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秋田の冬祭り 金沢八幡宮梵天(金沢のぼんでん)観覧記⑥

 前回の記事↓の続き

 押し合いで熱気が高まってきた会場。
 
 何かの合図があるでもなく、1本の梵天が鳥居をくぐろうと、参道正面に構える。

 景気付けのように梵天唄を唄っている。この唄は、しかし、鳴り続く太鼓の音と、押し合いをしている若い衆の声に搔き消され、坂の上にいるこちらにはほとんど聞こえない。あいの手の「ハァ〜」という声がわずかに聞こえるくらいだ。
 太鼓の音、押し合いの「ジョヤサ、ジョヤサ」の声、梵天唄が重なり合うこの空間が本当に心地よい。 

 梵天唄を唄った若い衆は、梵天の巨体を坂道に向かって倒し、梵天ともども坂道を駆け上りはじめる。
 金沢の梵天では、先に坂の上にたどり着いた順に本殿へ奉納できることになっていて(システム的には、全国的にも有名な西宮神社の福男選びに似ている、と言えなくもない)、一番奉納を目指す先陣争いが始まったのだ。
 
 しかし、如何せん、夏の間は手すりがついているような険しい坂道に雪が積もり、さらに子どもたちが滑って遊んだ参道だ。足を取られる者あり、滑ってしまう者ありで、重い梵天を坂の上まで上げるのは容易いことではない。
 加えて、坂の上には、自分たちの団体に先んじの奉納を阻止しようと、他の団体の若い衆(と俺と息子)がいて押し返してやる、と鼻息を荒くしている。
 あとは、1回でスンナリと上まで上がってしまったのでは、“せっかくのお祭りなのに1回で上がっては発散不足だ”という参加者の深層心理もあって1回目の挑戦は失敗に終わるのが常であり、今年のファーストトライも、坂上で落とすまでもなく、途中で落ちていってしまった。

押し合い中盤、登坂に挑戦する梵天があらわれ始める。

 他の梵天たちは、相変わらず押し合いや小休止をしている。
 
 しかし、1本の梵天が挑戦し始めたのを契機に、我も我もと、後に続く者たちがあらわれる。

 太鼓は、気が付くといつの間にか拍子が変わり、先陣争いを囃すような、勇壮なものになっている。

 俺は、今年は、奉納側として参加することは叶わないけど、上で待って押し返す側として、少しだけ祭りの気分を味わうことにした。
 ここに至っては、梵天に後ろ向きだった息子も楽しそうに上がってくる梵天を見ているし、坂の途中で頭飾りの龍の角が折れてしまったのなんかを見ては、大喜びで笑っている。はるばる宮城から連れてきて良かった。

 金沢の梵天は、頭飾りの豪華さでは、旭岡山の梵天には劣るが、そこそこしっかり作り込まれている。その頭飾りが壊れるほどに激しくぶつけ合い、押し合い、先陣を争い合うのが金沢の梵天の大きな魅力だと思う。

 何度か上に上がってくる梵天を押し返させていただいた。
 押し返された梵天は推進力を失ったロケットが如く、坂下に転がり落ちるしかなくなる。落ちていく奉納団体の若い衆には、梵天の竿を何とか抑えて滑り落ちてくる者、下り坂ダッシュのように走って坂を降りてくる者、滑り転がって落ちてきてしまう者などそれぞれで、滑稽なようでたいへん面白い場面だ。
 バラエティ番組で、ぬるぬるローション坂道早登り競走!みたいな企画があるが、それを梵天を持って集団でやっているよう、といえばイメージがしやすいか。

 何度か梵天を押し返していうちに、そばで見ていた息子が梵天と他の参加者らと一緒に坂を滑り落ちてしまうんじゃないかと気が気でない場面もあったけど、必死に彼の腕を引っ張って、それは免れた。

 何度かの挑戦のあとで、遂に登坂に成功する梵天も出てくる。
 その間にも、道の上で押し合いをする梵天、鳥居前で唄って、奉納に備える梵天、いざ挑戦はしたものの、足を取られてか転落防止ロープの方に突っ込んでしまう梵天、2本同時に上がろうとして2本とも失敗してしまう梵天などがあって、良い意味で目のやり場に困る。どこを切り取っても、魅力的だからだ。
 
 時々「安本頑張れ〜」などと子供から応援の声が飛ぶのもすごく良い。何十年か前に自分がそうだったように、令和の子供たちも、梵天に熱中して声を張り上げて声援を送っているのだ。言い表しようの無い、嬉しい気持ちになる。

先陣争いの激しさで落ちてしまった
梵天の御幣(紙垂)が坂道を鮮やかに染める。

 梵天を奉納するには、必ずこの坂を登りきらなければならない。押し合いで何度倒されても起き上がらなければ奉納できない。たとえ何度突き落とされても登りきらなければ奉納できない。

 金沢の男は不撓不屈の精神をここで学ぶ、と言っても過言ではない。(いや、過言だ)

 かつて大学院生だった頃、苦労して修士論文を何とか提出した俺を指導教官は「東北人らしい粘り強さで論文を書き上げた」と評したが、粘り強さを培った原体験は、自分の場合は金沢の梵天にあるのもしれないとは思う。

ガチャピン梵天だった梵天。
祭りの終わりが近づく頃にはここまでボロボロになる。

 梵天半分以上の梵天が上がりきった頃、息子が「もう帰る」と言い出した。なだめても聞かない。
私は坂を下り、母に息子を預けて(結局、直ぐに2人で実家へ戻った)もう少しだけ祭りを観覧した。今度は坂下からだ。
 残る梵天は2本。(頭飾りが、伝統の芭蕉の葉だった2本だ)
 最近は毎年この2本が最後に上がっていると思う。
 金沢の梵天は、先陣争いをすると書いた。
 これには、もちろん筋書きが無いため、どこが最初に上がり、2番目はどこでーというのは決まっていないが、最後は金澤八幡宮 一の鳥居のある(=鳥居を守る)根小屋町内の梵天と決まっている、と聞いたし、実際そうなっていると思う。

 奉納に向けて、唄を唄う。
根小屋町内(右側、青い半纏)とともに上がろうとしているのは前郷・森先町内(=前森・左側えんじ色の半纏)
祭りもいよいよ大団円を迎えようとしている。

 最後になった2本も、しかし、すんなりとは上がれず、1度落とされ、その次の登坂で上がりきった。

 これをもって、金沢の梵天の第2場面(押し合い)が終わった。
 
 無事に全梵天が上がりきった祝いか、太鼓を叩き続けた労いか、会場からは拍手が沸き起こった。

 この後、盛大に餅撒きが行われるところだが、母と帰宅した息子が気がかりで、餅拾いはせずに、帰宅した。時刻は16:00少し前。
 家を出てから90分弱かかったことになる。餅撒きまで参加して、大量の餅をも拾って帰宅した妹が「長いよ」と言った。本当だな、と思う。金沢の梵天は、押し合いだけでも長い。
(奉納する団体は朝早くから廻り梵天があり、この押し合いがあり、更には本殿への奉納、そして下向祝いと丸一日かかるので頭が下がります)

 帰りは大曲駅まで、家族に送ってもらった。車を降りると、妹が私の上着を見て「何か付いてるよ」と言った。
 ふと見ると、緑色の塗料が擦れたように付いていた。恐らく、梵天を押し返したときにどこかの町内の頭飾りの龍の塗料が付いてしまったのだろう。なんだか嬉しいお土産になった。

 大曲からは、新幹線と在来線を乗り継いで、20:00前に帰宅した。足掛け12時間。弾丸旅だったが、大好きな金沢の梵天を生で見られて、本当に幸せな旅だった。

(終)

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