他人の挑戦を嘲笑する奴は自己防衛をしているだけだ
最近の書く意欲がすごい。でも全然ポジティブなことが書けない。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
突然ですが、皆さんは僕のnoteを読んでどんなことを感じているのでしょうか?
20のくせに20ぽくないこと考えてるなむかつくなぁ。
20歳の時にこんな悩んだことないなぁ。
たくさん書いてるなぁ。
アウトプットしてるよたくさん。
なんでこんなネガティブなこと出してるんだよ。
とかかな?あんまり他の人にネガティブな感情を持たせたくないので、もしネガティブに思ってたらごめんなさい。
なんでこんなこと書いた?
今回は題名から少し挑発的なものにしました。なんでこんなに挑発的なのか。これは「自分に言い聞かせているから」です。
大前提として、人間は基本的には「自分の幸せ」に貪欲に生きるべきです。もし他人を幸せになってもらうことが自分にとって一番の幸せなのであればそれをした方がいいし、自分の幸せの中に他人の感情が全く入ってこないのであれば、言い方はきついですが他人のことはあまり考えないで生きればいいと思います。
だから、他人の挑戦・成功は自分に影響がない限りは「関係ない」のです。しかも、知ってる人の自分に関係ない挑戦だったら、絶対に応援した方がいいです。だってその人との関係性が良くなって結果的には自分の利益に繋がるから。
また、僕の友達が言ってたことなのですが「知り合いが頑張ってたら報われてほしい」という気持ちになるのです。そうか、この感覚わすれてた気がする。
だからと言って、その人の挑戦を手放しに喜べないのが僕なのです。なんで人の挑戦を心から喜べないのだろう。そこの挑戦までの過程に自分が入っていないのが嫌なのかな?
なんで人の挑戦を素直に喜べないか
ここの答えは多分簡単で
「自分があまり挑戦していないから」が正解なんだと思います。
自分が挑戦する機会があまりない。失敗するという場に立つことができていないからな気がします。だから、挑戦している人がそもそも自分よりも上に見えてしまうのです。これは本当に卑屈だからやめたいんですよね。
自分が挑戦しているときはどうか??そのときは、あんま記憶にないのが本音で、なんなんだろう他人の状況とか関係なくなるくらい自分のコントロールで疲れちゃうのかな?
素直に喜べないことの延長線上が嘲笑なのか?
ここも一つの疑問点です。
僕は基本的には羨ましく思って素直に喜べないという事象が起こるのですが、ここで絶対にしないことがあります。「他人の挑戦を否定・嘲笑しないこと」です。これは結構自信を持ってしてないと言えます。僕の知り合いで、挑戦僕に否定されたという人がいたら言ってください。心の底から謝りたいです。
なんで否定しないかというと、自分がたくさん否定され、嘲笑されることが多かったからです。
集団の意見
集団行動をする人間にとって、その集団から逸れるような行動をする人は「嫌う・叱責する」対象になります。これは当然のことです。ただ、人間はここを理性などで抑えていると考えています。
集団に合う行動を求めることは、基本的にはどのタイミングでも起こります。次どこ行こうかっていう話をしている中で総意の意見が出てきたなというタイミングで全然違う行き先を提案すると「お前今言うなよ」って言う雰囲気になります。これは当たり前だし、ある一人の行動で集団の総意が崩れることは僕も嫌いです。空気読めよって言います。
嘲笑=今の自分が正しいという無理やりな肯定
問題は「人の挑戦という逸れる行動にまでこの集団の意見理論を当てはめないでほしい」ということなのです。僕は他人が人の挑戦を嘲笑し、否定することは上の「自分(挑戦していない)との比較」「集団から外れる」という2つのことから生まれていると考えています。ここが自己防衛の要素かな。
挑戦する人を否定することにより、挑戦しない自分を肯定化する。そのコミュニティから脱さない自分を肯定化する。無理やり自分を肯定化させるために人の挑戦を嘲笑するのです。ひどいね。これは人の悪口を言うこととほぼ一緒です。
他人の否定は自分にどのように響く?
人からの否定、嘲笑を嬉しく受け取る人は変態です。見返してやる!とかって思う人はこういうこと考えるのでしょうね。コービーとかはこのタイプなんじゃないかな?
でも、僕はそこまで強くないので、否定されることを嬉しいとは思いません。何くそ!とは思うけどね。他人からの否定は、否定された側も否定した側も幸せな気持ちにならないですね。
相手も否定するときは「~~だからやめた方がいいよ」とかっていうわけですよ。こういうのが意外と不安につながってしまったりするのですね。
挑戦する他人への否定は将来挑戦する自分を止めてしまう
ここが一番話したかったかな。
僕が一番挑戦する人のことを否定することが嫌いな理由です。
挑戦する人を否定すると、その止めていた自分が将来挑戦しようとしている自分の前に急に現れてきます。例えると、TikTok見てるやつダサいわと言っていた昔の自分が、将来TikTokを入れたくなった自分を止めている感覚です。周りにもそう思っているやついるんじゃないか?って思う感覚。
人の挑戦・ステップアップを止めているようで実は将来の自分の挑戦・ステップアップを止めてしまっているのです。こんなブーメランないです。だから、人の挑戦は絶対に否定しないし、自分に挑戦を話してくれた人は将来自分が挑戦する時に背中を押してくれます。そんなコミュニティに属したいし、そんなコミュニティを自分の周りに作っていきたいですね。
自分が挑戦するためには、まずは人の挑戦を応援するところから始めよう
これも自分への戒め。
結局ポジティブな文章になりましたね。
自分の人生を肯定することはこういうところからなのかもね。と書きながら思いました。
人を否定することで自分を肯定することはしたくないです。誰にもいい影響がないね。
戒めでした。読んでくれてありがとうございます。
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