仏教徒のなり方
突然ですが、私は仏教徒です。
神道ではありません。
クリスチャンでもカトリックでもイスラム教でもありません。
ユダヤ教も違います(しつこい)
なぜそんな話を?というと
ここ最近は全然聞かれませんが、メキシコやスペインで教えていた時によく
「仏教徒ってどうやったらなれるの?仏教の洗礼ってどんな感じ?」
と聞かれたことを思い出したから。
仏教徒ってどうやったらなれるかって?
答え
知らん。
そういえばカトリックとかクリスチャンって洗礼がありますよね。そこで初めて認められるわけですが、
仏教徒ってどうやったら仏教徒となるんでしょう?笑
お宮参り?
いや、お宮参りは神社だし。行くけど。
初詣だって行ってる。タブーでもない。
クリスマスパーティーするけどクリスチャンじゃない人大勢。
祖父母の家にお仏壇あるもん。(神棚もあるけど)
法事の時お坊さん来るもん。
うちは仏教だよって言われてるもん。
お寺の檀家だから仏教だと思ってたもん
つまり「家が仏教だから自分も仏教だぜイェーイ」って感じで思ってましたけど
敬虔な人たちというか、世界標準で言ったら日本人の感覚の方が異端なんだと思うけど、普通に考えて不思議ですよね。
同じ仏教といえど宗派が違ったって結婚できますし。
よく知らないけど女性は死んだ後のお葬式もその婚家の宗派でしますし。たとえ実家と違う宗派でも。
自分の家が真言宗だとか浄土真宗とか知らない人だって大勢いるわけですし。
毎週末お寺にお参り行く人なんて今ほぼいないんじゃないでしょうか。
仏門に入る人もいますが、それは本気のお坊さんになる人であって、大体の人はそうじゃないし。
ただ、私は「うん、私は仏教だな」と確信する経験はしたことがあります。
私はメキシコ時代、敬虔なクリスチャンの家庭にホームステイしていたのですが、その時何度か聖書の勉強会に参加しました。
スペイン語ではさすがに難しいので、iPadに入っている聖書の日本語訳を読んで「ふぅん」とは思ったのですが、
なんかやっぱり自分とはちがうな~
と思ったのを覚えています。
会のメンバーとはかなり仲良くなったし、最後は改宗まで勧められましたが、
「この考え方も素晴らしいし、否定する気は全くないけど、どこか自分と違う。一つ一つの教えに触れるたびに『私は仏教徒だ』と感じる思いが強くなったよ。逆にそのことを知れてよかった。ありがとう」
と断りました。
あと、なんとなくこういうことを気安くしてはいけないなという本能が働いた。
なんとなく家が仏教で、偶然通った幼稚園はお寺が主体のところでしたが、私の仏教感ってそんなもの。でも、やっぱりどこかに「クリスチャンやカトリックじゃないな~」と思うところがあって。
どうやったらなれるの?の質問の答えはわかりませんが、
聞かれたら
「仏教はその考えに賛同して、自分もそれを信じると思った時点で仏教徒になれるよ。洗礼とか、そういう儀式は特にしないけど、それだけ広く浅く門戸を開けている宗教だよ」
と答えるようにしています。
正しい答えはいったい何なのでしょう?
ちなみに、彼らにはよく「ブッダっていったい何なの?仏教の神様?」も聞かれました。
知らねぇ…。いや、たぶん神様ではない…。
日本語を勉強していない、普通の人(?)の日本に関する質問は時にものすごく深いです。
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