見出し画像

機械仕掛けのボレロ①


 モニターに映る冷たい目は、心まで見透かすようだ。ロイにはそう思えた。今日は、御父様がテレビの番組で、彼らのことを語る。いや、正確には彼らではなく、今、番組のセットである豪奢なソファに座った御父様の横に立つ、一人のフタナリヒラについて。
 彼女(彼)はフタナリヒラの代表として、今日あの場所にいるのだ。御父様は、いつものように鬣のような白髪を固めて、そうして、眼鏡の奥から冷たく黒い瞳を覗かせている。
そうだ、いつもの御父様だと、ロイは思えた。そうして、スピーカーから流れ出す音楽に合わせて、ダークスーツの司会者が陽気にテレビに向けてウィンクをしてみせた。何もかもが造り物に見えた。御父様は、笑うこともなく、ただ眼鏡のフレームの底に、剣呑な響きを見せている。司会者が、御父様のことを紹介する。御父様、即ち、ロイたちの科学的な産みの親であり、実際の育ての親でもある、漆間農博士。司会者の矢継ぎ早の質問に、時折相づちを打っては、僅かばかりにほほ笑むのだが、しかし、その目色といい、それは、ロイがいつも見ている瞳とは違う。だんだんと、外向きの顔になっていく。そうして、隣に佇む娘は、漆間の動きに添って、頷いたり、ほほ笑んだり、それはまるで、広報担当のようである。時折、モニターに、その娘の美しい黒い目が光って、その度に、ロイはかじり付くように、身体を前のめりにさせる。

「今日は先生に色々とご質問出来ればと考えております。」

司会者の言葉に、漆間は二度頷いた。そうして、司会者は、ゆっくりと覗き込むように漆間に身体を近づけて、

「我々にはどうしても信じられません。フタナリヒラという人種がいるという事実に。だってそれは、特権階級やお金持ち、はたまた芸術家、そのような人々しか見ることが出来ないのですから。」

漆間は笑って、

「ここにこうして来ております。そうして、彼らは神聖ですから。それに、極端に数が少ない。まだ世界に数百名しかおりません。ですから、幾重にも警備を施して、そうして、彼ら自身が彼ら自身を産み出すまでは、我々には何も出来ません。」

「それは生殖に関して?」

「いかにも。」

「つまり、彼らは枯れた木であるわけです。しかし、同時に神の木でもある。男性、女性、その二つが一つになっている。存在自体が奇蹟なわけです。それなのに、彼らは不毛な大地だ。」

「仰有る通りです。」

「それならば、フタナリヒラは人間とは呼べないと、そういう世論もあるわけです。もちろん、リベラルな人たちなら、それは間違った意見だと、そう言うでしょうが。」

「彼らは、産まれは人口的ですが、しかし、それ以外に人と変わることはありません。ただ、生殖の機能がない。それだけです。それ以外ならば、人間に勝るとも言える。」

「人間に勝りますか?」

「勝ります。彼らは、本来は一つだった性が分裂して出来た私の、それ以前の姿です。つまり、神の似姿です。」

「神は男だと宣う宗教は山のようにありますよ。」

「それは、本当の両性具有を見ていないからです。」

漆間は深くほほ笑んだ。そうして、隣に佇むフタナリヒラの耳もとにそっと何事かを呟いた。白い鬣が幽かに揺れた。そうして、フタナリヒラは娘のように恥じらい笑った。
ロイは、いつも遠くから見つめる御父様の姿よりも、その隣で小姓のように付き従うそのフタナリヒラにひどく興味を惹かれた。それは、そのフタナリヒラが、女性寄りのフタナリヒラで、男の子のような少女めいて見えるからかもしれない。ロイの心に、あのフタナリヒラを犯す妄想が産まれたが、彼はかぶりを振った。近頃は、ひどく不安定である。ロイは制服のズボンから安定剤を取り出して、そのカプセルを数粒飲み込んだ。慣れたもので、もう水など必要ともしなかった。そうして、頭を強く振ると、またモニターを見つめる。もう一度目があった。やはり美しい目である。その黒い目は、切れ長の瞳のせいか、星空のようにも思えて、その睫は、黒弓の連なりである。

「山猫みたいだな。」

ロイが何とはなしに独りごちると、隣に座っていた武藤が眉を顰めた。

「黙ってるよ。」

ロイはそう言うと、今度は御父様に視線を移した。漆間は、美しく剃った頤を指先で撫でながら(それは、ロイに男性の尻を撫でているのを連想させた)、目を細めて、また潤ませて、静かに何度も頷いている。自分の話に酔って、心地いい火を抱いているように見える。

「そちらにいらっしゃる女性、いや男性、そのどちらでもないわけですが、私には女性に見えます。」

「姿形はね。それでも、両者のしるしがある。」

「しるしですか。」

「そう。それも飾りではない。いや、彼はまだ不毛だから、今はただの装飾かもしれない。それもいずれは解決する問題でしょう。」

「彼ら、失礼、彼ら彼女らには、その前身があるわけでしょう。複製人間。彼らの人権問題はどうお考えです。」

「旧世紀とは比べものにならない。二十世紀ももう七割が過ぎたけれど、そこで私たちが百年かけて到達した答えは、一つだけです。即ち、人権は古さ臭いイデオロギーでしかない。」

「そう訴えている方は多い。」

「AIが権利を勝ち得ている時代です。古くさい人権、古くさい権利、それらに固執するのはひどく愚かに思える。」

「今は月面基地での作業はほとんどがAIです。その中で、あなたの推奨する、複製人間たちによる宇宙探査活動は、あまりにも非現実的で、反人道的では?」

司会者の責めるような口ぶりに、しかし、漆間は些かも動じる様子がなかった。むしろ、その言葉による攻撃を、愉しんでいる節が見受けられた。

「複製人間は通常の人間の完全な複製ではない。人形と同じです。心はあるが、しかし、それも薬で安定させることができる。彼らは人間よりも非常に強固ですが、あくまでも人間ではない。それは私が彼らの塩基配列をいじっているからだ。きちんと彼らを研究すれば、彼らを人間と定義するのは些か乱暴だと、そう思えるはずですよ。」

ロイは薬を噛んだ。そうして、窓外を見つめた。黄金色の月が、倒れ込んでくるパノラマのように浮かんでいる。ロイはまたかぶりを振った。御父様は、饒舌に話している。

「あなたの定義では、フタナリヒラはどうなるのです?」

「決まっているでしょう。フタナリヒラは神。人間は人間です。複製人間は、まぁ人形だね。だから、我々は同じ姿形に見えて、まぁ、違う階層にいるわけだよ。」

ロイは御父様から、隣にいるフタナリヒラに視線を移した。目を閉じている。それこそ、人形のように。今日は、御父様が屋敷に戻る日だった。そうして、ロイは三ヶ月後、月に送られる。

 御父様にまた視線を移す。御父様は、一矢報いようとする司会者の言葉など気にする様子もなく、持論を捲し立てる。そうして、AIの権利問題から地続きで、宇宙開発の話は広がっていく。

「だから、月面基地における人員のその全ては、複製人間に代わるべきだと私は思うね。彼らは限りなく人間に近い種族ですから、資源のない月においても、我々よりも何倍も効果も出して、消費も少ない。トラウマも。スペース空間における心的ストレスにおいて、複製人間は人間の数十倍の耐性がある。」

「薬で安定させているから?」

「そうだ。彼らは両親がいない。産まれたときから大人の身体だし、そうして、愛する人から抱かれたことがない。」

「少年兵のようですね。」

その言葉に、漆間はほほ笑んだ。それは、透明なほほ笑みで、何の衒いもなかった。

「その言葉は、いいね。すごくいい。そうだ。彼らは少年兵だ。人形兵だと言ってもいいかもしれない。ただ、人間の身体をしているから、世論が五月蝿い。」

「人は外見で判断しますから。」

「感情移入をしてしまうんだよ。しかし、その感情移入が進化の妨げになっているね。」

「非人道的に思えますから。」

「サイバースペースはAIに。そうして、リアルスペースは複製人間に。その二翼ならば、人間はもっと発展するだろうね。」

司会者は眉を顰めた。この男は、根幹の部分で、御父様を嫌っているように思えた。しかし、御父様は、美しい白髪が真白な孔雀を思わせて、そうして片耳にだけつけた漆黒のイヤリングが煌めいていて、ロイに神々しく思えた。御父様は、月に複製人間を送る。念願の計画。月面基地の開拓、そうして火星への航路船の建造。やるべきこは無数にあって、様々な国が、御父様に潤沢な資金を援助している。
 
 ロイは立ち上がり、窓外を見つめた。広大なファームに、小さな教会が見える。複製人間の教会。あと三十分程で、鐘がなる。御父様が帰ってくる。ロイはまたカプセルを取り出して、数粒飲み込んだ。先程よりも、より深く安定している。
 
 窓外から見える月は、いっそう黄色く火のように思えた。太陽が割れて零れた中身だ。ロイはずっと月を見ていた。ここから、三十八万キロ離れていると、御父様に聞いた。そうして、真空では、いかに複製人間でも生きられない。御父様は、自分の身体に、多くの複製人間の身体に、様々な仕掛けを施した。その一つ一つの説明を、じっくりと聞いていた、あの幼い頃を思い出す。幼いとはいえ、もう成人のそれだった。そうして、ロイは、月の横を音もなく進む小さな光を見つけて、じっとそれを見つめていた。肉眼で見えるのだから、相当な大きさに違いない。しかし、ロイの視力は人間の限界値ほどもある上に、水晶体も真新しい。赤ん坊の目と明晰な頭脳で、星空を見ることが出来るだけだ。しかし、それでも数千、数万光年離れた星雲の放つ光、大宇宙の星辰は、彼の頭の中だけでは処理仕切れないほどに、莫大な情報量を持って、胸に迫る。ロイは、彼の裸の下に、タトゥーを施していた。それは、子供の落書きのようで、小さな叛逆ではあるが、彼自身が、見よう見まねで彫った、自分の身体をキャンバスにした星辰である。星空を見上げながら、鏡を作るかのように彫った、身体に浮かぶ星図である。
 
 その星図がオフィサーに見つかった時、ロイはしこたま殴られて、懲罰房に入れられた。血と墨が交じり合い、涙がそれに加わった。ただ、美しいものを身体に取り込みたいという、妙な欲望に駆られての行動だったが、その代償は高く付いた。報告書を読んだ御父様は、話したこともない彼に対して、更に一月もの間、懲罰房入りを命じさせた。小さな丸窓が一つあるだけの、冷たい鉄の懲罰房である。季節は秋だったから、夜には冷え込んだ。凍えそうな身体を丸めて、ひたすら時が経つのを待った。自分が、どのような悪いことをしてしまったのか、検討もつかなかった。
 
 そうして、懲罰房の中での楽しみは、差し入れの読書だけだった。複製人間は、産まれながらに文字が読める。ロイは、読書を始めてから、時が経つのを早く感じていた。本の差し入れをしてくれたのは、ファームで働く、もう八十を超える老看守である。彼は、オフィサーの代わりに複製人間たちの管理をして、暮らしていた。老人は、もう盲しいていた。時折、小便の匂いがしたが、しかし、ロイは、その彼の持ってきた本を、夢中になって読んだ。それは、遥か昔の神話から、近代の文学まで、さまざまである。そうして、本を読んでいくうちに、薬を多く飲まなければ、心の安定が図れなくなった。本には、様々な事が書かれている。その一つ一つ、全ては人間の心を書いているようで、ロイもまた、自分のことが描かれていると感じた。懲罰房を出てからも、ロイは読み続けた。延々と、延々と、様々な物語や自伝を読み明かした。たくさんの詩が、ロイを迎えてくれた。詩の調べは、ロイが自分の身体に星図を彫った、そのときの昂揚に似ていた。そうして、詩を諳んじらながら、彼は毎夜の労働の後に眠るのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?