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「基本に忠実」はあくまで基本

 剣術の言葉で「守」、「破」、「離」という言葉があります。「守」はひたすら基本の型を守り、身に付けること、「破」は「守」で学んだ基本の型を応用すること、「離」は当初の基本の型から離れて新たな型を創出すること。
 「守」は剣道での素振りなどが該当します。「破」は基本形を基礎とした応用であり、試合などでは基本だけでは勝てないことから、応用動作が必要となります。「離」は極端な例では二刀流などの従来の型にはない型を作り出すものです。

 自衛隊では「基本基礎」を徹底して学びます。これは「守」です。しかし、「基本基礎」だけでは敵に勝てません。敵に勝つための応用動作が求められます。因みに、「基本」とは「小部隊の基本的行動」、「基礎」とは「隊員の基礎動作」のことです。冷戦間、北海道ではソ連軍の侵攻に備えて、日夜実戦的な訓練が繰り広げられていました。これは戦うための訓練であり、応用です。その後、ソ連崩壊に伴い、将来の有事に備えて「基本・基礎」を重視した訓練になりました。そして、現在、脅威の顕在化と共に、「基本・基礎」を踏まえた実戦的な訓練が多く行われています。

 さて、大東亜戦争において、日本海軍のエースパイロットの一人であった坂井三郎は戦後「大空の侍」シリーズを出版し、全世界で100万部を超える大ヒットとなりました。坂井はガダルカナル島上空の戦いで重傷を負い、意識喪失を繰り返しながらも、約4時間に渡り操縦を続けてラバウルまでたどり着き、奇跡的な生還を果たしました。その後、坂井はその怪我により、搭乗員の教官となります。

 ところで、ミサイルを撃ち合う現代と異なり、当時の空中戦では射撃の瞬間、戦闘機は必ず敵機の真後ろから直線飛行しなければなりません。この瞬間だけは、機体をまっすぐにして、狙った敵機に向かわなければ、発射された弾丸は決して命中しません。横行目標などは射線に入るのは一瞬であり、命中しません。

 本土に戻り教官となった坂井は、操縦桿を握ったばかりの初心者には、まず「正しい」水平直線飛行を徹底して教えます。計器盤の旋回傾斜計(アルコールに鉄の球が入ったもの)の球が常に真ん中にあるように飛べるのが優等生です。

 しかし、練習生に基礎が身につき、次の段階に入ると、こう教え始めます。
「そんな『正しい』飛び方をしていたら、撃墜されてしまうぞ」
 別の敵機から見れば、まっすぐに飛んでいるこちらこそが、格好の獲物。後ろにつかれたら、こちらはひとたまりもありません。目の前の敵機を照準に入れ、直線飛行し、撃つ・・・そのほんの二、三秒のこの時こそ、自分が一番撃たれやすい瞬間でもあるのです。だから坂井は初心者には、敵機を照準に入れて撃つ瞬間、必ず真後ろを確認するように教えます。
 習い始めた時は誰でも、敵機が照準に入ると「やった、撃てるぞ!」と有頂天になって、自分も墜とされやすい、最も危険な瞬間にあることを忘れるのです。照準を合わせる直前に後方確認をしたばかりだから、この瞬間も自分の後ろに敵機がいるはずがないと思い込むのです。多くの若い搭乗員が経験の浅い段階で失われています。

 そこで坂井は「撃つ直前に後ろを見ろ!」と教えます。
 敵機に背後をとられたまま直線飛行を続けたら、自分の目の前の敵は撃墜できても、次の瞬間には自分も墜とされてしまうでしょう。自分だけが墜とされるかもしれません。とはいえ、後ろを振り返っていたら、目の前の敵は逃してしまうでしょう。
 しかし、生き残ればやり直すことができ、別の敵機を墜とせるかもしれません。生き残って、再挑戦の機会を得ること。それが、初心者の学ぶべき一番大切なことなのだと徹底します。

 だがしかし、中堅クラスの練習生には、坂井はもうそんなことは言いません。
「コラお前、これから撃とうって時に、悠長に後ろなんか見ていて、墜とせるか!」
 今度は全く正反対のことを言うのです。
 撃つ瞬間に敵に背後を突かれるへまなど、そもそもするな。自分が敵機を撃つ瞬間には、次に自分の後ろからかかってくる敵はどれかをすでに見極めておくのです。例えば、敵機が自分の後方につくまでは5秒、自分が前方の敵を墜とすのに、2~3秒かかるとすれば、2秒の余裕が自分にはあります。敵機を撃墜している最中に、2秒後にやって来る敵にどう対処すべきかを、あらかじめ考えておくのです。つまり、チェックする、しないではなく、常に先を読んでおくことが、戦いにおいては重要なことの一つなのです。少し技量の上がってきた中級レベルの者には、この「先を読む」ことの大切さを教えるのです。

 そして、ベテランになると、状況の先読みはもちろんのこと、たとえ敵がこちらの予測を上回る動きを見せたとしても、瞬時にその攻撃から逃れることができるだけの技術を身につけます。そのためには、こちらの動きを敵に絶対に読ませてはならないのです。弾丸が右に飛んできたら、ラダーペダルを蹴って、瞬間的に左へパーンと急旋回しなければなりません。そういう瞬時における状況回避の訓練を、父はいつもしていたと言います。
 霞ヶ浦の予科練で最初に習ったのとは全く違う、いわば劣等生の飛び方を自在に組み合わせて、自分の動きを敵機に読まれないように、ベテランパイロットは変幻自裁に飛んでいたのです。

 基本をもとにしつつも、理解力と習熟度に応じて、内容を変化、充実していく。それが坂井の教育法でした。
 基礎がないうちに何もかも教えてしまうと、相手は混乱するだけです。だから、初心者へ教えるルールは、とにかく単純に。
 しかし理解力が上がってくると、基本ルールに坂井なりの肉付けがなされ、例外や逆説がどんどん出てきます。
 世の中は基本ルールだけで済むほど白黒はっきりしているものではないのであって、勝負に生き抜くには、基本ルールに忠実なだけでは駄目です。「基本に忠実」はあくまで基本の話しであり、基本を基礎とした応用が必要です。基本を無視した応用は単なるデタラメであり、勝てる訳がありません。また、身体で覚えるだけではなく、頭でしっかりと理解することが身体で覚える前提となるべきです。理由も分からずにひたすら厳しい訓練を続けてもムダなことばかりです。これは人生でも同じです。

(参考) 坂井三郎 「大空のサムライ」上・下 講談社 
     坂井スマート道子 「父、坂井三郎」 産経新聞出版
     ウィキペディア

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