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ひっそりと私たちを繋げてくれる言葉のこと。

昨日、推しのコロナ療養期間が終わりました。

TLに流れてきた活動再開のニュースを見て、肩の力がふっと抜けたのを感じました。
この期間1番苦しかったのは推しですが、心配していた自分もかなり緊張していたんだなと、その時にようやく気付いたのでした。


症状の程度については特に触れられていなかったので、詳細は分からないのですが、
舞台の開幕直前だったということもあって、推しとしてはかなりもどかしい期間だったと思っています。
そんな中でも、ブログは毎日欠かさず更新していて、
そこでは自分自身に向けた叱咤激励の言葉たちと、ファンを気遣う言葉が綴られていました。

そしてついに発表された療養期間終了のお知らせ。
無事回復してよかったという安堵の言葉と、「おかえり!」と暖かく迎える言葉がTLに溢れていて、思わずしみじみしてしまう私。

そんな中、予想もしなかった出来事にファンは騒ぎ始めたのです。
「◯◯くんが、ブログ読んでるって!」

同じ事務所の先輩が、推しのブログを読んでいる…!?
特に繋がりがあるとかも聞いたことないけど、いったいなぜ…?

慌ててその先輩のブログを見に行くと、確かに推しのブログを読んでいることが書かれていました。
(しかも推しのブログのフォーマットを再現していた)
読むようになったきっかけは本当に偶然で、
同じ日に療養期間に入った後輩が毎日ブログをあげていることを知り、様子が気になったからだそう。
そして、推しが日々綴っていた言葉が、いつしか先輩にとっても励みになっていたと書かれていました。

あの日、推しの自分自身へ向けた言葉が、巡り巡って同じ境遇だった人の心に届いていたのです。


言葉の力って本当に偉大。
その時は自分に向けて綴った言葉が、後々それを読んだ誰かも同じように(もしくは本人以上に)心を動かしている。

言葉は人と人の気持ちを繋げることができるツールなんだと、この出来事を通じて確信しました。
その時は反応がなくてひとりぼっちな気がしていても、実は誰かにひっそりとその言葉が届いている、ということもあるのです。

そして、誰かに届く可能性があるからこそ、
例え自分自身に向けた言葉であっても、適当に扱ってはいけないということ。
言葉を大事にするということは、自分自身や読んでくれる誰かを守るということにもつながっていくのです。


言葉で繋がる温かい関係は、これからもきっと続いていくものだと信じて。
そんな希望を胸に、今日も私は思いを綴っています。

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