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源氏物語 現代語訳 桐壺その1

大磯の仏像専門店「仏光」です。各地の骨董市にも出店しています。ずっと挑戦したかった源氏物語の現代語訳をはじめました。完成予定は五年後くらいの予定です。気長にお付き合いいただければ幸いです。


 いずれのお上の御代でございましたでしょうか、女御、更衣といった方々がそれはもう綺羅星のごとくお仕えなさっておられました中、さほど尊いご身分ではないにもかかわらず、抜きん出た御寵愛を一身にお受けになっておられる方がいらっしゃいました。出仕当初より我こそはと自信をみなぎらせておいでだった方々におかれましては、ずいぶん目障りなことと憤懣やる方なく蔑んだり嫉んだりなさいます。ましてやご当人と同等もしくはそれ以下の身分の更衣たちは、なおのこと心の休まる暇もありません。なにぶんそんなですから朝夕のおつとめの折々にも何かにつけて周りの者たちの心をざわつかせ、恨みを買うようなことが積もり積もったのでしょう、ついつい病みがちになり、次第に重篤になって自ずと里下がりするようになっていたのを、かえってお上はいっそう掛け替えのないものとの想いを募らせ、側近たちの諫言誹謗もものともなさらず、後世に語り継がれてもおかしくないほどの御寵愛ぶりをお示しになられます。

 上流の公卿たちはもちろん辛うじて昇殿をゆるされた者たちまでもがあろうことか目を背けたりなどする中、直視が憚られるほどの深い愛情をお見せになられるお上に、かような事態が続けば唐の事例同様いずれ世が乱れろくなことにならない、と次第次第に喧しくなってゆき、楊貴妃の名まで持ち出す始末に、当の更衣は身の置き処のないほどの辛い想いを抱えつつも、ただひとつお上のこの上なくありがたいお気持ちのみにおすがりしながらおつとめを果たしておられました。

 更衣のご両親は、お父様の大納言こそ亡くなられておりましたが、お母様がそれなりの家柄のご出身で、昔ながらの嗜みがあり、両親共にご健在で羽振りよく暮らしておられる方々にも決して引けをとることのないよう、いかなる儀式においても恥をかかぬよう細やかに気を配られておりましたものの、なにぶんしかとした後見人がいらっしゃらないのはいかんともし難く、ここぞという時には頼るあてもなく、心細さは隠しようもありませんでした。

 前世からの契りがさぞや深かったに違いありません、やがてこの世のものとは思えぬほどの清らかな玉と見紛う皇子さえお生まれになりました。お上におかれましては矢も盾もたまらず一刻も早くこの目で見たいものと気が急かれ、急ぎ連れて来させて実物をご覧になりますと、それはそれは稀なるご容貌の皇子なのでございます。

 先にお生まれの一の皇子は右大臣家の女御の御腹ですので、当然の如く重んじられ、お世継ぎの君として誰からも下にも置かぬ扱いを受けられておられますが、この度お生まれになった皇子の見目麗しさには及ぶべくもなく、お上もつい一の皇子に対しては通り一遍の愛情にとどまりがちになり、こちらの皇子を掌中の珠さながらに思し召し慈しまれるばかりです。

 そもそも母の更衣はお側近くお仕えするほどのご身分ではございませんでした。それ相応に遇されてはおりましたものの、なんと申しましても昨今のお上の思い入れがあまりに甚だしく、片時たりともお側より離そうとなさいませんゆえ、管弦の御遊びの折々、他にも事あるごとにまず真っ先に件の更衣をお召しになられます、ある大殿籠の際など、ずっとお側に侍らせた挙げ句そのまま次の日も局に帰さぬ有り様、ご執心の余りいささか強引とも思われるほどのお取り扱いばかりなさいますため、自ずと更衣のお立場も軽んじられがちになっておりましたが、この皇子がお生まれになってからというもの以前のお振る舞いをすっぱりお改めになり、まかり間違えばこの皇子が東宮に立つようなことがあるやもしれぬ、と一の皇子の御母君の女御はお疑いになるのでした。女御は誰よりも先に入内され、並み居る方々と比べ明らかに重んじられ、お子様たちもすでにお生まれになっておりましたものの、このお方の悋気にはお上も少々食傷気味で、閉口なさっておいでのご様子でした。

 お上のありがたいご厚情ばかりがひと筋の光明それのみが頼りの更衣は、自身を蔑み粗探しに血道を上げる輩たちのあまりの多さに、我が身のか弱さ儚さがいっそう身に沁み、ひたすら心は打ち沈まれてゆくのでした。

 更衣のお局は清涼殿から遠く離れた桐壺です。そこにお通いになるにはいくつものお局の前を通り過ぎてゆかねばなりませぬゆえ、こうまで足繁くお通いになられては、方々の胸中が穏やかでなくなるのもむべなるかな、というべきであります。一方で更衣がお上の許に参上なさいます折にも、それが誰の目にも頻頻と映るようになりますと、打橋、渡殿といった道々に怪しげな仕掛けが施され、ご送迎を担う者たちの装束の裾がずたずたになってしまうこともあります。

 またある時など、避けて通れぬ馬道の戸を、内と外とで通じ合って閉め切られ、立ち往生させられ途方に暮れられることもしょっちゅうでした。かように日々何につけ思い惑うことばかりが増えてゆくものですから、滅入るばかりですっかり気落ちしておられますと、その不憫なお姿にお上はなおいっそうお情けをかけられ、後涼殿にお住まいだったさる更衣を他のお局にお移しになり、そこをお上のお側近くのお局として賜りました。元住人の心中やいかばかりか、怨み骨髄に入るとはまさにこのことでありましょう。


─ つづく