうしているうちに、みみにみずおとがさらさらとながれてきました。どこからとどくのだろうか、なずなにもきこえているのだろうかと、くさまおにはふしぎでしたが、うしろからふいによびとめられて、ふたりはふりかえりました。そこには、かりやとおきながたっていました。かりやはうしろでてをくんでいて、おきなのアトリエをじろじろとなめるようにみていました。くさまおはまたせすじがかたまって、かりやからめをそらしました。
「おわかれのあいさつにきたんだよ。なずなちゃん、それからくさまおくん。わたしはいまからまちにもどります。またクリスマスのころにあいにくるよ。きみたちのせいちょうをたしかめにね。」
そのことばになずながうなずくと、かりやはくちもとをゆるめました。そうしてかりやはつかつかとくさまおのもとへとあゆみよると、しゃがみこんで、くさまおのあたまをなでました。
「それじゃあ、なずなちゃんをたのんだよ。」
きらきらとひかるめが、くさまおをいぬきました。それはふゆのひかりのようでした。このなつにはふにあいなとうめいなひかりです。そのつめたいひかりをもったまま、かりやはへやをでていきました。おきなはなにもいわずに、ただふたりをみつめました。そうして、へやのとびらをしめると、そのままかりやのあとをおっていくおきなのあしおとだけがきこえました。そのひいちにちは、くさまおにとって、とてもながいながいいちにちでした。これからいくつものとくべつなひをおもいだしても、このひいじょうにながいいちにちなんてないだろうと、みらいのくさまおはおもうでしょう。
 
 それから、くさまおとなずなのまいにちがはじまりました。くさまおはなつのあいだ、がっこうがはじまるまでのあいだ、いつもなずなといっしょでした。なずなといっしょに、まいあさあのくちはてたきょうかいにいって、おいのりをします。なずなはイエスさまのことにくわしいのです。だから、せいしょという、このせかいのなりたちがかかれたほんをくさまおによんできかせるのです。くさまおのしらないものがたりが、そのきょうかいにながれました。そうして、はなしをきいているうちに、くさまおのなかに、おきなからきいたいろいろなでんせつもながれこんできて、せかいがかわろうとしているのがかんじられました。それはじぶんのなかのせかいでしたけれども、それがかわるだけで、いままでみていたものがくるりとぜんぶかわるのがふしぎでした。せいしょのはなしがおわると、こんどはくさまおのばんです。くさまおはほしのはなしをなずなにきかせてやります。もういってしまったなずなは、おほしさまがだいすきでしたから、ふたりでずかんや、ちいさなぼうえんきょうをみて、ほしぞらをみたのです。ながれぼしをふたりでみていたのです。そうして、それはおきなにねだってかってもらった、ぼうえんきょうからみえるほしたちでした。
「あっ。ほしがおちたよ。」
くさまおがゆびをさすと、ぼうえんきょうにめをつけたまま、なずなはいっしょうけんめいいまおちたほしをさがすのです。ただどこにおちたのかわからないと、ほほをふくらませます。
「あのほしも、きっとずっとずっとまえにおちていたほしなんだろうね。」
「あのほしも、げんきなときには、わたしたちみたいに、だれかがこのほしをみていたのかもしれないわ。」
「きっとそうだね。ふしぎだね。ぼくたちと、あのほしにすんでいるかもしれないひとたち、そのふたつがであうことがあったら、きっとすごいことだろうね。」
「とてもきれいなひとかもしれませんわ。きれいなうちゅうじんですわ。」
そうはなしていたのです。ほしがとおくにおちたときに、そのほしののせていたかもしれないいのちのはなたばも、いっせいにおちてしまったのでしょうか。ただいのちのかがやきだけがとどいたのでしょうか。ふたりは、いつまでもいつまでもほしぞらをみていました。なつのせいざがよぞらをいろどって、きょうかいはほしあかりでいっぱいでした。
「うちゅうはすごくひろいんだ。ぼくらのいるぎんがも、きっと、はじめはあかんぼうみたいなものだったんだろうね。」
「あかちゃんのぎんが?」
「そう。そうして、さいごにしんでしまうときに、ブラックホールになるんだよ。どこまでもどこまでもおもい、じかんも、くうかんも、ゆがめてしまうんだ。そうして、じぶんでじぶんをつぶして、さいごにはあたらしいいのちになるんだ。」
「ふぅん。わからないわ。わたし、わからないわ。」
なずなはまたほほをふくらめせて、そうしてぼうえんきょうをのぞきこみました。くさまおはなにもいわずに、ただそのよこがおをみつめました。
 そうして、おきなはというと、あいかわらずなにもいわずに、ただもくもくと、アトリエにこもって、なにかのけんきゅうをしていました。いちど、おきながけんきゅうをしているときに、くさまおはアトリエにはいってしまいました。おきなはくさまおをみつけて、ただ、
「かってにはいってくるな。」
とだけいいました。おきながなにをつくっているのか、くさまおはきになってしかたありません。
「なにをつくっているんですか?」
くさまおがたずねると、
「くすりだ。」
「おくすり?だれの?」
そういうと、おきなはかなしそうにほほえんで、そのほほえみが、むかしのおきなのわらったかおにそっくりでした。なずながいってしまってから、しばらくのあいだみることのなかったえがおでした。おきなはしゃがみこむと、くさまおをだきしめました。
「まもってやるんだよ。おまえはおにいちゃんだろう。」
おきなのだきしめるちからがとてもつよいので、くさまおはむねもいたくなって、しんぞうがどきどきしてしまいました。しばらくのあいだ、そうしてくさまおをだきしめていると、おきなはそっとてをはなして、たちあがりました。そうしてまた、けんきゅうにもどるのです。おきなはなにもいわずに、くさまおはそのせなかをじっとみつめていました。そのせなかは、またものをいわずに、ただただよろいのようにかたく、くさまおにはそうおもえました。
 そうしておきなは、よるになると、かならずにんぎょうをつくりはじめます。おきなのにんぎょうたちは、ひにひにかずをふやしていって、かれらとこころがかよわせられるくさまおには、おそろしいこうけいでした。にんぎょうはなにもいわずに、ただものおもわせぶりに、くさまおをみつめつづけます。にんぎょうたちは、くさまおもじぶんたちとなにもかわらないよと、そういいます。そうしてみつめられると、くさまおはめをそらします。そうして、めをとじて、みずおとにみみをすまします。とおく、みぞやおがわやいずみ、それからあめのおと。みずのながれるおとにみみをすまします。そうしてひとみをあけると、いつもなずながたっています。なずなはてをさしのべて、くさまおをあそびにさそいます。くさまおはこまったようなえがおをうかべてうなづきます。そうして、そういうひがながれながれて、いつのひにか、ふたりはおとなになりました。

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