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【全編書き起こし】BUG Art Award関連トークイベント「美術とジェンダー、社会との関係」内海潤也(審査員)×百瀬文×原田美緒(4.13開催)

みなさんこんにちは。
株式会社リクルートホールディングスが運営する新アートセンター BUGのスタッフです。

4/13にBUG Art Award関連トークイベント、「美術とジェンダー、社会との関係」内海潤也×百瀬文×原田美緒が開催されました。この記事では、トークのアーカイブとして、全文書き起こしで内容をお届けします。トークに参加できなかった方も、もう一度内容を確認したい!という方も、どうぞご活用ください。
・イベント詳細はこちら

【読み切り時間目安:20分】

4.13 トーク書き起こし

イベント開催にあたって

原田美緒さん(以下、敬称略):モデレーターを務めます、原田です。まずは3人の自己紹介をしようかなと思います。それでは、内海さんからお願いします。
 
内海潤也さん(以下、敬称略):長くなっちゃいそうなんですが、ざっくりとお話します。現在、近くにある石橋財団アーティゾン美術館で学芸員として働いています。専門と言うのは憚られるのですが、ジェンダー、フェミニズムを起点に、日本を含めた東アジア、東南アジアの現代美術に関心を寄せ、研究、執筆、企画などを行っています。石橋財団アーティゾン美術館には2021 年2月に入職したのですが、その前は3年間ほど横浜にある黄金町エリアマネジメントセンターというアートNPOでキュレーターとして働いていました。そこは、アーティスト・イン・レジデンスをベースに企画や運営を行っているので、キャリアが中堅の方も応募してくれるのですが、主にはまだ中堅前の人たちと一緒に滞在制作をしながら展覧会を作っていくことを仕事にしてきました。
 
原田:意外と短くて、びっくりしました(笑)。ありがとうございます。それでは、百瀬さんの自己紹介もお願いします。
 
百瀬文さん(以下、敬称略):みなさん、こんにちは。アーティストの百瀬文と言います。先ほどご紹介があったように、最近はジェンダーやセクシュアリティの問題と、昔関心を持っていた声と身体の問題を関連させながら作品を作っています。現在は、青森県の十和田市現代美術館というところで『口を寄せる』という個展を開催しているのと、あとは東京都現代美術館のコレクション展にて、4点収蔵されている作品のうち4点が展示されています。今回、このトークイベントのお話をいただいて、正直にいうと「私でいいのかな?」みたいなことを思ったんですね。というのも、私はアワードというものにそんなに今まで積極的に応募してきたことがなくて、大学院2年生の時に、『群馬青年ビエンナーレ』というローカルなビエンナーレに出したことがあって…。
 
内海:ローカルでもないですよ(笑)。
 
百瀬::そうでした、ごめんなさい(笑)。そういうところで奨励賞だけいただいたことがあって、でもその後、自分がいわゆるマーケットベースに乗ってきたわけではないですし、今もギャラリーに所属していませんし、どちらかというと根なし草のように生きてきました。なので、そういう意味では「こういう人でも生きていけるよ」というような、アーティストのキャリアの1バリエーションとして話ができたら、これから制作する人にとって何かの助けになるかなと思って、今日は来ました。よろしくお願いします。


 
原田:ありがとうございます。それでは、私の自己紹介もさせていただきます。現在は、金沢21世紀美術館のアシスタントキュレーターをしています。去年の4月に着任したので、丸1年ですね。大学院ではキュレーションを専攻し、実は内海さんは先輩にあたる方です。私は4期生で、内海さんは1期生ですよね?
 
内海:はい、1期生です。
 
原田:被ってはいないんですが、内海さんが『ダムタイプ』の上映会をやっていたという情報を聞いていて、関心を持っていました。
 
内海:観に来てはないですよね?
 
原田:観には行ってないです。実は、あの上映会があった高円寺のライブハウスが私の実家の近所なんですよ。『ShowBoat』ですよね。
 
内海:えぇ〜!この話を整理すると、二人とも東京藝術大学大学院の国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻(通称GA)を修了しています。僕は2016年に入学し、在学中に『ダムタイプ』のメンバーにお声がけして、「S/N」(1994年初演)という作品の記録映像を2017年の5月28日に上映しました。上映だけだと物足りないから、ライブもしたいということで、高円寺の『ShowBoat』というライブハウスを借りて、上映とライブをやりました。ちなみに奇しくも今、アーティゾン美術館で『ダムタイプ』展を担当しています。
 
原田:はい。それで、私は『ダムタイプ』も大好きなアーティストですし、内海さんがやっていらっしゃったことを後輩として見つめていました。私自身もフェミニズムやジェンダーにすごく興味があり、大学院在学中にはフェミニズムにまつわる展覧会と、『駒込倉庫』というスペースで、フェミニズムやジェンダーという特定のテーマは設けていないんですが、観る人が観れば「ジェンダーをテーマにしているのかな」と感じられる展覧会もやりました。あとは個人の活動として、『ザ・フー』という3人組のコレクティブをやっていて、ZINEを作ったりもしています。
というわけで、こんな私がモデレーターを務めさせていただくんですが、キュレーター二人とアーティスト一人っていうトークイベントってあまりないと思うんですよね。
 
内海:ないですね。キュレーター過剰ですね(笑)。
 
原田:そうですね(笑)。ちょっとキュレーターが過剰なんですが、先ほどお話があったように、審査員である内海さんを深掘りするというのが今回のテーマなので、内海さんを深掘りしつつ、百瀬さんとの絡みを見つつ、という感じで行こうと思います。

ジェンダー・フェミニズムに関心を持ったきっかけ

原田:まず、お二人の出会いはいつ、どちらだったのかを聞いてもいいですか?
 
内海:直接お会いしたのは、2020年の多分、秋頃が初めてだったと思います。
 
百瀬:共通の知り合いは多くて、その前からもちろん名前は存じあげていたんですけど…。
 
内海:本当ですか!?
 
百瀬:本当です。内海さんだ、くらいの感じではあったけど。初めてちゃんと話したのは『彼女たちは歌う』の辺りで、一緒にトークイベントをしたことがあって。『彼女たちは歌う』というのは、東京藝術大学(通称藝大)で開催された企画展で、展示作家が全員女性でした。その中の関連企画として、内海さんと私とキム・インスクさんと乾真裕子さんでのトークイベントがあり、そちらでご挨拶しましたよね。

内海:はい、それが最初に出会った時ですよね。でも、『マルスピ(Multiple Spirits )vol.2』が先に発刊されていて、紙面上で一緒に載りましたよね。『Multiple Spirits』という2号目まで出ているZINEがあって、その巻頭に百瀬さんのお話が掲載されていて、私がその後の章の論考で、「展覧会の構造におけるジェンダー」について書きました。
 
百瀬:はい。内海さんのことはすごくユニークな存在だなと思っていて、今までこういったテーマを扱っている男性のキュレーターが私の周りにはいなかったから。女性の方はもちろんたくさんいたんですけど、なんか新鮮だなと思ったんですよね。
それで内海さんに興味を持ち、ネットで調べて、学生時代のインタビューを読みました。昔どんなきっかけがあってそういう研究を目指したかっていう。
 
内海:GA(東京藝術大学大学院の国際創造研究科アートプロデュース専攻)の1期生だったので「その研究科が何ぞや?」「修了した人はどんな人?」といった内容で、研究科がインタビュー記事を載せていました。今もWebの記事で簡単に読めますけど、その時に「ジェンダーと性と政治に関する展覧会をきちっと日本で開くことが使命だ」みたいなことを書いていたんですよね。大きなこと、言っていますけど(笑)。
 
百瀬:それは、海外の留学の経験が大きかった…?
 
内海:そうです。けれど、フェミニズム、ジェンダーに関心を持ち始めたのが、国際基督教大学(通称ICU)に入学した2012年です。「近代美術II」という授業があり、その時の先生が中嶋泉さんで、フェミニスト美術史が近代美術をまなざす視座の土台となりました。彼女がリーズ大学(イギリス)で修士をとったことと、その大学にグリゼルダ・ポロックという有名な方が教鞭を取られていることを聞き、留学で行きたいと思っていました。ちょうど大学3年時の留学制度でリーズ大学も提携していたので、実際に行きました。
それまでは現代美術に全く興味がない、というか知らない、という感じだったんですよ。イギリスに行き、ロンドンに出ると現代美術に触れやすい環境だったので、ちょこちょこ見に行くうちに面白いと感じ始めました。リーズ大学の美術史の授業では現代作家に触れるものもけっこうあったんですよ。
 
百瀬:「フェミニズム美術史」に関する授業があること自体が、私はすごく羨ましいなと思います。
 
内海:今振り返ると恵まれていましたね。
 
百瀬:私は武蔵野美術大学の油絵科を出ているんですが、例えばフェミニズム美術史と言えば挙げられるリンダ・ノックリンの「リ」の字も学んだ記憶がない(笑)。そもそも、学生時代にアクセスする手段がなかったんですよね。もちろん、探せばあったかもしれないけど、やっぱり学校が開設している授業の中では触れて来なかった。
 
内海:そういう意味ではICU(国際基督教大学)っていう環境が特殊だったとは思いますね。ジェンダースタディーズは、美術史の外でも授業としてあったので。
ちなみに原田さんは、いつジェンダーやフェミニズムに興味を持ったんですか?
 
原田:そうですね。いろいろなきっかけがあるんですが、私が学部を卒業した東京大学では、ジェンダーバランスがすごかったんですよ。男性8割、女性2割で。私は中高が女子校だったので、これはちょっとおかしいなと思い始めて。それから、私も実はイギリスのロンドン大学東洋アフリカ学院へ交換留学しました。そこで現代アートのキュレーションに関する授業を受け、その中でポストコロニアリズムなどについて学び、頻繁に「ジェンダー」という言葉に触れました。スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』を購読する授業があったりして、意識せざるを得ない状況になったんです。
あとはやっぱり、ロンドンのジェンダーフルイドな感じの雰囲気ですよね、服とかでも。そこから日本のジェンダー状況にすごく疑問を抱き始め、日本に帰ってからそういう文献を読むようになったという経緯です。
 
内海:文献はどこで見つけたの?
 
原田:帰ってからは、大学の図書館です。
ICUに本はあんまりなかったですか?
 
内海:ICUはありました。ただ、藝大(東京藝術大学)には、ジェンダー関係はほぼなかったような気がします。だから、作家さんたちって書籍のアクセスが少なくて、大変だというのをまず思って。
 
原田:確かに、それは思いました。藝大の知り合いになったアーティストは、みんな本を自分で買ってボロボロになるまで読んでいましたね。
 
百瀬:私も基本は買っていましたね。あと、アクセスしにくい書物はPDF化されて、仲間内でまわっていました。
 
内海:ジェンダーに関する本は、英語と日本語で量が全然違うので、留学に行ったチームはアクセスできるけど、英語が不得手、留学の経験もない人たちは参照先が非常に限られる。ここ3、4年で「ジェンダー」「フェミニズム」「LGBT」と冠した書籍が出回り始めたけど、留学から帰ってきた時って、ほぼなかった。
 
百瀬:私もジェンダーやフェミニズムの問題を扱うようになったのがACCでニューヨークに行って帰ってきた後です。そうなると、結局この3人は、海外へ出た経験のある人だけじゃん、となりますね。いわば私たちの特権性みたいなものが炙り出されているんじゃないか、ということもすごく考えながらこの場にいます。
一方で私は英語ができないので、翻訳されていないと本当に理解できたのかわからないし、そういう遅さとか時差みたいなものについても考えています。ただ、最近は読みたかった本が翻訳されていますね。
 
内海:うんうん、かなり増えましたよね。
 
百瀬:『セックスする権利』とかね。
 
内海:うん、ベル・フックスとかもね。いっぱい出ていますよね。
 
原田:そういう本が出たのは、どれくらいの時期からですかね?本当にここ1、2年の傾向な感じが…。
 
内海:2019、20年頃にはあったんじゃないかな。どこかで上野千鶴子さんが、そんなことを言っていた覚えがあります。「Me Too」辺りから書籍が増えたような印象です。それまではジェンダーやセクシュアリティに関する多くの基本文献は日本語に訳されていなかった状況。さらに作品で表現することになると、より難しいのかなと思っていました。
 
百瀬:それでいうと、私は研究者ではない、というところを逆手にとっているところがあり、もちろん文献は読むけれど、その全部をリサーチの結果として発表したら自由研究みたいな感じになっちゃう。そうなると、やっぱり面白くない。リサーチした歴史と、それを自分の体を介して翻訳することで変なノイズが出てきたりするので、そっちの方に私は可能性を感じています。誤読の豊かさ、みたいなものを割と肯定しながら作っていますね。
そういう意味で私が気をつけていることは、「私たち」という主語では語らないこと。「私」という主語で語ることによってでしか言えないことがあるということは意識していますね。

女性コレクティブについて

原田:作家やキュレーターがジェンダーやセクシュアリティの情報にアクセスする問題ということでいうと、先ほどお話にも出た『Muitiple Spirits』は、私も興味関心があるフェミニズムのZINEです。あとはコレクティブがいろいろとプレゼンをする状況が出てきていると思うんですが、お二人はそういった状況に関して思うところはありますか?
 
内海:(持ってきた書籍を取り出しながら)2年くらい前に『美術手帖』で『フェミニズム、ジェンダーの視点から見直す戦後現代美術』という特集があり、その中で、2010年代に見られる女性アート・コレクティブの興隆について書きました。それで見えてきたのは、美術界における97-98年のジェンダー論争から、2000年代に社会全体で「ジェンダー」という言葉に強いバッシングが起こり、言葉自体へのアクセスが極度に狭くなり、15年くらい経ってようやくまた復活してきたということです。
 
原田:昨日、久々に内海さんの『美術手帖』の論考を読んだんです。
 
内海:ありがとうございます!
 
原田:ものすごい量のアーティスト・コレクティブの数について書かれているなと思って。キュレーターとしての私の質問なんですが、内海さんはどういう風にアーティストリサーチをされているのかな、と。
 
内海:アーティストリサーチ…。気になった展示に行く、以上。みたいな感じですよ(笑)。あとは、SNSをこれだけみんながやっているので情報は流れてくる。そのなかで、作品やテーマとか、対象への携わり方が素敵だなと思うと、その人と話せそうな機会の場に行きます。
この論考を書いた時、百瀬さんの記事もwebに掲載されていましたよね?
 
百瀬:はい。小田原のどかさんとお話している記事ですよね。
 
原田:『美術手帖』の『ジェンダーフリーは可能か?』っていうシリーズですよね。
 
内海:そう、あの時に百瀬さんも触れられていましたが、コレクティブがすごく多く、全部を詳しくは知らないけれど、まず列挙することが大事という思いで書きました。『Back and Forth Collective』というグループは黄金町で働いていた時から活動を観ていたり、一緒にプロジェクトをしていたりしたので、考察部分は彼女たちの活動を中心に広げています。
 
百瀬:私も小田原さんとの対談の中で女性コレクティブについて少し話しているのですが、興味深いのは、近代美術における男性のコレクティブは「◯◯派」みたいにマニフェストを宣言するじゃないですか。
 
内海:うん、うん。
 
原田:確かに。
 
百瀬:自分たちの立ち位置というものを作り上げていくためにコレクティブを作るんだけど、現代の女性コレクティブの動きは、マニフェストを出すというよりかは、自分たちの生活とか、その制作と生活の折り合いをどうつけていくか?というように、生活の延長に美術があって、その環境をどう可視化していくか、というところに力点が置かれています。その方向性は、すごく顕著だと思いましたね。
 
内海:そうですね。表現のベースが似ているから、ということではなく、生活のリズムというような話から始まることが多いような気がしますね。

黄金町での経験

原田:内海さんのお話からチラッと出た横浜の黄金町は、特定のイメージがあるというか…。
 
内海:戦後に売買春業が盛んになり、今もそのイメージが残っている地域ですね。そういうイメージを払拭するために、横浜市がアーティスト・イン・レジデンスを始めた経緯があります。2005年に日本全国で摘発運動が起こって、集中している売買春の店(違法特殊飲食店)が一掃されたんですよ。その一つが横浜の黄金町で、黒澤明の『天国と地獄』のモチーフになった場所です。
でも、あそこに子どもが行くのは危ないのはもちろんのこと、大人が行っても危ない、というような強烈にネガティブなイメージがついているので、営業が終わっても誰も近づかなかった。なので、すぐにゴーストタウン化してしまった。そういう背景で、レジデンスが導入されました。
黄金町に就職した理由は、修士2年目の時に東京都写真美術館でのインターンの経験が大きかったです。当時学芸課長だった笠原美智子さん(現アーティゾン美術館副館長)の美術館での動きに興味があったんですよね。笠原さんはアメリカに修士で行かれていて、その時にジェンダー、フェミニズムに触れ、その後東京都写真美術館でジェンダーと写真、またエイズなども含めた企画展を行っていた人です。美術館の立ち上げから、そういう企画までやっている人はほかにいなかったので、彼女から学んでみたいという思いがありました。


内海:インターンとして長島有里枝さんの個展の手伝いをやらせてもらい、その時に直接「ジェンダーに興味があって、イギリスで勉強して帰ってきたんですよ」という話を長島さんにしたんです。長島さんがすごく面白がってくれて、そこから、自分の興味関心が『東京都写真美術館』で個展をやるような人に重宝されるのかと気づけたのは、大きかったですね。
そして、修士を出たところでいきなり美術館に入っても、あまり面白いことはできないな、と思いました。まだまだ知識・経験不足、関係する人にだってそこまで会ったことがない段階で美術館に入ると、付き合いや触れる作品も限られてくると思ったので、もう少し立ち回りやすそうな場所で働きたいなと。黄金町から声をかけてもらっていたので、行くことにしました。これに加えて、黄金町に就職したのは他に二つ理由があります。
もう一つが修士での研究に関わります。「第14回イスタンブール・ビエンナーレ」(2015年)を中心に考察したのですが、そのキュレーターが会場数を異様に増やすんですよ。『ドクメンタ12』(2012年)のアーティスティック・ディレクターも務めた人なんですが、その時には76会場くらい使っていて、大きな公園の中で小さいパビリオンを建てて。

原田:何というキュレーターの方ですか?
 
内海:キャロリン・クリストフ=バカルギエフです。彼女がやった三つの大きな国際展はどれも会場数が多くて。イスタンブールは36会場に展開していました。
そんな風にわざと会場を増やしているのは美術館とは違うものを作り出すためなんじゃないかな?と思って研究し、それはジェンダーと関わっているという風に自分では結論づけました。
 
原田:おお!そこをもうちょっと深掘りしたいんですが、おそらくそれが修士論文のテーマにもなっていましたよね。
 
内海:まず、展覧会会場をどうして増やすのかなという単純な疑問がありました。
考えを進めていくと大型のビエンナーレの問題点が浮かび上がってきました。ビエンナーレはエキシビジョンホールなど、既存の美術館施設などが地理的、そして構造的な中心になる傾向にあります。例えば、『 横浜トリエンナーレ』だと横浜美術館に最初みんな観に行って、ガイドブックをもらってそこからサテライトを回る。ビエンナーレの形式は、美術館とは違う展開の可能性もあるけれど、どんどん美術館に収束されていくという問題意識があり、バカルギエフがどうやってそれを回避しているのかも気になっていました。見ていくと、イスタンブールであればイスタンブールモダンという美術館が、展示している作品の点数や地理的な点から「メイン」の会場になりますが、そこに行っても全容が把握できないようにしてあるんですよね。ほかの会場をぐるぐる回っていくと、「これはここにあったな、あれはあそこにあったな」というように徐々に自分の中で地図を作っていけるような仕組みにしているんです。
そうすることでほかの会場は、真ん中の会場で示されたテーマを例としてなぞるのではなく、違う作品の語り方であったり、異なる展覧会の流れを作れるんじゃないのかなと思ったんです。これまでの、主たるテーマがあり、そのexample、example、exampleみたいな展覧会の流れや、それと構造を同じにする論文がマスキュリンなエクリチュールであるとすれば、バカルギエフの展覧会は(マスキュリンに回収されない)フェミニンなエクリチュエールでの展覧会の作り方と言えるのではないか、と結論に至りました。ようやく話を戻せますが、黄金町ではそれが試せそうだったんですよ。
 
原田:なるほど。
 
内海:売買春街の過去があり、小さな建物がいっぱいある。だから、『黄金町バザール』という年に1回の展覧会では、会場が17、18くらい使えて。修士で理論的に考えたことをやってみるチャンスだと思いました。地理的に、あるいは会場の大きさ的に中心になりそうな場所を内容的に少し抜く。脱中心的と言ってもいいかもしれないですが、周りの会場を見ていくと、こっちが構想していたものの輪郭が立ち上がってくる感じで作ってみたら、自分の感触ではイスタンブールで体験したことに近付けたかなと。まあ、スケールなど全然違うんですけど。
動きやすいサイズの組織であること、売買春街という歴史がある中でジェンダー、フェミニズムをどうやって扱うのかという挑戦。この理由は新しく追加していますね(笑)。あとは、会場がいっぱい使えるというところが、黄金町に入った大きな三つの理由ですね。さらにもう一つ付け加えるとすると、東アジア、東南アジアとの繋がりがあったから。
 
原田:それは、黄金町が元々東アジア、東南アジアとの繋がりが強いということですか?
 
内海:そう、そう。
 
原田:アーティスト・イン・レジデンスで招く方たちが東アジアとか東南アジアの方が多い?
 
内海:そう。特に、交換プログラムはその地域のスペースとの協働がほとんどでした。どうしてかというと、ディレクターの山野真悟さんが福岡で80年代後半からレジデンスやプロジェクトを実施していた時から、地理的な近さもあってアジアとの繋がりが強いんですよね。あとは、レジデンスをやっていると、渡航費の面で(広いですけど)アジアからであればヨーロッパと同額で二人呼べる(笑)、みたいなのもあったりします。
 
原田:実際的な理由ですね(笑)。
 
内海:そう、そう。そっちの方が何か面白いだろうなとも漠然と感じていて。ヨーロッパを大きくまとめちゃうんですけど、ヨーロッパの知的ゲームのようなコンテンポラリーではなく、もう少し切迫しているものから出てくる表現とか生き方に触れていたいなと思ったので。ざっくりですが、それは東アジア、東南アジアの方が多いなと。
 
原田:ここからいきなり『BUG Art Award』に話を戻しますが、今回のアワードで賞をとられた方は審査員からのフィードバックもあるんでしたっけ(スタッフの方を向いて)?
 
スタッフ:そうですね。今回はまず2次審査に進んでもらうのが20名なんですけど、その方々はここを会場にして対面で審査員一人ひとりと話していただく機会があります。その審査が終わったら、20名には合否に関わらず審査員全員からフィードバックがもらえることになっています。
 
原田:なるほど。ということなんですが、キュレーターとアーティストの距離みたいなことを聞きたいなと。その黄金町の時は、どんな感じでアーティストの方とコミュニケーションをとって作品作りをしていたんでしょうか?今いるアーティゾン美術館との比較とかもあれば…。
 
内海:黄金町の時は、修士が終わって最初に入って、この人たちよく飲むなあと(笑)。
 
原田:アーティストの方たちが?
 
内海:アーティスト含め、事務局もそうだったんですけど、みんなというと語弊がありますが、少なくとも10人ぐらいは終電無くなる頃まで飲んで。終電を諦めたスタッフはレジデンススペースで朝まで過ごしていました。最初は東京で見る展覧会もあるし、毎週そんな遅くまでいなくても、と思ったんですけど、途中からこれは飲まないとコミュニケーションとれないなと。飲まなくても遅い時間まで何か一緒に喋っていないと、いろいろこう信頼してもらえないなというのがあって。何だろうね、経歴とか見ちゃうと…ちょっと今、恥ずかしいこと言うけど、ICUの学部行って、留学行って、英語喋れて、藝大の院に行って、英語で修論書いて何か賞をもらって、急に黄金町に行く。最初の数ヶ月は何だか宇宙人がやってきたみたいな感じで、警戒されていたんですよ(笑)。
 
原田:そうですよね、ちょっと肩書きだけ見ると…。
 
内海:私は建前で人と接するのが苦手で、腹を割って話そう、と行くタイプなんですよ。一緒に仕事をする上で結局信頼してもらわないとしょうがないので、とりあえずスタジオに行ってうだうだ喋ったり、一緒に観に行ったり、一緒にごはんを食べたり、作ったり、そんなことをしょっちゅうやっていましたよ。だから、過ごした時間の割合でいうと、作品を通してのコミュニケーションの方が少ないですね。
 
原田:じゃあ、それ以外のコミュニケーションで信頼関係を構築した、と。
 
内海:信頼関係を構築したかは…(笑)。まあ、こっちも信頼しないと仕事にならないじゃないですか。キュレーターって、一人だと何もできないでしょ?
 
原田:はい。全くできないですね。アーティストがいないと。
 
内海:アーティストがいて、デザイナーがいて、施工の人もいて、照明とか。いろんな人の助けがないとキュレーターは展覧会を作れないんだ、ということが修士に入ってありありとわかったので、アーティストの人も施工の人も、私は分け隔てなくいろいろと喋って、最終的には自分が納得する良いものを作りたいと思っています。
ただ、『黄金町バザール』の時には、プランを書類で出してもらって。そこから「これはどういうことか、説明してくれます?」というコミュニケーションを30人、40人なりのアーティストとガーってやるという。こっちも展覧会を作るからには、テキトウに場所を選びたくないので、この作品とこの考え方だったらここに置こうかな、みたいなことを考えていく。そのための情報を頑張って引き出す、ということはやっていました。でも2回目からは、こちらも場所の使い方や予算感もわかるし、施工の人とも慣れ親しんでいるので、展覧会作るために特別なコミュニケーションをとらなくても普段の会話や打合せでできるようにはなっていきましたね。ただ、明るいうちは仕事場でほぼ席には座ってなかった気がします。
 
原田:ああ、もうずっと動き回って。
 
内海:そう、そう。事務所の近くにスタジオが40個くらいあるんですよ。なので、ひとりひとりと喋っているといつの間に1日が終わっている、みたいな感じで(笑)。休憩がてらノートパソコン持って人のスタジオに上がり込んで、他の人にメール打ちながら「最近、何やっているの?」「何に関心あるの?」と聞いたり、「あそこのお店おいしかったんだけど」みたいなことをただただ喋っているという感じでアーティストと接する中で、作品を制作するのは大変だということがようやく分かって(笑)。作品制作時には、実際の展示会場にものを置くということを含めないで考えることもある、ということにも気づいたんですよ。「これ、会場に置くために台まで作ったけど、じゃあ照明はどうするの?」という感じで聞くと、「考えてなかった」みたいなことが多くて、「色温度は?ダクトレールはここにありますけど」と一緒に話して完成までもっていくことを1年目で経験しました。待つ部分もあれば、こちらが先に考えて提案した方がいいな、という進め方の塩梅も徐々にわかるようになって。アーティストにとって制作と作品を見せることは別回路で考えていることもある、という経験から、展覧会を作るためにキュレーターは必要なんだな、ということを思いましたね。
 
百瀬:人によるかもしれないですね。
 
内海:もちろん人によりますね。

キュレーションについて

百瀬:キュレーターの仕事は展覧会を作ることだから、たとえば作品の選定という作業があるじゃないですか。そもそも何を見せる、何を出すんだという時に、私はけっこう自分から言うことが多くて。「この展覧会には、これと、これと、これを出して、こういう順番で見せようと考えています」みたいなことを私は言っちゃうことが多いんですよね。でも、それだとあんまり面白くないなと思って、最近はけっこう、「これだけ手持ちのコマがあったら、どう見せましょうか?」みたいなことを聞いてみたりしちゃう。そういう意味で、自分の凝り固まった頭をほぐしてくれる人がいないと、やっぱり自分の想定内の動線になっちゃうな、と思うので。人によるとは思うんですけど、やっぱり何かを作っている時はその作品の中でのことを考えているけど、じゃあ、これとこれが同じ空間にあったらどう見えるのかとかは、その時点で考えないじゃないですか。
 
内海:うん、うん。それは大きかったな。黄金町の場合は、過去作を出すということがほぼなく、全員新作だから(笑)。作っている時に、隣に何が来るかというのは二の次になりやすい。
 
百瀬:だから、作るペースにもよるのかもしれないですね。私はそんなに多作な作家じゃないから、ある種自分の中にキュレーターみたいなものを召喚して、過去作をどういう順番で並べていったら今回のテーマに繋がりやすいかな、とか。編集者的な視点を持っている寄りの作家だとは思うんですけど。でも、一方でそれが解体される面白さも最近はあるなあ、と思っていて。
 
内海:うん。自分の手法を持っている人と一緒にやる楽しみは、そこで新しい挑戦をどんな風に一緒にしていくか。そこの設定が一番面白いかな。

百瀬:そうですね。だから、自分の話で恐縮なんですけど、今十和田市現代美術館でやっている個展では、2016年に制作した「Here」という電話番号を使った作品を出していて。電話をかけると留守番電話のサービスに繋がって、留守番電話って女性の機械音声が喋るじゃないですか。その機械音声が自分に向かって語りかけてくるっていう、ちょっと怖い作品なんですけど、それを出しているんですよね。その時、担当学芸員の見留さやかさんが作品解説のところで、「かつて電話の交換手というのは、ずっと女性が担っていた役割だった」ということを新たな作品の文脈づけとして書いてくれたんですよね。制作当時、私はそんなことを正直考えていなかったんですけど、確かにそういう解説がつくと展覧会に新たなレイヤーが加わって、作品がまた全然違う経験として見えてくるというか…。それが本当に面白かったんですよ。
だから、私はけっこう旧作を出すことをポジティブに面白がるというか、旧作のはずなのに新作のように見える、みたいな経験を積極的にやっていきたいんですよね。消費されないっていう、何か一種の抗いみたいな視点もあるし、長いスパンで作品を見せていくということが大事だと思っているので。そういう時に大事なのは、今どういう言葉でこの作品を今語るのか、ということなのかなと思います。
 
原田:今、百瀬さんがおっしゃっていたのは、キュレーションによって作品がより多面的になるというか、多角的な見え方がキュレーションによってもたらされる一例だと思うんですけど。
 
百瀬:そうですね。まあ、普通のことを言っているのかもしれないですけど。
 
原田:でも、それができたらキュレーターとしては本望ですよね。
 
内海:文脈づくりって、書かれた言葉である必要はないじゃないですか。それこそ動線とか壁の色とか、スペースの大きさとかも含まれるとは思うので。書かれている言葉とか、流れてくる音声といった要素が百瀬さんの作品の中でかなり重要なポジションになっているので、百瀬さんは展示全体にも目がいくということだと思います。
 
百瀬:確かに、動線作りもある種の言葉なんだろうなと思いましたね、今、話を聞いていて。

百瀬さんの作品について

原田:百瀬さんは最近、声をテーマに作品を作られているということですが、最初は武蔵野美術大学の油絵科にいらっしゃいましたよね。そこから映像作品を作るようになったきっかけだったり、今の作品についてだったりとか、百瀬さんの今までの作品ヒストリーを聞きたいです。参加者の中には、アーティストの方もいっぱいいると思うので。
 
百瀬:そうですね。私は武蔵野美術大学の油絵科出身なんですが、この大学は藤枝晃雄さんがいた影響なのか、どことなくモダニズム絵画の影響が強くて、私も多分に漏れず3年生くらいまでバリバリ油絵を描いていたんですよ。
 
内海:モダニズム絵画ということは、メディウム・スペシフィックに絵画で何ができるか、みたいな。
 
百瀬:そう。そういうことを考えていたんですけど、美大生あるあるで、グリーンバーグに取り憑かれて何もできなくなる、みたいな。
 
内海:(笑)
 
百瀬:それで絵が描けなくなって。それで、じゃあもう自分の身体を動かそう、みたいな発想になって。最初はパフォーマンスをやり、それを記録するためのメディアとして映像を使っていたんですよね。だから当時、2階から牛乳を垂らして飲む、みたいな謎のパフォーマンスをやったりして。
 
内海:それは、記録として映像を撮っている?
 
百瀬:撮っています。
 
内海:最初から?
 
百瀬:最初から一応撮っていました。自分一人でカメラを立ててやる、みたいな。でも、それはあくまで記録だったので、映像という自立した作品にしようという風にはあまり思っていなかったんですよ。2012年くらいから徐々に映像作品として作り始めて。要は、メディウム・スペシフィックなものを絵画じゃなくて映像でやってみるというか、映像の性質を映像によって明らかにすることができないかな、と思ったんですよね。私が最初にデビューした作品が《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》というろう者の研究者の方と一緒に作った作品なんですが、彼は唇の動きによって声というものを読み取るんですよね。声というものが実は、聞こえる私たちが定義している声とは全然違うものとして一方では認識されているということを映像に写して、最終的には聞こえる者が画面から阻害されるような構造の作品になっています。だから最初の頃は割と自己言及的な関心から作品を作っていたんですよね。
 
内海:そうだね。映像を使うのであれば映像のメディウムの特質に触れないと、っていうのがあったんだね。
 
百瀬:そうですね。それが大きく変わったのが、先ほどお話ししたACCでニューヨークに行った経験がきっかけで。私が行った年が2017年で、トランプ政権になったばかりの時だったんですよ。だから、情勢的にかなり荒れていて、本当にある特定のアイデンティティーの人が空港でバンされるみたいなことも起きていましたし、そんな風に自分たちが声を上げなきゃままならない状況が普通にある中で「あなたは日本人女性として何を思うの?」と問いかけられた時、アイデンティティーと個というものの間で引き裂かれる思いがして。
 
内海:その「問われていた」というのは、日常会話の中でけっこうあった?
 
百瀬:例えば、アジア人の作家だけを扱うギャラリーとかがあるんですよね。
 
原田:ええ!
 
百瀬:はい。そういう風に自分たちのアイデンティティーを確立させるために、そういう枠組みにしないといけない状況があるのかなって。
 
原田:それは、オーナーの方もアジア人で?
 
百瀬:おそらくは。だから、ある種のアイデンティティー・ポリティクスと、その発表活動みたいなことが一緒に駆動しているみたいな状況でした。
 
内海:それは戦略的でありつつ、けっこう自己言及的に巻き込まれちゃってそれに固執しちゃうみたいな両方なの?
 
百瀬:はい、その問題もやっぱり感じたんですよ。つまり、アイデンティティーに基づいて何かを語るということは、例えば女性だったらどこまでが女性と定義されるべきなのか、ペニスがついている女性は女性なのか?といったような常にどこかに線を引くような思考になりがちで、そういう排他的な危険性も孕んでいる、と。一方で私は、百瀬文という人間なんだけどな、みたいな。個人として私はあなたの前にいるんだけどな、というような葛藤みたいなものを感じながらニューヨークでの半年を過ごしていて。


百瀬:私は「フェミニズムとかジェンダーを扱っている作家」と紹介されがちなんですけど、どちらかというとジェンダー・ポリティクスの中で個であることと、その一方でタグ付けされた身体であること、その間で引き裂かれている私、ということ自体のままならなさみたいなことが大体主題になっているんですよね。でも、そういうことを語ろうとするともう何百文字以上になっちゃうから。そういう難しさを感じてはいます。
 
内海:その辺が素敵だなと、思っていたんですよ。だから、作家の紹介文を書く側は重責よね…(笑)。短い文章の中で書かないといけないし、長いと「読めねえんだよ」って文句来るし。
 
原田:そうですね。
 
内海:漢字多め、カタカナ多めにすると「何じゃ、こりゃ?」っていうのもあるし(笑)。だからと言って、知れ渡っているような言葉で説明しちゃうと違う時もあり、こちらがクリエイティブにならないといけない部分だと思っています。作品を見ればわかるところはさておき、作品よりも先に触れたり、書き言葉は残るし。そこら辺はキュレーターの腕が問われるところですよね。
それで、ジェンダーというテーマを展覧会であまり明示的なテーマにしない方が良いんだろうな、と思っているんですよ。「ジェンダー展です」というような、『フェミニズムズ/FEMINISMS』展に出品したアーティスト、開催した館の学芸員を前に言うのも何なんですが、その言葉をタイトルにしちゃうと、複数形になってはいるものの、そこに集約されていっちゃうような感じはしていて。
バカルギエフの研究をやっていて面白かったのは、本人が「私はフェミニズムとかジェンダーとかっていうテーマで展覧会はやらない」と明言している点です。なんかそこはすごく引っかかっていたのね。もっと明示した方が政治運動として盛り上がるし、注目されるし、作家の表現が認知される大きな機会で示せば広がっていくのに、わざわざ避けているというのは、ラベルを貼られたくないという意志以上に何かあるなと。冒頭の方でも言いましたけど、ジェンダースタディーズの良いところは「還元しない」という態度を土台にできるところなのだが、それをテーマとしてしまうとかなり還元の方向性に持っていかれる。その陥穽を避けるやり方に、私は惹かれるんですね。自分も展覧会でそうしようと努めているし、百瀬さんの作品を観ていて、当たり前ですけど開かれているところが作家としての視点の面白さだったり、作品の強さに起因しているなと思いました。
 
百瀬:だから、マイノリティーと呼ばれている人たちを私たちは一括りにしちゃいがちだけど、当たり前だけどそれぞれが個別の身体で。私は耳の聞こえない人と接する機会が割とあったのですが、最初から聞こえなかった人と、中途失聴といって、途中から聞こえなくなった人ではやっぱり全然違うんですよね。手話がネイティブで使えないろう者が、ろう社会のヒエラルキーの中で下に見られちゃう、みたいなことも一部にはある。マイノリティーの中でもそういう複雑さがあるんですよね。そうなると本当に目の前にいる個々の身体をどう尊重できるのかという話になっていく。
実際に、木下さんと一緒に最初に作品を作った時も、「作品の中で僕をろう者とは呼ばないでください」と言われたんですよね。やっぱり、その重みっていうものをすごく考えています。
 
内海:そういうことって、調査を始める段階では全く分かっていない状態で人に会って、自分で気づいていく?
 
百瀬:ですね。だから、時には怒られながら(笑)。やっぱり知らないことがあまりにも多すぎるなと、本当に思いましたね。
 
内海:知らない状態で決め打ちでも行かず、人と会ってみるということはやっている?
 
百瀬:そうですね。とりあえず、会ってみる。だから、私の制作は割と行き当たりばったりなところもあると思います。
 
内海:作品を観ると、最初からカッチリ決まっているというか、最初から見えていたような節もあるけれど、やっぱり作り方としてはそうなんですね。

アワード審査について思うこと

内海:制作の過程を聞いて思うのは、やはり書類で審査する難しさ(笑)。
 
原田:(スタッフに向かって)今回は書類で審査なんですか?
 
スタッフ:そうですね。まず1次審査では、応募者の方に展示プランや出展作品、過去作品のPDFを提出してもらいます。あとは、テキストでも作品説明や、将来何をしたいのかなどを書いていただき、その内容を審査用のPDF書類にまとめて、審査員が観るというかたちですね。
 
内海:でも、原田さんは審査とかしたことある?
 
原田:審査はありますね、授業内で。なかったですか?
 
内海:えっ!授業で?授業ではなかった。
 
原田:授業と言ってしまうとあれなんですけど、同じ藝大に通っているアーティストの人たちからポートフォリオがバーッと来るんですよ。そこから、同期のキュレーターと一緒に3人選んでプレゼンしてもらう、みたいな。プレゼンしてもらう前にポートフォリオを観て、どの3人が良いのかという組み合わせも観て…。
 
内海:それって、展覧会をやる前提でも何でもないんでしょ?
 
原田:何でもないです。それでポートフォリオを観て、というのはけっこうありましたね。
 
内海:最終的にその3人を選ぶ時は、同期全員で選ぶの?それともひとりが3人選ぶの?
 
原田:メインになっていたのは同期と私のふたりで、一緒に選ぶというのだったんですけど。そういうのは、なかったですか?
 
内海:学生の時は、なかったね。私たちの時は、作家にプレゼンしてもらって、こっちがリアクションして、みたいなことはやったけど、選ぶところまでは全然やってなかった。選ぶのは黄金町のレジデンスの公募に携わり始めた頃からかな。
何でこういう話をしたかというと、書類審査って何で書類なんだろうな、と。書類でアワードを決めるってそもそも許されるのかどうかは議論すべき点だと思っていて。例えば、映像やパフォーマンスって、そもそも書類に乗っからないじゃない?今はデジタルデータだから提出資料に含めることが可能かもしれないけれど、例えば500件応募が来た中の100件が映像だった時に、「全部の映像を観たとしたら、少なくとも48時間はかかります」と言われると観ないことの方が多いと思うのよ。あとは、早送りとか。審査となると、そうならざるを得ないよね。つまり、出す側として、作る側として、ポートフォリオをまとめるとか、書類を書くとかのやり方を教わってこなかったり、別にそこで勝負していない人たちにどうして書類を書かせないといけないんだ、考えるわけで。
 
原田:(スタッフに向かって)それは、作家自身のテキストじゃないとダメなんですか?
 
内海:応募書類に書いてあれば良いわけだから、誰かに頼んでも問題はないわけですよね?
スタッフ:そうなんですよね。そういうコンセプトで、他人が書いたものを提出しても問題はないですね。
 
内海:黄金町にいる時は、書類をうまく作ってくる人もいれば、書類ではわからないから聞かないといけない、両方に触れた経験からすると、どちらの作品が面白いかと言われてもケースバイケースだし…。
 
百瀬:私はアワードに出したことがあんまりないから、そういうのは…。
 
内海:ACCの審査資料はなんだったんですか?
 
百瀬:ACCは書類でしたね。でも、それは研究計画書みたいな感じでした。
 
内海:「何月にここにこう行って…」みたいなことを書くじゃない?スケジュールとか。
 
百瀬:私は元々、「ヴィト・アコンチの研究をしたい」みたいなそれっぽい理由を書いて行ったんですけど、ニューヨークに着いた途端にヴィト・アコンチが亡くなってしまって…。
 
内海、原田:(笑)
 
百瀬:そう。それで、どうしようかなと思った時に、とりあえずデモの行進に加わり、アメリカの今を身体で経験する、みたいな。プロジェクトの趣旨を変えましたね。計画書はポートフォリオとは違い、「今、私はこういうことに関心があって、選ばれたらこういうことをしたいです」ということをメインにしゃべるから、そちらの方が生産的なんじゃないかなと思う。
 
内海:そう。スケジュールとかは、ざっくりで良いんだよね。提出書類上は「細かく考えていますよ」みたいな感じが望ましいけど。審査する立場のことを考えてもらればわかると思いますが、「スケジュールを出してね」と言っているのは、「あなたは本当にできますか?そこまで計画立てていますか?」ということを聞きたいだけで、実行できるかどうかはさておきみたいなところがあるから。


百瀬:ポートフォリオって、いわゆる就活ツールとしても使われる言葉じゃないですか。
 
内海:うん、うん。
 
百瀬:「自分で自分のことを分かっているからプレゼンできる」ということ自体が私は疑わしいと思っているので、むしろ「これがわからなくて、わからないことをやってみたいからこういうことを今、考えているんです」という、不透明なものについて目の前にいる審査員と対話をする方が、もうちょっと双方にとって良いんじゃないかと思いますね。
 
内海:そう、そう。決まりきったことを書かれた書類って、あんまり面白くないんだよね。
 
百瀬:それ、学校の講評とかでも同じことを思いますよ。ちょっと前までは「作品があるので、俺からは言うことはないっす」みたいな態度の人の方が多かったと思うんですけど、ある時期からみんな作品の前ですごく上手にプレゼンするようになったんですよ。自分の作品を言語化するのは訓練的に良いことなんだけど、ちょっとコンセプトという言葉が一人歩きしているような感じがあって、少し気持ち悪いというか…。
 
内海、原田:(笑)
 
百瀬:広告代理店的な「これはこのことを表していて、これはこのことを表しています」みたいな、『ダ・ヴィンチ・コード』的な文法って、本当にそう思っているのかな?みたいに感じちゃいます。もう少し自分の血肉を介した言葉だったら良いんですけど、喋らなければいけない、自分で自分の作品を説明できないといけないという、強迫観念の方が先に立っちゃっている感じがあって。それよりは、自分にとってわからないものについて、目の前の人と喋るということの方が大事で、それこそが関心を持っていることなわけじゃないですか。
 
内海:関心を喋ることの方が、大事ですよね。
 
百瀬:そう、そう。
 
内海:「AはBである」という文章の構造自体にジェンダーが関わっているんじゃないかというのが、70年代のフレンチフェミニストたちから唱えられた疑義で、エレーヌ・シクスーとかリュス・イリガライとか。それを学部の時に読み漁ったので、書類もそういう文体じゃなくていいなと思っていて。
 
原田:応募する方にとってはとても有用な…。
 
内海:応募する方が、今日会場にどれくらいいるのかわかんないですけど(笑)。
 
原田:私はアワードじゃないんですけど、展覧会をやる際キュレーターとしてや、『ザ・フー』のアーティスト・コレクティブの活動のために助成金の書類を提出することがあって。確かに「これをやります」よりも「これが分からないから、みんなで何か考えたい。審査員の方にも聞きたい」みたいな感じで言うと通りやすかったな、と。
 
内海:そうなんだ。でもそれ、審査員によるけどね。
 
原田:そうですね。なので、私は審査員の人をめっちゃググりました。ググって、その人が書いているテキストとかを読んで、その人が考えていることをリサーチして、そこにあてて書く、みたいな感じのことをしたので、今私が応募する側だったら来てよかったなと思うトークイベントだと思いましたね(笑)。

質疑応答

参加者1:ありがとうございます。私は今、神奈川県でアーティスト活動をしています。今日3名の方のお話を聞いていた時に、ジェンダーとかフェミニズムは私の中でデリケートなお題というか、炎上しちゃうとか、あるいは、作品自体は展示した方がいいけれど、上の方から「これはちょっと危険だから、ここだけカットして欲しい」とかいう風に、本当はやりたいけれど、やれないとかがないのかなと。
キュレーターの立場でも、アーティストの立場でも、上や運営とのジレンマとかはありますか?こういうことはいろんな世界であるんじゃないかなと思ったんですが、その辺はどうですか?もし実際にあった場合、3名はどんな風に対応されたのかを教えてください。
 
内海:ジェンダー、フェミニズムで、私は特にそういう経験はないな。どっちかというと、政権にまつわる表象を含んだ作品の相談はあったけど、「いいよ。いっぱいあるからわかんない、わかんない」という感じで展示しました。ただ、同じ関心や問題設定を共有できないというのは、上よりも同期とかの方が強くて。藝大に入って、「グローバルアート」と言っているから、ポストコロニアル理論とジェンダー理論ぐらいはベースにあると思っていたんですよ。80年代からはそういうのがベースになってくるし。でも、「ポストコロニアルはわかるんだけど、ジェンダーは興味ないし、分からない」という声が多くて。それで衝撃を受けて、これは自分が言っていかないとしょうがないんだな、と強く思いました。
それから上と何かバトることがあったとしても、そこは折れないようにしようというのはありますね。ただ今のところは上司に恵まれていて、今の副館長がアバンギャルドなフェミニストなので(笑)。なので、ごめんなさい。具体的には上司とどうこう、みたいなものはなかったかな。
『黄金町バザール』に携わっていた時、中国を拠点にするパフォーマンスアーティストがコロナで来られなかったんですけど、自身のパフォーマンスを撮影した映像を作品として発表している人がいて。「中国だと裸体の映像は絶対に出せないから、この機会に出したい」という希望をオンライン打合せの時に聞いたんですよ。「黄金町だと、あなたの作品や営みに対して、女性の裸体を映像だけで持って来ると文脈が変わっちゃうんだけど」という話をして、結局その作品は展示しなかったということはありました。でも、出すことに意義があると感じて合意していたら、事務局長を説得してさらっと出していたかもしれないですね(笑)。
結局、話し合いの時間を持つことが大事だなと思いました。「出せる、出せる」と言っておいて、土壇場で「出せない」となると揉めるけど、最初からこっちの懸念点だったり、「本当にそれがやりたいの?」みたいなことを話し合える時間を持つことが重要で。その中でアーティストも「今回はこういう条件で出せない」ということが分かったら「じゃあ、その表現は今回はやめておく」という判断ができると思うんですよ。自分がそれをセンシティブだと思っているんだったら、どういう意味でセンシティブで、そのセンシティブなものをなぜ発表したいのかを共有して、協働する人と一緒に考える時間を持つことが大事かな、と思います。答えになったのか分からないですけど。
 
百瀬:私も直接上から何か言われたということはないんですが、美術館によってはゾーニング的なことを求められたことはありました。アーティストの遠藤麻衣さんと作った作品で、「理想の性器」について、粘土をこねながらずっと1時間くらい喋っている『Love Condition』という映像作品があるんですけど、これを金沢21世紀美術館の『フェミニズムズ / FEMINISMS 』展に出した時は、どういう注意書きだったかな…。何かこう、「性的な表現が含まれます」みたいな、要は子どもが入ってきた時の配慮みたいな札がそこに立てられていたんですよね。でも、その作品がまた別の美術館で展示されることになった際、その美術館の学芸員さんは「なんで金沢はこの内容に注意書きつけたんだろう」みたいに首を傾げてもいて。その美術館の環境もあるとは思いますが、結局その人の主観でもあるのかな、というようなことをすごく考えさせられたんですよね。
あとは国によっても違うのが興味深くて。ベトナムにレジデンスで行った時に、直接的な性表現がダメで、本当にシャワーシーンで下着がパラッと床に落ちただけでもダメ、みたいなことがあったりとか。
 
内海:それが「直接的」に分類されるんですね(笑)。
 
百瀬:そう。だから、判断のグラデーションみたいなものがあって、それは興味深かったですけどね、単純に。
 
内海:レジデンスというある一定の期間で、ずっと住まない限りは、文化や制度が異なる場に対して「興味深い」でいられるし、自分が活動する拠点があるとしたら、比較で考える経験になりますね。

参加者2:先ほど、アフリカのアートとかも学んでいたとおっしゃっていましたが…。
 
内海:はい、留学中に授業をとっていました。
 
参加者2:私のイメージで言うと、アフリカのアートは子孫繁栄がテーマでおっぱいとか性器がバーンみたいなイメージがあって、日本のアートは伝統美術でお雛様とか兜とか、女性的男性的みたいなものが昔のアートで、近代のジェンダーとアートみたいなワードでググると、すごくどぎつい「アンチ女らしさ」とか「アンチ男らしさ」みたいなものが画像でいっぱい出て来るんですね。
 
内海:すみません、それは「ジェンダー 近代美術」で検索すると出て来るんですか?
 
参加者2:「ジェンダー アート」で検索すると、男性が化粧をしている写真とか絵とかどぎついものしか出て来なくて、古いやつかもしれないんですが、ちょっと違うんだろうなと。私が最近良いなと思ったのは、フランスのオリンピックのエンブレムが、女性の顔なんだけど声が男性で、反転すると白い肌が黒くなる、みたいな。すごくさりげないエンブレムのデザインなんですけど、それってすごくジェンダーを意識しているというか、伝わって来るものがあって。
昔は男らしさ、女らしさみたいなものが露骨で、その後にそれに対するアンチみたいなものが露骨で。今後もさりげなく、ジェンダーというものをテーマにしない方が良いし、伝わるんじゃないかみたいなことをおっしゃっていましたが、そういう時代のトレンドみたいなものがあるんでしょうか?私の希望としては、さりげなさの中にグッと伝わって来るものがあるというアート表現がいっぱい出てくるといいな、と思っています。
 
内海:お話を聞いて、何をもってして、男らしいのか、女らしいのかを自分たちが判断しているのかをまず、考えるスタートにすると良いかなと思いました。何でそれを男性の声と認識したのか、女性の声と認識したのか、顔だけを観て女性だと思ったのかと気になりました。それで、ご質問にあったアンチみたいな「わかりやすい」というか、その「どぎつさ」はどのような視覚的表象のことをおっしゃっているのかは判断しかねるんですが、ジェンダースタディーズの歴史を大枠で70年代、80年代、90年代、2000年代と分けて振り返ってみれば、70年代の表象の理論や、それをベースにした表現というのは、当初、女性性、男性性を固定した上でアンチを出していた部分はあると言えます。
ただ、90年代に入ってからだと思うんですが、「そもそも性を固定させること自体が違うんじゃないの?」とか、女性性、男性性といった時に含まれている階級だったり、人種だったり、社会におけるポジションも含めないで考えていたことに対して、女性って何?男性って何?というような批判が大きく始まりました。そこから諸々考えられるようになり、視覚的表象として「どぎつい」ものは残っていますが、そこに含まれている要素はだいぶ複雑になっていて、視覚的に分かりやすく過剰でなかったとしても、複雑さを保ったまま何か作品に内包させている表現はあります。
視覚的に性における「どぎつさ」というものが何なのかな、というのは自分の指針として興味深いとは思います。私も最初、ドラァグクイーンカルチャーというのは何なんだろう?と戸惑っていた時期もあって。パッと見で分からん、というのと、あとは「ドラァグ」が「ドラッグ」だと思っていて(笑)、それに80年代と聞いていたから、薬とくっついているのかなと。最初、何でこんなに化粧していてどぎついんだろう?と思っていましたけど、分からないまま自分が「どぎつい」と思っちゃうのは何なんだろうなというのを抱えたままいろんなものを観ていくと、「こういう意味合いでやっているんだ」とか自分がイメージしていたどぎつさとかが取れて「なんかセクシーだな」と思ったり、「塗る技術がすごいな」「マスカラすごっ」と思ったり、細部が見えてくるんですよ。だから、「どぎつい」ままで終わるのはもったいないのかな、と。まあ、観るのも大変な時期があると思うので、時間をおけば良いかな、と思います。
まとめると、いろんな表現の中に含まれているものは複雑化していて、パッと見だけの「嫌い、好き」で判断するのはもったいないと思います。なので、付き合えるなと思ったものは、自分の中にイメージを蓄えておくなりしてみると良いかなと思います。というか、そうやって私はしています。

参考書籍紹介

スタッフ:時間も過ぎているので、そろそろ終わりにしたいと思いますが、内海さんは書籍をいろいろと持ってきてくださっていますね。
 
内海:そうなんですよ。この本は(手に持った1冊目の本を持ちながら)『ジェンダー&アート』。後半にミニマリズムやシュールレアリズムについて、フェミニストの視点での論考があって、これを授業で読んだんですよ。これがフェミニズムへの入口だったので持ってきました。
その流れで(手に持った2冊目の本を持ちながら)、グリゼルダ・ポロックとロジカ・パーカーが「オールドミストレス」、日本語に翻訳するとちょっと失われてしまう意味合いがあって、オールドマスターズというのは—『美の巨人』という番組でも「グレートマスターズオブアート」と言っていて—偉大な芸術家って「マスター」が使われているんですよ。ここにはジェンダーが関係しており、「オールドミストレス」というように女性の方に言い換えると、途端に「オールドマスターズ」が持っていた威厳とは全く逆のことが起きて、ただの「古いよぼよぼのおばあちゃん」とすごくネガティブなものが前面に出てくるんです。どうしてそういう言葉遣いと意味合いを持ってしまったのかというのを、グリゼルダ・ポロックとロジカ・パーカーが単なる表象の中だけではなくて「オールドマスターズ」を作り上げていく美術の機構、学校の教育だったり、その後に作家として成り立っていくための仕事の在り方などを分析して述べました。
今まで売れた絵画作品のトップ100にジョージア・オキーフの作品が1点だけ長らくあって、あと99点は全部男性の作品です(調べ直してみたら現在のトップ100には入っておらず、2021年までのオークションでのトータル売上では草間彌生、ジョアン・ミッチェル、セシリー・ブラウン、フリーダ・カーロ、アグネス・マーティン、オキーフ、ヘレン・フランケンサーラーの7名がトップ100に入っていました)。つまり、収入となる作品価格にジェンダーが含まれていて、しかもその差が異様に歪だ、みたいなことがあるんですけど…。この本が出版されたのが81年ですが、これがあって、フェミニスト美術史の社会構築論的なもの、あとは精神分析というものが80年代くらいから混ざってくるんですね。そういう画期的な本で、グリゼリダ・ポロックという人に会いたいなと思って、リーズに行ったきっかけの本です。


政治とジェンダーへの意識は、この(手に持った3冊目の本を持ちながら)北原恵さんの『アート・アクティヴィズム』から大きな影響を受けています。学生の時に政治運動にちょっと絡んでいて、国会議事堂前とかによく行っていました。その中で周りの同年代の人たちがマッチョな感じのポスターを作ってきていて「なんじゃこりゃ、違和感あるんだけど」と思ったんですね。この本はそれとは違う方向性でアートのアクティヴィズムかつジェンダーを扱っていて、最初の方に『 ゲリラ・ガールズ』の紹介があったり、ブブ・ド・ラ・マドレーヌさんと嶋田美子さんの活動について書いてあり、いろいろと学びました。「どぎつい」ものも入っていますが、アクティヴィズムの一環としてこういう表象を戦略的に扱っていたということを知ると、「なるほど、これくらいインパクトがあるものが必要なんだ」とか、そのインパクト性というものは戦略的に作られたものであるので、社会の見方をインストールしながら、何ぜそう思うのか?といった、かなり知的で面白いと思った本です。
 
原田:今日着ているTシャツは、『ゲリラ・ガールズ』ですよね。
 
内海:はい、これ自慢なんですが、渋谷のパルコで『ゲリラ・ガールズ』の展覧会のイベントがあって、その時に買ったものです。上に着ているシャツに多く描かれたレンブラントの自画像の中に『ゲリラ・ガールズ』の顔を忍ばせると言うことをやってみました。
それで、グリゼルダ・ポロックのところでは、ジェンダーだけではなく展覧会研究という動向を目の当たりにし、面白かったですね。日本だと作家研究と作品研究が基本ですけど、2014年に留学した時、「博士論文の8割が展覧会研究だ」と言われたので、全体的に展覧会研究にシフトしているんだなというのと、その方が構造論だとかなんとかで興味を引かれたんですよ。それで、これは(手に持ったファイルを持ちながら)Vol.1なんですが、これとVol.2を3ヶ月で読みましょう、という「ドクメンタ」を通して現代美術を見ていく授業があって。ここに集められたテキストにはジェンダーの視点もあるし、ポストコロニアリズムの論もありました。グリゼルダ・ポロックの元で現代美術にどっぷりハマるきっかけになったものとして持ってきました。
このイベントのために本をいろいろ振り返って自分の本棚を見て、この頃はちゃんと本を読んでいたなと思いました(笑)。今は全然読めていないなと、自己反省中です。
 
スタッフ:それではこちらでイベントは終了させていただきます。内海さん、百瀬さん、原田さん、本日はありがとうございました。